ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 錆兎

 一気に緊迫した空気のなか、錆兎が一瞬にして思い出したのは、ゴールデンウィーク初日の出来事。風呂に入る組み合わせで少々揉めたときに、錆兎が宇髄と入ると決めたのは、内密に話すには絶好のチャンスだと思ったからだ。

「天元、それであの馬鹿どもはどうなったんだ?」

 風呂に入るなりたずねた錆兎に、宇髄は眉を小さく上げると薄く笑った。錆兎は、宇髄の人を食ったこの笑みが、あまり好きじゃない。宇髄にとってこの笑みは仮面だろうと感じている。出逢って間もないのだから警戒されてもしょうがないし、お互い様ではあるけれど、煉獄にさえ同じ笑みを見せるのが気に食わなかった。煉獄はどう思っているのか知らないが、錆兎からすれば、腹に一物あるようなやつと友達付き合いなどしたくない。
 それでももう、宇髄がいいやつだということだって、錆兎は理解している。いら立つのはそのせいかもしれなかった。
 内心を悟られぬよう宇髄は笑うんだろう。相手を突き放すのではなく、一歩引いて見守る大人の笑みに、それは似ていた。宇髄からこの笑みで見られるたび、対等だと思われていないのかと少しばかりいら立って、それ以上に錆兎の胸には焦りが生まれる。
 まだ中学生とはいえ、宇髄の世慣れた様子や諸々への対処の冷静さは、錆兎の目にはずいぶんと大人びて映る。自分が同じ年になったとき、宇髄と同じくらい人に頼られる男になれるのか。思えば焦りは錆兎の背を押して、みんなを守れるよう一刻も早く大人にならねばと思ってしまう。
 だからつい宇髄に対しては、真菰や義勇に対するのとはまた違った言動になった。庇護欲からとは違う大人びた言動は、宇髄に対等と思われたいという、錆兎自身の欲求ゆえだ。
「あー、それなんだがな。あいつら派手にビビっちまったみたいだぜ。問題はなさそうだ」
「金魚のフンっぽい二人はそうかもな。で?」
 首謀者のあの馬鹿は? と問う一音に、宇髄がわずかに眉尻を上げる。
 あいつも含めて問題なしと判断したのか、それとも思惑あって隠そうとしているのか。即座に判断できるほど、錆兎はまだ宇髄を理解できてはいない。確認を怠るわけにはいかないと、じっと見つめる錆兎に、宇髄が少し笑みを深めた。先よりも苦笑めいた笑みだ。
「おまえのそういうとこ、ほんと厄介だわ。……やつだけは少しばかり根が深そうだな。根本は八つ当たりや嫉妬でしかねぇってのは確かだけどよ」
 厄介だと宇髄は言うが、まったく同じ言葉を返してやりたいと、錆兎はわずかに目をすがめた。
 答えたことで錆兎への信頼を示しているかといえば、そうではないところが、宇髄の厄介な点だと思う。それでも自分の幼さを自覚している錆兎にしてみれば、致し方なしと認めざるをえないのが、悔しい。
 宇髄にとっては錆兎だって庇護対象なのだ。悔しい以外になにが言えようか。
 錆兎にとって相棒や相方と呼びたい相手はすでにいるので、宇髄とそんな関係になりたいとは思っていないけれど、それでも対等な立場にはなりたい。
 憧れとは言いたくない。そんな言葉を認めるほど大人にはなれなかった。
 視線をそらさない錆兎に根負けした素振そぶりで、宇髄が肩をすくめて言う。
「あの馬鹿の両親は教育関係では著名人、家は裕福、アイツの入学と入れ替わりに卒業した出来のいい兄貴がいる。兄貴に見劣りする弟ってなぁ、本人からすりゃストレス溜まるだろうな。しかもアイツにとっては最悪なことに、同じ学年に冨岡がいた。冨岡には親がいない。世間一般的には圧倒的弱者にいるはずの冨岡は、誰の目にも非の打ち所がない優等生ときたもんだ。簡単すぎる図式だろ?」
 なるほど。単純明快この上ない、身勝手で悪意ある嫉妬だ。義勇にはなんの落ち度もありゃしない。ただの八つ当たりじゃないか。みなしごと義勇を責める言葉に正当性があると思い込んでいる時点で、品性の下劣さをあらわにしているだけだ。
 当の本人にしてみれば、プレッシャーやらなんやらで追い詰められているのかもしれないが、同情してやる義理などない。少なくとも仲間とつるんで犬をいじめたり、ましてや義勇に心ない言葉を投げつける権利など、あんな馬鹿にあるものか。
 あきれるより先に憤るのは子供の証だろうかと頭の片隅で思いながらも、錆兎はこらえきれず、眉間に深いシワを刻む。
「……それで? 肝心なことに答えてないぞ、天元」
「お仲間はビビっちまって、アイツとつるむのやめちまったらしいぜ。一人で事を起こすほどの度胸はねぇし、親や学校に知られるのを一番恐れてるのはアイツだろうな」
 だから気にすることはない。と、錆兎が受け取めることを期待している。錆兎は宇髄の言葉と表情を、そう判断した。真意はきっと別にある。
 けれども、追及したところで宇髄は答えないだろうことも、もう理解していた。
 だから錆兎は、あえて軽いため息をついてみせた。錆兎が信じたと思い込んでくれるのなら御の字だ。とはいえ宇髄だって、簡単には信じやしないだろう。お互いに腹のうちを探りあっていることを自覚した上での猿芝居だ。
 共犯者になるには足りないなにかが年齢なら、実年齢以上に大人になるしか、錆兎に手立てはない。
 考えろ。見のがすな。宇髄の言葉の裏を読め。錆兎は胸に刻みつける。
 きっとそれが、義勇や真菰たちを守るために、今の自分がすべきことだ。力が足りないなら頭を使え。男に生まれたからには、泣き言を言う前に自分がすべきことをしろ。
 そして今まさに錆兎がすべきことはといえば、夕飯を前にして待っている一同のため、さっさと入浴を済ませることだったので。

「おい、天元。狭いからもっと詰めろよ」
「あぁん? 十分浸かれるだろ、おまえチビだし」
「チビじゃないっ! 俺は平均だって言ってるだろ!」
「へぇへぇ。おまえがチビなんじゃなくて、俺様の足が派手に長すぎるせいだよな~」
「無駄にの間違いだろ。独活の大木って言葉知ってるか? 大男総身に知恵が回りかねでもいいけどな」
「そういう生意気を言う口はこれか? あぁ?」
「いひゃいらろっ! やめろ馬鹿っ!」

 ギャアギャアと騒いでしまったせいで鱗滝に二人そろって叱られたのは、さすがに子供っぽすぎたと反省した錆兎だった。
 一緒に正座させられた宇髄はざまぁみろだけど。

 そんなことがあったから、錆兎は銭湯での宇髄の指摘にかなり落ち込みもした。だからといって大人にならなければという想いに変わりはない。
 義勇に対する過保護な対応は、改めるべきところにきているのかもしれないが、年齢差を埋めるべく精進努力するのは悪いことじゃないはずだ。それに、まだまだ心配なのに違いはない。少なくとも、憂慮すべきことがあるうちは、義勇を守るべく行動したっていいだろう。義勇の罪悪感をあおらないよう、細心の注意は必要だけれども。

 思えども、不穏な状況に冷静でいられるほど、大人にはなりきれていないわけで。

「カメラを死守したのは立派です。変なやつらはまいてきたんでしょ? なら問題ないですね。じゃ、撮影を開始しましょうか」
 遅れてきた二人組の言葉を聞いてなお撮影本番を急かす前田は、本当にブレないというか、いい根性をしていると思う。
 思うが同意なんてできるものか。真菰も同様なのは言うまでもなく、錆兎と真菰はそろってまなじりをつり上げた。
「義勇が狙われてるかもしれないんだぞっ、呑気に映画なんて撮ってられるか!」
「そうだよ、本当にこの人たちが変なのをまけたのかもわからないじゃない。早く帰ったほうがいいよ」
「探されてるんなら、いっそ動かねぇほうがいいんじゃねぇの? 移動中に出くわしたらアウトだろ。それに、たとえそいつらがここにきたとしても、探してるのは『キメツ学園中等部の冨岡って男子生徒』なんだろ?」
 宇髄や煉獄は同意すると思ったのに、意に反して宇髄が言ったのは、そんな言葉だった。
 錆兎と真菰は思わず言葉に詰まって顔を見合わせた。ニヤリと笑って義勇を見やる宇髄の言わんとする意味を察したところで、たしかにとは言いづらい。
 義勇が傷つくようなことは、口が裂けても言いたくない。今の義勇は女の子に見えるから大丈夫、なんて。言えるはずがないだろう、そんなこと。
「うぅむ……まぁ、一理あるかもしれんが……」
 煉獄が口ごもる理由も、錆兎たち同様だろう。義勇本人がまったく気がついていないのはなによりだ。錆兎たちや煉獄の視線のわけを知ったが最後、盛大に落ち込むのは簡単に予想がつく。
「ぎゆさんを探してるんでしょ? なんで逢っちゃ駄目なの?」
 悪意ゆえと思い至らぬ禰豆子の無邪気な疑問に、炭治郎もまた不思議そうに義勇を見上げ、「義勇さんのお友達ですか?」とたずねている。
 炭治郎たちは本当に純粋無垢そのものだ。あの馬鹿どもの身勝手な悪意を目にしていても、探されていると聞けば友達だろうと思うくらいには、人の悪感情に疎い。
 純真なのはいいことかもしれないが、ちょっとばかり心配にもなってくるなと思っていれば、宇髄も同じ感想らしい。少しあきれた顔で炭治郎たちを見下ろしていた。
「おまえら、知らねぇやつがお菓子やるって言ってもついてくなよ?」
「行きませんよ? 父さんや母さんと約束してますから!」
「禰豆子も行かないよ? 知らない人にはついてっちゃ駄目なんだもん」
「おぉ、えらいな、二人とも! 感心感心。冨岡、相手はキメツ中学の生徒のようだが、心当たりはないのか?」
 二人の頭をグリグリとなでながらの煉獄の問いに、義勇がふるふると首を振った。
 義勇はもともと社交的ではないし、学区外に友人なんていなかったはずだ。優等生だったからガラの悪いやつらとの付き合いもない。だから否定の意を示したのだろうけれど、錆兎や真菰からすれば、義勇の否定は自己評価の低さゆえだと理解している。
 整った顔立ちの優等生。剣道の大会でも好成績。目端の利く少女たちの目にとまるには、それだけでも十分な優良物件だ。去年の文化祭だって、義勇のクラスの模擬店は学区内外問わず義勇目当てな女の子が群がっていたというのに、本人はまったくモテている自覚がないんだから、ため息だってつきたくもなる。
 世の中には逆恨みってものもあるんだぞ? 義勇がなにもしてなくても、惚れた女の子が義勇のファンだってだけで恨みを持つやつだっているかもしれないんだぞ?
 そう言ってやりたいところだが、義勇にはさっぱり理解できないこともわかっているので、錆兎と真菰はそろって肩を落とすしかない。
 まぁ、惚れた腫れたなんて、錆兎たちだって本当は、よくわかっちゃいないのだけれども。

「この前のやつらが探してんならキサ中のはずだしな。キメ中に知り合いはいねぇってんなら、人違いの可能性のほうが高いんじゃねぇの」

 恋愛のあれこれははわからなくとも、宇髄のその言葉の裏になにかがあるのは、感じ取れる。らしくない。そんな言葉で言い表すほど宇髄のことを知っているわけじゃないが、それでもそんな楽観は宇髄らしくないと錆兎は思った。

 さぁ、見のがすな。裏を読め。考えて、考えて、考え抜け。
 守りたいものがあるのなら、男なら、自分が持てるすべてを使って守り抜け。

 じっと宇髄を見つめた錆兎は、真菰もまた自分を見つめていたことには、気がつかなかった。