ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 炭治郎

「こらっ、貞子大きな声出すなっ」
 あわてた様子で小さな女の子を叱る男の子が視界に入り、炭治郎はパァッと目を輝かせた。
「玄弥だっ!」
 突然の闖入者にも義勇の無表情は変わらない。けれど警戒する匂いがうっすらとしていた。
「禰豆子が迷子になってたときに助けてくれて、義勇さんのことも一緒に探してくれたんです。とってもいい子なんですよ」
 昨日の一幕を蒸し返せば、禰豆子が気に病むだろう。義勇の耳元で内緒で言うと、義勇の匂いがいつもと同じやさしさの滲む淡い水の匂いに変わった。炭治郎の言葉を信じると、義勇の匂いが伝えてくれるから、炭治郎はうれしくなった。
「あれ? でもなんで玄弥がここにいるんだ?」
「おぉ! 君は昨日冨岡に茶をくれた人だな! 禰豆子を助けてくれた子供たちと知り合いだったとは、よもやよもやだ!」
 炭治郎と煉獄の快活な声が重なって、宇髄が苦笑した。
「俺もさっき知ったんだが兄弟だってよ」
「……キメ中の、不死川だァ」
 傷だらけな顔の人が言った途端、煉獄と錆兎の目が鋭く光った。さっきの義勇よりもっと警戒して見える。
 そういえば、義勇を探しているのもキメツ中学の人じゃなかったっけ。炭治郎が小首をかしげるのと、宇髄が面白そうに笑ったのは同時だった。
「おいおい、ここにいるのは全員不死川だろ? 紛らわしいからフルネームで頼むわ」
「チッ。不死川実弥。こっちは寿美だ」
 舌打ちする顔はちょっと怖いけれども、きちんと名乗ってくれるし、腕のなかの女の子の名前も教えてくれた。きっといい人なんだろう。宇髄が連れてきたのだし、警戒することなんてないですよねと言うように、炭治郎はにこりと笑って義勇をあおぎ見た。
 義勇が具合を悪くしていたときに、自分のお茶を義勇にくれた人がいたのは聞いていたけれど、まさか玄弥たちのお兄ちゃんだとは思ってもみなかった。
「親切ないい人ですね!」
 ニコニコと言った炭治郎に、義勇が小さくうなずいた。頭には炭治郎が編んだシロツメクサの花冠。白く可憐な花冠は想像以上に義勇に似合っていて、炭治郎のドキドキは止まりそうにない。

「……うちの学校のやつらがアホなことしてるらしいけどよォ、俺はくだらねぇやつらとつるむ気はねぇし、おまえらが玄弥たちの知り合いなら、なおさらだァ。万が一そいつらがきやがったら、俺が片付けてやらァ」

 だから安心しろとそっぽを向いて言う実弥の顔は、少しだけ赤らんでいる。見た目はちょっと怖いけど照れ屋さんなのかなと、炭治郎が微笑ましく思っていたら、前田がパンパンと手を叩いた。
「はいはい、みなさん。とりあえず今のカットはOKです。さくさく撮っていきますから、見学の方はお静かに。ヒロインのシーンは今日中に撮り終えないといけませんから、巻いていきますよっ」
 撮影のことしか頭にないのか、前田は実弥たちの登場など気にもかけていないようだ。
 次のシーンは義勇だけを撮るからと義勇の手を取ろうとして、錆兎に手を叩かれていたのはちょっぴり気の毒ではあるけれども、前田に触れられるのは義勇も嫌そうだったので、まぁしかたない。

 前田の指示とおり、一人で木立に寄りかかって立たされた義勇は、どことなく不安げに見えた。炭治郎たちと遊ぶシーンは演技しなくてもよかったが、今度のシーンは、セリフこそないものの言われたとおりに動かなければいけないらしい。
 演技なんてほどのものじゃないですからと前田は言うけれど、義勇にとっては十分むずかしい要求みたいだ。何度繰り返してもOKが出ないでいる。
「うーん、やっぱりなんだかぎこちないですねぇ」
 困り声の前田に申し訳なく思っているのか、はたまた無茶を言うなと不満なのか、義勇はわずかに顔を伏せている。頭にはまだ炭治郎が編んだシロツメクサの花冠。前田がやたらと気に入ったようで、すべてのカットで被ったままということになったのが、炭治郎には誇らしくもちょっとだけ恥ずかしい。
「ソワソワとした人待ち顔からの~、待ち人に気づいて振り返りうれしそうに微笑む……のは、まぁ、なしでもいいですけど。いや、できれば笑ったショットは欲しいんですけどね。あの子に花冠を被せてあげたときみたいなのが。とはいえ、演技しなくていいって言ったのはこちらなんで、あまり無理は言えませんけど……うーん、相手がいないのが駄目なのかなぁ」
 言うなりくるりと振り向いた前田が、並んで見ていた一同を順繰りに眺めまわした。
「おいっ、前田。相手なら主役がいるだろうが。俺らを見んじゃねぇよっ!」
「え、あ、俺? う、うんっ、俺でよければ……」
 いかにも嫌そうな宇髄とは対照的に、村田がブンブンと音がしそうなほどにうなずいた。それを無視して、前田はうーんと唸り続けている。視線も止まらない。
「宇髄くんには頼みませんから大丈夫ですよ……うん、金髪の彼か、見学の彼にお願いしますかね。村田くんよりは自然な表情を引き出せるかもしれません」
「はっ!? なんで俺なんだァ!」
 がっくりとうなだれる村田の隣にいた実弥は、目をむいて怒鳴ったものの、やっぱり少し顔が赤い。
「あれ? ヒロインの恩人じゃないんですか? 馴染みのない人が相手役じゃ自然な表情になりませんから、それじゃ金髪の彼にしときますか」
「よもや俺か! 俺も演技なんてできんのだがっ!?」
「いえいえ、あなたは映しませんから演技はいりませんよ。ヒロインに向かって歩いてもらうだけです。相手が見えるほうがヒロインも動きやすいでしょうから、お願いできます?」
 肝心な義勇の意思を確認することなく進んでいく話は、一昨日のジャンケンに似ている。禰豆子の落ち込み同様に、義勇の機嫌がだんだん下降していくのを感じたのは、炭治郎ばかりじゃなかった。錆兎と真菰はしかめっ面を見合わせているし、禰豆子も眉尻を下げて炭治郎を見上げてくる。煉獄もめずらしく困り顔だ。
「自然に笑ってほしなら、炭治郎にやってもらえばいいじゃない。駄目なの?」
「俺?」
 真菰の提案にビックリしたのは炭治郎だけだったらしい。顔を上げた義勇もどこかホッとして見える。けれども前田は駄目駄目と首を振った。
「僕も真っ先に考えたんですけどねぇ、目線が合わないんです。この子じゃどうしてもヒロインの視線が下に行くでしょ? 同じ理由で宇髄くんも却下です。視線が高くなりすぎちゃうんで。まぁ、ストーリー変更で、ヒロインの相手役は一切出さないことにしますから、多少は視線の位置を変えてもかまわないんですけどね。でもバランスを考えると、金髪の彼かキメ中の彼ぐらいがちょうどいいんですよ」
「俺マジで主役降ろされたのっ!?」
「いい加減あきらめろよ、村田。こういうときの前田にはなに言っても無駄だって知ってるだろ?」
「竹内まで……主役だっていうから、昨日いつもより念入りにヘアケアしたのになんなんだよ、もう……」
 村田を誰も慰めようとしないのはちょっと気の毒だった。けれども村田を気にしている余裕は炭治郎にもない。義勇が所在なさげに一人で立っていることばかりが気になってしまう。
 義勇自身は映画に出る気なんてなかっただろうに、炭治郎と禰豆子が出てみたいと言ったせいで頑張ってくれているのだ。これ以上困らせたり疲れさせたりしたくない。
 どうしよう、どうすればいいのかな。炭治郎が悩んでいると、炭治郎の体がヒョイと抱え上げられた。
「こいつの目線が高くなりゃいいんだろォ、こうすりゃ解決じゃねぇか」
 実弥の腕に抱えあげられた炭治郎は目を白黒させた。いつの間にか寿美は玄弥と手を繋いでいる。小さい子のように抱っこされた炭治郎に、みんなの視線が集中するのが恥ずかしい。
 前に義勇が抱っこしてくれたときは、恥ずかしくてもうれしさのほうが勝っていた。けれどもさすがに会ったばかりで話もしたことがない実弥では、どうにも居たたまれない。オロオロと視線をさまよわわせた瞬間、炭治郎の鼻をふわっとくすぐったのは「好き」の匂い。
 とても淡くて感じ取るのもむずかしいほどだけれど、お父さんとお母さんが笑い合っているときに、ときどきふわりと香る甘くてやさしい匂いと同じだ。
 誰からと探るまでもない。こんなに淡い匂いが感じられるほど近くにいるのは、炭治郎を抱き上げている実弥しかいない。

 でも、誰に? この人が好きなのは誰? 炭治郎が実弥の視線を辿ると、そこには義勇が立っていた。

 視線を向けた途端に義勇と目が合った。炭治郎をじっと見つめている義勇の目を見返しても、義勇がなにを思っているのか炭治郎にはわからない。匂いで読み取ろうにも離れているからそれもできなかった。知らず炭治郎は、義勇の視線からのがれるようにうつむいた。
 義勇の前で違う人に抱っこされているのはなぜだか焦るし、義勇を見ている実弥から好きの匂いがするのはもやもやする。炭治郎がすっかり困り果てても、みんなは気づいてくれない。
「なるほど、これなら視線のバランスもとれますし、ヒロインの自然な笑顔が引き出せそうですね。じゃあ、これでやりましょうか」
 前田の言葉に嫌だとも言えず、実弥に抱っこされている自分を義勇の目から隠すことだってできず。炭治郎がなんだか泣きたい気分になったそのとき、大きな笑い声が近づいてきた。
 声の感じから大人数っぽい。なんだかあまりいい笑い方じゃなかった。笑い声に混じって乱暴な言葉での話し声も聞こえてくる。
 それぞれの声に聞き覚えはないのだけれど、言葉遣いにはなんとなく覚えがあった。嫌な気分になる言葉ばかりで、ずいぶんとガラが悪い。こんな言葉遣いの人は周りにはいないのに、どこで聞いたことがあったんだろう。考えだしてすぐ炭治郎は、思い当たった記憶に思わずムッと頬をふくらませた。

 それは、この公園で犬に石を投げつけていたやつらの、義勇を馬鹿にする言葉によく似ていた。

「困りますねぇ、ちゃんと立ち入り禁止って札をかけてあるのに、入ってこられちゃ迷惑ですよ。こっちはちゃんと公園の管理事務所にも許可を貰って撮影してるってのに……」
 言いながら前田がちらっと視線をやる先で、宇髄がげんなりとした顔をして肩をすくめていた。
「追っ払ってくりゃいいんだな。了解」
 嫌な声を聞かずに済むのはうれしいけれど、撮影が止まるのはありがたいような困るような……。もう義勇と一緒のシーンはないなら、早く終わって欲しいと思うのはたしかなんだけれども、実弥に抱っこされた姿を義勇に見られているのもちょっとつらい。それに実弥からする好きの匂いを、あまり嗅いでいたくない。

 撮影が始まるまでは降ろしてくれないかな。義勇さんは俺が違う人に抱っこされてるの、どう思ってるんだろう。

 不安だけれど、義勇に視線を向けることもできず、炭治郎はとにかく早く終わってほしかった。
 実弥はなにも悪くない。むしろ撮影のためには感謝すべきだ。けれどどうしても好きの匂いが気になって、胸の奥がざりざりと削られているみたいだった。痛いし苦しいし、頭がカッと熱くなるような感じもする。
 義勇の特別は錆兎と真菰だと感じるたび胸がもやもやするのは、ヤキモチだと炭治郎はもう知っている。でも、実弥の匂いに感じているこれは、なんだか錆兎たちへのヤキモチとは違う気がした。
 もやもやよりも乱暴で、怒りたくなるような泣きたくなるような、嫌な気持ち。これもヤキモチなんだろうか。
 義勇を好きでいるのは、自分だけがいいなんて。そんなのとんでもない我儘だし、とってもひどいことを思っている気がして、炭治郎はキュッと唇を噛んだ。義勇のことが大好きなのは、きっと炭治郎だけじゃない。錆兎や真菰だってそうだし、禰豆子だって義勇にとっても懐いている。義勇を独り占めしたいと思うけれど、誰も義勇を好きにならないでとは思ってなんかなかったはずなのに。
 なのになんで、実弥が義勇のことを好きになるのは嫌だと思ってしまうんだろう。
 実弥のことが嫌いなわけじゃない。義勇にやさしくしてくれたし、玄弥のお兄ちゃんでもあるんだから、きっといい人なんだろう。義勇とだってきっと仲良くなれるはず。煉獄たちと同じだ。

 でも、やだ。
 義勇さんのことが好きな人と、義勇さんが仲良くなっちゃうなんて、やだ。
 俺が一番好きなのに。義勇さんのこと、一番大好きなのは俺なんだからっ。

 我儘だけど、悪い子かもしれないけど、義勇に一番好きになってもらうのは自分がいい。炭治郎が好きなのと同じぶんだけ、義勇にも好きになってもらいたい。義勇の特別になりたい。
 錆兎や真菰にはまだまだ負けてるかもしれないけど、昨日知り合ったばかりの実弥には負けたくないし、絶対に負けるもんか。

 意を決して顔を上げた炭治郎が、実弥に降ろしてくださいというより早く、大きな怒鳴り声が聞こえてきた。宇髄の声もする。
 ピクリと実弥の腕が強張って、すぐに炭治郎の体が降ろされた。
「おい、玄弥ァ。チビども任せっから、ちゃんと見とけやァ」
 見上げる炭治郎には目もくれずに、実弥は宇髄が向かったほうへと歩いて行く。煉獄も竹刀を手に歩き出していた。
 錆兎がつづこうとするのを、玄弥があわてて止めた。
「おいっ、おまえは行ったら駄目だって! 危ねぇぞ!」
「足手纏いになる気はない。心配無用だ」
 なにが起きてるんだろう。わからないけれど、なんだか怖いことが起きてそうな気がする。少し怯えて義勇を振り返り見ようとした炭治郎の肩を、当の義勇がそっとつかんだ。

「……俺が行く」

 錆兎と真菰の目が一気に険しくなる。炭治郎だって驚いた。真っ先に口を開いたのは玄弥だった。
「な、なに言ってんだよ、駄目に決まってんだろ! あんたが狙われてる『冨岡』なんだろ、大人しく待ってろよ!」
「足りない」
 義勇は相変わらず言葉足らずだ。炭治郎や玄弥には通じなかったが、錆兎と真菰は違う。すぐに意を察したらしく、眉を怒らせ進み出ると義勇の前に並んだ。
「玄弥が言うとおりだぞ、義勇。敵に対して手が足りないからって、おまえが出るのは駄目だ。俺が行くから待ってろ」
「錆兎も駄目。敵の気配が多いなら、なおさらだよ。大勢こっちに来たら、私だけじゃ炭治郎たちを守りきるのはむずかしいもん。義勇も錆兎もここでみんなを守って」
 真菰の声は冷静そのものだ。とっさに反論しようとした言葉をグッと飲み込んで、真菰の真意を見定めようとじっと目を見る錆兎に、真菰は一歩も引く気はないようだ。
 オロオロとみんなを見回す禰豆子の手を握ってやりながら、炭治郎も、不安が滲む眼差しを義勇へと向けた。
 義勇はいつもの無表情だ。きれいな顔を見るだけじゃ、義勇の感情は読めない。でも。

「わかってるでしょ、錆兎。悔しいけど私たちはまだ小さいんだよ。敵が一斉にかかってきたらつかまるかもしれない。力は勝てないもん。錆兎が人質にされたら、宇髄さんたちも動けなくなっちゃう。一人でなんでもやれると思わないで。小さいからこそ一緒に、でしょ?」
 真菰の言葉の正当性と、自分の意地や矜持をくらべれば、真菰に軍配が上がったんだろう。きつく唇を噛んだが、それでも錆兎はコクリとうなずいた。
「……そうだな。たしかに真菰のほうが正しい。ありがとな、真菰」
「ううん。義勇もそれでいいよね?」
 言い含める真菰に、義勇が眉をひそめつつもうなずこうとしている。でも、駄目だ。それじゃ駄目だから。

「義勇さん、俺たちは大丈夫です! 宇髄さんや煉獄さんを助けてあげてください!」

 だって、義勇からとても悲しい匂いがする。悔しい匂いがする。守られるだけじゃ嫌だって義勇が思うなら、炭治郎は応援するだけだ。
 義勇はヒーローなんだから。ヒーローは友達が危ない目に遭うのを放っておいたりなんかしないのだ。

 見上げる炭治郎をじっと見つめ返して、義勇が小さくうなずいた。
「行ってくる」
「はい! 頑張ってください!」
 炭治郎に預かっててくれと花冠を渡した義勇の顔は、いつもの無表情。だけどきれいな瑠璃色の目は、道場でムザンくんの前に立ったときと同じ、強い光を放っている。
 はぁっと、ため息が二つ聞こえ、顔を向ければ錆兎と真菰が苦笑していた。
「しかたないな。義勇、油断するなよ?」
「こっちは任せて。いってらっしゃい」
 二人にも義勇の悔しさが伝わったんだろう。うなずいた義勇とのあいだには信頼が見える。
「ぎゆさん、頑張って!」
 禰豆子が言えば、就也たちも義勇を応援することに決めたのか、大きな声で口々に頑張ってと言い出して。

 子供たちのエールを受け、愛用の竹刀を手に走り出した義勇の背は、初めて見たときと同じぐらい大きく逞しく見えた。