ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 義勇

 リハーサルが始まる少々前、撮影のためにと用意されていたテントで着替えさせられた義勇は、用意されたレディースのデニムがぴったりだったことに、たいそうショックを受けた。
 メンズのXLだというニットがぶかぶかなのは、まだいい。けれど、レディース……女物が、サイズぴったり……。以前よりかなりやせ細ってしまったことは自覚していたけれど、まさか女物のサイズになっていたとは。

 絶対に前みたいに食べられるようになろう。なにがなんでも、女役なんて頼まれない体格にならないと……正直、身が持たない。

 最初は、気持ちの悪い眼鏡男の誘いを全員で断ろうとしていたはずなのに、なんでこんなことになったんだろう。いつの間にやら炭治郎たちまで映画出演が決まってしまうとは、正直頭がついていがない。
 たしかに義勇だって了承した……ことになる。自分の意志でうなずいたのは間違いない。けれどもそれは、炭治郎がキラキラと大きな目を輝かせて、期待のこもった視線で義勇を見たからであって、断じて義勇がヒロインになりたかったわけじゃないのだ。
 思わず遠い目をしながら、着替え終わった自分の体を見下ろす。なんてみっともない姿だろうと、我知らずため息がこぼれた。
 俺が目指しているのは炭治郎のヒーローでい続けることで、こんなふうに女物の服を着て、女の役をやることではないというのに。義勇の苦悩は底知れない。
 とはいえ、現状ヒーロー役よりヒロイン役のほうがハマると思われているのは疑いようがなかった。少なくとも、体格は。似合うかどうかはともかくとして。
 これじゃ駄目だ、頑張ろう、頑張らないと。そう決意を繰り返してみても、行動が伴わなければ意味がない。食事の量を少しずつ増やして、筋トレも以前みたいにしなければ。稽古だって炭治郎と禰豆子を指導するなら、自分自身もすべての稽古についていけるようにならなければならない。
 まずは体力向上のためにも、今日の食事を完食することから始めようか。炭治郎が半分こで食べるのを楽しみにしているので、量は二人で一人前半くらいで。いきなり一人前に挑戦したところで、また体調をくずすのがオチだ。少しずつ、計画的に。食べられるようになれば、ランニングや筋トレだってこなせるようになるはずだ。
 まさかこんなことで、改めて自分の生活を見直すことになるとは思わなかったけれど、今後に活かせなければ、本当になんでこんなことをしているのかと自己嫌悪でまた心が迷子になりそうだ。
 テントの外でみんながそわそわと待っている気配がする。グズグズためらっている時間はない。また一つため息をつき、意を決してうなずく。みんなの失笑を浴びる覚悟と、こんなバカげた事態が終わる期待を胸に、義勇はテントを出るため足を踏み出した。

 それはほんの十分ほど前のことだったが、義勇は、自分の想像はまったくもって見当違いだったことを悟らずにはいられなくなっていた。

 どうしてこうなった……。

 浮かぶのはそんな言葉。やたらとずり落ちる肩口は気になるし、長すぎる袖は邪魔でしかたがない。どう見たってみっともないと思うのに、姿を現した義勇にみんなの感想はといえば、かわいい、似合う、素敵、だ。まったくもってどういうことなのか。
 いや、素敵というのは炭治郎と禰豆子しか言ってはいなかったけれど。錆兎や煉獄たちはかわいいとは言わなかったけれども。炭治郎たちがかわいい素敵と口にするたびに、真菰が満足げにうんうんとうなずいていたのは、同意ということだろう。
 錆兎だって最初は呆気に取られていたものの、真菰になだめられる義勇をすぐににこやかな顔になって見ていた。煉獄だって似合うと言うし、宇髄が小さく口笛を吹いたのも、しっかり聞いた。
 あの眼鏡の感想は……まぁ、どうでもいい。まともに聞けばこちらの精神が汚染されるだけだ。
 とにかく、義勇としては、やっぱり似合わないなと笑われる予定でいたのだ。期待ではなく確信としてそれを信じていた。楽しみにしている炭治郎と禰豆子には申し訳ないが、土台無理な話だったと、笑い話で終わる話。少しだけ我慢すれば、きっとそうなるはずだった。
 なのにみんなの感想は、かわいい似合う素敵……そんなわけあるかと、声を大にして言いたい。言わないけれども。
 だって炭治郎と禰豆子が愛らしくはしゃぐ声には、嘘も偽りもからかいも、一切含まれてなどいない。無邪気に喜ぶ二人に、そんなこと言えるわけないではないか。
 女の子のようでとか、女の子のようにと言われたのなら、反発もしただろう。たとえ炭治郎や禰豆子であろうと、そんなわけがあるかと少しは腹も立っただろう。けれど二人の褒め言葉はあくまでも、義勇がかわいく見える、義勇に似合う、義勇は素敵、なのだ。これで腹を立てたら、なんだか自分こそ心が狭い気になってくる。
 しかも炭治郎は「袴姿の義勇さんはすっごく格好いいのに、かわいいのも似合うなんて、やっぱり義勇さんはすごいです」と、尊敬や憧憬までそのまなざしに乗せて心から褒めてくる。なにを言えというのか。返す言葉など義勇にあるはずもない。

 

 女物が着られなくなるぐらい、大きくなろう。煉獄や宇髄ぐらい逞しくならなければ。
 そうだ、目標に向かって邁進するほうがいいに決まっている。そんなわけないだろうと炭治郎の言葉を否定するより、きっと根本的解決に近い。

 義勇が胸に秘めた悲壮な決意になどまったく無頓着そのものな元凶の眼鏡はといえば、義勇たちをあちらでもないこちらでもないと座らせた挙句、ようやく位置が決まったら、今度は好きなように遊んでくれとこともなげに言う。真菰の提案で花冠を作ることになったからいいようなものの、鬼ごっこやかくれんぼを始めたら、どうするつもりだったんだろう。まぁ、しっかり者の真菰のことだ。そういう点もきちんと考えての提案だったのだろうけれど。

 これはリハーサルということで、まずは輪になって座りそれぞれシロツメクサやタンポポを摘む。今までのように流されるまま、炭治郎が花を選べばいいと思っていた義勇は、宇髄と煉獄の視線に気づきあわててシロツメクサを指さした。自分で選べと指摘される前に自分から選択してみせられたのは、進歩といっていいんだろうか。少しは普通の中学生のように振舞えているならいいが、どうしても戸惑いは拭えない。
 義勇は普通の基準がわからない。わからなくなっていた。普通じゃなくなってしまったから。
 きっと煉獄や宇髄のようなのが、普通の中学三年生なのだろう。幼子に頼りきりで、自分ではなにひとつ選ばず流されるまま、まともに食事や睡眠もとれない。そんな自分はやっぱり普通じゃない。それを恥じる気持ちさえ、炭治郎と出逢うまでずっと義勇は持てずにいた。なにも感じなくなっていた。
 でも、変わりたいと今は思っている。以前のように普通に錆兎や真菰と笑いあい、無邪気に頼られたい。炭治郎や禰豆子にだって、もっとずっと頼りになるところを見せてやりたい。
 そのためには、もっともっと考えるべきだ。自分の言葉で自分の意思を伝えることも、変化のために必要な一歩だと義勇も理解している。
 もっとも、生活が変化しようと口下手はそのままかもしれないが……まぁ、それはいい。前だってさして不便はなかった。
 そんなことを頭の片隅で思いつつ炭治郎と会話していたら、なぜだか煉獄と宇髄がえらく照れた様子を見せた。わけがわからず首をひねっていると、あの眼鏡がまたなにかの発作めいた意味不明な言葉をわめきだし……遠い目をしたままの義勇をよそに、リハはひとまず終了となった。

「うーん、カメラマン遅いですねぇ。主役と一緒にくることになってたんですけど……ま、主役はどうでもいいですが、カメラマンがこないことにはなぁ」
「だから、それは本当に主役なのかよ……おまえ本当にブレねぇな」
 徹頭徹尾主役よりヒロイン重視な眼鏡に、宇髄があきれ声で言う。義勇もまったく同感だが、それにしたって撮るならさっさと撮って終わらせてもらいたいものである。
「この際、宇髄さんのカメラで撮っちゃえば? 宇髄さん、稽古の様子も上手に撮ってくれたし、映画も大丈夫じゃない?」
「それが、今回は応募規定が8ミリフィルムなんですよねぇ。宇髄くんのデジタルビデオカメラじゃ、ちょっと……」
 眼鏡が言ったそのとき。バタバタと足音が聞こえてきて、一同は揃って足音のする方へと顔を向けた。
「竹内くん、村田くん、遅いですよ! 遅刻もいいとこじゃないですかっ」
「ごめんっ! なんか変なのに絡まれて……どうにかまいたと思うんだけど……」
 ぜぇはぁと息を切らせて言う二人組に、宇髄と煉獄が眉をくもらせた。
「絡まれるとは穏やかじゃないな。カツアゲかなにかか?」
「いや、なんか、キメツ学園の生徒を狙ってるみたいで……。キメツ中のやつらだったみたいなんだけど、冨岡ってやつを知ってるかって聞かれたんだよ」
「俺らは知らないって言ってんのに、嘘つくなっておどされるしさぁ。十人ぐらいに囲まれて、メチャクチャ怖かった」

「はぁっ!?」

 きれいにそろった一同の声に、義勇は一人、みんな気が合うんだなぁとぼんやり思っていた。