ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 天元

 不満げな錆兎たちに笑いかけつつ、情報がたしかなら十中八九冨岡自身で当たりだけれどと、宇髄は内心で独り言ちた。
 口にも表情にも出したりはしない。物言いたげな錆兎に「とっとと撮り終えて買い物行くんだろ」と手を振りうながせば、前田が我が意を得たりとばかりに乗ってきた。
「そうですよ。カメラマンもきたことですし、早く撮りましょう! ほらほら、みなさん位置について! 竹内くんさっさと準備してください、村田くんはレフ版持って!」
「えっ!? な、なんで? 俺、主役だよな!?」
 ヒロインだと義勇を紹介されたきり蚊帳の外に置かれていた二人組を、前田が急かす。チラチラと遠巻きに義勇を見ながら顔を赤くしてコソコソと話していた二人組のうち、やたらめったら艶々した髪の男が、前田の声に目をむいた。
 こいつが主役かと宇髄が村田に視線を向けると同時に、錆兎と真菰も、宇髄と大差ない表情で村田を見ていた。考えることはみな一緒だ。よく知りもしない他クラスの生徒に言うのもなんだが、たしかに義勇と並んだ絵面を想像すると、子供たちに囲まれる義勇にくらべ見劣りするというか……地味の一言。見る者全員の視線が義勇ばかりに向かいそうだ。
「あ、台本変えますから。村田くんとヒロインの絡みは全カット。回想シーンはこの子たちと戯れるヒロインで統一します」
 にべもなく言って村田にレフ版を押し付ける前田には、まったく躊躇も罪悪感も見当たらない。いっそ感心するほど己の欲求に素直だ。変態恐るべし。
 レフ版を抱えておろおろとしている村田には悪いが、さっさと始めてほしいのは宇髄も同様だ。錆兎たちを撮影で引き留めてもらえれば、一人で動くこともできる。
「どうしても気になるなら、俺が見てきてやっから。それならいいだろ?」
 さり気なく錆兎たちに向かって言った宇髄に、錆兎の眉がかすかに寄った。探る視線に、察しがよすぎるのも困りものだと思いつつ、宇髄は表情を変えることなく煉獄へと視線を移した。
「もし変な野郎どもがきても、おまえ一人で楽勝だろ? 煉獄がいりゃこっちは十分。違うか?」
「……俺を信頼しての言葉なら無論と答えるが」

 なにか別に思惑があるんだろう?

 周りに聞こえぬよう囁き声で言う煉獄もまた、言葉の裏を察したというのなら、宇髄としては眉をひそめるしかない。
 威張れることでもないが、たやすく本心を悟らせぬ自信はあった。だというのに今やこのていたらくっぷりだ。いつの間にやら俺も、このほんわかとした一同に染まっていたらしい。宇髄は浮かびかけた自嘲の笑みを押し殺す。表情はあくまでも変えない。
 なんのことやら? と肩をそびやかせてみせれば、煉獄はじっと宇髄を見つめ返し、いかにもしかたがないと言いたげなため息をついた。
「手に余ると感じたらすぐに言えよ。宇髄は一人で背負しょい込もうとするのがいかん」
「……了解」
 正直、驚いた。煉獄の目にはそんなふうに映っているのか。宇髄はとっさの驚きをかろうじて押し隠す。
 己だけですべてを抱え込もうとするのは、宇髄にとって習い性のようなものだ。自覚したのは、キメツ学園理事長である産屋敷との出逢いによる。まだまだ子供でしかない自分では、どんなに頑張ろうとできないことがあると思い知らされたのは、小六のときだった。
 自分一人でやれることには限界があり、すべてを守れるはずもない。守りたい者と切り捨てた者。守りぬくには選別せざるを得なかった。それでも守り切れず、すべて壊れていたことを知った。自分自身まで壊れかけて、そうしてようやく、人を頼ってもいいのだと教えられたはずなのに。

 内心で愕然とする宇髄の耳に、小さな笑い声が聞こえてきた。いぶかり見れば、忍び笑っている煉獄が、炭治郎たちとに囲まれた義勇を見つめたまま気負いない声で言う。
「冨岡といい宇髄といい、俺の友人たちは、自分一人で背負い込めばいいと思いたがる厄介な癖を自覚してないのが困るな。友に頼られないのは寂しいことだとわかってもらいたいものだ」
 押し付けがましさなどかけらもない。非難する響きでもない。苦笑する煉獄の声や表情には、なんの含みも感じられなかった。
 やたらと声が大きいのが玉に瑕で、正義感や責任感の塊な同級生。あえて空気を読まない押しの強さと面倒見のよさから、誰からも頼られる剣道部主将。こいつを嫌う者のほうが少ないだろうし、厭う輩こそ問題のある者ばかりだろうと素直に思わせる級友。それが、煉獄杏寿郎という男だ。
 宇髄だってそんな煉獄だからこそ、ツレと呼んで差し支えない関係を築いてきた。それでも、はっきり友人と言われるのは、なぜだか妙に照れくさい。
 煉獄が冨岡を気にかけるのは、宇髄にも理解できる。冨岡のように深い事情を抱える者を、生来の面倒見のよさから放っておけないのだろう。冨岡の剣技を見てからは、同じ剣の道を志す者としての共感や心酔もあるに違いない。
 だが、宇髄はただの腐れ縁だ。中学入学から同じクラスというよしみでつるんでいるだけの、クラスメート。友達と言い表しはしても、卒業すれば滅多に逢うこともなくなる、学校という箱庭のなか限定な友情でしかない。少なくとも宇髄はそう思っていた。
 煉獄だけにかぎらない。友達なんてそんなものだと、宇髄は明確な思考にせずとも思っていた。思っていたことを、今突然に自覚させられた。

 あぁ、まったく。冨岡のことをえらそうになんやかんや言えやしねぇや。

 地味にまいっちまうね。自嘲の笑みを小さく口元に刻み、宇髄は軽く手を上げた。まさしくお手上げだ。勝ち目はない。
「……そっちも、まぁ、了解だ。ヤバかったら言う。それでいいか?」
「あぁ。錆兎にも言ってやるといい。あの子も対等な友人だろう?」
 今度ははっきり苦笑して、宇髄はまだチラチラと様子をうかがっている錆兎へと、ヒラヒラと手を振った。
「そうだな……それに、アイツには隠すほうがヤバそうだ」
「違いないな!」
 快活に笑った煉獄が、前田に「本番始まりますよ、お静かに!」と責められ首をすくめたのに小さく笑い、宇髄はそっとその場を後にした。

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 駅近くをうろついていたなら、少なくとも冨岡の現在の住所などは知られていないとみるべきか。考えながら宇髄は足早に歩く。
 大柄で容姿の整った宇髄は衆目を集めがちだ。自覚もある。だから情報を集めるときには、細心の注意を払うようにしている。人当たりのいい会話や自分の容姿を最大限効果的に使っての情報収集は、宇髄の得意とするところだけれど、正直少しばかり自己嫌悪も感じずにはいられない。
 それらが身についた理由を考えると忸怩たる思いしかないし、感謝なんてしたいとも思わないが、役に立っているのは事実だ。こういうときに感謝より嫌悪が先立つあたりは、自分もまだまだ子供なのだと思わざるをえなかった。
 ともあれ、宇髄が得ている情報と現状には、残念ながら差異はなく、少々後手に回った感がある。それでも義勇との接触前に阻止できれば結果オーライだ。しょせんは金で動いただけの中学生ども。場合によっては腕ずくの話し合いになるのは予測済み。抜かりなく予防線は引いてある。煉獄や錆兎には悪いけれど、できるかぎり一人で片をつけたいところだ。煉獄の言葉はありがたいが、夏に全国大会出場を控えている煉獄や、意気込みに体の成長が追いついていない幼い錆兎を、荒事に加担させるのは気が咎める。

 あの日の三人組についての情報を集めていくうちに、宇髄がつかんだのは、リーダー格の少年が金で人を集めているというものだった。
 とはいえ、相手は隠れて悪さをするのがせいぜいな中学生である。高校生やゲーセンなどにたむろするいかにもな風体のやつらに声をかける度胸すらないと、宇髄は踏んでいた。自分を見捨てた取り巻きの代わりを、金で補充しようという腹だろうが、完全に道を外れた輩には近づくことすらできない臆病者だ。実際、その手の場所を一人でうろついていたという情報も入ってはいない。
 声をかけるなら同じ中学生。小遣い程度の金でも動きそうな、使い捨てできる馬鹿……と、アイツが見下すであろうタイプ。
 学校や塾を休んでいるとの情報はないので、人を集めるのに越境しているとは考えにくい。近隣にある中学は三校。義勇が以前通っていたキサツ中学は、いい意味でも悪い意味でも平凡な生徒が多く、問題児扱いされる輩も多くはない。義勇の腕っぷしは知られているだろうし、問題発覚時の自己保身も考えれば、キサツ中学では人を集められないだろう。
 対して宇髄らの通うキメツ学園はといえば、問題児が多いとの評判に誤りはないが、問題行動の内容が世間一般の認識とはかなり異なる。いかにもな不良はいっそ少なく、その手の連中ですら、金で雇われることを良しとしない者のほうが多い。宇髄が知るかぎり、義勇への悪意を持って接触してきたやつがいるという話も聞かないので、おそらく校内で狙われることはないだろう。
 残るは通称キメ中ことキメツ中学だ。キメ中は三校のなかでは飛び抜けて素行不良の生徒が多いと評判ではあるが、有象無象の印象もまた強い。格好ばかり粋がってはいるものの、腕っぷしや策略はどいつもこいつもどんぐりの背比べで、アタマと呼べる者がいない。
 裏を返せば、無法地帯ということでもある。
 タイマンなんてダサいと鼻で笑い、数の暴力をこそ信望する輩に、キメツ学園の不良連中のような思想や美学なんて存在しない。得てしてそういうやつらは、後先など考えず目先の利益に群がりもする。
 金で動くならキメ中という予想は的中したことになるけれど、まったくもってありがたくもないと、宇髄は苦々しく眉をひそめた。
 正直、接触してくるのがキメ学なら話は早かった。キメ学内ならば、高等部も含めて宇髄は顔の広さを自認している。やつが接触してきた時点で逆におどしをかけてくれと要請するのも可能だったろう。すでにそれとなく話を通してもいる。
 だが、キメ中には知り合いが少ない。皆無とは言わないが、おおむね普通の女子生徒ばかりだ。いわゆるヤンチャなやつらとは繋がりがない。外見ばかり飾り立てた中身のないやつらと、誰が付き合いたいものか。
 目まぐるしく考えながら、宇髄は思わず小さく舌打ちした。
 予想は残念ながら的中して、小金に群がる馬鹿はすでに集まってしまったようだ。どれだけ関わってくるかは不明だけれど、有象無象とはいえ数を頼りにされれば面倒なことこの上ない。宇髄だって煉獄に劣らず腕に自信はあるが、さすがに一人で蹴散らすのは無謀すぎる。放っておくという選択肢がない以上、どうにか穏便に事が済むよう祈るばかりだ。

 まずは目撃情報を集めて場所を特定……と考えつつ、一行から離れた場所でスマホを取り出した宇髄は、けれどすぐにまたポケットへとしまい込んだ。
 ここは大きめの公園で今はゴールデンウィーク。同年代の少年の姿も、幼い子を連れているのも、めずらしいものではない。弟妹のお守り中なんだろうと、普段なら目に留めることはない光景だ。
 しかし、その人物が今回の件に関わっている可能性があるなら、話は異なる。
 公園を取り囲む木立へと、小さな子らを連れて歩いて行く人物には、見覚えがあった。攻撃的に逆立てた銀髪に傷跡だらけの顔。スーパー銭湯で義勇に声をかけてきた男に間違いない。
 噂だけなら宇髄の耳にも入っていたその男──不死川実弥は、素行不良な中学生の間では、学区を越えて有名人だ。キメツ中学に転入してきたのは今年度かららしいが、転入初日そうそう、喧嘩を売ってきた輩をすべて叩きのめしたことは、早くも伝説めいて宇髄の耳にも届いている。
 しかしながら、本人にはヒエラルキーのトップなんて認識がないのか、誰とつるむこともなく真面目に部活動にいそしんでいるというのも、よく聞く話だ。それが事実なら、今回の件とは無関係である可能性のほうが高いと、宇髄は踏んでいた。
 だが、心配な要因がないわけでもない。昨夜布団のなかでこっそりと集めた実弥の情報には、裕福とは言いがたい家庭環境についてがあった。転入して間がないせいか精査に欠ける情報ばかりだったが、事実なら、人柄が判断しきれない現状では楽観できない。
 一瞬身がまえたものの、実弥は小さな女の子を抱きかかえ、幼い子供たちに囲まれのんびりと歩いている。どう見ても休日に弟妹の子守りをするいい兄貴といった風情だ。
 どうしたものかと思いながら見つめる宇髄の視線が、見覚えのあるもう一人を捉えた。
 特徴的なモヒカンは、見間違いようがない。禰豆子が迷子になったときに世話になった玄弥だ。世間は狭いというが、まさか実弥と繋がりがあるとは思いもしなかった。
 おそらく玄弥は実弥の弟だろう。だとしたら、より今回の件と実弥は無関係だという気がしてくる。それでも危惧は残った。
 ただの偶然と思いはする。だが、実弥たちが向かう先が気にかかるのもたしかだ。木立のなかでは義勇たちが撮影の真っ最中で、万が一、実弥が雇われているのならはなはだまずい。
 ほんの数秒で逡巡を振り切り、宇髄はすぐに実弥たちの後を追った。
 偶然が重なっただけならいいが、そうでないのなら、義勇たちとの接触は断固阻止しなければならない。噂にたがわぬ実力なら、正直なところ宇髄だけで相手をするには荷が重いだろう。それでも場合によってはしかたがない。数を頼みに襲われるよりは幾分マシだ。
 自分だけで片を付けるとの覚悟は思い上がりだったと、煉獄の言葉で思い直しはした。けれど、少なくとも錆兎たちチビッ子どもを関わらせるのは、極力避けたいと宇髄は考えている。錆兎はひどい侮辱だと怒るだろうが、幼い体ではどうしようもないではないか。中学生相手に小学一年生がどこまで張り合えるというのだか。
 義勇のことだって心配だ。腕前のほどは承知しているが、精神状態までは宇髄だって判断がつかない。大勢の悪意に晒されたときにどんな反応を示すのかわからない以上は、義勇をやつらと接触させるわけにはいかないのだ。
 錆兎と真菰の過保護が移ったわけでもないし、助けたい気持ちの大半は後悔ゆえの代償行為で、ただのエゴだと自覚している。けれど、理由はどうあれ守ってやろうと決めたのは宇髄自身なのだ。

 決めたからには、貫きとおさねぇとな。

 予備知識不足は口惜しいが、今からでも遅くはない。
 足早に実弥に近づいた宇髄は、端麗な顔にいかにも無害な笑みを浮かべてみせた。大嫌いな父親のためでなければ、笑顔などいくらでも大盤振る舞いできるというものだ。

 この接触が吉と出るか凶と出るか。さて、どっちだ?