ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 杏寿郎

 義勇があらわれたときこそ動転したものの、煉獄の剣はそれでも的確に敵を倒していく。焦りが消えれば、ただもうワクワクとした高揚感ばかりが胸を占めていた。
 これは喧嘩で正式な試合の場ではないから、義勇の戦いかたもイレギュラーだが、義勇の剣を間近で見られることに違いはない。これを喜びと言わずしてなんと言おう。
 煉獄も戦いながらなので、まじまじと眺めるわけにはいかない。それでも、視界の端にとらえる義勇の流れるような体さばきや、鋭く洗練された剣筋は、感嘆とともに煉獄の闘志をもかきたてる。不死川も同様らしく、先ほどまでとは動きが段違いだ。顔つきもなんだかイキイキとしている。
 宇髄はと見れば、浮かれ気分にはほど遠く、苦虫を噛み潰したような顔でどうにか義勇に近づこうとしている。だが、大柄な宇髄には敵も警戒心がうずくらしく、四、五人がまとまって襲いかかるものだから、さしもの宇髄もそうそう簡単には身動きがとれぬようだ。
 たしかに、共闘を喜んでばかりはいられない。敵の狙いは義勇なのだ。今はまだ義勇が『賞金首』本人だと確信しているわけではないようだが――その理由を知れば、義勇は盛大に落ち込むだろうけれど――それでも、人質としてとらえるなら義勇が最適だと考えるのは当然だろう。
 なにしろ、義勇の今の見た目は華奢な女の子と変わらない。ユニセックスな服装も相まって、美しい少女としか思われていないのだ。現れたそのときには、だけれども。
 今はそこに、とんでもなく強いの一言が付け加えられているのは間違いない。女にいいように叩きのめされているという事実が、敵をいきりたたせていることは一目瞭然だ。不死川や宇髄に多く群がっていた敵は、今では義勇を取り囲む人数のほうが多い。
 一撃必殺が信条なのか、不死川や義勇が倒した相手は立ちあがることもできずにいる。それでも敵の数が減ったように感じないのは、煉獄の気のせいではなかったらしい。
「おいっ、派手に集まってきてやがんぞっ!」
 宇髄の怒鳴り声に周囲を見まわせば、バタバタと足音を立てて駆け寄ってくる人影が見えた。しかも一人二人じゃない。連絡が回っているのだろう。だとしたら、数はこれからますます増えるかもしれない。
「不死川をやりゃあ名前が売れるからなぁ、金儲けもできて一石二鳥だっ!」
「テメェらもそれなりにヤルみたいだけどよ、仲間はまだまだくるぜぇ? そろそろあきらめてそこのネエチャン置いて降参しろよ!」
 下卑た笑い声が上がる。『冨岡義勇』だからというわけではなく『めったに見られぬ美少女』が目当てになっているのが、ニヤニヤとした下品な笑みでわかる。まったくもって不快感ばかりをあおる輩だ。

 冨岡は女の子ではないのだがな。まぁ、わかっていてもあんな格好をしていては、女の子のようでちょっとドキドキしなくもないが……。

 ちらりと浮かんだ思考を即座に振り払い、煉獄はグッと唇を引き結んだ。
 いずれにせよ、状況は不利だ。義勇の強さは煉獄とて信頼している。だが、いかんせんスタミナ不足は否めない。長引けば体力がもたないだろう。そうなれば、どうしたって義勇を庇って戦うことになる。
 それは避けたい。義勇が敵の手に落ちるなど許しがたいのは当然として、煉獄たちに庇われることで義勇が罪悪感を募らせてしまうのも、煉獄としては避けたいところである。
 なにせ義勇の自己評価の低さときたら、筋金入りらしいのだ。ただでさえヒロイン役などという、本人にとっては不名誉なことこの上ない事態になっている。そのうえ囚われの姫扱いなどされたら、いったいどれだけ自責の念にとらわれることか。炭治郎曰く、心が迷子という状態に陥るのは想像にかたくない。
 さて、どうしたものか。宇髄の考えも煉獄同様なのだろう。焦れているのがはた目にも伝わってくる。不死川もまた、増えた敵にいら立ちがあらわだ。子供たちがいる撮影場所には、まだ誰も近づいてはいないのが救いだが、それもいつまでもつか。あちらには錆兎と真菰がいるから、安心……とは、言いがたいのが、また困る。
 なにしろ、あの子たちは義勇のこととなると平生の冷静さをかなぐり捨てて、かなり無鉄砲なことでも平然とするのだ。まだ浅いつきあいとはいえ、煉獄ももう重々理解している。

 あのゲスな眼鏡に子供たちを任せざるを得なかったが……それもまた、不安要素だな。

 子供たちを守る立場の年長者が、どう見ても荒事には向かない面々ばかりなのはしかたないにしても、せめて炭治郎たちに悪影響を及ぼさずにいることを祈るしかないのが、なんとも心許ない。あの面子メンツでは錆兎や真菰を抑えられるとも思えず、不死川の弟がいさめてくれるのに期待するしかないというのは、どうにも不安だ。
 なんてことを考えていられる余裕は、そこまでだった。

「多勢に無勢とは士道不覚悟はなはだしいぞ、おまえら!! 男なら正々堂々一対一で勝負しろっ!!」
「人を傷つけてお金をもらおうなんて最低! そういうのって性根が腐ってるって言うんだからねっ!!」

 響きわたる子供の高い声に、ギョッとしたのは味方のほうだ。義勇参戦の比じゃないぐらい、煉獄だって驚いた。いや、危惧はしていたけれど。こないでほしいが、きっとくるんだろうなぁと、思ってはいたけれども。それでも、よもや
「なんで炭治郎と禰豆子までいやがんだよっ!」
「よもやよもやだ。竈門兄妹までくるとは……」
 錆兎たちがやってくる可能性は高いと踏んでいたが、それでも錆兎と真菰は炭治郎たちだけは逃がすだろうと煉獄は思っていた。
 炭治郎と禰豆子は今日から剣道を習い出したばかりだ。喧嘩だって一度もしたことがないだろう。争いごとにはとうてい向かぬいい子たちなのだ。
 だというのに、二人ともしっかりついてきているばかりか、炭治郎はなにやら水鉄砲のようなものをかまえているし、禰豆子は禰豆子でカメラを手にしている。
「なんで禰豆子が俺のカメラ持ってんだよ、撮れてんのか?」
「勇ましいのは結構だが……竈門少年と禰豆子だけか? あの眼鏡たちはどこに行ったんだ?」
 どうにか会話しつつも、煉獄も宇髄も敵を倒す手は止めない。隙を見せるには敵の数が多すぎる。
 だが、義勇はそうもいかない。炭治郎たちのもとへ駆け寄ろうとして気がはやったのだろう。打ち込む力が弱かったのか、対峙した男は倒れず……。
「冨岡っ!!」
「ぎ……っ!」
 身をひるがえしたところで男に髪をつかまれた義勇に、咄嗟に叫んだ煉獄と錆兎の声が重なった。しかし、錆兎は呼びかけをこらえたようだ。なぜ? と考える暇はない。助太刀に走ろうとした煉獄の目の前を、赤い水流が横切った。

「うわっ!! なんだこりゃっ!!」
「大丈夫ですかっ!? ぎ……えっと、冨岡さん!」

 どうやら炭治郎が撃った水鉄砲らしいとはわかったが、なんで赤?
 疑問に思う間もあらばこそ、敵の隙を見逃さず、義勇の竹刀のつかが相手の腹に勢いよくめり込んだ。うめき声とともに手が離れたと同時に、くるりと身をかわすのにあわせしたたかに脇腹を打ち据えた義勇が、男が膝をつくのを認めることなく炭治郎たちの元へ向かう。
「……なるほど、名前は禁止ってわけか」
 敵を投げ飛ばしながら笑い交じりに言う宇髄の声が聞え、煉獄もなるほどとうなずく。
 たしかに、まだこいつらは賞金首の男子中学生『冨岡義勇』と『華奢な美少女』にしか見えない目の前の義勇を結びつけたわけではないだろう。わざわざここにいるのが探し人だと知らせてやることはない。こんなときでも抜かりない錆兎たちに、煉獄の顔にも笑みが浮かぶ。
 なんとも将来有望なことだ。動揺が治まれば、やはり胸を占めるのは高揚感ばかり。
 義勇を追う敵を打ち据えてキッと周囲を見まわせば、なにも言わずとも以心伝心、宇髄は子供たちのもとへ向かった義勇を庇う位置へと近づいている。不死川も煉獄や宇髄の動きを悟ったのか、じりじりと義勇たちの前に移動しつつある。
 人質にとられて一番厄介なのは『賞金首』本人である義勇だが、当の義勇にとってはなにをおいても守るべきは子供たちだ。禰豆子がカメラをかまえている理由は、以前の宇髄と同様だろう。おそらく真菰が指示したに違いない。
 ならば、禰豆子を守る錆兎と真菰。その前で盾になる義勇。炭治郎はその援護射撃というのが、真菰たちが決めたフォーメーションだ。煉獄たちは全体のバリケード役というところだろうか。
 望むところだ。あの恐るべき子供たちに見込まれたのだと思えば、闘志もわく。
「知ってるんだからね、あなたたち、お金で雇われたんでしょっ! あんなやつの言いなりになるなんて情けないと思わないの!?」
「首謀者がろくでもない卑怯者だってことも、こっちは先刻承知だ! 首謀者がキサツ中のやつだってことも、おまえらがキメツ中だってことも調査済みだからな! 言い逃れはさせないっ!!」
 声を張り上げる真菰と錆兎に、さらに煉獄は笑った。意図がわかるだけに、愉快な気にすらなる。
 きっと言質を取るつもりなのだろう。この場だけでなく、後顧の憂いをも断つ気なのだ。
「まったく頼もしい子供たちだっ!」
「そりゃ同感しなくもねぇけどなっ、とはいえ長引かせるわけにはいかねぇぞ!」
 言いあうあいだも、炭治郎の援護射撃の赤い水が飛んでくる。ただの水と違い目つぶしにもなっているから、アシストとしては十分すぎるほどだ。
「俺様が作った血のりだな、ありゃ」
 敵の腕を取ると同時に足払いで地に沈めた宇髄が、ついでとばかりに敵のみぞおちに肘をめり込ませつつ愉快そうに笑って言う。長い脚を有効に使い、立ち上がりざまに回し蹴り一閃。かろうじて避けたもののたたらを踏んだ男の腹を思い切り打ち据えつつ、煉獄は知らずクスリと笑った。
 なるほど、映画の小道具か。たぶんあの水鉄砲も小道具なのだろう。いったいなにに使う気だったのかは、さっぱりわからないが。
 ともあれ、フォーメーションが整ったことで、義勇の矜持を傷つけることなく体力温存もさせてやれる。肝心なのは収束させるタイミングだ。やつらがうかつに事の起こりを口にすれば、証拠としては十分。これだけの騒ぎだ。そろそろ通報されてもおかしくない。警官なり公園の管理者なりが駆けつける前に、こちらも退散したほうがよかろう。
 重要なのは、これだけの戦力差でも痛手を与えられなかったという、強烈な印象を植えつけること。はした金では割に合わないと、しっかり覚え込んでもらわねばなるまい。
「うるせぇこのクソガキがっ!! 一人痛めつけるだけで十万だぞ!」
「キサ中のあの馬鹿のことなんざ知るかよ! ただの財布だからなぁ!」
 錆兎たちに煽られいきり立ちながらわめく輩の察しの悪さに、思わずあきれる。が、その単純さがこちらとしては有り難い。
「馬鹿じゃないの!? 十万なんて、その人数で分けたら私たちのお小遣いと変わんないじゃない!」
「テメェこそ馬鹿か! 一人十万に決まってんだろ!」
 嘲笑う言葉に煉獄が驚くより早く、悲鳴めいた上ずる声が聞こえてきた。
「そんなこと言ってない!! 全員に十万ずつなんて無理に決まってるだろっ!!」
 咄嗟に声がしたほうへと目を向ければ、見覚えのある顔が狼狽をあらわに及び腰になっていた。
「アレが首謀者かァ?」
「おう、高みの見物にきたつもりだったんじゃねぇの?」
「なるほど! 卑怯者の考えそうなことだ!」
 禰豆子が我が意を得たりとばかりに、義勇の元クラスメートがいるほうへカメラを向けているのが見えた。確認するまでもなく錆兎と真菰の唇はニィッとつり上がっていることだろう。
「アァッ!? ざけんな、テメェ!! こんだけ人数集めて十万ぽっちで足りるわきゃねぇだろ!」
「そんな……ふざけんなはこっちのセリフだろ!! 十万ずつなんて、そんな馬鹿な話あるかよっ!!」
 まだ余力を残している新手の怒鳴り声に、必死に言い返してはいるものの、首謀者が怯え切っているのが遠目にもわかる。
「仲間割れかァ? つくづくくだらねぇなァ」
「同感だ! しかし、これでこの馬鹿馬鹿しい騒ぎも終わりそうだな」
 こいつらの怒りの矛先が首謀者に向かえば、こちらとしてはこれ以上乱闘する意味はなくなる。だが煉獄の思惑は早計に過ぎたようだ。
「おいっ、おまえらはそいつ押さえとけ! 有り金全部出させるまで逃がすんじゃねぇぞ!」
「テメェらは俺らが相手だ。ここまでコケにされてただで済むと思うなよ?」
「賞金首はもうどうでもいいけどよ、そこのきれいなネェチャンだけは置いてってもらわなきゃなぁ」
 品性など欠片もない嘲笑に、ぶわりとわき上がった殺気が煉獄の総身を包む。宇髄や知り合ったばかりの不死川も同様だ。見えずとも、錆兎や真菰の形相も般若のごとくになっていることだろう。無反応なのは、ネエチャンという言葉と自分を結び付けられない義勇と、意味合いにピンときていない竈門兄妹だけだ。
「……おい、ここらで引いたほうが身のためだぜ? ただの喧嘩で済むうちにな」
 嫌悪や怒りを抑えた宇髄の静かな声にも、残るやつらが引く様子は見られない。
 馬鹿なやつらだとつくづくあきれ返るが、それ以上に煉獄は、怒りが抑えきれなかった。こんなにも怒りに燃えるのは生まれて初めての経験だ。金で人を傷つけんとする心根だけでも愚かとしか言いようがないが、曲がりなりにも雇用関係を結んだ責任を果たす気もなく、ましてや婦女子――と、思い込んでいるだけだとしても――に対してなにをする気でいるのだか。考えるのもまっぴらだと、煉獄は、下卑た笑いを浮かべて近づいてくるやつらを睥睨した。
「ここまでやられてもまだ実力差を理解できないとは、呆れ果ててものも言えん! 言葉で伝わらないなら、その頭に嫌というほど覚え込ませてやるまでだ! 我が剣に叩き伏せられたいやつはくるがいい!!」
 晴眼のかまえをとり言い放てば、不死川もパンッと右の拳を左の手のひらに打ちつけて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。笑みというにはあまりにも殺気立っているけれども。
「おい……俺の拳を受けたことがあるやつァ、いんのか? もう一度食らいてぇならこいやァ」
 途端に腰が引けた輩が数名、じりっと後ずさりする。これが理想的な最終形だなと、煉獄は心に刻んだ。つまりは、手加減一切無用、だ。
「たぶんあと十分ぐらいだ。それまで派手に持ちこたえろよ、おまえら。……まぁ、その前にマジモンがくるかもしれねぇけどな」
 不遜な態度で敵を眺めまわしつつ宇髄が口にした言は、煉獄には理解が及ばない。だが、決してこちらの不利になることではないはずだ。それぐらいには、煉獄は宇髄を信用している。だから、返事はひとつしかない。
「うむっ、心得た!」
「ケッ! 一人残らずぶちのめせばいいだけだろうがァ!!」

 煉獄と不死川の声が、戦闘再開の先駆けとなった。

 数の有利を信じたか、及び腰だったやつらが一斉に向かってくる。人質をとろうとしてか義勇の背後にいる子供らへと駆けていく者たちもいた。だが、十数人で徒党を組んで襲いかかるのならばともかく、四、五人程度がバラバラに向かおうと、義勇の敵ではない。しかも、後ろに控えるのは恐るべき子供たちだ。ともに鍛錬した煉獄の目には、錆兎と真菰の実力は十分知れるところである。雑魚が一人二人向かおうと、錆兎たちの相手をするには力不足だ。
 ましてや……。
 向かってきた敵へと強烈な面を打ち込みながら、煉獄は飛んでくる赤い水しぶきに、思わず忍び笑った。

 炭治郎と禰豆子が背後に控えているのだ。義勇が負けるわけがない。

 それが証拠に、ちらりとうかがい見る義勇の剣は、先ほどまでよりも鋭い冴えを見せている。きっと、義勇の剣は守る剣なのだ。守るべきものがいてこそ、その真髄を発揮する。
 四方八方から聞こえてくる怒号。だが、悲鳴は一つきりだ。子供たちのものでは、もちろん、ない。
 首謀者が捕まったのだろう。いい気味だとは思わないが、煉獄は、自業自得と切り捨てる。身勝手な逆恨みの末の暴挙だ。責任は自分でとるがいいと、心の奥に冷めた侮蔑がよぎった。
 炭治郎や禰豆子は、あんなやつでも不憫だと思いそうだが、煉獄はそこまでお人好しにはなれない。最優先事項は義勇の敵を根絶やしにすること。そのためならば、大事な愛刀で下賤なやつらをたたき伏せるのすら厭わない。
 どうも思考が過激になっているな。少しばかり苦笑した煉獄が、過激思想の最先鋒はと視線を移せば、義勇を相手にするより造作無いとでも思ったか子供たちに向かうやつらが増えていた。
 しかし、しょせんは有象無象の輩だ。真菰につかみかかろうとした男が、逃げるどころか同時に姿勢を低く踏み込んだ錆兎と真菰に脛を激しく打ち据えられ、悲鳴を上げて倒れ込んだのが見えた。しかも、とどめとばかりに錆兎の蹴りが股間に炸裂しては、たまったもんじゃないだろう。目にしただけの煉獄すら、思わず首をすくめたぐらいだ。
 あれは、痛い。つい気の毒に思ってしまうほどには、見ているだけでも、かなり痛い。
 おまけに、うずくまった背を次の攻撃の踏み台代わりに二人して踏みつけられては、文字通り踏んだり蹴ったりもいいところだ。倒した敵を利用して飛び上がり、背の低さと腕力不足をカバーして同時に面を打ち込む錆兎と真菰に対しては、感心するよりほかないけれども。

 まったくもって、とんでもない子供たちだ。頼もしいことこの上ない。

 身を守る手立てを持たない禰豆子はといえば、カメラをどちらに向けたらいいのかわからないのか、しきりにキョロキョロとしている。だが、しっかりと足を踏ん張り、逃げる気はこれっぽっちもなさそうだ。
 あのビデオは見ているだけでかなり酔いそうだなと、苦笑しているそばから、煉獄の背後に迫っていた男の顔にふたたび赤い水流が命中した。
 加圧式の水鉄砲なのだろう。ガシャガシャとせわしなくグリップを動かしては、かまえて引き金を引く炭治郎の顔は真剣そのものだ。連射は難しいようだが、アシストのタイミングは悪くない。勘所がいいのだろうなと感心していれば、宇髄も同じことを考えていたらしい。乱闘中には不似合いな軽い口笛を響かせて、いかにも楽しげに笑いながら敵を投げ飛ばしていた。
「あいつら派手にやるじゃねぇか!」
「うむ! あれなら冨岡も戦いやすかろう!」
 そう。義勇の剣は、鋭さを増しただけではない。錆兎たちへの信頼が見える剣には迷いが一切ない。全員を一度に相手にするのは無理だと、悟ってもいるに違いなかった。自分の力量を低く見積もりがちなのはたしかだが、この場においては冷静に、己が相手をすることができる限界を判断している。
 一人、二人と、一見取りこぼされた敵は子供たちに向かうが、義勇がわざと見せた隙にまんまと乗せられているだけだと、理解できているのはきっと味方のみだ。連係プレーにおいては、あの三人にはとてもかないそうにないのが、少しばかり煉獄には悔しい。

 いつか、あんなふうに冨岡と肩を並べて戦う日がくるといいのだが。 

 いやいや、こんな事態が二度も起きてはいかんだろう。乱闘で少なからず自分も興奮しているらしいと、煉獄が冷静になるべく深呼吸したそのとき。
「おいっ、サイレン近づいてきてんぞ!」
「誰かマッポ呼びやがった!」
 逃げるぞと誰かが怒鳴った声に、禰豆子の悲鳴が重なった。

「お兄ちゃんっ!!」

 一瞬の気のゆるみが、喧嘩などしたことのない炭治郎には致命的だったのだろう。死角から回り込んだ男の手にとらえられ、ジタバタと足を揺らしているのが見えた。
「炭治郎っ!!」
 悲痛な声とともに駆け寄ろうとした義勇に、炭治郎を抱えた男は、取り上げたウォーターガンを見せつけながらニヤニヤと笑って止まれと命じた。
「こっちにくんなら、その危なっかしい竹刀置いてきな。こんなオモチャでも結構重さはあるみてぇだぜ? これで殴りつけたらこのガキがどうなるかわかんだろ?」
 拳どころか平手だろうと炭治郎が怪我をする恐れは十分にある。ましてや、プラスチック製とはいえ、仕込まれた水の重さも加えたなら鈍器と変わらない武器まで手にしているともなれば、義勇はもちろん、錆兎や真菰もそうそう手が出せない。
 煉獄たちが加勢に向かうにも、いささか距離が離れている。すぐ傍らにいる禰豆子では、手を出そうとすれば蹴り飛ばされるかもしれず、かえって危ない。
 形勢逆転。どうすればと歯噛みした煉獄の耳に轟いた怒号は、宇髄のものか。

「炭治郎、非常事態だ!!」

 怒鳴り声に、きょとりと炭治郎がしばたいたのがわかった。けれどそれは、数秒にも満たない。すぐに炭治郎は意味を理解したのだろう。スゥッと大きく息を吸い込み、次の瞬間、思い切り男の顔面に頭を打ち付けた。
「よっしゃぁ!! 派手にずらかるぞっ、野郎ども!!」
 炭治郎を手放した男の顔が血のりではない赤い液体にまみれているところを見ると、どうやら鼻血を噴いたらしい。さもありなん。あの頭突きの威力を、煉獄は身をもって知っている。
 義勇たちに向かって駆け出す宇髄に続いて走りながら、どうしようもなく沸き立つ心のまま、煉獄は大きな声で笑った。

 あぁ、まったくもってすごい子供たちだ。なんて頼もしい仲間たちだろう。

 煉獄は優等生だ。喧嘩などしたことがない。竹刀はあくまでも剣道のための神聖な剣であり、ゲスな輩を打ちのめすためのものではない。けれど。
 こんな時ではあるが、ワクワクするのだ。ドキドキと胸が高鳴る。恋愛ごとではないが、縁は異なもの味なもの。ライバルであり、尊敬すべき剣士である義勇。頼もしい子供たち。信頼できる友人。この縁を僥倖と言わずしてなんと言おう。

 炭治郎を抱えたうえ、禰豆子までおぶって走る義勇の足どりは、見るからに危なっかしい。煉獄はすぐに追いつくと、笑いながら禰豆子へと手を伸ばした。義勇の背から引きはがすようにして、自分の腕に抱きかかえる。
「禰豆子は俺に任せろ!」
 こくりとうなずく義勇にうなずき返し、宇髄が錆兎と真菰を両脇に抱え込んだのを見やると、煉獄は腕のなかの禰豆子に笑いかけた。
「飛ばすが怖くはないか、禰豆子っ」
「平気!」
「うむ、では行くぞ!」

 気力十分。体力はまだ残っている。宇髄の先の言をチラリと思いだし、煉獄は禰豆子を抱える腕に力を込めた。
 きっとここを逃げ切れば、こちらの勝ちだ!