ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 義勇

 先頭を走る煉獄に続き、炭治郎を抱きかかえたまま義勇は走る。木々の合間を抜けるには竹刀が少々邪魔だが、しかたない。これだけは手放すわけにはいかなかった。
 後ろから聞こえてくるのは、宇髄や錆兎たちの声。しつこいだとか、そのエネルギーをもっと役立つことに使えなど、小馬鹿にしきった辛辣な言には、義勇もまったく同感だ。
 だが、悠長に会話する余裕なんてどこにもない。煉獄や宇髄にくらべ段違いにスタミナ不足なのは自覚している。先ほどまでの乱闘で、すでにいつもの運動量をはるかに超えているのだ。正直なところ、炭治郎を抱いたままどこまで自分の体力がもつか、義勇自身不安しかなかった。
 けれど。
「冨岡! 炭治郎抱えて走りきれるかっ?」
 追いついてきた宇髄に問いかけられ、義勇は強くうなずいた。
 一人で走るほうが楽なのは事実だ。体力も少しはもつだろう。炭治郎だって降ろされても否やはないに違いない。でも、そんなことできるわけがなかった。
 いくら運動神経が優れていても、炭治郎はまだ小学生だ。中学生相手では分が悪い。一人で走らせるなんて選択は論外だ。
 義勇の視線に、宇髄はニヤリと笑っただけだった。本当に大丈夫かとも、無理するなとも、言わない。
 信用してくれたと思っていいんだろうか。義勇にはわからない。けれど、それを問いただしている暇だってないのだ。思い悩むのは後回しだ。
「宇髄、公園を出たらどっちに向かえばいいんだ? ベーカリーか?」
 先陣切って走りながら振り返ることなく聞いてくる煉獄の声に、義勇も宇髄を再度見やる。この公園からなら、避難場所として一番近いのは『竈門ベーカリー』だ。だが義勇としては、それは避けたかった。
「いや、知り合いだって知られて、万が一嫌がらせでもされたらたまんねぇからな。迷惑はかけらんねぇだろっ」
 まったく同じことを考えていた義勇は、宇髄の返答に内心でホッと胸をなでおろした。けれど、それならどこに向かえばいいんだろう。答えは出ない。
「駅まで向かってバスに乗るか?」
「やめとけェ! タイミングよく飛び乗れりゃいいが、下手したら取り囲まれんのがオチだァ!」
 重ねて問うた煉獄に答えたのは、しんがりを務める不死川だ。その言葉に宇髄はもちろん、抱えられた錆兎と真菰も、しかつめらしくうなずいている。
「あいつら、パトカーきたのにあきらめる気ないみたいだしな」
「あ、アレ、マジのパトカーじゃねぇぞ」
「は?」
「えーっ!? おまわりさんじゃないの?」
 こともなげに言った宇髄を、錆兎と真菰がぽかんと見上げている。煉獄に抱かれた禰豆子も驚愕の声を上げたが、義勇も似たりよったりだ。炭治郎と一緒になって、思わず宇髄の端正な横顔をまじまじと見てしまった。
「あいつらのとこに行く途中でダチに連絡しといたんだよ。乱闘中だったらサイレン鳴らしてくれってな。映画の小道具だからマジのサイレンとは微妙に音階変えてっけど、なかなか真に迫ってたろ?」
 けろりと言い放ち、宇髄は不敵に笑っている。小学生を二人も抱えて走っているというのに、息を切らせた様子もない。
 先の乱闘で見た強さもこの抜かりのなさも、舌を巻くレベルだ。本当に宇髄はそこらの中学生とは格が違う。端倪すべからざる男だと、早くも息を乱している義勇は感心するよりほかない。
 こんな男が、不甲斐ないばかりの自分を信用するなど、あるわけがないだろう。
 戸惑いは、後ろめたさをともなって心の底深くにぺたりと貼りつき、重く湿って存在を主張する。けれども、意を決してなぜと問うことも、ましてや膝を抱えてうずくまることも、今はできやしないのだ。今はただ、余計なことは考えずにひた走るしかない。
「どっちにしろこのままじゃ埒があかねぇなァ。おいっ、二手に分かれるぞ。数は減ったみてぇだが、それなりに人数いるからな。囮になってやらァ、しっかり逃げ切れや!」
 不死川の声に後ろを振り返れば、なるほど、いまだ追いかけてきているのは十人ほどだ。二手に分かれれば、さらに減る。子供たちがいるからこちらの手は割けないが、さっきの戦いっぷりをみるに、不死川なら五人程度に追いつめられたところで楽勝だろう。
「不死川兄、伝言! 家に帰ってるって言ってたぞ!」
 玄弥たちの名を意図的にはぶいたらしい錆兎に、不死川がニヤリと笑った。弱みになりそうな情報を握られることを避けたのだと、不死川にもわかったのだろう。この男も並みの中学生じゃない。
 宇髄たちと違って、不死川は出会ってまだ二度目だ。友達どころか、義勇からすれば知り合いとも言いがたい。だというのに、こうして助けてくれている。自分の弟妹だって危険にさらされるかもしれないというのにだ。面倒ごとに巻き込まれたことを怒るでもなく、今も敵の半数を引き受けようとしている。義勇はとうとう、どうして、と瞳を揺らした。
 わからない。なんでみんなこんな一所懸命に助けてくれるんだろう。あいつらの目的は『冨岡義勇』なのだ。狙われているのは自分一人。宇髄や煉獄、まして不死川には、なんの関係もないのに。
 疑問は義勇に不甲斐なさを突きつける。まだまだ余裕がある三人にくらべ、早くも肩で息をしているありさまの自分は、なんて情けないんだろう。
「お気遣い痛み入るぜ。じゃあなァッ!」
「不死川っ、この借りはいつか返すぜ!」
「はんっ、なにも貸した覚えなんざねぇよ。それより下手こくんじゃねぇぞォッ!!」
「不死川さん!? 不死川さんも逃げないとっ!」
 炭治郎の心配げな声に義勇が振り返ると、不死川は立ち止まり、追手の進路をふさぐようにこちらに背を向け立ちはだかっていた。まさかと打ち消すには、不死川の意図はどう見たって明確だ。囮どころではない。一人で敵の足止めをする気なのだ。
 木々の合間をぬっての追いかけっこだ。追手も一斉に襲いかかることはむずかしいだろうが、それでも一対十では不死川だって無傷で済むとは思えない。一人で敵に立ち向かおうとしている不死川に、義勇の胸が詰まる。どうして、と、また困惑が浮かんだ。
 けれど今口にしなければいけないのは、そんな問いかけじゃない。自分の情けなさを嘆くのも違う。今、自分が言うべき言葉は、きっと。
 義勇は、乱れて苦しい息のなか、精いっぱい声を張り上げた。
「ありがとうっ」
 ピクリと不死川の肩が揺れて、すいっと拳があげられた。任せろ、おまえらも負けるなと、固く握りしめられた拳が告げている気がした。

「かかってこいやァ!! まとめて相手してやるぜェッ!!」
「不死川っ、テメェもう逃げらんねぇぞ! やっちまえ!!」

 乱れ飛ぶ怒号を背にさらに走れば、ようやく木立が途切れた。目の前には公園を取り囲むフェンス。宇髄の背より高いとはいえ、禰豆子でも手助けしてやればなんとか越えられそうな高さだ。
 これを乗り越えれば駅の近くまで遊歩道が続いている。ほぼ直線だ。ここでアドバンテージを稼げれば、万が一不死川が敵を取りのがしても、逃げ切れる。
「禰豆子、上まで行ったら俺たちが降ろしてやるまで待っていろ! 落ちるなよっ!」
「うんっ!」
 煉獄に言われさっそくフェンスを登りだした禰豆子は、手にしたカメラが邪魔そうでハラハラする。けれど禰豆子は、義勇の心配に反してグングンとためらいなくフェンスを登っていった。炭治郎のすばしっこさや体力ばかりに目がいきがちだが、禰豆子も運動神経抜群だ。とくに足腰の強さは、もしかしたら炭治郎以上かもしれない。
 わかっていたはずなのに、一番小さい禰豆子をつい過小評価してしまっていた。内心で失礼を詫び、禰豆子はきっと大丈夫だと確信した義勇は、炭治郎を抱え上げるとフェンスを登らせた。錆兎と真菰は禰豆子を追い越し、もうフェンスの頂上にたどり着いている。竹刀を背に差しているというのに器用なことだ。
 さすがに降りる前には地面に竹刀を投げたが、こればかりは致し方ない。普段なら竹刀にそんな扱いをすればすかさず叱るところだが、非常事態だ。注意をする気は義勇にもない。
「義勇、杏寿郎っ! 竹刀投げろ!」
 地面に降り立つと同時に錆兎が大声で言った。煉獄とうなずきあい、いくらか後ろにさがる。義勇にとっては何物にも代えがたい大事な竹刀だ。乱暴な扱いなんてしたくない。けれど躊躇している暇はなかった。それに、錆兎と真菰ならきっと受け止めてくれる。
 槍投げのように助走をつけて、煉獄と二人して同時に竹刀を投げた。距離はいらない。必要なのは高さ。はたして、二人ぶんの竹刀はグンッと空を切り、フェンスを越えた。
「ナイスキャッチ!」
 錆兎と真菰の手にそれぞれ收まった竹刀を見て、フェンスのてっぺんにたどり着いた炭治郎が、明るい声をあげる。
「危ないから禰豆子は煉獄さんたちが降ろしてくれるまで、しっかりつかまって待ってるんだぞ?」
 お兄ちゃんらしく禰豆子に言った炭治郎が、フェンスを降りだすのを見守り、義勇たちもフェンスに手をかけた。炭治郎が降りるまでは、下手に登るとフェンスが揺れて危険だ。義勇の視線には焦りがにじむが、運動神経のよさを発揮した炭治郎の動きは素早く、危なげがない。
 背後から乱闘の声が聞こえてくる。不死川が奮戦してくれているうちはまだ余裕があるが、いつまでもつかはわからない。不死川に立ち向かわずに、こちらへ向かってくるやつらもきっといるだろう。モタモタしている暇はなかった。
 炭治郎が無事着地したと同時に三人一斉に登りだせば、上背のある煉獄たちはたちまちフェンスの頂上だ。宇髄にいたっては背の高さを活かして五秒とかかっていない。よっ、と軽い声をあげて飛び降りた宇髄が手を伸ばし禰豆子を受けとめたのと、二人から一足遅れて義勇が着地したのは、同時だった。
「っしゃ! ひとまず駅までな!」
「おうっ!」
 先ほどまでと同じく、煉獄は禰豆子を、宇髄は錆兎と真菰を抱えて走り出す。
「炭治郎」
「あ、あのっ、俺自分で走れます! 長男なので!」
 広げた両腕に首を振る炭治郎に、思わず義勇の眉根が寄った。
「冨岡っ、ぐずぐずしてんな!」
「義勇、早くっ!」
 宇髄と真菰が急き立てる。義勇は、ふぅっと小さく息を吐くと、走り出そうとした炭治郎を有無を言わせずつかまえ、抱き上げた。
「……俺は、ヒーローなんだろ?」
 おまえを守るのは俺の役目だと伝えたくて額をコツリとあわせて言えば、一瞬きょとんとした炭治郎は、すぐにパァッと顔をかがやかせ「はいっ!」と大きくうなずいてくれた。
「しっかりつかまっていろ」
「はいっ、義勇さん!!」
 走り出した背に「いたぞっ! こっちだ!」と怒鳴り声が投げつけられる。フェンスの内側からじゃない。声は道の端から聞こえてきた。きっと新手だ。けれど怯んでいる暇なんてどこにもない。体力不足は気力でカバーしろ。動けなくても根性で走れ。
 さぁ、追いかけっこ再開だ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 走り出してすぐに、義勇たちはルート選択を誤ったことを悟らずにいられなくなった。
 なにしろ今は、ゴールデンウィークの昼下がり。遊歩道には公園に向かう子供連れや、犬の散歩中の人も歩いている。疾走する一団というだけでも迷惑なことこの上ないのに、新手のやつらがまだまだいるのだ。歩行者を気遣うやつらじゃないのはわかりきっている。このまま走りつづければ、関係ない人を巻き込んでしまう可能性は十分にあった。
「チッ、しかたねぇ。鱗滝さんちに戻るにしろ、あいつら引き連れて駅に向かうわけにはいかねぇからな。そこから住宅街のほうに出るぞっ」
「それはいいが、そのあとはどうするっ。住宅街にも歩行者はいるだろう!」
「この時間に人通りがない場所なんてあるかなぁ。最悪の場合は、分かれて追手を巻くしかないかも」
「真菰、それはさすがにやめといたほうがいいと思うぞ。あいつら、下手したらまた仲間を呼ぶかもしれないしな」
「派手に同感っ。とにかく、どこかに逃げ込めりゃ、あとはどうにかできる! このままじゃ助太刀の連絡網回すこともできやしねぇ!」
 とにかく遊歩道はアウトだと判断した宇髄の指示で、住宅街へ出る道へと進んだはいいが、このまま闇雲に走り回るわけにもいかない。交番に逃げ込むという手もあるが、騒動を大人に知らせる気はないのだろう。とにかく逃げ切りが宇髄が下した結論らしい。
 休日の昼日中。多少迷惑な連中が走り回っても、あまり問題にならなそうな場所。そんなところあるだろうか。考えた瞬間、義勇の心臓がドクンとひときわ大きく鳴った。

 ある。あそこはきっと、この時間の人通りは少ない。でも、あの道は。

 錆兎と真菰も、義勇と同じ場所を思い浮かべたのだろう。宇髄に小脇にかかえられたまま、そろって不安げな顔で振り返った。
「学校……は、門が閉まってるか」
「開いてても、学校で喧嘩するわけにゃいかねぇだろうよっ、剣道部主将! てめぇ大会控えてんじゃねぇかっ!」

 あるんだ。この人数で逃げ込める、やつらが知らない場所も。俺は知ってる。誰よりも、よく知ってる。

 先を走る煉獄と宇髄に告げなければと、義勇は息を乱しながら思う。けれど、どうしても声が出なかった。だって行きたくない。あそこはまだ怖いのだ。近寄りたくない。考えるだけで、吐き気がしてくる。あぁ、でも。
 息が苦しい。体力はもう限界に近かった。あの場所のことを考えるだけで、気力すら萎えそうだ。それでも、止まるわけにはいかない。へたり込んでいる場合じゃない。
 だって腕のなかには炭治郎がいるのだ。なにをおいても守るべき幼子が、ここにいる。大事な、大切な、炭治郎が、この腕のなかには、いる。
「義勇さん、大丈夫ですか? やっぱり俺、自分で走りましょうか?」
 こんな危ない目に遭っているのに、心配そうに瞳を揺らせて案じるのは義勇のことばかりな炭治郎に、義勇の決心は固まった。男なら。ヒーローなら。覚悟を決めろ。

「この先、右っ」

 乱れて苦しいかすれ声を振り絞り叫ぶように言えば、錆兎と真菰の目がギョッと見開かれた。
「義勇っ!?」
「駄目だよ! 右に行ったら……っ」
 大丈夫だと、声に出して言ってやることはできなかった。そんな余裕はもう義勇にはない。今の一言でさえ、かなり必死に絞りだしたのだ。けれど、それでも義勇は、蒼白な顔で振り返り見ている錆兎たちに強くうなずいた。
 二人が心配するのはよくわかる。本当に、あそこへ向かっても大丈夫なのか。あの場所に行っても、自分は平常心でいられるのか。義勇だって、自信なんてまったくない。不安ばかりが胸をよぎる。
 でも、それしか炭治郎たちを守る手立てがないのなら、迷う余地などなかった。
 義勇たちのやり取りで、宇髄と煉獄もなにがしか悟ったのだろう。義勇が示したほうへ進めば、昨日もさりげなく避けてくれた道だ。

 姉と、義兄が、命を落とした場所。そして、その先に続くのは……義勇の、生家だ。

 あの日以来、どうしても近づくことができなかった。苦しくて、つらくて、自分自身を切り刻んでしまいたいとすら思わせるその場所を、ただ目指す。
 振り返った煉獄の目が案じている。走りながら宇髄と義勇を交互に見やるまなざしは、憂慮をにじませながらも強い。義勇はどうにかうなずいてみせた。宇髄はなにも言わない。煉獄も無言のまま、いいんだなと確認するように一度義勇を強く見つめると、うなずき返し右へと足を進めた。宇髄はやっぱり振り返らない。ただグンッとスピードをあげ、煉獄につづき右へと進んだ。
「おいっ、天元! 止まれ!」
「こっちは駄目っ!! 止まって!!」
「うるせぇぞっ! 冨岡が決めたんだろうがっ! 甘やかしてんじゃねぇ!!」
 宇髄の怒鳴り声に錆兎たちが息を飲んだのが、手に取るようにわかる。苦しくてたまらないのに、やけに意識が研ぎ澄まされていくのを義勇は感じていた。
 景色がゆっくりと流れて見える。腕のなかの炭治郎の温もりだけが明確だ。
 繁華街に差し掛かった。周囲の店は飲み屋ばかりで、まだ明るい今は、人気ひとけはほぼない。ツンと鼻を刺すアルコール臭を含んだ生ゴミの嫌な臭いが、通りには漂っている。鼻が利く炭治郎にはつらいだろう。ゴミを漁っていた野良猫が慌てて逃げていく。心のなかで小さくごめんと、義勇は詫びた。
 背後で怒鳴り声と大人数の足音がする。誰かが道端のビールケースでも蹴飛ばしたのか、ガシャンとなにかが壊れる音もした。追手はどれぐらい近くまで迫ってきているのか。振り返る余裕はなくて、義勇は必死に駆ける。
 このまま進めば、繁華街を抜けて……急カーブのある、あの道に出る。
 ドクドクと、心臓が激しいビートを刻んでいる。必死に息を整えようとするけれど、うまくいかなかった。こめかみで脈打つ血流が、激しすぎる鼓動が、体中に響きわたって、うるさい。すくみそうになる足を、懸命に動かした。止まれない。止まるわけにはいかない。

 止まらない。絶対に。なにがあっても。
 炭治郎が。かけがえのない大切なこの子が、腕のなかにいるかぎり。
 止まって、たまるか。

 義勇の決意が伝わったんだろう。錆兎と真菰の視線は後ろを走る義勇に釘付けのまま、泣きだしそうに揺れていた。けれど、泣かない。きっとあの子たちは、泣かない。義勇を心配させる涙は、決して見せずにいてくれる。
 苦しい息のなか、駆ける足を止めぬまま義勇は、小さな親友たちに向い震える唇で小さく笑ってみせた。
 振り返った煉獄と目が合う。金と赤の目がかすかに細められ、パッと明るく笑んだと思ったら、煉獄は突然禰豆子を肩に担ぎあげた。
「うわぁっ! 肩車、高い!! 煉獄さん、すごいねっ!」
 禰豆子の歓声に、煉獄の高らかな笑い声がつづく。
「しっかりつかまてろよっ、禰豆子!」
「うんっ!」
 キャァッと楽しげに禰豆子が笑うと、一瞬泣き笑いの顔を義勇にむけた錆兎と真菰が、じっと宇髄を見上げた。
「おい、勘弁しろよ! 煉獄は禰豆子一人だけど、俺は二人も抱えてんだぞっ!」
「まだなんにも言ってないぞ。いくらデカくても独活の大木じゃしょうがないなんて思ってないから、気にするなよ、天元」
「そうそう。宇髄さんが私たちを担げなくても、幻滅したりしないから安心していいよぉ」
 いかにもしょうがないと言わんばかりの錆兎たちに、宇髄が吼えた。
「……ダァ――ッ! くっそ! テメェらっ、派手に飛ばすからな! 振り落とされんじゃねぇぞっ!!」
 腕の力だけでくるりと錆兎を回転させて肩に担ぎあげたのにつづき、宇髄は真菰も肩に担ぎあげる。そのときばかりはスピードをゆるめたものの、宇髄の足も止まらない。とんでもない腕力だが、それに感心する様子は二人にはなかった。
「うぉっ、天元! 担ぎかたが雑すぎだろ! これじゃ前が見えないだろうが!」
「宇髄さん、私たちは米俵じゃないんだけどっ!?」
「うっせぇ! 文句言ってる暇があんなら、派手に冨岡にエールでも送っとけや!」
 しっかりと顔を向きあわせる形になった義勇に向かい、錆兎と真菰はパチリとまばたきすると、そろって笑いながら手を振ってきた。
「義勇っ、頑張れ!」
「もうちょっとだよ!」
 それぞれ手にした二人分の竹刀を振りまわすものだから、宇髄があぶねぇとわめいている。
 あぁ、そうか。義勇はわずかに瞳を揺らせた。
 気遣われている。事情を知らない禰豆子はともかく、煉獄も宇髄も、錆兎たちも、義勇が立ち止まらないよう笑ってくれているのだ。怖くないよと。一緒にいるから、と。
 どうしてこんなにもやさしくしてくれるのか。わからない。自分の存在価値を自分自身認められない義勇には、わからなかった。けれど、うれしいと思う。エールに応えたいと、強く思う。そして。
 義勇はちらりと炭治郎に視線を向けた。あんなふうに担いだほうがいいか? と言葉に出して聞かずとも、炭治郎は義勇の意思をくみ取ってくれたようだ。
「このままがいいです! このほうが義勇さんの顔が近くてうれしいから!」
 腕のなかで炭治郎は、そう言って朗らかに笑う。心からうれしそうに、ちょっぴりはにかみながら。
 この子が――炭治郎がいるから、大丈夫。あの場所もきっと怖くない。もしも心が迷子になって立ちすくんでも、炭治郎が心のなかの黒い靄に、明かりをともしてくれる。
 だから、走れる。炭治郎がいるかぎり、義勇は、止まらずにいられる。

 道の先に急カーブが見えた。道幅は狭い。車が通っていなくて幸いだ。
 そこだけ新しいガードレールの内側に、しなびた花束が供えられているのが見えた。
 グッと喉を万力で締めつけられたかのような感覚がして、義勇の呼吸が止まる。なにか黒くて大きな塊を喉の奥に詰めこまれているみたいで、息ができない。苦しい。痛い。嫌だ。嫌だ。嫌だっ! 足が、すくみそうになる。止まるわけにはいかないのに。
 汗が染みて見づらい視界に映るのは、やけにはっきり見えるしなびて色あせた花束。それから、宇髄の大きな背と、両肩に担がれた錆兎と真菰。錆兎たちの顔も、苦しげだ。けれど、二人とも笑っている。義勇をじっとみつめたまま。
 煉獄の肩に乗る禰豆子がときおり振り返るのが見えた。離れすぎていないか確認してくれとでも言われているんだろう。引き離されてもおかしくないのに、煉獄との距離は先ほどから変わらずにいる。
 不意に、義勇の首に縋る炭治郎の腕に力がこもった。
 炭治郎は、ここが義勇の姉たちの事故現場だなんて知らないはずだ。カーブだから振り落とされないようにと、しがみついただけだろう。けれど、義勇にはそれで十分だった。大きく息を吸い込めば、肺に空気が流れ込んでくる。気力が体に戻る。

 姉さん、義兄さん……どうか、この子たちを守る力を、俺にくれ。

 胸の奥で呟くと、義勇は残る力を振り絞ってスピードを上げた。空き缶に供えられた小さなしおれた花束は、一瞬で通り過ぎていった。