ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目

 玄弥

 

広場から少し離れた木立の奥にも、たくさんの怒鳴り声が聞こえてくる。大人数であるのがうかがい知れる喧騒に、貞子とことが怯えた様子で玄弥の足にしがみついた。就也と弘も不安な気持ちをやせ我慢しているのがみえみえだ。
 玄弥だって本当は少し怖い。実弥の強さを信じている。けれども、この喧騒はただ事じゃない。ひたひたと忍びよる不安に、玄弥はきゅっと唇を噛んだ。
「玄弥兄ちゃん……実弥兄ちゃん大丈夫かなぁ」
「大丈夫に決まってんだろ。兄ちゃんは誰よりも強いんだぜ?」
 怯えた目で見上げてくる貞子へと、どうにか笑い返してやったものの、心配なのは玄弥だって変わらない。いくら強くとも、人数が多ければ実弥だって苦戦するだろう。
「煉獄と宇髄もいるし、義勇も行ったから、そうそう負けやしないだろうけどな」
「まずいとしたら、人質をとられることだよね」
 錆兎と真菰がやけに真剣な顔でうなずきあい、玄弥に向き直った。
「取りこぼした敵がこっちに来る可能性は高いと思う。おまえらは安全な場所に避難したほうがいい」
「炭治郎と禰豆子ちゃんも一緒に連れて行ってほしいの。ここから人のいる場所まで見つからないように抜けられる? 交番はまずいかなぁ。義勇たちまで補導されたら困るもんね。家に帰ったほうがいいかも」
 まるで自分たちは大丈夫と言わんばかりの発言に、思わず玄弥は眉尻を跳ね上げた。
「馬鹿言ってんじゃねぇぞ! おまえらも逃げろよ!」
 二人が言わんとすることは玄弥にもわかる。たしかに自分たちの存在は不利になるだろう。けれどもそれは錆兎や真菰も同様だ。放おっておけるはずがなかった。この場に残った中学生らの腕っぷしを期待できない以上、自分がしっかりしなければ。自分よりもチビな錆兎たちを危ない目に遭わせるわけにはいかない。
「俺たちなら心配無用だ」
「やらなきゃいけないこともあるしね」
「真菰、俺も手伝うよ。義勇さんたちを手助けしたいんだ!」
 目をむいて叱りつけても錆兎と真菰はどこ吹く風だ。とんでもないことに炭治郎まで残る気満々である。あきれ返りつつ玄弥はなおも言い募った。
「駄目だ。兄ちゃんに頼まれてんだからな。みんな無事に逃さなきゃ俺が怒られちまう。だいたい、やらなきゃいけないことってなんだよ」
 この場において逃げる以上に重要なことなどあるのかと睨みつける玄弥に、錆兎と真菰はそろってニンマリと笑った。
「証拠がいるだろ? こっちは喧嘩を吹っかけられただけの被害者だっていう明確な証拠を押さえておかなきゃ、あとあと面倒だからな」
「宇髄さんが置いていったカメラもあるしね。てことで、えーと……」
 撮影を中断させられて不満げな眼鏡と、肩を寄せあい怯えた様子の二人組を見やって、真菰がニコッと笑った。
「カメラマンの人。えーと、竹内さんだっけ?」
「え、俺?」
「うん。あのね、私たちは撮影に慣れてないから失敗するかもしれないでしょ? だから、竹内さんにも隠れて撮影してほしいんだけど……駄目かなぁ? 保険をかけとくに越したことないもんね」
 小学一年生の考えとは思えぬ発言に、呆気にとられたのは玄弥ばかりじゃなかった。怯えていた二人組も目をパチクリとさせて驚いているし、眼鏡でさえもポカンとしている。素直に感心の声をあげたのは、炭治郎と禰豆子だけだった。
「そっかぁ! 前に宇髄さんが証拠を撮ってるって言ったら、いじめっ子たち逃げたもんな!」
「真菰ちゃんも錆兎くんもすごいねっ!」
「天元の真似するのはちょっと癪だけどな。でも、徒党を組んで言い逃れされたら場合によっては義勇たちが不利になる。前だってそうだったろ? だから証拠は大事だ」
 不敵な笑みを浮かべた錆兎につづき、真菰も愛らしく笑うと中学生たちに向かって手を合わせた。上目遣いがちょっぴりあざとい。
「てことで、お願い! 安全な場所からでいいの。私たちがおとりになるから、隠れて撮影して?」
「だ、駄目だよ! そんな危ないことさせられるわけないだろっ!」
「そうだよ! 小さい子がそんなことしたら駄目だって!」
 盛大にあわてて反対する二人組には玄弥も同感だ。言葉の内容には納得するしかないけれど、いくらなんでも小一のチビどもが囮役を買って出るなんて、とんでもない話じゃないか。なのに、無言でなにやら考え込んでいた眼鏡がこともなげにうなずくから、驚いたなんてもんじゃない。
「わかりました。録音も任せてください。竹内くん、お願いしますね」
「えっ!? 前田、いいのか?」
 サラツヤ髪な人が飛び上がりかねないぐらいに驚いているのが、なんだか不思議だったけれども、疑問はすぐに解消された。
「だって、こんな機会めったにないじゃないですか。アクションシーンの素材として迫力あるのが撮れたらラッキーでしょ? エキストラを雇う費用なんてないですからね。タダで集団バトルを撮影できる機会なんて、そうそうないですよ? はい、わかったら準備してください。あ、村田くんは小さい子たちを頼みます。児童への暴行シーンはさすがにねぇ。使いどころがないですし、この子たちになにかあったらヒロインに降板されるかもしれません。ちゃんと家まで送り届けてあげてくださいね」

 なんだ、このゲスイやつ……。

 あまりと言えばあんまりな眼鏡の言い分に、呆気にとられたのは玄弥だけだった。竹内と村田はあきらめ顔で肩を落としているし、錆兎と真菰は冷めきった目で眼鏡を見ていた。就也たちもポカンとしているけれども、言葉の内容を理解してないだけだろう。逆に安心できる。この手のゲスな思考に触れるのはまだ早い。
「前田さん、手伝ってくれるんですか!? やったぁ!」
「やったぁ!」
 無邪気に喜び万歳している炭治郎と禰豆子は、ちょっと……だいぶ、心配にはなるけれども。それはそれとして。就也たちを預けるのがこのゲス眼鏡でないのはいいが、村田という男もずいぶんと頼りなく見える。
「前田のことだからフィルム代渋って断るかと思ったのに」
「失敬な。この僕が些末な費用をケチって先行投資を怠るとでも?」
 キラッと光った眼鏡になんだか腹が立つ……が、まぁいい。理由はともかく利害は一致した。
「カメラの使い方教えろよ。俺が撮るから」
 錆兎たちよりは自分のほうが危なくないだろう。けれど玄弥の申し出に二人はこともなげに首を振った。
「それは駄目。だって寿美ちゃんたちを守る人が必要でしょ?」
「この……村田さん? って人だけじゃ、寿美たちの世話焼きながら敵に見つからないように逃げるのは、至難の技じゃないかと思うんだよな」
 どうだ、できるか? と言わんばかりの視線を投げかけられて、村田が眉を下げた。
「馬鹿にすんなって言いたいとこだけど、自信ないなぁ。俺、あんまり子守りとかしたことないし」
「喧嘩もしたことないだろ」
「うるさいよっ。竹内だって同じだろっ」
「はい、決まり。ね、玄弥はこの人たちよりももめ事に慣れてそうだから、ボディーガードお願い」
 にっこり笑って言う真菰は揺るがない。これはもう決定事項だと、笑みにたわめられた目が有無を言わせない光を放っている。
「……しかたねぇな。けど、無茶すんなよ。おまえらが捕まれば、兄ちゃんたちが困るんだからな」
「そんなへまはしない。竹刀も持ってきてるしな」
 二ッと笑う錆兎は、弘たちと変わらない背丈――いや、ちょっとばかり錆兎のほうがチビか――だというのに、しっかりと一人前な男の顔をしている。玄弥はとうとう苦笑した。
「おまえら本当に小一かよ。ま、いいや。炭治郎、禰豆子、こいよ」
 寿美を抱え直して声をかけた玄弥に、けれども炭治郎と禰豆子はふるりと首を振った。錆兎と真菰の顔が初めてしかめられた。
「炭治郎、危ないやつらなのはわかってるだろ。家に帰ったほうがいい」
「危ないから残るんだろ。俺は長男なんだから、年下の錆兎や真菰を放って逃げるわけにはいかないよ!」
「禰豆子も! 真菰ちゃんたちと一緒に、ぎゆさんを助けたい!」
 危ないのは錆兎たちも一緒なのだ。そりゃ心配だろうけれど、炭治郎たちが残ったところで役に立つかといえば、はなはだあやしいものだと玄弥も思う。錆兎と真菰も困っているようだ。
「まぁ、いいじゃないですか。炭治郎くんと禰豆子くんでしたっけ? 彼らには援護射撃をしてもらうのはどうです? 真菰くんも腕に覚えありと見ましたし、カメラは禰豆子くんにまかせて、ダミーとして撮っているふりでもしてもらいましょう。それを三人で守る。本命のカメラはあくまでもこっち。いかがです?」
 意外なほど物分かりよく言う前田が味方について、炭治郎と禰豆子の意思はますます固まったらしい。余計なことを言いたげに、錆兎の眉間には盛大なシワが刻まれている。真菰はといえば、錆兎より思考が合理的なのか、前田の案を真剣に検討しているように見えた。
「悩んでる時間はねぇぞ。誰かきてからじゃ逃げるのがむずかしくなるからな」
 玄弥がうながすと、真菰は決心したのか一つうなずき、ビデオカメラを禰豆子に手渡した。
「禰豆子ちゃん、危なくなったらすぐに逃げるんだよ。つかまったら全員アウトだから、責任重大。頑張って!」
「うんっ!」
「おいっ、真菰!」
 拳をにぎりしめてうなずく禰豆子に、錆兎が驚きをあらわにあわてだした。錆兎や真菰は自分の身を守れるだけの自信はありそうだが、この反応を見るかぎり、炭治郎や禰豆子は就也たちと同じく普通の小学生に過ぎないんだろう。玄弥はちょっぴりホッとした。
 すごいやつらだとは思うけれども、自分よりもチビがこんなにも度胸が据わっていて大人びたことばかり言うのはどうにも慣れないし、なんだかいたたまれない気すらしてしまうのだ。
「止めても意地になるだけだろ。あきらめろよ、錆兎。それよりも、炭治郎と禰豆子も竹刀持ってるけど、ちゃんと使えんのか? 自信がねぇなら、ほかになんか武器になるもん用意したほうがいいんじゃねぇか?」
「それなら、小道具のウォーターガンを使ったらどうですかね。あとで使う予定だった血のりもありますし、水の代わりに使えば目つぶしにもなるんじゃないですか? 荷物になるだけかと思いましたけど、多めに持ってきておいてよかったです」
 いったい今日は何回呆気にとられればいいんだか。前田の言葉に思わずため息をついた玄弥と同じく、錆兎と真菰もあきれ顔だ。とはいえ、ありがたい申し出に違いはない。いち早く我に返った真菰が強くうなずいた。
「前田さん、それ炭治郎でも使えるんだよね?」
「小道具といってもしょせんはオモチャですから。とはいえ、満タンだとそれなりに重いんで、しっかり踏ん張ってください。加圧式なんで引き金を引くだけじゃ水が出ないのが難点といえば難点ですけど、射程距離が長いから間合いをとればなんとかなるんじゃないですか。カートリッジは多くないんで、無駄打ちすると無用の長物になっちゃいますから、気をつけてください」
「わかりました!」
 炭治郎のやる気に満ちた返事で、錆兎もようやくあきらめる気になったらしい。決意が固まれば妥協はなしなんだろう。深くため息をつくなり、ガシッと炭治郎の肩をつかんだ錆兎のまなざしの強さに、はたで見ている玄弥のほうがごくりと喉を鳴らしてしまう。
「……援護を任せるぞ、炭治郎」
「うんっ! 一緒に義勇さんを助けよう!」
「おぅっ!」

 そうと決まればと、あわただしく準備に入る。一足先に前田と竹内はよさげな撮影場所を探しに行き、残る村田はといえば、頼りにならないと思われている自覚があるのか、錆兎たちの指示に従っている。泣き言をもらしたり一人で逃げ出さないあたり、それなりにいいやつなんだろう。ちょっぴり愉快な気分になりつつ、玄弥も小道具を置いていたテントを手早くたたむ。
 オロオロしていた就也たちも玄弥に倣い、撮影用の荷物をまとめたりウォーターガンのカートリッジに血のりを入れるのを、せっせと手伝った。そうしてるあいだにも喧騒はますます激しくなってくる。
 だんだん声が近づいてきている気がするのは、不安のせいばかりじゃないだろう。『ぎゆさん』とかいう人が加勢に行ったとはいえ、四人対多数だ。押されているのかもしれない。錆兎たちは信用してるみたいだけど、かなり細っこい人だったし、兄ちゃんの足を引っ張ってないといいけど。玄弥の不安は尽きない。
「これでよし。持っていくのは厳しいからな。しっかり隠しておけば大丈夫だろ」
 小分けした荷物をどうにか木の上にくくりつけ終え、錆兎と真菰が顔を見あわせうなずきあう。準備完了。玄弥が手伝えるのはここまでだ。
「兄ちゃんに俺らは家に帰ってるって伝えてくれよ。下手にどっかで待つよりは危なくねぇと思うから」
「わかった。ちゃんと伝える。ありがとうな、玄弥」
 グッと拳を突き出して言う錆兎に、思わず笑う。
「おう。……気をつけろよ」
 ニヤッと笑い返してくる錆兎につづいて、真菰や炭治郎たちも拳を向けてきた。玄弥も小さな拳に向かって自分の拳をあわせる。我も我もと真似をする就也たちに笑い、輪になった一同をながめまわした錆兎がすっと顔つきを改めた。

「行動開始だっ!!」
「おぅっ!!」

 ダッと駆けだす錆兎たちの背を見送って、玄弥は小さく苦笑した。
 まさかこんな騒動に巻き込まれるとは思いもしなかったけれど、忘れられない休日になったことに違いはない。とはいえ、これで終わりじゃない。ここからが玄弥たちの正念場だ。笑い話で終わるには……楽しかったよと実弥に笑ってやるには、自分たちが足を引っ張るわけにはいかないのだ。
「村田さんだっけ? 悪いが万が一のときには貞子かことを抱いて逃げてくれ。寿美を抱っこして、どっちかおんぶするにしても、さすがに俺一人じゃ三人は無理だからな」
 おまえらは気張って自分で走れよと、就也と弘に向かって言えば、二人もニィッと笑って「当然!」と元気に返してくる。まだまだ幼いと思っていたけれど、頼もしいかぎりだ。
「いや、俺のほうが力はあるんだから、俺が二人とも預かるよ。それぐらいは俺だってできるぞ」
「へぇ……意外と漢気あるんじゃねぇか。ま、そのときは頼むわ」
「……あの子たちといい、君といい、最近の小学生ってこうなの? なんかもう、すごすぎて俺タジタジなんだけど」
 いかにも情けない風情でぼやく村田に、玄弥は軽く肩をすくめてみせた。
「俺はともかく、あいつらは明らかに規格外だろ。あんなやつら、俺だって見たことねぇよ。おらっ、それよりそろそろ行くぜ。仲間を呼ばれないともかぎんねぇんだからな」
 怖いこと言うなぁとさらにぼやきつつも、しっかりと貞子とことの手をにぎって歩き出した村田に、玄弥は笑った。

 マジで気をつけろよ、とくに禰豆子。

 もう後ろ姿さえ見えない一行が消えた先を見つめ、玄弥は、ぎゅっとしがみつく寿美をしっかりと抱え直して歩き出した。兄ちゃん、頑張れ。禰豆子たちをちゃんと守ってやってくれよと、願いながら。