錆兎
「あぁ! やっぱりお似合いです! いやぁ、いいなぁ。たいへんかわいらしい。まさしく僕が思い描いていた理想のヒロインです! こんな最高のヒロインが見つかったのに、主役がなぁ……宇髄くん、今からでも主役やりません? そちらの彼でも結構ですが。ヒロインと並ぶと絵になると思うんですけどねぇ。お似合いのカップルに見えますよ?」
前田というゲス眼鏡が褒めちぎる言葉などまるっと無視して、しきりに服の袖やずり下がりそうな肩口を気にしている義勇は、たしかにかわいいと錆兎も思う。
いや、女の子みたいだなんて口が裂けても言わないし、言ったら義勇が傷つくことはわかっているが……似合うものは似合うのだ。もうこれはしかたがない。見慣れない服の新鮮さが、よりそう思わせるのかもしれないけれど。
「冗談じゃねぇや。俺は顔で売りてぇわけじゃねぇんだよっ」
「俺も勘弁願いたい! 演技などしたことがないからな! しかし、冨岡はその……そういう服も、よく似合うな」
煉獄がとまどうのも無理はない。
粗く編まれた白いサマーニットは大きくて、義勇が着ると膝上十五センチ丈。ともすればミニスカートのようだ。袖もぶかぶかで、腕を下ろすと指先だけがちょこんとのぞく。ラウンドカットの襟ぐりは、義勇が身動ぎするたびチラチラと鎖骨が見え隠れする。ニットの下は黒いタンクトップだ。こちらはジャストサイズなのか、ニットから透けて見える体の線を強調していた。
ふくらはぎ丈のブラックデニムはスキニータイプ。義勇の脚の形がはっきりとわかるチョイスだ。足元は素足にスニーカー。長い黒髪や整った顔立ちも相まって、申し訳ないけど……性別が迷子……。
いやいやいや! 義勇は男だから! 俺の弟弟子で、正真正銘、男らしい剣士だから!
わかっちゃいるが、むくれる顔もかわいらしいから困ってしまう。真菰はとっくに気持ちを切り替えたのか「大丈夫ちゃんと男の子に見えるよ。かわいい男の子って感じだよぉ」と、義勇をなだめている。
女の子というワードを避けるのは同意だが、あまり慰めになっていないと思うぞと、錆兎は小さくため息をついた。
炭治郎と禰豆子はといえば、こちらももういつもどおりだ。無邪気な笑顔で義勇さんかわいい、似合う、素敵とはしゃいで、義勇にとどめを刺していた。それを横目に見た錆兎はもはやため息すら出ない。
そもそもゲス眼鏡の一言に、きょとんとした炭治郎と禰豆子が、義勇さんと映画に出られるの? と反応してしまったのがまずかった。いや、錆兎もまぁ、心揺らいでしまったのだけれど。きっと真菰も同じに違いない。
だって、こんな機会は二度とないに決まっているのだ。義勇と一緒に映画出演。なんだそのパワーワード。
当然のことながら、錆兎一人であれば映画出演など鼻で笑って相手にしない。ところが『義勇と一緒に』という言葉がついた途端に、なんとも魅惑的な誘い文句になってしまうのだから、恐るべし冨岡義勇。
なんだか思考が明後日の方向だが、錆兎もかなり混乱しているのだ。どうしてこうなった? とは今こそ使うべき言葉だろう。まさしくそれしか出てこない。
義勇と一緒に映画出演。この際だ、正直に言おう。出たい。出てみたい。スクリーンに映る義勇はきっとたいそう魅力的なことだろう。真菰や禰豆子だってきっとかわいい。炭治郎も愛らしいに違いない。自分は引き立て役だろうが、まぁそれはいい。みんなで過ごす初めてのゴールデンウィークの、いい思い出になること間違いなしだ。
問題は、義勇の役どころが『ヒロイン』というその一点である。
セリフはなし。なんなら笑わなくたっていい。義勇が出てくれるなら台本を変えるから。
そこまで前田に言い募られ、炭治郎と禰豆子にキラキラとした期待の目で見上げられてしまえば、義勇が断れるわけがない。前者についてはきっと、義勇にはどうでもよかっただろうし、錆兎とも完全無視を貫きたいところではあるが。
それにしたって、なにがおまえをそこまで駆り立てるんだ、ゲス眼鏡前田。聞いてみたい気はするけれど、聞いたら最後と本能が訴えるのでやめておく。
ともあれ、こうなってしまったからにはしかたがない。ヒロインの出演は回想シーンだけだし、この公園でのロケだけになると言うのなら、さっさと撮らせて買い物に行こう。ため息を飲み込んで覚悟を決めた錆兎だった。
「本当は主役との絡みが欲しかったんですけどねぇ、ヒロインが魅力的なぶん、主役がみすぼらしく感じちゃいますから、しかたないですね。ストーリー的にはそれで正解って気もしますが、僕の感性が許しません。美しくない。子供たちとの絡みだけのほうが絵になりますし、そっちで映像的な美しさは挽回しましょう」
いっそのこと主役の出番なくそうかなぁ。などとぼやく前田に、宇髄が心底あきれた声で「それもう主役じゃねぇじゃねぇか……」とつぶやいていた。錆兎もまったくもって同感だ。見たこともない主役とやら頑張れ。思わず心中でエールを送ってしまう。
「いったいどういうストーリーなんだ?」
煉獄の疑問はもっともだ。炭治郎たちも興味津々に前田に視線を向けていた。だが、決して近づかない。うん、わかる。俺も嫌だ。義勇にも絶対に近づかせてたまるか。断固阻止あるのみ。
「家庭不和やら学校の人間関係やらで疲れた主役が、森で出会った不思議な少女とのふれあいによって平凡でもしっかりと生きていこうと心に誓う、ベッタベタのコッテコテな綺麗事ストーリーの予定だったんですけどねぇ。僕の趣味じゃないですけど、そういう安っぽくてお約束な青春ストーリーのほうが、学校関連のコンクールじゃ入賞を狙えるもので」
うわぁ……ゲスい。
錆兎と真菰や宇髄のみならず、煉獄の目にまでそんな感想がちらりと浮かぶ。いっそ見事なまでにゲスな前田に、そろって乾いた笑いすら出てきやしない。
「じゃあ今から撮るのは違うお話になるんですか?」
「大筋は変わらないですよ。ヒロインは素人さんだし演技できないとのことですので、会話は一切なくして、代わりに君たちと戯れあってるのを主体にします。主役は声をかけることもできずに、それをうっとり覗き見ているって感じですね」
まぁ、そこらへんはどうにでも。あとでおきれいな純愛ものっぽく編集しますよと、あくまでもゲスい前田に、純真そのものな炭治郎は素直に感心している。
「それじゃ、今日撮るのは冨岡とチビッ子だけになんのか?」
「そうですね。ヒロインの出番はこの公園だけにしますから、今日一日で撮りきっちゃいましょう。ってことで、カメラマンもそろそろくると思いますから、宇髄くんのカメラでリハやっちゃいましょうか」
俺のカメラでかよと宇髄はぼやくが、反対する気はないようだ。さっさと終わらせたいのは宇髄も同感なのだろう。
竹刀袋を煉獄に預け、ゲス眼鏡が言うままに錆兎たちは木立のなかで義勇を取り囲んだ。
「じゃあ、始めましょう。いつもと同じようにみんなで遊んでください」
そう言われても、さて、どうしたものか。
「遊ぶって言ってもなぁ」
「うーん……あ、ここ花がいっぱい咲いてるし、花冠作ろうよ。禰豆子ちゃん、作れる?」
「できるよ! 作ったら真菰ちゃんにあげるねっ」
真菰と禰豆子はそれでいいかもしれないが、男組はどうすりゃいいんだ? 困惑する錆兎とは裏腹に、炭治郎も瞳を輝かせ「じゃあ義勇さんのは俺が作りますね!」とニコニコしている。
「炭治郎、花冠なんて作れるのか?」
「できるよ。禰豆子にせがまれて練習したから!」
へぇ、と感心しつつも、それじゃ作れないのは俺と義勇だけかと思ったら。
「義勇さんは花冠作れますか?」
「……姉さんが教えてくれた」
なんと。義勇も花冠が作れるとは思いもせず、錆兎の目が思わず丸くなる。
「義勇も作れるのか? 初めて知ったぞ」
「言ったことなかったか?」
小首をかしげる姿が、見慣れぬかわいらしい格好のせいで、より可憐さを強調している気がする。真菰の感想も同様なのか、いつも以上にニコニコ顔だ。どうして女ってのは、かわいいものがこんなにも好きなんだろう。錆兎にはよくわからないが、真菰が上機嫌で、義勇がかわいいなら、それで良し。文句などあるわけがない。
……義勇がかわいいのは見た目じゃなくて性格だけどな! いや、見た目も今日はかわいいけども! なんなら、存在がかわいいと言ってもいいけれども!
「じゃあ錆兎には私が教えてあげるね」
笑う真菰に手を取られ、狼狽はさておき錆兎もみんなと一緒に花を摘む。とにもかくにもさっさと撮影を終わらせねばならないのだ。一人でゴネるなんてガキ臭いことができるものか。
「錆兎はシロツメクサとタンポポ、どっちで作る?」
真菰に聞かれて、ちょっと悩んだ錆兎は禰豆子に「どっちがいいんだ?」とたずねてみた。禰豆子が真菰のぶんを作るというのなら、真菰は錆兎のを、錆兎は禰豆子のぶんを作れば、おさまりがいいだろう。
もし真菰に作ってやるなら、錆兎が選ぶのはシロツメクサ一択だ。真菰には黄色いタンポポよりも、白いシロツメクサのほうがきっと似合う。でも禰豆子には、禰豆子が好きな花で作ってやるべきだと思った。
「んとね、タンポポ!」
満面の笑みで答えた禰豆子に、炭治郎がどこかおかしげに笑い返した。
「禰豆子はノートやバッグもタンポポ柄選ぶもんな」
「うん! タンポポ大好き! タンポポ見るとねぇ、なんだかほわぁってするの」
うふふと笑う禰豆子はといえば、迷わずシロツメクサを摘みだしている。禰豆子も真菰の花冠にはシロツメクサを選んだらしい。
「レンゲがあったらいいのにねぇ。炭治郎はレンゲの花冠のほうが似合いそうだもん。あ、錆兎もシロツメクサでいい? 錆兎は白が似合うから」
「レンゲかぁ、似合うとか考えたことないや」
炭治郎は首をひねっているが、なるほど、たしかにレンゲの花は炭治郎に似合いそうだ。シロツメクサやタンポポでもいいが、選ぶならレンゲ。
真菰はやっぱりセンスがいいなと、錆兎はちょっぴり自慢に思う。
「義勇さんはシロツメクサとタンポポ、どっちがいいですか?」
炭治郎の問いに、義勇がどちらでもと言いたげに少し首をかしげる。けれどすぐに、宇髄と煉獄の視線に気づいたのか、ちょっとだけ戸惑いを滲ませながらもシロツメクサを指差した。
あぁ、昨日と同じだ。流されるままじゃなく、今日も義勇は自分で選択する。俺達が先回りして選んでやっていたのは、やっぱり義勇にとってはよくないことだったのかもしれない。
少し切なくなった錆兎の背をポンッとさり気なくたたいて、真菰が「作ろうよ」と笑ってくれる。浅葱色の瞳の奥に見えるのは、同じ量の切なさ。真菰は錆兎の感傷にすぐ気づくから、共感にホッとすると同時にちょっとだけバツが悪い。
「ぎゆさんはタンポポ嫌い?」
「嫌いじゃない……けど、タンポポは煉獄のほうが似合うと思う」
「は? 俺か?」
禰豆子と義勇の会話を聞いた煉獄が、きょとんと義勇を見返した。タンポポなんて愛らしい花が似合うなんて言葉は、予想外だったんだろう。隣の宇髄もおや? という顔をしている。
「タンポポは、ダンディライオンだから……煉獄に似合う」
「ライオン? タンポポはライオンなんですか?」
「花がたてがみに似てるから、英語でそういう」
炭治郎もタンポポ、お日様みたいだから。そう言葉をつづけた義勇に、感心した顔で義勇を見上げる炭治郎の頬が、ほんのりと赤らむ。ついでに、煉獄も。
「ライオンねぇ、たしかに煉獄はそういうイメージかもな」
「そうだろうか……いや、なんだか照れるな!」
ハハハと大きな声で笑う煉獄は、ずいぶんと照れくさそうだ。笑い声がなんだか照れ隠しめいている。
煉獄が義勇のことをかなり気に入っているのは周囲の目にも丸わかりだ。同時に、当の義勇が自分に対して少し苦手意識を持っていることにも、煉獄はちゃんと気づいている。義勇から好意的な言葉が出るなんて、かけらも想像していなかったに違いない。なんだかとってもうれしそうだ。
「宇髄さんは髪が銀色だから、レンゲのほうが似合いそうだねぇ。今度作ってあげるね」
「そりゃどうも。けど、そもそも俺様に花冠なんて似合うかねぇ」
真菰が笑って言うのにカメラを構えたままの宇髄が返したのは、まさしく苦笑い。それに対しても義勇はきょとりと小首をかしげた。
「宇髄はきれいだから花も似合うと思う」
「……おまえ、しゃべったらしゃべったで、とんでもねぇな」
一瞬の絶句の後に、宇髄が口にしたのはそんな一言。心外!! と顔に出した義勇には悪いが、錆兎もちょっと宇髄に共感してしまう。
義勇は言葉が足りないし、そもそも無口なほうだけど、言葉にするのはいつだって本心だ。偽りやお愛想の言葉なんて、義勇は決して口にしない。だから今の言葉だって、義勇は心からそう思っているんだろう。
宇髄は花が似合うくらい、きれい。そんなことをあんな愛らしい格好をした義勇に言われてみろ、そりゃあさしもの宇髄だってうろたえるに決まっている。
しかも、義勇に負けず劣らず純粋無垢な炭治郎と禰豆子まで、似合う似合う宇髄さんはきれいと笑うのだ。いつも皮肉げな笑みを浮かべるこの優男を、言葉を失うほどうろたえさせるなんて、きっとこの三人にしかできないに違いない。
あぁ、いいなぁと、錆兎は素直に思う。蔦子が亡くなって以来、こんなふうに穏やかで温かい時間がどれだけあっただろうか。
きっかけはとんでもなかったけれど、こんなふうにみんなでやさしく笑い合えるのなら、映画に出ることにして本当によかった。このやわらかく温かい空間を映像に残せるだけでも、きっと意味はある。
いいなぁ。こんな時間が、本当に好きだ。もっとずっと、こんな時間がつづけばいいのに。
錆兎自身も、とてもやさしくて温かい気持ちでいたというのに。
「……いいっ! いいなぁっ、いい!! 最高ですよっ、究極の癒しで萌えです!! 心洗われる光景ですっ! 審査員のオヤジどもなんてイチコロですよ!! まぁ僕の煩悩はこれぐらいじゃ消えやしませんけどねっ!!」
…………おまえはもう口を開くな。
くずれるように膝をつきダンダンと地面をたたきながら雄叫びを上げる前田に、錆兎が思い浮かべた一言は、きっとキョトンとしている竈門兄妹以外全員の感想だろう。
義勇の顔からもやわらかな空気が消え、スンッとなんともいえない表情になっていた。