夜と朝の狭間で

 それは一枚の家族写真。色のない古い古い写真。画面の両端に、少し緊張した面持ちの炭治郎と、無表情の義勇がいる。今日着ていた見慣れぬ服で立っている。
「パパ……パパにそっくりな人がいる」
「その人が、ご先祖様の我妻善逸さんだよ。その隣にいるのが奥さんの禰豆子さん」
 禰豆子が大人になったなら、きっとこんな風になるだろうと思えるぐらい、禰豆子によく似た女性と並んで立つ男の人は、炭治郎たちとは違う上着を着てはいるが、下に着ている服は二人と同じに見えた。
 セピア色の写真でははっきりとはしないが、父の善逸とは髪の色がきっと違う。年だってこの写真の人の方が善逸より上だろう。でも、生き写しのように善逸に似ている。
「その息子の我妻勇治郎さんと、その奥さんの我妻花子さん」
 善逸に指し示された先には、まるで兄妹のように似ている若い少年少女。
「勇治郎さんの弟の慈さんと悟さん」
勇治郎も、花子も、慈も悟も、上着こそないが皆同じ服を着ていた。
「これはね、第二次世界大戦の頃に撮られたんだって。この勇治郎さんが出兵することが決まった時にね。同じ志を持って人を守るために戦った人たちだから、国が決めた軍服じゃなく、隊服で撮ったんだって聞いた。国の為じゃなく、人の為に戦うんだっていう誇りと覚悟を忘れないように」
 この頃に撮られた写真で、残っているのはこの一枚きりだって、パパがこの写真を初めて見せてもらった時に義勇さんが言ってたよ。
「だから、我妻善逸さんの遺影は残ってないんだって」
 身障者として出兵できなかった我妻善逸は、勇治郎の帰還を待つことなく空襲から見知らぬ子供を守ろうとして亡くなったからと、そう教えてくれた義勇さんはとても哀しげに見えたよ。
 足が悪かったのだと。善逸の髪の色は金色で、当時その髪はまるで敵国の人のように見えたから、敵の間者なのだろうと責める一般市民に暴行され、自由に動ける足ではなくなっていたからと。義勇さんが話してくれる声はとても静かだったけれど、深い深い哀しみを湛えているように聞こえたと、善逸もまた静かに言う。
「善逸さんはね、暴行された時にも反撃しなかったんだって。とても強い剣士で、一般市民なんて簡単に切り伏せることだって出来る人だったけれど、自分を叩きのめそうとする人たちに向かって一切手を上げなかったって聞いたよ。
 その怪我がもとで杖なしじゃ歩けなくなっても、そんな足で、それでも子供を守ろうとした善逸を誇りに思うって、義勇さんはパパに言ったんだ。お前はその名を貰ったんだよって教えてくれて。人を慈しむことが出来る人でいてくれって。あの善逸のように、お前も人を守り労わることが出来る男であり続けてくれって、子供の頃みたいに頭を撫でてもらった」
 それは当時の、この我妻善逸を、義勇は知っているということだ。この写真に写る炭治郎と義勇は、禰豆子の良く知る二人だということだ。
「……この禰豆子さんはね、炭治郎さんの妹さんなんだって」
「えっ!?」
 写真の中で佇む禰豆子という名のご先祖様は、炭治郎より年上に見える。では、炭治郎と義勇はこの写真を撮るよりずっと前に、年を取らなくなっていたのか。
「善逸さんと炭治郎さんや義勇さん、それから勇治郎さんたちも皆、同じ志を持った仲間だったんだってさ。人を守るために戦ってきたんだって。善逸さんはね、炭治郎さんとすごく仲が良かったんだって、義勇さんは言ってたよ」
 炭治郎は未だにこの写真を見ると涙が止まらなくなってしまうからって、義勇さん、優しく言ってたよ。善逸は静かに笑う。
「パパは、炭治郎さんの大切な友達にそっくりだって言われて育った。それはきっと、この善逸さんのことなんだと思う。善逸さんに似ているのは、パパだけじゃなくて、写真の中にも何人かそっくりな人がいるんだ。禰豆子さんほどじゃないけどね」
 だから。だから、もしかしたらだけどね、と善逸はそっと笑う。
「ずっと生きていかなくちゃいけない炭治郎さんと義勇さんを放っておけなくて、禰豆子さんや善逸さんは、何度も生まれ変わってきてるのかなって。その一人が、パパや禰豆子なのかなって、思ったんだ」

 これからはもう、自分の為だけに生まれておいで。

 もういいよと。もう、十分だよと。炭治郎と義勇が笑っている。
 そんな気がして、禰豆子の瞳から涙がぽろりと零れて落ちた。
「……生まれ変わりがあるなら……もし、生まれ変わることが本当に出来るなら、いつかまた、炭治郎お兄ちゃんと義勇お兄ちゃんに逢える……? また、一緒に笑って、お話しできる?」
ヒクリとしゃくり上げて、禰豆子は手の中のピアスを強く、強く、握った。
「パパも、それを願ってるよ……。それは、今のパパや禰豆子じゃ叶わないぐらい、遠い未来なのかもしれないけど」
 夜と朝の狭間に立ち続け、託された命を繋いだ先に、夢見る未来が来ると信じたい。
 いつか、禰豆子が年を取って老いて死んだ後の、遥かな未来でもいい。禰豆子に、善逸に、遠い昔の記憶などないように、その時の禰豆子にも炭治郎たちにも、今の記憶などないかもしれないけれど。それでも、出逢えるのなら、また笑い合えるのなら、それでいい。その日が来ることを信じて、その時に胸を張って笑えるように。
「ちゃんと生きようね、禰豆子。誘惑や苦しみに負けないで、きちんと自分の足で立って、託されたものを繋いでいける人になろう。パパも頑張るよ。炭治郎さんと義勇さんを哀しませない人でいられるように、これからも頑張って生きてくよ」
 禰豆子は強く頷いた。泣きながら、しゃくり上げながら、それでも、強く。
 いつかどこかで、また出逢う。そんな絆を信じて生きていく。胸を張ってこれが自分と言える自分になって、また二人と出逢いたい。

『出航の時間となりました。皆さま、ご着席ください』

 船出のアナウンスが聞こえる。さよならのアナウンスが聞こえる。
 でも、大丈夫。このさよならは、永遠の別れじゃない。
「いってきますって……」
「え?」
「最後に、お兄ちゃんたち、私がいってらっしゃいって言ったら、いってきますって言ってくれた」
 泣きながら言えば、善逸も泣き笑った。
「じゃあ……いつかまた、ただいまって帰ってきてくれるね。その時には、おかえりって言ってあげなくちゃね」

 いってきますといってらっしゃいは、ただいまとおかえりを言う為にある言葉だから。

 二人で泣きながら、顔を合わせてそれでも笑う。
 遠い遠い、遥か先の未来へと、約束をしよう。
 愚かな歴史は繰り返さずに、託されたものを未来に繋げていったその先で、出逢う大切な人たちへ。

 船が地球を離れる。母なる星の終焉を見守る役目を、長い生を生きたその人たちに委ねて、船は往く。
 今日、西暦39XX年をもって、地球での歴史は終わりを告げる。宇宙歴元年が始まる。
 新しい星々で、人はまた暮らしていく。それでも決して忘れない。大切な人たちが託してくれたものを、次の未来へと繋いでいくのだと固く誓う。過去の遺物だなんて、言わせない。たとえ嗤われようと、たとえ馬鹿にされようと、人にとって大事なものはきっと、何千年経とうとも変わることがないのだと、禰豆子はもう知っている。
 夜と朝の狭間で、明日を夢見て。人は、これからも、生きていく。
 記憶に残ることはなくても、その約束は、きっと果たされると信じて。きっと、きっと、果たすと誓って。
「お兄ちゃんたちがすぐに分かるように、このピアス、ずっとずっと大事にしていかなくちゃ。私も、このピアスに相応しい自分になるね」

 禰豆子がそっと掲げた約束のピアスが、朝日のようにきらりと輝いた。

                                      終