炭治郎
「マジで行くのかよ……」
げんなりとした顔で言う宇髄に、錆兎と真菰がにんまりと笑った。炭治郎も禰豆子と一緒にニコニコだ。
「行く!」
声をそろえて言う子供たちに、宇髄は疲れたため息をついているけれど、炭治郎たちにしてみれば、うっかり口をすべらせた宇髄が悪い。
とはいえ、良い子の炭治郎としては、宇髄を困らせたいわけではないから、ちょっと申し訳なく思ったりもするのだけれど。それでも、滅多にない機会にワクワクドキドキは止められようがないので、宇髄にはあきらめてもらうしかない。
さて、ゴールデンウィーク三日目の本日。炭治郎の朝は昨日と同様、間近に見る義勇の寝顔から始まった。
朝ご飯も義勇の隣で食べた。義勇と「はい、あーん」って食べさせあうご飯はいつもよりおいしかった気がする。義勇と一緒に過ごせるうれしさで、炭治郎は今日も絶好調だ。
昨夜の約束どおりにご飯を半分こで食べるのは、夕ご飯までお預けだ。鱗滝への礼として、今日の夕ご飯はみんなで作るのだ。メニューは満場一致でカレーライス。夕方にみんなでスーパーへ買い物に行って、みんなでカレーを作る。カレーなら、義勇と順番にあーんして食べさせあうにも都合がいい。
とっても楽しみだけれど、昼ご飯から夕方までの予定はまだ未定。昨日、スーパー銭湯で湯あたりして体調をくずした義勇を心配して、今日は出かけずに大人しくDVDでも観ようかと錆兎たちは言ったのだが、当の義勇が寂しげにしたものだから却下だ。
義勇もすっかり具合はいいようだし、せっかくのお休みなのだから今日も楽しんでくるといい。そんな鱗滝の言葉が決め手になって、本日もみんなでどこかに出かけようということになった。
午前の稽古が終わったら行くところを決めようと明るく言いあいながら、道場に向かったのは朝八時。
そこで鱗滝から告げられたのは、今日から毎週日曜日に、炭治郎と禰豆子が稽古に参加することになったという、うれしい報告だった。
今日から正式に、義勇は、炭治郎と禰豆子の兄弟子になる。週一回だけだろうと、弟子は弟子だ。入門を許してくれたお父さんとお母さんには、帰ったらいっぱいいっぱいお礼を言わなくちゃ。日曜日のたびに、炭治郎たちを迎えにきてくれると言う鱗滝にも、大感謝だ。
禰豆子と一緒に大きな声で「ありがとうございます!」とお礼を言ったら、鱗滝は満足そうにうなずいたけれど、ちょっとだけ照れているようにも見えた。
手を取りあって、やったぁと喜ぶ炭治郎と禰豆子に、錆兎と真菰も大喜びでこれからは同門の弟子としてもよろしくと言ってくれた。煉獄は炭治郎たちが試合できるようになったら、ぜひうちの門下生たちと練習試合をしようと笑ってくれたし、宇髄にも頑張って錆兎たちを追い越してやれと発破をかけられた。
義勇はなにも言わなかったけれど、とてもやさしく炭治郎の頭をなでてくれたから。
だから炭治郎は、そりゃもう張り切ったのだ。昨日だって真剣だったけれど、今日は昨日よりもっと真剣に、指導してくれる義勇の言葉に耳をかたむけた。
昨日と同じく、禰豆子と一緒に教わった通りに竹刀の点検をして、準備運動も念入りに。
剣道の足の運びは摺り足が基本。そして剣道で大事なのは、一眼二足三胆四力、なのだという。正式な稽古に入るなら、まずは足の運びを徹底的に叩き込んでやれと義勇に言った鱗滝は、いつもと同じやさしい顔をしていたけれど、声はとっても厳しかった。照れくさそうな雰囲気など、もうどこにもない。道場ではいつものやさしいお爺ちゃんではなく、とても厳しい先生なのだ。炭治郎と禰豆子の背筋も自然と伸びる。
「稽古をつづけてると足の裏の皮がずるっとむけるんだ。滅茶苦茶痛いぞ、我慢できるか?」
少しだけからかうような錆兎の言葉に、禰豆子ともどもちょっぴり震えたけれども。
「が、頑張るよ! なっ、禰豆子?」
「うん! 痛くてもがまんする!」
二人で両の拳を握りしめて言えば、義勇はどこかうれしそうにうなずいて、また頭をなでてくれた。
義勇はおしゃべりが苦手だけれども、感情を伴わない説明は苦にならないらしい。竹刀の手入れ方法や素振りの注意点を語る声は、よどみなくつづられる。とてもわかりやすくゆっくり説明してくれるので、炭治郎はもちろん、禰豆子も聞き返すことなくうんうんとうなずきながら、義勇の説明に耳をかたむけた。
義勇の声は不思議だ。語る声は冷静で、素っ気ないとさえ言えるのに、炭治郎の耳にはとてもやわらかく甘く聞こえる。炭治郎と名前を呼んでもらえたりしたら、ホワホワと胸が温かくなって、蕩けそうなくらいにうれしくなってしまう。
けれど、稽古中にホワホワと喜んでばかりはいられない。何度も「腰を曲げるな!」「頭を下げるな!」「目線は常に床と平行にしろと言っただろう!」と、厳しい声で注意されつつ、摺り足で道場を何往復もさせられた。錆兎たちや煉獄が大きな声を上げながら素振りする横を、何往復も、だ。ただひたすらに摺り足だけを繰り返すのだから、地道なことこの上ない。
義勇が「よし」とうなずいてくれたころには、足の裏はじんじんと痛んで熱くなっていた。なるほど、これは皮がむけても納得だ。真っ赤になった足の裏を見て、ちょっぴり遠い目なんかしてしまう。だからといって、やめるなんて絶対言わないけど。
素振りは素振りで大変だ。
「いっぱいマメができるからしばらくは痛いよぉ。左手の小指から中指までの付け根辺りの皮もむけるから、気を付けてね」
真菰に言われて、やっぱりむけるの!? 剣道って必ずどこかの皮がむけるもんなの?! と、少し青ざめたりもした。それでももちろん頑張るけれども。
子供用とはいえ、慣れない竹刀はやはり重い。おまけに竹刀の握り方もとても大事なのだそうで、柄皮の縫い目が親指と人差し指の間からずれると、目ざとく義勇の厳しい声が飛んでくる。
曰く、正しい握り方をせずに変な癖がつくと、手首を痛めることになりかねない。だからこそ、今のうちに基本をきちんと身につけろ。
剣道に関して、義勇はたいへん厳しい。いつものふわふわと漂うような気配の薄さが消えて、鱗滝と負けず劣らずの厳しさで、炭治郎たちを叱りもする。声だって大きい。炭治郎と禰豆子が少しでもへたばった様子を見せると「腹から声を出せ!」と険しい喝が飛んでくる。
おっかない義勇なんて初めて見たし、叱られるたびにびくりと体が震えてしまうけれど、それでもやっぱり炭治郎はうれしかった。だって、一番最初に鱗滝が言っていたから。
基本がきちんとたたき込まれていないと、いつかは大きな怪我をする。基本をおろそかにする者に、上達はありえない。
義勇がそれに真剣な顔でうなずいていたのも、炭治郎は見た。だから義勇がこんなに厳しく教えてくれるのは、炭治郎と禰豆子が怪我をしないようにだ。炭治郎と禰豆子にも、強くなってほしいと思ってくれているからだ。
それに、厳しい義勇も、怖いけれど格好いいので。
少しでも義勇の期待に応えられるよう、炭治郎は大きな声で返事して、義勇が言うとおりにできるまで頑張った。隣の禰豆子を励ましながら、一所懸命に。
そうしてへとへとになるまで稽古して、ようやく午前の稽古が終了したときには、炭治郎も昨日の禰豆子のようにぐったりと疲れ果てていた。昨日はまだ正式に弟子になったわけじゃなかったから、義勇さんもちょっとやさしく教えてくれてたんだなぁと、しみじみと思ってしまうくらいには、疲れた。
禰豆子はといえば、言うまでもない。でも、禰豆子も一度だって弱音を吐かなかったので、炭治郎としては誇らしかったりもする。剣道が嫌になっちゃうかもと、ぐったりしている禰豆子を見てちょっぴり不安になったけれど、禰豆子は禰豆子で、真菰たちと剣道をやるのだという決意は揺るがないようだ。
まだまだ甘えん坊だと思っていたのに、禰豆子もお姉ちゃんになってきたんだなぁ。炭治郎は昨日のスーパー銭湯での禰豆子を思い出した。
きっともう禰豆子は一人でもいろんなことができるんだろう。まだまだ面倒を見てやらなくちゃ駄目だと思い込んでいた自分を、炭治郎は少し恥じた。禰豆子はどう思っていたのかなと、申し訳なさにちょっぴり焦ったりもする。
ああ、宇髄さんが言っていた義勇さんが焦ってるっていうのは、もしかしたらこういうことなのかな。炭治郎は、今日もカメラで稽古の様子を撮っていた宇髄をうかがい見た。
小さくて自分が守ってやらなくちゃいけないと思っていた禰豆子が、一人で義勇の介抱をしたり、炭治郎でさえ音を上げそうになる稽古に、よろよろしつつもついていったり。そんな様子は誇らしいのと同時に「大丈夫、お兄ちゃんは一緒にいなくてもいいよ」と言われているような気がして、なんとなく少し寂しいし、なんだかとっても焦ってしまう。
まだまだ甘やかしてやりたいと思うのに、禰豆子はどんどん小さな子供のままじゃなくなってしまうんだ。
そんな不安や焦りを、もしかしたら義勇も抱えているのかもしれない。もしかしたら、宇髄はそれを感じ取ったんだろうか。
錆兎や真菰でさえ気づかなかったというのに。
そういえば、あのとき宇髄さんからした、悲しいような怒ってるような匂いはなんだったのかな。
言葉にするなら自嘲という名の宇髄の感情は、炭治郎にはまだむずしくてよくわからない。もしかしたら後悔と言い換えてもいいだろうけれど、小学二年生の炭治郎には、宇髄にはなにか悲しいことがあったんだなとしかわからなかった。
いろいろとむずかしいなと思いながら、そろそろ昼飯にしようという鱗滝の言葉にみんなで母屋に向かったのは、昨日と同じ。
疲れ果てている炭治郎と禰豆子に、義勇や錆兎たちが心配そうにしていたけれど、午後からのお出かけを中止するなんて選択肢は、炭治郎たちにもなかった。
「俺らなら大丈夫! だから遊びに行こうよ」
そう言って笑ってみせたのは、出かけるのを楽しみにしているみんなに水を差すのが、申し訳なかったからだけじゃない。なによりも、炭治郎が義勇と一緒に遊びに行きたいのだ。
もちろん、家でDVDを見て過ごすのも楽しそうだとは思う。義勇と一緒にいられるなら、それだけで炭治郎はきっと楽しめる。
それでも、できることなら一緒にお出かけしたい。だってせっかくのお休みなんだもの。
ゆっくりのんびり過ごすのは、これからまだまだできるだろう。けれど、宇髄や煉獄もそろって一緒に遊べる休日なんて、きっとそうそうない。義勇と一緒ならなんだってうれしいし、二人きりなら舞い上がってしまいそうなくらい幸せな炭治郎だけど、宇髄や煉獄と一緒にいる義勇は、ちょっと雰囲気が違うのだ。どうせならそんな義勇も堪能したいと思ってしまう。
お兄ちゃんでヒーローな顔でも、甘やかされる弟弟子の顔でもなく、同級生の友達といる男の子の顔をする義勇。それは宇髄や煉獄がいなければ見られない。
義勇の無表情は変わらないけれど、それでも煉獄や宇髄には、とまどいながらも年相応な顔を覗かせる。そんな義勇にも炭治郎はドキドキしてしまうし、できることならもっと見たい。
もしかしたら鱗滝も同じように感じているのかもしれない。義勇が宇髄たちと過ごすよう、さり気なくうながしている気がする。なんとなくだけれど、煉獄たちを頼りにしている気配が感じられた。
頼られる煉獄たちがちょっぴりうらやましくて、それ以上にうれしい。きっとそれは、義勇が以前の義勇に戻るためには必要なことだと、鱗滝が判断したんだろう。炭治郎は以前の義勇を知らないけれど、義勇の心が迷子にならずに済むのなら、炭治郎だって強くそれを願ってる。
だから。
「俺は昼から撮影の手伝いで出かけっから、おまえと冨岡でチビッ子どもの面倒みてやれよ」
昼ご飯を食べながら宇髄が言ったその言葉に、炭治郎は思わず宇髄を見てしまったし、錆兎と真菰の目がきらりと光ったのは当然だろう。
宇髄は煉獄にだけ言ったつもりだろうけど、そんな面白そうな一言を聞きのがせるわけがない。そもそも、今日の午後はどこに遊びに行こうかと話していた真っ最中だ。そんななかで聞こえた宇髄の言葉は、お腹を空かせた犬の前に差し出された、骨付き肉に等しい。
「撮影って?」
すぐに食いついた真菰に、宇髄がしまったという顔をしたが、煉獄は気づかなかったらしい。
「宇髄の知り合いが映画を自主制作しているんだ。俺たちが公園に行ったのも、その映画のロケハンでな! 宇髄は美術スタッフをまかされているらしいぞ!」
なんて、悪気なく言ってしまったものだから、茶の間はすぐに大騒ぎになった。
「映画って禰豆子も観られる? 一緒に行っていい?」
「どうやって撮るんですか? どこで撮るんですか? 見てみたいなぁ!」
「宇髄さんが持ってるカメラで撮るの? 宇髄さんカメラマンなの? 楽しそうだねぇ」
「天元なら地味な裏方じゃないんじゃないか? もしかして出演するのか? 天元の大根っぷりをみんなで冷やかしに行くか!」
「あーもーっ!! 派手にうるっせぇ!! 一斉にしゃべんじゃねぇよ、チビッ子ども! 絶対に駄目だからな!!」
叫んだところで時すでに遅し。宇髄は散々ごねたけれど、煉獄も興味津々に子供たちの味方をしてくれたし、義勇まで無表情のまま少しそわそわしているとあれば、結果は火を見るより明らかだ。あれよという間にゴールデンウィーク三日目の午後は、宇髄が参加している映画撮影の見学と決まった。
かくして、冒頭の台詞となったわけだけれども。
初めて尽くしのゴールデンウィーク。映画撮影の見学だなんて、予想もしていなかったサプライズ。
今日もやっぱりワクワクドキドキが止まらない日になりそうだ。