流れ星 【加筆修正版】

 込み上げてくる笑いをこらえて、煉獄は、腰紐の結び目に手をかけた。少し引いただけでシュルリと解けた結び目の頼りなさに、コクンと生唾を飲む。持ち上がった白い布地に、じわりと染みが広がるのを見てしまえば、自身の下帯も濡れていく。冨岡も興奮してくれている。それがうれしくて、昂ぶる欲情が抑えられない。
 冨岡の四肢は緊張からかこわばっている。大丈夫だと声をかけてやり、やさしく触れてやらなければ。思うけれども、手は意思を反して、いっそ乱暴な仕草で邪魔な布を握りしめていた。
 冨岡の唇が待てとつづるのと、煉獄が冨岡の下帯を引き下ろすのと、どちらが早かっただろう。
 目の前にあらわれた、黒々とした茂みのなかで立ち上がり震える肉色の花芯が、煉獄の思考を停止させる。少しだけ、汗の匂いが増した気がする。冨岡のものなのか自分のものなのかはわからない。布団のカビ臭さなどもう気にもならなかった。
 他人の性器を目にする機会などそうないが、冨岡のものは成人男性の平均を十分備えているように見えた。けれども煉獄よりはいくらか小ぶりだ。自慰もさほどしないのだろうか、日に焼けぬそこは手擦れの跡もなく白い。けれどもふくらみ顔を出している先端は、花のように濃い桃色で、小さな口がはくりと空気を食むのが見えた。
 子供のように怯え震える四肢と、成熟した大人の性。あからさまな欲を示すそこは、淫猥なはずなのにどこか清廉さを残していて、声も出ない。感動しているのか、興奮しているのか、煉獄は自分でもそれすら判断ができずにいた。
 ただひたすらにまじまじと見据える煉獄に、羞恥に耐えかねたのか冨岡が身をよじった。視界から逃れようとする仕草に、脳髄がカッと燃え上がったような気がした。
 冨岡を女性のように見たことなど、煉獄は一度もない。けれど、ほんの少しだけ、実際に冨岡の性器など見てしまえば、触れることを躊躇するかもしれないと思ったことはある。杞憂に過ぎなかったのは明白だ。自失のあとに浮かんだ言葉は「なめたい」だったのだから。
「や、やめろっ! そんなことはしなくていい!」
 上ずった制止の声に、煉獄は、パチリとまばたいた。どうやら思っただけでなく、口に出していたらしい。少々バツが悪くもあるが、それよりも不満のほうが顔に表れてしまったようだ。なんとはなし冨岡が怯んだのを感じる。怒りや嫌悪ではなく羞恥や罪悪感による制止だったんだろう。冨岡はどこか申し訳なさげにも見えた。謝罪して引き下がるという選択肢は、冨岡の様子に煉獄の思考から瞬時に消えた。
「なぜ? 口での愛撫はごく普通の性技だと思うのだが」
「そう、なのか……? いやっ、でも駄目だ! 汚い!」
 一瞬流されかけたかと思ったが、冨岡も引く気はないらしい。睨みつけてくる瞳は険しい。やっぱり冨岡の反応は煉獄の知識からズレている。咥えてもらうのは男にとっては喜悦だと聞くが、冨岡にとっては信じがたいものなようだ。
「稚児の草紙にも、美味だとかなめずにいられないだとか書いてあったんだが……どうしても駄目か?」
「なにを読んでいるんだおまえはっ!」
 食ってかかる冨岡に、しゅんと肩を落としかけた煉獄は、けれども気づいたそれに、ん? と目をまばたかせ、ズイッと冨岡に顔を寄せた。
「冨岡との行為に際しての知識を深めておこうと思ってな。こればかりは実践で練習してから挑むというわけにもいかないだろう? 練習とはいえ、君以外を抱くなどまっぴらだ。だが……君も内容を知っているようなのは、なぜだ?」
 なにせ好事家しか知る者もないだろう書物だ。『稚児之草紙ちごのそうし』とは、鎌倉時代の絵巻物である。僧侶と稚児の秘戯について書かれている。男色指南としてはさして役立つものではなかったが、読み物と思えばそれなりに読めた。煉獄にしてみれば、いつかはきっと冨岡を抱くのだという決意あったればこそ手にした草紙だが、冨岡が内容を知っているのはどういうわけだろう。
 冨岡が書物に慣れ親しんでいることは、これまでの会話の端々からも知っていた。だが、内容が内容だけに、冨岡が把握している理由がわからない。
「……同じだ」
「うん?」
 消え入るような声でつぶやいた冨岡に、小首をかしげさらに顔を近づければ、冨岡はまた顔をそらして口早に言った。
「だからっ、おまえと同じだと言っているっ。宇髄が、煉獄と恋仲になったのならと、親切にいろいろと書を勧めてくれて……あ、すまない。名前は駄目だったんだな」
 また宇髄か。面倒見がいいのは良いことだが、これはむしろお節介と言ってもいいだろう。今度逢ったら一言物申して置かなければ。つい蟀谷こめかみが引きつりそうになるのをこらえて、煉獄はどうにか笑ってみせた。が、その笑みは我ながら硬い。
「うむ、問題はそこではないな!」
「……たしかに、品がなく浅ましい所業だ。ほかの男の名を呼ぶ程度、くらべものにもならないな。煉獄に嫌われてもしかたのないことをした……すまなかった、もうここでおしまいに」
「どうしてそうなるんだっ!? 俺とこうすることを意識して、書物で調べようとしてくれたのだろう? 喜びはすれど怒る道理がない!」
 本当に冨岡の言動は一瞬たりと油断がならない。泡を食いつつ、冨岡の両肩を掴みしめ鼻先が触れ合うほどに顔を寄せる。変な誤解をされたうえに逃げられでもしたら、目も当てられないではないか。
 いつものように、そうか、と安堵してくれるかと思ったのに、冨岡はなぜだかいっそう顔を赤くして、視線を泳がせている。『稚児之草紙』は絵巻物だけあって挿絵も多く春画と大差がない。真面目な冨岡からすれば見るだけでも羞恥し、罪悪感を掻き立てられもしたのだろう。そう思っていたのだが、それだけにしては反応がどうもおかしい。
 知らず煉獄の手に力がこもった。
「……冨岡、まさか」
「慣らさなければ入らないとっ! 準備がいるって言われたから!」

 衝撃が、煉獄の背を刺し貫いた。爆弾なんてものでは済まない。奇襲攻撃にもほどがある。煉獄はもはや瀕死の重傷だ。恋の病で死にかけるとは。

 したのか。準備。慣らしたのか……自分で? 清廉で、喘ぎ声すら知らなかった、純真な冨岡が。俺と目合うために……っ。

 なんということだ、冨岡が健気すぎ、可愛すぎ、けしからんほどにいやらしすぎる! 体が勝手に震えだす。今自分はどんな顔をしているんだろう。見苦しいというのなら、きっと今この瞬間の自分の顔のほうが、よっぽど見苦しいに違いないと煉獄は思う。興奮しきって鼻息が荒くならぬようにするのが精一杯で、叫びださなかった自分を褒めたいぐらいだ。
 頭のなかでは「あ゛あ゛あ゛っ!!」と意味のない言葉を雄叫び、顔をおおいゴロゴロと床を転がりまわっていたりもするけれど、実際には、煉獄は完全に固まっていた。
 もしも鏡を覗いたのなら、冨岡と負けず劣らずな無そのものとなった自分の顔を、煉獄は目にしていただろう。どんな顔をすればいいというのか。衝撃が大きすぎて、言葉もなければ、身動き一つできやしない。だがここに鏡はない。煉獄の顔を映す冨岡の瞳もそらされてしまっていて、煉獄が自身の表情を知ることはできなかった。
 沈黙が落ちる。先に耐えかねたのは冨岡だった。
 おずおずと煉獄に向けられた瞳が一瞬にして見開き、すぐに泣き出しそうに眉尻が下がる。瞳は早くも涙の膜をまとっていた。羞恥に赤らんでいた頬も、血の気が引いてしまっている。そんな冨岡の様子に気づき、煉獄が我に返ったときには、時すでに遅し。冨岡はすっかりまた妙な誤解をしてしまっていたようだ。

「すまない……大の男が準備一つままならないとは、呆れられてもしかたがない。せっかく親切に教えてくれた宇髄にも、申し訳ないことをした。頑張ってはみたんだ。だが、どうしても指一本入れるのもむずかしくて……宇髄がくれた張り型など、どうやっても入りそうになかった。こんな不甲斐ないことでは、煉獄にももう」
「待て、冨岡」

 なにやら変な方向に誤解していることは、煉獄にも理解できた。が、なんなのだ。その聞き捨てならない文言は。
 言葉をさえぎられたことで、冨岡はいっそう泣きそうになっている。見ている煉獄のほうが胸が痛むほどに、なんとも悲しげだ。けれども、慰めてやる余裕など煉獄にもなかった。
「張り型などなぜ貰うんだ!? 君はそれがどういう物なのか知っていて受け取ったのか!」
「その、男同士では、すぐには挿入するのがむずかしいと……煉獄のは多分これぐらいだろうから、これが入るようになれば大丈夫だと言われたんだが……大きすぎて、無理だった」

 よし。次に逢ったときには絶対に宇髄を一発殴ろう。

 固い決意を胸にした煉獄の顔は、笑っていた。もはや笑うしかないではないか。情報過多もいいところだ。判断力には自信があったつもりだが、戦闘とは勝手が違う。とりあえず、現状煉獄がハッキリ理解できているのは、宇髄は一発殴る、これだけだ。

「……こんなザマでは、煉獄ももう嫌気がさしただろう? 無理はしなくていい」
「は? と、冨岡、いったいなにを言ってるんだ?」
 煉獄が現実逃避している間に、冨岡はさらに誤解を深めていったらしい。もはや冨岡のなかでは、別れ話にまで発展しているのは明白だ。諦観の念をたたえた顔はいっそ静かだった。
「煉獄さえ満足してくれるのなら、裂けて血まみれになろうが我慢ぐらいできると思っていたが、そもそも満足などさせられる体ではなかった。すまなかった。せっかく煉獄がその気になってくれたのに、準備さえできないとは、自分でも呆れ返る。もう、続きなどしたくないと言われてもしかたがない。指一本入れるのでさえ怖がり、うまく入れられないなど、情けないにもほどがある」
「冨岡、君の努力はうれしいが、決意の方向が的外れにもほどがないか!? 俺は君に我慢を強いたいわけではない!」
 めずらしく饒舌だと思えば、口にするのがこんなにも悲壮な覚悟。煉獄だって、初めてのときには互いに手間取ることを想定していたが、さすがに流血沙汰の大惨事など想像してはいなかった。やさしく、冨岡を怯えさせぬように抱くのだと、固く誓っていたのは言うまでもない。だというのに、冨岡の想像はまるで真逆だ。手篭めにされる生娘よりひどい目に遭うはずだと思い込まれていただなんて、煉獄だって立つ瀬がない。
 冨岡の決断の速さは、戦闘においては端倪すべからず能力だが、色恋においても発揮されるのは正直勘弁願いたい。自己卑下がすぎるのは承知しているけれど、最悪な想像から導き出される結論は、煉獄からすればとんでもないものばかりだ。しかも決断を下すまでが早すぎて、否定するのが追いつかない。
 もうこれは、実践で納得してもらうよりないだろう。決心が固まるのは早かった。考えたのと同時に体も動く。煉獄は迷わず自身の下帯を解くと、冨岡に見せつけるように膝立ちになった。
「え……あの、煉獄」
「なんだ? 冨岡」
 パチパチとまばたくさまが冨岡のうろたえを示しているが、視線はそこに据えられたままだ。少し青ざめていた頬がじわりと赤らんでいくのを見て、煉獄はちょっとばかり溜飲を下げ冨岡に笑いかけた。
「呆れるわけがないだろう。やめる気もない。君が自分で慣らすところを想像しただけで、恥ずかしながらこんな状態だ」
 力を失ってクタリとしおれている冨岡と違い、煉獄の欲望は昂ぶったままだ。腰を突き出し冨岡の顔に近づけてみせれば、とうとう冨岡は真っ赤に染まった顔をそらせた。また手の甲で口をおおうが、紅潮しきった頬もわずかに乱れた呼吸も隠せていない。
「冨岡」
「……なんだ」
 返す声も上ずっている。なるべくやさしく聞こえるよう願いながら、煉獄は、萎えて白い冨岡の花芯を手に取り囁いた。冨岡のそれはやわらかく、すべらかだった。
「君の努力はうれしい。だが、慣らすのは俺の役目だ。たとえ君自身の手だろうと、君のなかを初めて知るのが俺ではないのは、口惜しいからな」
「だ、駄目だっ。煉獄にそんなことをさせられるわけがない」
「なぜ? 俺はしたい。君のすべてに触れたい。君のなかに入りたい。そのための準備だろう?」
「汚いだろうっ。煉獄は、魔羅を入れるだけでいい。俺で気持ちよくなれるかは、その、心もとないが……入れたあとは、好きなようにしてくれてかまわない。煉獄は欲を発散することだけ考えてくれれば」
「駄目だ」
 煉獄は、手にした冨岡の初な花芽を、少しだけ力を込めて握った。瞬時に息を詰め、身をすくませた冨岡を、笑みを消して強く見つめる。
「俺は君を使いたいわけじゃない。君と目合いたいんだ。冨岡、ちゃんと俺を見てくれ」
 握るその手に冨岡が感じているものは、快感ではなく痛みや不安だろう。そういう触れ方を煉獄はした。だが、冨岡に痛みを与えるような真似はここまでだ。これから先は。
 揉み込むように手を動かせば、冨岡の体がブルリと震え、手のなかのそれがわずかに質量を増した。芯を持ち始めた冨岡の欲が、ちゃんと冨岡も快感を得だしていることを煉獄に知らせる。期せずして煉獄の顔に浮かんだ笑みは、安堵よりもいっそ獰猛だったかもしれない。
 興奮しつつも怯えが消えぬ冨岡の顔に、ニヤリと笑いかける。煉獄の表情を一言で言い表すならば、飢えている。その一語に尽きる。おあずけも過ぎれば拷問と変わらない。被虐的な思考や性癖などもとより持ち合わせていないのだ。妙な誤解や、ましてや勝手に身を引く別れ話も、まっぴらだ。たとえ冨岡だろうと、いや、ほかでもない冨岡だからこそ、許せるものか。
 不安をにじませながらも、煉獄に応えまっすぐに見つめ返してきた冨岡に、煉獄は手の動きを擦りたてるものに変えた。
「んっ! ま、待て、煉獄っ」
「待てない。もう、待たない。君が欲しい、冨岡」
 冨岡の白かった肉魂は、すっかり育って薄桃色に染まり、熱い。煉獄の手を、滲み出した雫が濡らした。気づき、握る手はそのままに先端を親指で触れれば、冨岡の背が陸にあげられた魚のようにビクンと跳ねた。
「以前言ったはずだ。君が望んでくれたなら、遠慮はしないと。俺を見てくれ、冨岡。俺は嫌がっているように見えるか?」
「あ……」
 フゥフゥと乱れだした呼吸が聞こえる。煉獄の目を見つめ返す冨岡の瑠璃の瞳が潤んでいた。焦燥や不安ではなく、瞳を濡らすそれは戸惑いと抑えきれぬ劣情ゆえだと、煉獄は決定づけた。多少は強引にことを進めなければ、また冨岡は変な方向に思考を飛ばすだろう。
 フルリと小さく振られた首に、煉獄は満足げに笑った。
「わかってくれたのなら重畳。冨岡、俺といるときは自身のことだけではなく、俺をきちんと見てくれないか。ここにいるのは、君に恋い焦がれ情けを請う憐れな男だけだ」

「……柱だ」

 つぶやきは小さく、けれども、冨岡の意思を伝えるように強かった。
「煉獄は、憐れなんかじゃない。どんなときでも煉獄は、威風堂々とした、誰よりも立派な柱だ」
「……あぁ。立派かはともかく、そうだな。だが、君もだ、冨岡。浅ましくも、見苦しくもない。君も、常に柱としてある。そんな君を抱けることが、俺は誇らしい」
 冨岡の瞳が揺れ、どこか苦しげに眉根が寄せられた理由は、煉獄にはわからない。煉獄と同じく冨岡もまた、いつでも水柱として凛と立っている。そっけない物言いや、人の輪に背を向ける態度から、責任感がないと言う者もいるが、そんな男がこんな場にあっても急報に備えようとなどするものか。だというのに、なぜだか冨岡は、煉獄が素直な称賛や尊敬を口にするたび、どこか切なげな顔をする。
 この苦悩は、どこからきているのだろう。
 今まで語ってくれた話の端々や、困っている者にそっと手を差し伸べるさまからも、冨岡が愛されて育ったことは明白だ。そういう者はたいがいが、自己を肯定されることに慣れている。それによって自信を身につけ、人と関わることを恐れない。だが、冨岡は真逆だ。
 姉を鬼に食われたことは聞いた。錆兎という同い年の少年と、ともに隊士を目指し鍛錬したとも聞いた。姉に守られ自分一人生き残ったのが原因だろうか。それとも親友となにかあったのか。冨岡が語る錆兎という少年の思い出は、鍛錬中のものばかりだ。それ以外については、冨岡は固く口をつぐんでしまう。おそらくは、もう亡くなっているのだろう。任務で命を落とす隊士は枚挙にいとまがない。鍛錬中や、最終選別でも人は死ぬ。冨岡の話のなかに、現在の錆兎の様子については、一つもなかった。

 問うべきか。今ならば、冨岡は答えてくれるだろうか。決断は冨岡のほうが早かった。

 揺らいでいた瞳が、しっかりとした光を宿し、少しだけ震える手がそろりと持ち上がった。
「と、冨岡っ」
「……張り型より、大きい」
「その情報は必要なのか!?」
 冨岡の手が、こわごわと煉獄の猛りを握っている。煉獄の逡巡はすぐさま霧散した。カァッと全身が熱をおびる。思考が一瞬停止したのはしかたのないことだろう。冨岡が自分で慣らそうとしたというのも衝撃だったが、それでも、行為の最中はきっと、身を任せるだけだろうと煉獄は思っていた。なのに、冨岡の白い手は、やんわりと煉獄自身を包み込み、あまつさえ根本から先端までをたどるように動いている。目の毒なんて言葉ではおさまらない、いっそ視覚の暴力ともいえる光景だ。
「……まだ大きくなるのか」
「君が触るからだろう! いや、それよりも、ほかのものとくらべるのはやめてほしいんだが?!」
「計らないと、入るかわからない。……すまない、煉獄。これではきっと入らないと思う。もう少し俺の準備が整ってからでないと」
「うむ、それは生殺しというやつだな! 勘弁してくれ!」
 ここまできておしまいは、ない。いくらなんでも無体がすぎる。本気で抵抗されれば妥協するのはやぶさかではないが、それでもやめるという選択肢はないのだ。
「案ずるより産むが易し、なにごともやってみなければわからない。まずは試してみるべきだろう?」
「お、おいっ、煉獄っ」
 自身を冨岡の熱にこすりつけるように覆いかぶされば、冨岡は慌てたように手を引こうとする。許さず、煉獄は冨岡の手ごと、高まった二本の熱棒をひとまとめに握りしめた。あがる制止の声を無視して、煉獄はゆっくりと手を動かした。
 首をすくめ目を閉じる冨岡に、煉獄は、手の動きはそのままに迷わず顔を寄せた。
「んぅっ、ん、あ……っ」
「緊張しきっていては入るものも入らないだろうからな。一度欲を晴らせば、意外とすんなり入れられるかもしれない」
「ふぅ、無理、だ。大きさが、あっ」
 接吻の合間に言い聞かせる煉獄に、冨岡はまだ否定を口にする。かなり怖気づいているようだ。宇髄はいったいどんな張り型を渡したのやら。とはいえ、直接的な刺激が冨岡の性感を高めているのは間違いがない。
 とろりとにじみ出てくる透明な雫が煉獄の手を濡らしていく。粘度のある蜜は煉獄の手が動くに従い、二チャリと淫猥な水音を立てた。二人分の蜜液はどんどんあふれてくる。馴染んだ自慰による快感よりも、感度が鋭くなっている気がする。冨岡も同様なのだろうか。自ら動かすことこそないが、無意識にだろう、冨岡の手にもときおりグッと力が入っていた。
「冨岡、あまり強く握られると少々痛いんだが」
 喉の奥で笑いながら、煉獄が少しからかうように言うと、冨岡の肌が赤みを増した。
「す、すまない」
 謝るけれど、やめる気は冨岡にもなくなったようだ。わずかに手を緩めてみれば、冨岡の手がおずおずと動き出した。
 これでいいかと問うように、上目遣いで見上げてくる冨岡に、煉獄は額をこすりつけほのかに笑った。
「うん……そのまま握っていてくれ」
「あっ! ぅ、んんっ」
 囁きと同時に思い切って腰を突き上げるように動かしてみたが、冨岡の手は、もう引く気配を見せなかった。煉獄が動くたびにおぼつかない手が離れそうになるのか、冨岡は両手で互いの欲望を包み込むと、離すまいとでもいうように指を組んだ。その健気さに、ますます煉獄の熱は昂ぶる。
 冨岡の手のひらのなかで、煉獄は挿入後のような動きで熱く猛る互いの欲望を擦り合わせた。気恥ずかしくなるぐらいに濡れてくる怒張を、がむしゃらにぶつけていく。打ちあい擦りあう二本の肉棒に、まるで子供のチャンバラごっこだなと、ふと思っておかしくなった。
「煉獄……煉獄! もう、駄目だっ」
「うん、俺もだ。冨岡、一緒に」
 切羽詰まって上ずる冨岡の声に応え、煉獄はふたたび冨岡の手ごと、互いの熱を握り込んだ。
 腰を強く振り立てれば、ドプリと音を立てる勢いで二人分の白濁が吹き上がる。その一瞬は硬直しこわばった体から、スゥッと力が抜けていった。生臭い栗の花に似た匂いが鼻先をくすぐる。鼻が慣れただけでもなく、布団に染み付いたカビ臭さはもう感じない。汗の匂いもホコリ臭さも凌駕して強く香る性の匂いに、いま自分たちの身に起きたことは現実なのだと、思い知らされる気がした。
 自慰を覚えてから何度も経験している感覚のはずなのに、まったく違う。胸のなかには感動があった。初めて人の肌を知り達した感慨は、相手が冨岡だからこそだろうか。だがまだ本懐を遂げたわけではない。
 冨岡の手が触れ、熱が触れていた煉獄自身は、まだ力を失わずにドクリドクリと脈打っている。冨岡の腕がパタリと力なく布団に落ちた。冨岡だって初めて射精したわけでもなかろうに、喉を震わせ熱い吐息を長くもらしている。煉獄の手や熱によって導かれた発散は、快感の質が違っていたのだろう。それには完全に同意するが、ここで終わりではない。
 先の行為を示威するべく、煉獄は、一度冨岡の頬に唇を落とすと、ゆっくり身を起こした。手のひらを濡らす二人分のぬめりの量はそれなりだ。だが、初めての挿入には心もとない。
 まぁ、やってみるしかあるまい。
 思いながら、どことなしぼんやりとして見上げてくる冨岡に、また唇を重ね、煉獄は冨岡の足を開かせると己の体を割り入れた。理性が体に緊張を伝える前に、性急に臀部をまさぐり、そこに触れる。
「煉獄……っ! そこは」
「汚いとは思わない。ここは君とつながる場所だろう? 触れさせてくれ」
 制止の声を最後まで言わせず、煉獄は、手のひらの白濁をなすりつけた。人差し指で触れてみるが、すぼまったそこは固く閉じていた。
「見えないとやりにくいな」
「え? あっ、や、嫌だ、煉獄!」
 ひょいと無造作に冨岡の脚を肩に担ぎ上げたとたんに、冨岡は身をよじり逃げ出そうとする。もちろんそんなことを許せるわけもなく、煉獄はガシリと足を掴むと、じっと冨岡を見下ろした。
「見えないままでは君を傷つけるかもしれない」
「怪我するぐらいなんてことない。血まみれになろうとかまわないと言った」
「駄目だ。君を痛めつけるぐらいなら、二度と触れられなくなるほうがマシだ。今後があると君も喜んでくれただろう? 見せてくれ……傷つけたくない」
 室内は明るい。薄汚れた窓から差し込む日差しは、十二分に燦々と二人を照らしている。夜の帳のなか、ほのかに揺れる行灯あんどんの明かりだけでさえきっと、冨岡は恥じらい盛大に嫌がることだろう。だというのに、なにひとつ隠し立てできない明るい部屋で、秘部を晒せと言ったのだ。冨岡の顔がくしゃりと歪んで、泣きべそをかく子供のようになった気持ちはわかる。
 けれども、ごめんと引き下がる気にはなれない。早く繋がらなければ、次にこんな好機が訪れるのがいつになるか、わかりはしないのだ。日にちを決めた約束など、お互いできやしない。今しかないのだ、自分たちには。
 罪悪感はわくが多少強引にでも押し切ろうと思っていた煉獄だが、意外にも冨岡に拒む様相はなかった。
 羞恥が身を焼いているだろう。白い肌は余すところなく朱をまとい、萎縮したように震えている。それでも冨岡は、咎めだてそうになる口をグッと噛みしめ、煉獄の意に沿おうとしていた。ここでやめてしまえば、後の次第は冨岡にも想像がついたに違いない。冨岡も煉獄と同様、今、この場でと望んでくれているのだ。耐える風情にそれを悟り、煉獄の胸が悦喜に打ち震えた。
 煉獄は冨岡の緊張をなだめるべく、担ぎ上げた脚をやさしく撫で口づけると、視線を落とした。
 果てた後であっても、冨岡の雄もまだ力を失ってはいない。羞恥は恐らく興奮を伴っているのだろう。見られているという意識が、冨岡の意思のおよばぬところで、喜悦を生んでいるようだった。
 しなやかな脚のあわいを覆う茂みは、煉獄のものよりも幾分まばらだけれども、黒々くろぐろとしていた。髪よりも縮れてこわそうな毛はしっとりと湿っている。またあふれてきた蜜が、赤く充血した屹立をトロトロと伝い落ち、茂みへと消えていく。毛の先に、小さく一粒だけ透明な雫がきらめいたのを目にし、我知らず煉獄の喉が鳴った。
 視覚からの情報だけで、またグンと力がみなぎり腰が重くなっていく。煉獄の眼差しの先で、冨岡も呼応するように質量を増した。気づき、視線を冨岡の顔へとチラリと向ければ、唇をおののかせた冨岡は「あ……」と声にならぬ掠れた音をもらし、両腕で顔をおおってしまった。
 見るな。とは、もう口にはしない。それでも顔を見られるのは激しい羞恥に襲われるのだろう。わかるから、残念だと思いはしても、煉獄も咎めなかった。
 震える肌身はいとけなく、けれども、紅潮し浮かび上がった切創の痕跡は、彼の壮絶な鬼狩りとしての歩みを示している。
 いつか、この傷跡の一つひとつに、触れたい。指で、唇で、舌で、残らずすべてに。よく頑張ったと幼い子供を褒めるよに。端倪すべからざる剣士への深い尊崇を捧げるよに。なによりも、生き延び出逢ってくれたことへの、途方もない感謝を告げたくて。冨岡の身に残る傷跡すべてに、触れたかった。でもそれは、今ではない。

「触るぞ。力を抜いてくれ」

 なるべく冷静に聞こえるよう、平坦な声で煉獄は言った。羞恥を故意に煽り興奮を高めるような仕儀は必要ない。今は緊張してこわばり痙攣する冨岡から、不安を取り除くほうが先決だ。
 献身に拠って立つ我慢ではなく、互いに想い想われ求め求められての行為なのだと、冨岡には知ってほしい。血まみれになる覚悟などとんでもない話だ。
 シュゥッと、呼吸の音がした。最低限はよしとしたからには口出しすまいと、煉獄はかすかな苦笑を浮かべるにとどめた。
 手のひらで包むように触れた小ぶりな双丘は、弾力がありながらも固い。やわらかな脂肪ではなく、筋肉なのだと実感する。それは、自分が抱こうとしているのはたおやかな女性などではなく、戦う男である冨岡なのだという実感でもあった。
 押し広げ、秘められていた場所を、日差しのなかにさらけ出す。慎ましやかに閉じられたそこは、周囲の肌よりも色味が濃く、まさに花も蕾といった風情で煉獄の目の前に現れた。外気に触れてピクリとなおすぼまる様子がたまらない。ここに、この小さな蕾に、俺のを入れるのか。思った瞬間に全身が焼き尽くされそうに熱くなった。大きすぎて無理だと言われたのに、また少し嵩を増してしまった自身がちょっとばかり恨めしく、冨岡に対して申し訳なくもなる。冨岡が視界をおおっているのは幸いだ。このありさまを見たら、いよいよ絶望的な顔をしたことだろう。
 花芯から滴った蜜は、蕾にもわずかな潤いを与えている。だが、少しばかり湿っている程度では、この先の行為にはとうてい不十分だ。煉獄は焦るなと自分に念じながら、白濁をまとった指を静かにすべらせそこに触れた。冨岡が、すくみ上がりそうになる体を懸命にこらえているのは気配でわかったが、なだめる言葉をかけてやることはできなかった。
 代わりに煉獄は、キュッとさらに閉じようとする花弁に似たひだを、やさしく撫でさする。無理にこじ開けようとすれば、痛みばかりを与えてしまうだろう。煉獄との情交におよぶために、冨岡はここに自分の指を入れようとしたのだと思うと、身震いするよな興奮が湧き起こるが、焦りは禁物だ。
 落ち着けと自分に言い聞かせながら、煉獄は、ぬめりを塗り込めるように指先で蕾を撫で、揉み込んだ。湿った秘部は、指が動くたびキュゥッとすぼまり、ピクピクと震える。わずかばかりほぐれてきたところで少し力を入れて触れてみたら、まるで口づけするかのように、指先を慎ましく食んできた。機が熟したのか否か、経験のない煉獄には判断がつかない。けれどもためらいはなかった。
 迷わず指先をグッと押し込めてみると、とうとう冨岡の体が硬直した。やわらかくなりつつあったそこも、侵入を阻みまた固く閉じようとする。煉獄はかまわず指を進めた。傷つけぬように慎重に、けれども不退転の意思をもって進む指に、肩に担いだ冨岡の脚が煉獄の背を軽く蹴った。きっと無意識なのだろう。冨岡は食いしばった歯の合間から、呼吸音を響かせている。
 剣を握る煉獄の指は太い。冨岡だって煉獄の手と並べてみればしなやかに見えるが、節くれだった男らしい剣士の手をしている。指一本だろうと初めて受け入れるにはさぞやつらかっただろう。
 だがこの後に受け入れてもらうものは、指などとはくらべものにならぬ質量があるのだ。まだ第一関節までしか含ませていないのにこの硬直具合では、とうてい繋がり合うのは無理だ。
 もっと濡らさなければならないが、あいにくと、潤滑剤であるいちぶのりなど持ち合わせがない。健気に指先を食んでいるそこは、塗り込めた白濁や冨岡自身の蜜が乾きかけていた。花だって水を与えなければ開くことはない。水を。もっと潤いを。思った刹那に浮かんだ解決策に、煉獄の顔から表情が抜けた。

 もう、これしか手はない。ほかに手立てがないのだから、冨岡だって拒まないだろう。

 自分への言い訳が終わらぬうちに、なにかを悟ったのか顔をおおっていた冨岡の腕がほどかれ、バッと冨岡が身を起こした。
「やめろっ! それだけは絶対に駄目だ!」
「……まだなにもしていないが?」
「おまえ、な、なめようと、してるだろうっ。断固断る! もしやったら、その場で舌を噛んで死ぬ!」
「なんでそこまで嫌がるんだ! 濡らさなければ入らないのは、君だって承知しているだろう!?」
「それは、そうだが……人としての尊厳の問題だ! 絶対に嫌だ! 死ぬときはせめて人として死にたい!」
「それほどかっ! だが、このままではそれこそ血まみれの大惨事にしかならないぞ!? それは俺が嫌だ! 断固断る!」
 言い合いながらも煉獄の思考は目まぐるしく打開策を探る。たしかに、初めての行為で秘部をなめられるなど、初心な冨岡には荷が勝ちすぎるだろうとは思う。煉獄からすれば、秘部どころか全身余さずなめ尽くしてやりたいぐらいだけれども。
 しかし、このまま膠着状態に陥るわけにもいかない。布団を敷いてからどれぐらい時間が経っただろう。実感としては半日ほどもこうしているような気がしないでもないが、実際にはまだ一時間も過ぎてはいまい。なにしろ恥ずかしいぐらいに、お互い達するのは早かった。けれども悠長に構えていられるかといえば、そんなわけもない。柱という立場上、どんな事情があろうとも、任務の報が入れば赴かねばならないのだ。恋しい人と初めての交合に及んでいるからといって、待ってくれる鬼などいない。
 なにか、潤滑剤になるものは。サッと室内を見回した煉獄の目が、視界の端に卓の上で忘れ去られた丼をとらえた。
 無言でゆっくりとこうべを巡らせた煉獄に、視線の先を追った冨岡の目が、ギョッと見開かれた。
「お、おい……」
 落ち着かぬ声は、まさかという響きをたたえて掠れている。だが冨岡の周章狼狽を汲んでやれるほどの寛容さは、今の煉獄にもありはしない。
 冨岡から離れ、膝でにじり寄るように卓に向かう。突き刺さる冨岡の視線を背に、丼に向かってパンッと両手を打ち合わせた煉獄の目は、すっかり据わっていた。

「すみません! 粗末に扱うわけではないのでご容赦願いたい!」
「やめろっ、馬鹿! なにをする気だ! いや、言うなっ、聞きたくない!」
「これしか残っていないだろう! 大丈夫だ、蕎麦もようはでん粉だからな。ぬめりは足りないかも知れないが、かなり油が浮いていたし、多めに使えば」
「やめろと言っているだろうがぁ!! あ……」

 丼を手に振り返った煉獄に、青筋を立てて怒鳴った冨岡が、不意にパチリとまばたいた。
「冨岡?」
 唐突に黙り込んだ冨岡に怪訝に首をかしげ、煉獄が声をかけたと同時に、階下から「うるせぇ!」との怒鳴り声が聞こえてきた。

「お客さん、喧嘩ならよそでやってくんな!」
「すみません! 喧嘩をしているわけではないが、お騒がせして申し訳ない!」

 反射的に大声で返した煉獄は、少々バツ悪く冨岡を見た。
 見るからに安普請な店構えだ。もとより声の大きい煉獄は無論のこと、冨岡もめずらしく声を荒げたから、階下にも声は筒抜けだったのだろう。声を第三者に聞かれる可能性に気づいた冨岡が、続きをしたがるとは煉獄には思えなかった。
 やっぱりやめようと言われても、飲むしか道はないように思える。なにしろこのザマだ、煉獄には、冨岡の意思を覆すだけの自信も説得力もない。
 初めてなのだから、余裕がなくても当たり前だ。思いはする。けれどもそれは煉獄の事情でしかない。冨岡にしてみれば、初めて経験するだけでなく、男性の身でありながら同じ男を受け入れる側だ。年齢を鑑みれば長幼の序でもって煉獄こそが受け入れるべきところを、引いてくれてもいる。きっと不安は煉獄の比ではない。せめてゆとりのある様子を見せ、落ち着いて導いてやらなければ、安心して身を任せることなどできないだろう。

 なんと不甲斐ない。知識はそれなりに蓄えてきたと思っていたが、なんの役にも立っていないではないか。あぁ、穴があったら入りたい。……いや、穴に入ろうとしてこのありさまになっているんだった。

 いっそ空笑いが浮かびそうになってくる。落ち込む煉獄に気づいているのかいないのか、冨岡は、店主の怒鳴り声がひびいたときこそ羞恥をよみがえらせ、オロオロと視線をさまよわせていたが、すぐに思案顔となっていた。煉獄と目が合うとパッと顔をそらせ、なんだかモジモジと、なにかを言いあぐねているような気配もする。
「冨岡……?」
 おそるおそる声をかけても、返事はない。いたたまれぬ沈黙の末に、またパタリと布団に体を横たえた冨岡が背を向けるに至り、煉獄はいよいよ青ざめた。臨戦状態を保ち続けていた自身ですら、しょぼくれた様子でうなだれたように見える。それでもまだ萎えきっていないのが、自分でも笑うしかない。だが、冨岡は違うだろう。おそらくは、すっかりやる気も失せたに違いない。
 がっくりと肩を落としかけた煉獄の耳が拾ったのは、消え入るようなつぶやきだった。