流れ星 【加筆修正版】

 救援の報で駆けつけた山野で、冨岡は夜明けを向かえた。黎明が辺りを照らし出す。黄金と朱に彩られる空は、冨岡の心を温かく照らしてくれる男に似ている。
 煉獄は、どうしているだろう。昇る朝日をまぶしげに見つめながら、冨岡は脳裏に浮かんだ面影に頬を緩めた。
 共闘の夜が明けてすぐに、煉獄は任務に向かったはずだ。お館様直々の命である。たやすい相手ではないのは確かだろう。二晩続けて、煉獄の支援にそれなりの数の隊士が参加したとも聞いた。上弦ならずとも下弦である可能性は高い。
 煉獄ならばそこまで危険はないと思うが……。冨岡は黄金に染まりゆく東の空に向かい、小さく苦笑した。煉獄よりもむしろ、三夜目となった昨夜、同じ任についたはずの炭治郎のほうが、心配なほどだ。
 まさか煉獄と同じ任に炭治郎が向かうとは思ってもみなかった。炭治郎のもとへつい向かってしまった自分の行動は、我ながららしくないと思えて、苦笑せざるを得ない。そのくせ、煉獄のことについてはなにひとつ告げられなかったのだから、自分の口下手加減には呆れ返る。まったくもって情けないかぎりだ。
 けれども、わざわざ炭治郎に含みおかずとも、絶対に煉獄は、炭治郎と禰豆子を公正に判断してくれるはずだ。炭治郎の為人を、鱗滝や炭治郎自身からの文でしか、冨岡は知らない。信頼しているというのなら、よっぽど煉獄への信頼のほうが厚い。煉獄の目で見た炭治郎の印象を、早く聞いてみたいものだ。

 晩秋の早朝。空気はしんと冷えている。昨夜の月は、下弦であった。二人歩いた枯野を照らしていたのは、更待月。青白い月光にきらめいた煉獄の涙が、冨岡の脳裏によみがえる。夜と朝が混じり合う東の空を見つめたまま、冨岡は気がつけば煉獄のことを考えている自分に苦笑を深めた。
 煉獄が帰ったら笑みを見せると約束したが、ちゃんと笑えるだろうか。煉獄は、自分がどんなにみっともない笑みを見せても、きっと嫌な顔はせずにいてくれるだろうけれど、できることならうれしそうに笑ってほしいと思う。見栄を張る気はないが、それでも煉獄には少しでもいいところを見せたいと思ってしまうのだから、恋というのはなんとも面映い。
 ホゥッと小さくもらした吐息は、冨岡自身にも、どうにも甘ったるく感じられた。その甘さが冨岡の胸をうずかせる。

 初めての恋は、弱い自分には分不相応なほどの幸せを与えてくれた。煉獄が、教えてくれた。誰かを特別に想う恋の甘さを、幸せを。
 約束を重ねるたびに、弱く不甲斐ない自分も少しだけ強くなっていける気がする。煉獄は君の願いを叶えたいと言ってくれたが、煉獄が笑ってくれるなら、それだけでいいのだ。そばにいてくれればいいとの言葉に嘘はない。

 煉獄が帰ったら、自分から逢いに行ってみようか。ふと思いつき、冨岡はクスリと笑った。五月のあの日――初めて体を重ねた、煉獄の誕生日と同じように。
 きっと煉獄は、満面の笑みを浮かべて喜んでくれるはずだ。その笑顔を思い浮かべるだけで冨岡の顔も笑み崩れる。
 楽しませようとなどしれくれなくてもいいのだ。煉獄が笑いかけてくれるだけで、本当はいつでもうれしくて、笑みがこぼれそうになるのをこらえていたのだから。
 煉獄が首筋に残した傷は、まだ残っている。渾身の力で噛みしめられたとはいえ、呼吸や胡蝶の薬によって痛みはすでにない。もうしばらくすれば痕も残さず消えるだろう。なんだか惜しいなと思ってしまう自分に、また少し冨岡の笑みが深まる。

 先日の別れ際に煉獄が口にした約束に、本音を言えばうなずきたくなどなかった。煉獄が先に逝くことなど考えたくもないし、煉獄以外の誰かに恋をするなど、できるとは思えない。任務で煉獄が残していった傷跡一つでさえ、消えるのが惜しいと思ってしまうのだ。こんなにも誰かを恋い慕うなど、煉獄でなければ無理だろう。
 よしんば煉獄の望みどおり誰かに心惹かれても、抱かれることはきっとない。冨岡は自分の腹に知らず手を当てた。視線を落としそろりと撫でる己の腹には、もう煉獄の残滓など残ってはいないけれど。それでも不思議と熱くて、煉獄の想いがここに留まっている気がした。
 この奥の熱までをも知るのは、煉獄だけでいい。たとえほかの誰かに恋する日がきたとしても。ここには、煉獄しかいらない。

 フッ、と、かすかに吐息し、冨岡は一度ゆるりとまばたくと、また朝日を見つめた。
 冨岡の目がそれを映し出したのは、そのときだ。

「……あ」
 金と赤に染まりゆく東の空に、くっきりと長く白く描き出された軌跡。
「流れ星……」
 初めて見た流れ星は長く尾を引き、ずいぶんと力強かった。その軌跡は刃の一閃にも似ている。燃え立つような黎明のなかを飛ぶ流星。まるでそれは愛おしい男の姿に似て、冨岡の胸がトクリと甘く高鳴った。

 ――冨岡!

 朗らかで温かい声までもが聞こえてきたような気がして、なんとなく照れくさくなったが、顔を伏せる気にはならなかった。
 一緒に見られなかったのが残念だな。思いつつも、冨岡はようやく黎明のなかを走り出す。

 屋敷に戻ったら湯浴みして、ひと眠りしたら炎屋敷の近くまで行こう。運が良ければ逢えるかもしれない。そうしたら、蕎麦屋へ一緒に行って、俺も流れ星を見たぞと教えてやるのだ。なんでも願いを叶えてくれそうなほどに、強く白い光を放っていたんだと。煉獄はきっと、それはすごいなといつものように明るく笑ってくれるだろう。
 煉獄に貰った竜胆は、残念ながらまだ花咲くには早かったようだ。だが、今日もきっと晴れる。煉獄のように眩しく明るいお日様に当ててやれば、今日あたり花弁を開き、青い星のような姿を見せてくれるだろう。そうしたら、あれも押し花にしようか。煉獄を誘って二人で作るのだ。
 そうしてまた一つ、約束を果たし、また、新しい約束をしよう。押し花ができたら、お揃いでまたお守りにしようと。いつか二人で流れ星を探そうと。夢のようにやさしい、幸せな約束を、また。

 まばゆくやさしい朝日に照らされ、冨岡は駆ける。目に焼きついた流れ星の軌跡に、唇をほころばせながら。