にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 2

「それで、今日はどこに行くんだ?」
 言われるままにおっかなびっくり高速に乗ったのはいいが、今日の行き先はまだ聞いていない。みかんを飲み込んで聞けば、杏寿郎がひときわ朗らかに笑った。瞳がちょっぴりいたずらっぽく輝いている。
「うむ! イルミネーションには時間があるから、まずは金魚を見に行こう!」
「金魚?」
 これはまた、ずいぶんな変化球だ。だがなんとなし納得できぬこともない。義勇の唇にもほんのりとした笑みが刻まれる。
「スモモ元気か?」
「あぁ、また大きくなったようでな! 池を拡張しようかと相談中だ!」
 昔、千寿郎が縁日ですくってきた金魚を、杏寿郎の家ではいまだに飼っている。縁日の弱った金魚にしては破格のたくましさだ。
 オレンジ色の和金で、千寿郎に頼まれスモモと名付けたのは、杏寿郎と義勇である。
 小さくてアンズ色をしているから、最初はアンズにしようかとも思ったのだけれど、杏寿郎の名が入っているのはちょっとと、渋ったのは義勇だ。じゃあスモモだと杏寿郎が笑ったから、そうしようかと決めた名である。
 大人になって杏寿郎が結婚し女の子が生まれたら、杏寿郎の名をとって杏と名付けられるかもしれない。そんな理由でためらったことを、杏寿郎が知ればさぞ怒ることだろう。
 あのころ義勇はもう杏寿郎への恋心を自覚していたけれど、杏寿郎はどうだったのか。聞いたことがないから、杏寿郎がいつから自分に恋していたのかを、義勇は知らない。べつに知らずともいいと思っている。
 なにしろ杏寿郎は、お手々つないでお遊戯していたころから、万事において義勇最優先で、大きくなったら義勇と結婚すると満面の笑みで言っていたのだ。恋なんて言葉は知らずとも、ずっと義勇のことが大好きで、義勇とともにある未来しか杏寿郎は見ていない。
 もしもあのとき義勇が素直に理由を話していたら、杏寿郎は烈火のごとくに怒っただろう。いや、杏寿郎の思考は時にズレまくることがあるので、義勇の手を取り義勇に似た子がいいと真っ赤な顔で言ったかもしれない。
 俺が結婚したいのは義勇だけ。幼いころから言われ続けているのは伊達ではないのだ。もしも杏寿郎と恋人になれても、いつかは杏寿郎もきれいな女の子と結婚するんだろうななんていう義勇の切ない想像など、いつのまにか気づけばきれいサッパリ消えていた。
 杏寿郎は、もしも恋でなくとも自分から離れようとはしないだろう。信じるもなにもない。義勇は知っているのだ。事実はそれだけなのだと。

「金魚を見るのはいいが、どこで?」
「うむ! 今日イルミネーションを見るところに、金魚の水族館があるのだ! 日本最大級らしいぞ。金魚を見て、それでも時間が余るようならば、近くを散策してから夕飯にしよう! そのあとでイルミネーションを見る予定でいる! 義勇は、なにか予定していたか?」
「いや。杏寿郎に全部任せる」
 義勇にしてみれば地元ということにはなるが、住んでいたのは五歳までだし、今はバイトや学校で忙しくて観光地には詳しくない。それに杏寿郎が張り切っているのだ。自分が口を出すまでもないだろう。
「そうか! それならよかった! 義勇に楽しんでもらえるよう、ちゃんとエスコートするからな!」

 喜び勇んでしっぽを振る犬が見える。キラキラでハッピーな、かわいいワンコが。

 思わずハンドルから手を離し、くしゃくしゃと頭を撫でてやれば、ぱちくりと大きな目がまばたくのが横目に見えた。クスッと義勇が笑うと、ご機嫌な顔がなんだか複雑そうなすね顔に変わる。
「……大人っぽいと言ってくれたはずだが?」
「大人っぽい服だと思ったのは嘘じゃない」
「服だけか……」
 ハァッとため息までつくから、義勇の顔に苦笑がまじった。運転中なのが残念だ。すねるなと金色の頭を抱えこんで、よしよしと撫で回したいのに、そうもいかない。
 そんなことをすれば、杏寿郎の顔はきっと、うれしさと不満がないまじって、へにょっと眉が下がるだろう。そうして、義勇が楽しいならまぁいいかと、ギュッと抱きついてくるに決まっている。義勇はちゃんと知っている。
「……うむ! 今は服だけでもしかたないな! だが、今日は全部俺に任せてくれるんだろう? もうすっかり大人だと言ってもらえるよう、頑張るまでだ!」
 杏寿郎は切り替えだって早い。いつまでも不満タラタラでいたりしないのだって、義勇は知っているのだ。だからこそ、思う存分かわいがれもする。
「お手並み拝見だな」
「任せてくれ! 義勇にも絶対に、セクシーだと言わせてみせる」
 フッと笑って目を細めるその顔に、賢いくせに馬鹿だなと、義勇は笑みを消して肩をすくめてみせた。

 頑張る必要なんてあるものか。そんなのもうとっくに……。
 
 言ってはやらない義勇に、杏寿郎も肩をすくめて苦笑いしている。高感度冨岡センサーは、こういうときだけ役立たずだ。鈍い。
 悟られないほうが、義勇にしてみれば都合がいい。まだまだかわいい弟分でいてほしいのだ。頼りがいのある恋人なのも、否定なんてしないけれど、あんまり格好よくなられても困る。
 思い出が義勇を戒める。我を忘れてすがりたくなるような恋は、駄目だ。どうにでもしてと、すべて杏寿郎に委ねてしまってはいけない。
 どんなに格好よくなったって。どれだけ大人の色気を身につけたって。義勇にとってはかわいい弟分なワンコであってほしい。
 不安は義勇の胸の奥、ひっそりと、けれどもたしかに、忘れるなとささやいていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 出発してから一時間ほど。インターチェンジをいくつか過ぎて、ようやく到着したのは、スポーツなどを楽しめるアクティビティも充実し、宿泊もできるリゾート施設だ。クリスマスの本日は、駐車場もほぼ埋まり、家族連れやらデート中のカップルでかなりの賑わいを見せている。
 秋からやっているというイルミネーションイベントは、日も高い時刻では意味がない。まずは杏寿郎が予定していた金魚の水族館に行ってみようと、もらったガイドマップを二人で覗き込む。
 水族館は単独の施設ではなく、リゾート内にある美術館に併設されているらしい。

「あっちみたいだな。行こうか!」

 迷わず差し出された手に、ちょっとだけ義勇はためらった。だが逡巡は長くはなかった。
 だってクリスマスだし、デート中なのだ。あまりジロジロと見られるのは困るが、それでも恋人同士であることを否定はしたくない。見られたところでどうせ他人である。恥ずかしい気持ちよりも、杏寿郎の笑顔のほうが義勇にだって大事だ。
 そっと杏寿郎の手を握れば、杏寿郎は、たちまち笑み崩れる。あんまり幸せそうで、義勇の頬は熱くなった。
 トクトクと鼓動が忙しない。キュンッと胸が甘く痛んだりもする。
 胸にあふれかえる好きという言葉がこらえきれなくなる前に、義勇は、誤魔化すように冊子に目線を落とした。
「温泉もあるんだな。いろいろ運動もできるみたいだし……あ、セグウェイにも乗れるのか。不死川がやってみたがってたよな。写経体験なんかもあるぞ。伊黒がやりたがりそうじゃないか? 宇髄たちとも今度こようか」
 めずらしく饒舌になった義勇に、杏寿郎から苦笑の気配が伝わってくる。
「義勇」
 静かな呼びかけとともに、繋いだ手を引き寄せられ、息を呑んだ。
 とっさに見つめれば、わずかばかりの稚気をにじませつつも、やけに艶のある眼差しが義勇を見据えていた。
 スッと唇の前に指を立て、ゆるりと杏寿郎の唇が弧を描く。

「たとえ宇髄たちでも、今日ばかりはほかの男の名は禁句だ。今日は、俺だけを見て、俺のことだけ考えてくれ」

 言葉にならず、キュッと唇を噛んで、義勇は少し上目遣いに杏寿郎を睨みつけた。
 かわいいままでいてほしいのに、これだから杏寿郎は侮れない。ドギマギさせられ、ちょっぴり悔しくもなる。
 だが、反発するのもなんだか、大人げない気がしなくもない。
 ヤキモチ焼きなワンコの我儘だと思えば、かわいいものではないか。自分に言い聞かせつつ、義勇は精一杯平静を装い、わかったとそっけなく言ってみせた。
 とはいえ、勝手に赤くなった頬や耳は隠しきれていないだろう。寒いからだと自分自身でも言い訳しなければならないぐらい、やけに熱い。
 それが証拠に、杏寿郎はクスッと忍び笑っている。
 こんなふうに杏寿郎が、ときどき余裕綽々な態度を見せるようになったのは、いつからなのか。中学生のころにはまだ、義勇の機嫌を損ねたかもしれないというだけで、大きな目を潤ませていたくせに。思えばやっぱりおもしろくない心地もする。

 だけど、杏寿郎は泣いたりしない。杏寿郎が泣いたのを義勇が見たのは、三度きりだ。

 チラッと視線だけでうかがう杏寿郎の顔は、もういつもどおりに見える。センサーの感度は戻ったらしい。パッと明るい笑みを浮かべると、杏寿郎は、義勇の手にした冊子を覗くそぶりで顔を寄せてきた。
「空いてるといいんだが」
 顔の近さはいつものことだが、杏寿郎の声量は控えめだ。なんとはなしソワソワとしているようにも聞こえる。
 ん? と小さく首をかしげ無言で義勇が見つめると、杏寿郎の頬にもほわりと朱が散った。
「あの……ここには、ソファが並んで置かれた場所があるらしいんだ。座って金魚が見られる」
 常にはない言いよどむ様に、それで? と沈黙と視線で問えば、杏寿郎の顔はいよいよ赤くなった。
「愛のパワースポット、と、言われてると……」
 めずらしくも消え入りそうな声だった。いかにも恥ずかしげでありながらも期待のこもった眼差しは、そらされることなく義勇を見つめたままだ。
 クゥーンと甘え声が聞こえてきそうな風情には、先ほどのどこか艶めいた男臭さは感じられなくなっている。

 あぁ、よかった。やっぱりまだまだかわいいままだ。

 義勇の目が、抑えきれないときめきと歓喜に、ゆるりと細まる。
「……空いてたら、座るか」
「うむっ! 義勇と座りたかったんだ!」
 笑顔が眩しい。セットされた前髪がうなずきに揺れたのが、なんだかピンと立てられた犬の耳みたいだ。そんなに振るとしっぽがちぎれちゃうぞと、本当にはない尾を心配しそうになるほど、杏寿郎は喜びを隠さない。
「行こう! 楽しみだな!」
「クリスマスだし、空いているとはかぎらないぞ」
 はしゃぐ声音がかわいくて、つい澄まし顔で言ってみれば、たちまち杏寿郎は唇をとがらせる。こんなすねた顔は、義勇や友人たちの前でなければ杏寿郎が浮かべることはない。心許した者にだけ見せる、素の表情だ。
 頻度は義勇に対してがダントツに多い。義勇の前では背伸びして隠そうとしているようだが、隠しきれちゃいないのだ。
「むぅ……そのときはしかたないが、でもきっと大丈夫だ! 俺は義勇と出逢えたうえに、恋人にまでなれたぐらいだからなっ! 運の良さは折り紙付きだ!」
「……馬鹿」
 甘くなじれば、杏寿郎はいっそう喜悦をあらわに笑う。歩きだす足取りも、弾んでいた。

 出逢いは幼稚園。義勇より小さかったあのころからすれば見違えるほど、杏寿郎は大きくなった。たくましく、賢く、強くなった。もう義勇と背丈だって変わらない。
 なのに、何年経とうと義勇のことが大好きな気持ちはちっとも変わらない杏寿郎に、うれしいのと同時に義勇は、ほんのちょっぴり怖くなる。

 幸せだから、ちょっと怖い。変わらざるを得ない出来事が、いつか襲いかかってくるようで。

 俺さえしっかりしていれば大丈夫だ。自分にしかと言い聞かせ、義勇は、やわらかく笑うとうなずいてみせた。
「パワースポット、空いてるといいな。今日は特別だから、俺も杏寿郎と座りたい」
「っ! う、うむ! 恋人になって初めてのクリスマスデートだからな!」
「声が大きすぎだ。鼓膜が痛い」
「あ、すまん!」
 だから、と、呆れた調子で笑えば、杏寿郎も照れくさそうに笑う。
 そう。今はただ、幸せに酔えばいいのだ。恐ろしいことはまだ、起きてはいないのだから。

 隠しきらなきゃ。不安と怯えを心の底に沈め、義勇は杏寿郎の手をキュッと握りしめた。冬だというのに、杏寿郎の手は少しだけ汗ばんでいた。