にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 2

 都心ほどではないのかもしれないが、クリスマス一色に染め抜かれた駅前は、華やかだった。駅の構内にも、モールやオーナメントが飾り付けられたツリーが鎮座している。デパートのウィンドウもクリスマスカラーに彩られ、さあ盛り上がれと言わんばかりだ。

 義勇は改札を望むウィンドウの前に立ち、じっと流れ出てくる人たちを見つめていた。
 待ち人がやってくるには、もうしばらく時間がある。新幹線の到着時間はちゃんと知らされているが、待ちきれずに三十分ほども早く駅にいるのが常だ。杏寿郎には、絶対に言わないけれど。
 人待ち顔の義勇をチラチラと窺ってくる視線には、ちっとも気づかない。義勇が改札から視線を外すのは、スマホに通知が届いたときだけだ。
 頻度はわりと多い。毎月のことだというのに、毎回律儀に杏寿郎は今どこを過ぎただの、富士山がきれいだだの、伝えてくるので。
 先月の来訪は二週目の土曜だったから、いつもと違って六週間も逢えなかった。月イチと決めて遵守させているのは自分なのだから、文句を言う筋合いなど義勇にはない。けれども、やっぱり寂しかったのは否めない。
 今朝は楽しいクリスマスに水を差す出来事があったせいで、余計に杏寿郎の笑顔を待ちわびている。同時に、怯えも少し。大丈夫と何度自分に言い聞かせても、義勇のことなら杏寿郎はびっくりするぐらい敏感に察してしまうのだ。隠しきれるか不安は尽きない。
 手土産持参で車を借りに行った村田家で受けた歓待っぷりで、少し浮上したものの、一人でいるとどうも駄目だ。

 杏寿郎たちほどじゃないけど、村田もお父さんや弟と似てたな。

 意識して気持ちを切り替えれば、思い浮かんだのはやっぱり杏寿郎だ。村田のことを考えた端から、すぐに思考は杏寿郎へと繋がっていく。
 煉獄家の男連中は、本当によく似ている。まるでマトリョーシカか成長過程の図だ。
 千寿郎を見るたび、杏寿郎もこんなだったなぁと懐かしくて微笑ましくなるし、槇寿郎を見れば、杏寿郎もいつかこんな苦み走った大人の男の人になるんだなと、ちょっとドキドキしたりもする。そのたび、センサーでも付いてるんじゃないかという素早さで杏寿郎が視線を遮ってくるから、ドキドキはすぐに苦笑や呆れに変わるけれども。
 少しだけうっとりとしたため息がこぼれたら、キャア! と黄色い声が聞こえた。何事かと視線を向ければ、中学生ぐらいの女の子たちがこちらを見ている。
 なんだろうと小首をかしげたとたんに、少女らは、キャアキャアと騒ぎながら走り去ってしまった。いったいなんなのだ。少しだけ眉間を寄せて、義勇はちらりと背にしたウィンドウを振り返り見た。
 とくに変わったものなどない、クリスマスらしいディスプレイだ。騒ぐほどのものとは思えないが。
 首をひねりつつも、義勇はうっすらとガラスに映る自分の姿に気づき、知らずウィンドウに向き直った。
 あんまり真菰が口うるさく言うから、本日のコーディネートはすべて真菰セレクションである。そんな予算はないと言えば、錆兎の借りればいいでしょと押し切られた。
 着せかえ人形然とああでもないこうでもないと着替えさせられる義勇に、真菰の死角から手を合わせてきた錆兎の顔には、明らかにご愁傷様だとかごめんだとか書いてあった。

 真菰が選んだんだし、変なところはないと思うが……。

 薄ぼんやりとガラスに映っている自分は、いつもの着古したダウンとデニムに比べると、たぶんオシャレな部類に入るんだろう。ファッションのことなんて、義勇には全然わからないけれども、真菰が選んだという服を着ている錆兎は、義勇の目から見ても男らしさが際立って格好いいから、きっとセンスが良いのに違いない。
 ライトグレーのピーコートは、錆兎からの借り物だ。アラン編みとかいうちょっと大人っぽい白のタートルニットも。
 黒のスキニージーンズとスニーカーだけは、自分で買った。さすがに全部借りるのは申しわけなさすぎたし、ちょっぴり情けない気にもなったので。
 首に巻いたロイヤルブルーのマフラーも自前だ。今年の正月に、遅ればせながらのクリスマスプレゼントとして杏寿郎がくれた、きれいな青いマフラーは、暖かくって肌触りも抜群にいい。

 都心よりも暖かくて雪など滅多なことでは降らない街だけれども、寒がりの義勇には、冬はやっぱりつらい。でも、このマフラーを巻くたびに、杏寿郎がキュッと抱きついてきているような心地がして、照れくさくも幸せにひたってしまうから、一人でいてもどうにか耐えている。
 ときどき無性に寂しくなると、部屋のなかでもマフラーを巻いて、そっと顔をうずめてしまったりもする。我ながら恥ずかしい習性だ。杏寿郎が知れば喜びまくるだろうが、知られたくはない。
 夏でもマフラーを押入れにしまい込めない理由なんて、口にしたが最後、絶対に杏寿郎はこっちに編入してくると言い出すだろう。わかりきっているから、杏寿郎が来るときだけしまい込むマフラーには、逢いたい気持ちがときどき募りすぎて、我慢しきれずに落ちた涙が染み込んでいる。
 それでも、杏寿郎が同じ大学に進学したとしても同居は――同棲とは言ってなどやらない。恥ずかしすぎる――絶対に駄目だと拒んでしまうわけもまた、義勇は言えそうになかった。
 建前として口にするのは、家賃光熱費などを折半したとしても、二人暮らしならば今よりもずっと出費は多くなるという、経済的なものだ。建前とはいえ、実際、義勇のバイト代だけでは今住んでいる賃料月一万管理費千円の破格なアパート以上の出費は、正直むずかしい。
 姉夫婦は援助させろと言うが、これから先、姉に子供が生まれれば物入りとなるのだ。甥だか姪だかはまだわからないが、自分に使う余裕があるのならその子に使ってほしいと、義勇は願っている。
 では義勇のアパートに杏寿郎が転がり込めば万事解決かと言うと、それも冗談じゃないと思う。
 なにせ義勇が住んでいるのは四畳半一間の木造アパートだ。階段は錆が浮いてるし、壁も薄い。雨漏りしないだけマシといった具合だ。それでもユニットバスとはいえ風呂トイレ付きで一万千円となれば、文句など言えるものではない。
 もとは六畳風呂なしだったのを、風呂つきに無理やりリフォームしたという部屋は、そのせいか夏場は湿気がきついが、どうせ家にいるのは眠るときぐらいなものだ。授業をサボるなど義勇にしてみれば論外だし、杏寿郎と逢えない休日にはバイトで忙しくしているほうが精神衛生上にもよろしい。ここ数ヶ月はなおさらだ。
 つらつらと考えているうちに、義勇の顔は無意識にしかめられた。

 狭い玄関に、お情け程度についている下駄箱のなか。隠したそれが義勇の顔を曇らせる。
 本当は捨ててしまいたいが、万が一を考えるとそうもいかない。錆兎たちには相談すべきかと思わなくもないが、踏ん切りはつかなかった。
 二人の口が軽いわけではないけれど、事が事だけに、姉夫婦や村田を始めとする数少ない友人にまで、報告される恐れは充分にある。となれば、まわりまわって必ず杏寿郎は嗅ぎつけるだろう。こと義勇に関しての杏寿郎の勘をなめてはいけない。
 高感度冨岡センサー搭載と、宇髄たちに感心されたり呆れられたりするほどには、杏寿郎は義勇の些細な変化にもすぐ気づく。さすがに、たかが平熱よりも三分ほど高いだけの微熱――義勇からすれば平熱の誤差にしか思えなかったが――に、義勇本人よりも先に気づかれたときには、こいつのセンサーどうなってるんだ? と少し混乱したけれども、まぁいい。
 おまえらのそれはなんなんだよと、不死川には呆れ返られるが、これが自分たちにとっては通常なのだ。
 義勇だって、杏寿郎の不調にはすぐ気づく。
 健康優良児の太鼓判がドンッと押されているような杏寿郎だけれど、まれに風邪をひくこともある。季節の変わり目に、少し喉を痛めるぐらいなものだけれども、うまい! の声がいつもよりほんのちょっぴりかすれるから、義勇にはすぐわかる。
 高校のときにも、すぐに悟って今日は部活を休んで帰れ、送っていくからと言い聞かせる義勇と、うん、と常より幼く笑う杏寿郎を見て、不死川は「……おまえら、ちょっと怖ェぞ」と引いていたけれど、心外の極みだ。失敬な。
 寝込むことはなかろうが、杏寿郎は主将なんだし、家にはまだ幼い千寿郎だっているのだ。ひき始めの段階で治すに越したことはない。

 不安になっても、すぐにまた杏寿郎の思い出が、義勇を微笑ませてくれる。だからだろうか、深刻になりきれない。
 それにたった一人にとはいえ、相談だってしているし、協力もしてもらえた。散々文句は言われたが、納得してくれてよかった。自分ひとりで抱え込まずにいられるのは、心強い。

「義勇っ!」

 よく通る大きな声がひびきわたって、パチリとまばたいた義勇の瞳に、ガラスにうっすらと映る金色が飛び込んできた。
 あわてて振り向けば、杏寿郎が改札を出るなり駆け寄ってくる。
「すまないっ! 迷っていたおばあさんを、乗り場まで送ったので遅れてしまった!」
 言われ、ちらりと構内の時計に視線をやれば、いつのまにか新幹線の到着時間を十分ほど過ぎている。
「これぐらい遅刻にはならない。おばあさんはちゃんと乗れたのか?」
「うむ! お礼にとみかんをもらってしまった。あとで一緒に食べよう!」
 朗らかに笑う杏寿郎が実際に目の前に現れてしまえば、もう、大事なことなんて一つきりだ。心配も不安も後回しになってしまう。ブンブンとちぎれんばかりに振られているしっぽが見えるようで、思わず頭を撫でたくもなる。

 だからこそ、ここ数ヶ月の悩み事にも気づかれずにいるのだが。

 気づかれなくて幸いだ。義勇のことになると杏寿郎は心配性がすぎる。もしも気づかれていたら、こちらの学校に転向すると言い張ることは目に見えているのだ。受験生がなにを言っているという正論など、きっと物ともせずに杏寿郎は我を通すだろう。
 それはさすがに、槇寿郎たちにも申しわけがないし、義勇の不安が増すだけだ。

 ついつい六週間ぶりの笑顔を堪能してしまっていた義勇だったが、ふと気づいたそれに我に返り、パチンと目をまばたかせた。
「……着替えてから来たのか」
 今日は学校帰りに直接くるようなことを言っていたので、制服かと思っていたのに、杏寿郎は私服だ。それはいいが、なんだかこう、義勇の知る杏寿郎の格好とは、ちょっと印象が違うような気がする。
「うむ! 今日はクリスマスだしな。制服ではちょっと……」
 ふと口ごもった杏寿郎が、視線をわずかにそらせるのに、義勇は軽く眉をひそめた。
「杏寿郎?」
 なにを隠してると呼びかけにこめて聞けば、杏寿郎の男らしい眉がへにゃりと下がった。
「せっかくだから、食事もクリスマスデートらしくしたいと思ったのだ。それで一応、予約してあるのだが、いつもの服や制服ではちょっと……場にふさわしくないかと」
「高いんだな?」
 いつもはファーストフードや牛丼チェーンだの財布にやさしい外食しかしない。せいぜい気張ってもファミレスだ。だがこの様子では、それなりに値の張る店と見える。
「ホテルのスカイラウンジにあるレストランだ。宿泊しなくとも、予約すればクリスマスディナーが食べられるという店で……駄目か?」
 ホテルの一言にちょっとドキリとしたが、部屋を取ってあるというわけではないようだ。
 スカイラウンジがあるようなホテルなら、クリスマスともなれば高校生の懐事情からすれば相当厳しいだろう。部屋の予約はしていないことに、なんとなくホッとしてしまう。
 とはいえ、ホテルレストランのイベント用なディナーでは、それだけでも一万円程度は覚悟すべきだろう。高校生がデートで出す金額として、これはいかがなものか。食事だけではないのだし、今日だけでいったいいくらつぎ込む気なのやら。
 着替えなどが入っているいつものスポーツバッグのほかに持っている紙袋は、きっとプレゼントだろう。義勇だって用意しているし、この日のために軍資金だって貯金していたけれども、杏寿郎の準備はきっと義勇の比ではないはずだ。

 ちょっと呆れた義勇だが、呆れてばかりもいられない。
 勝手に決めるなと無言のまま抗議の視線を向ければ、杏寿郎はますますションボリと肩を落とした。
 犬の耳に似た立てた前髪や見えない尻尾も、へにょんとしおたれているようで、義勇はこらえきれずに苦笑した。
「割り勘だ」
「……うむっ! 俺が出したかったが、一緒に行けるならばそこは譲ろう!」
「えらそうに言うな」
「痛っ! 義勇、痛いぞ」
 ピンッと秀でた額を指で弾けば、唇をとがらせてすねてみせる。あぁ、やっぱり俺の大事なワンコはかわいい。
 義勇はスッと一歩下がり、まじまじと杏寿郎を眺めやった。
 改めて見るとやっぱり今日はちょっと、なんとなく。

「……大人っぽいな」

 つい呟けば、杏寿郎の顔がパァッと輝いた。
「本当か!? 義勇をエスコートするのに、恥をかかせるわけにはいかないからな! 宇髄にアドバイスしてもらったのだ!」
 なるほど。言われてみれば納得だ。ついでに、おまえもかと、ちょっぴり呆れもする。

 義勇が着ているのと似た色味の明るいグレーのコートは、シンプルなシルエットで、洗練されて見える。寒がりの義勇と違って、杏寿郎はどちらかと言うと暑がりなので、コートのボタンは止めてない。オフホワイトのニットがなんだか眩しかった。
 細身のパンツは黒で、靴はキャメルブラウンのスエードローファー。いつもの見慣れたTシャツやカットソーにジーンズという出で立ちからすると、ずいぶんと大人びて見える。
 落ち着いた色でまとめたなかで映える、オレンジ色に細い赤のストライプが入ったマフラーは、義勇が去年のクリスマスプレゼントとしてあげたものだ。いそいそとラッピングを開きあって、お互い選んだのがマフラーだったことに、面映ゆく笑いあったのがなんだか懐かしい。
 杏寿郎は体格もいいから、大学生だと言えば誰もが信じるだろう。高校に入ってからグッと顔立ちが精悍さを増した杏寿郎と並んで立つと、もしかしたら、義勇のほうが幼く見えるかもしれない。かわいいよりも、格好いいというほうが、しっくりくる出で立ちだ。

 ――あのワンちゃん、ここぞとばかりに大人っぽい格好してくると思うんだよねぇ。義勇はかわいめ寄りにしたほうが、絶対に喜ぶと思うなぁ。てことで、アウターはピーコートで決まりね。ダッフルコートだと幼くなりすぎちゃいそうだし、そもそも錆兎が持ってないしねぇ。

 アレコレと着替えさせられたすえに、真菰に言われたそんなセリフを思い出し、義勇はちょっぴり遠い目で虚空を見つめた。

 お見通しな人がまだいたか……。真菰のニンマリとした笑顔が目に見えるようだ。

 ピーコートだアラン編みだと、頭がぐるぐるしてきそうな呪文めいたファッション用語の氾濫と、ファッションショーのモデル並みに何着もの試着をさせられた慣れない疲労とで、義勇はへとへとになったものだけれど、杏寿郎はきっと着替えさせられるのすら楽しんだんだろう。
 アスリート体型な杏寿郎はスタイルもよく、顔だって男らしく整っている。宇髄もたぶんノリノリで選んだに違いない。なんだかんだと文句を言いつつもつきあう、不死川と伊黒の顔まで思い浮かぶ。
 想像はきっと、間違ってない。離ればなれになってからまだ二年も経っていないのに、懐かしさをかきたてられる光景だ。杏寿郎は素直に宇髄の言葉にうんうんとうなずきながらも、終始笑顔だっただろう。その場にいられなかったのが、義勇にはちょっぴり残念だ。
 文句を言うより現状をまっすぐ受け止め、楽しめるものは楽しむし、拒否すべきは頑として拒む。杏寿郎はそういう子だ。流されてしまいがちな自分とくらべ、なんてしっかりしているのだか。

「すごく派手な格好をさせられるかと思ったが、千寿郎や母にも好評でな! チェスターコートだとかテーパードパンツとか、なんだかわけのわからん言葉ばかり言われて面食らったが、アドバイスに従って正解だ! あの、義勇も気に入ってくれただろうか……?」

 最後の言葉はちょっぴり心配げに、上目遣いで顔を覗き込んできながら言う杏寿郎は、大人びた姿をしてもやっぱり義勇の目にはかわいく映る。
 少しだけ下がった眉尻も、常よりわずかばかり頼りなげな目も、全部がかわいい。もはやかわいいが渋滞状態である。よしよしと撫で回したい衝動にかられる手をこらえるのにも、苦労せざるを得ない。
 けれどもここは駅の構内だ。しかもクリスマスイブの。昼日中とはいえ、学校だって終業式だし、人はかなり多い。
 さらに言えば、杏寿郎の声は大きい。ついでに、ただでさえかわいいわ格好いいわで人目をひくのに加え、今日の出で立ちがこれである。衆目を集めるのは当然だ。
 気がつけば、チラチラとこちらを窺う視線がいくつも向けられている。
 人目を気にするタチでもないが、どんな関係かと邪推されるのは勘弁してもらいたいところだ。否定などできっこないだけに、いたたまれないことこのうえない。
 義勇はそっけなさを装い顔をそらせると、先に立ち歩き出した。

「……似合ってる。すごく」

 声は至極小さかったけれど、杏寿郎が聞き逃すはずがない。
 疑いもせず歩く義勇に遅れることなく、すぐに隣を歩きだし、うれしげに笑うとなおも顔を覗き込んでくる。気を悪くした様子など微塵もない。

「よかった! 義勇も今日はいつもとちょっと印象が違うな。かわいい。すごく」

 目を細めて笑う顔は、日を追うごとに大人びていく。静かなささやきで伝えてくる声だって、昔よりずっと低くなり、もうすっかり大人の男の声だ。
 横目で見つめて、義勇は、勝手に赤くなりかける頬の熱さを持て余した。
 高感度冨岡センサー搭載なワンコは、そんな義勇の照れくささや戸惑いも、全部きっとお見通しだ。フフッともらされた小さな笑い声に、ますます義勇の面映ゆさが深まる。
 だけど義勇だってお見通しなのだ。だから、おまえのほうこそかわいいだろうが、なんて、言わずにおく。気合を入れて大人っぽさを演出してきた頑張りに免じて。
 かわいいだけではないのは、もう重々承知しているけれども、それもまた、まだ言ってやれそうにない。今はまだ、かわいいだけでいてほしいと願ってしまう。

「車借りてある」
「村田さんだったか? やけに髪がツヤツヤしている人だったな。俺からもお礼を言っていたと伝えておいてくれ!」
 杏寿郎の笑顔には嫉妬の欠片は見当たらない。めずらしいこともあるものだ。
 初めて二人きりで遠出するのに浮かれているんだろう。しかもクリスマスだ。いかにも恋人同士なデートにテンションが上っているのが丸わかりで、散歩と言われて喜び跳ね回る犬みたいだ。
 だが、常にはなく声のトーンは控えめだ。大人びた服装にあわせて、いつものノリは封印しろとでも宇髄あたりから忠告されたのかもしれない。

 これ、と借りた車を指し示したときだけ、ちょっと表情が崩れた。パチリとまばたく目が、少し子供じみた幼さを見せていて、義勇は思わずムフフと笑った。
「車のことはよくわからんが、義勇が借りるなら、なんというか、父上の車みたいな家族向けっぽい感じかと思っていた」
「……デートだから」
 村田の父から借りたのは、セダンタイプだ。義勇だって車種になど詳しくはないが、大学生が選ぶには少々高級志向らしく、たまに村田が登校するのに乗ってくるたび、親父が絶対に傷つけるなってうるさいとボヤいている。
 錆兎の車を最初は借りようかと思っていたけれど、真菰とのデートに使うかもしれなかったし――と言うと、村田にちょっと悪い気もするが――ステップワゴンとかいう大人数向けな車だ。二人きりでのおでかけには、ちょっとばかり車内が広すぎる。
 それに、真菰にはかわいめ寄りなどと言われた服装こそしているけれど、義勇だって少しは大人びたところを見せたい。だって年上なのだ。杏寿郎のお兄ちゃんという自覚は、恋人になったところで薄れちゃいない。
 借り物では格好つかないかもしれないし、若葉マーク付きでは威張れもしないが、それでも成人だって近いのだ。大人っぽさを演出したくなるぐらいには、義勇だって今日を待ちわびてもいたし浮かれてもいる。

 そっけなさを装ったつもりだけれど、義勇の声にもそんな浮かれ具合はあらわれていたんだろう。杏寿郎はうれしげにふにゃりと笑った。
 けれどもご機嫌な顔は、車に乗り込みいざ出発してみればすぐに、少しばかりむずかしげに引きしめられていた。
「春休みになったら、俺もすぐ免許を取る」
「焦らなくてもいいだろう。おまえのことだから教習費用は自分で出すんじゃないのか? 春休みは高い。大学の生協を通せば少しは割引されるが、六月や十一月あたりの閑散期なら、さらに安くなる。なにかと物入りだろうし……免許を取るのは反対しないが、焦る必要はない」
 義勇がこちらの大学を受けると決めたころから、杏寿郎も同じ大学に行く意思は固かった。杏寿郎の成績なら、もっとレベルの高い大学にだって合格確実だろうに。思うけれども、言っても無駄なことだってわかりきっている。
「たしかに、自分の免許をとるのに父上たちに金を出してもらうつもりはないが……なんだかちょっと悔しい」
「悔しい?」
 運転中だ。慣れていないこともあり、あまり杏寿郎にばかり気を取られるわけにもいかないが、声音にも口惜しげな気配は如実に出ていて、少し気にかかる。横顔に注がれる視線の圧もいかにも強い。
 ちらりと視線を向ければ、杏寿郎はじっと義勇を見つめていた。静かだけれど熱く強い眼差しだ。
「義勇が運転しているところを初めて見たが、ハンドルを握る姿というのはセクシーだと思ってな」
「セッ、セクシー!?」
 ギョッとして、うっかり顔を向けてしまった。前見ないと危ないぞと、軽く言って笑う杏寿郎にあわてて視線を前方へと戻したものの、やけに顔が熱い。
「俺も義勇にそう思われたい。……十五ヶ月差はどうしようもないが、少しでも君に近づきたいんだ」
 横目で見る杏寿郎の静かな笑みは、やっぱりどこか大人びている。
 十八歳。もう大人の入り口にいるのだ。改めて感じ、義勇は少し言葉に詰まった。……いや、ちょっと嘘だ。だいぶ以前から感じてはいたのだ。
 とくに、去年の夏あたりから。

「義勇、みかん食べないか? 駅でもらったやつだ!」
「え、あ……うん」

 唐突に変わった車中の空気に面食らう。
 いそいそとみかんを取り出しさっそく皮を剥く杏寿郎に、浮かび上がりかけていた濃密な夜の記憶が霧散していくのを感じた。
 杏寿郎の発言が発端ではあるけれど、気まずい空気を変えてくれるのもまた、杏寿郎だ。まだ早いと戸惑う義勇の焦燥を敏感に感じ取り、軽やかに笑ってくれる。
「ホラ、義勇! アーン!」

 ……うん、まぁ、これはいつものことだ。

 手ずからアーンと食べさせあうのだって、幼いころから慣れ親しんだ習慣なのだ。今さら恥ずかしがるようなことでもない。
 昼休みやみんなで遊びに行っているときにやると、不死川と伊黒からチベットスナギツネのような半目開きの目で見られたものだけれども、慣れた習慣を改めるのはむずかしいから、しょうがないのだ。運転中だから手も離せないし。だから、うん。
 ちょっとばかり釈然としなくはないけれども、拒む理由もない。前を見据えたままアーンと口を開けば、薄皮や筋までていねいに剥かれたみかんが口に差し入れられる。
「甘いな」
「そうか! それはよかった!」
 自分もポイと房のまま口に入れた杏寿郎が、うまい! と宣うのに、苦笑する。
 薄皮や筋の感触が苦手な義勇のために、杏寿郎がせっせと筋を取るのも昔からだ。杏寿郎自身はまったく気にせずポイポイと口に放り込んでいくのだけれど、義勇に食べさせる分まで剥くから、なんだかんだで食べるスピードは同じになる。いつもそうだった。
 甘やかし過ぎだと伊黒は眉間にシワを寄せるが、だってちゃんと剥いてやらないと義勇はあまり食べてくれないのだと、杏寿郎はどこかうれしげに笑うのが常だ。杏寿郎が義勇の世話を焼きたがるのは誰もが認めるところなので、そうそうに言うだけ無駄と思われるらしい。すぐに誰も平然と流すようになる。
 伊黒だけは、いつまで経っても一言物申さねば気がすまないようだけれども。
 懐かしいなんて思うほどの月日が経ったわけでもないのに、このごろやけにあちらでのことが思い出される。懐かしくてたまらなくなる。不安はどうしても胸の奥にわだかまっているのかもしれない。