にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 2

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「それで、今日はどこに行くんだ?」
 言われるままにおっかなびっくり高速に乗ったのはいいが、今日の行き先はまだ聞いていない。みかんを飲み込んで聞けば、杏寿郎がひときわ朗らかに笑った。瞳がちょっぴりいたずらっぽく輝いている。
「うむ! 夕食やイルミネーションには時間があるから、まずは金魚を見に行こう!」
「金魚?」
 これはまた随分と変化球だ。だがなんとなし納得できぬこともない。義勇の唇にもほんのりと笑みが刻まれる。
「スモモ元気か?」
「あぁ、また大きくなったようでな! 池を拡張しようかと相談中だ!」
 六年ほど前に夏祭りで千寿郎がすくったオレンジ色の和金を、杏寿郎の家ではいまだに飼っている。縁日の弱った金魚にしては破格のたくましさだ。
 千寿郎に頼まれスモモと名付けたのは、杏寿郎と義勇である。
 小さくてアンズ色だからアンズにしようかとの提案に、杏寿郎の名が入っているのはちょっとと渋ったのは義勇だ。じゃあスモモだと杏寿郎が笑ったから、そうしようかと決めた名である。千寿郎はかわいい名前をありがとうございますと笑ってくれたが、伊黒には貴様らのネーミングセンスは相変わらず短絡的だと顔をしかめられた。
 義勇が渋った理由は伊黒が言うように短絡的すぎると思ったからではもちろんなく、杏寿郎が結婚し女の子が生まれたら杏寿郎の名をとって杏と名付けられるかもしれないと、ふと思ったからだ。杏寿郎が知ればさぞ怒ることだろう。
 あのころ義勇はもう杏寿郎への恋心を自覚していたけれど、杏寿郎はどうだったのか。聞いたことがないから、杏寿郎がいつから自分に恋していたのかを義勇は知らない。べつに知らずともいいと思っている。
 なにしろ杏寿郎は、お手々つないでお遊戯していたころから万事において義勇最優先で、大きくなったら義勇と結婚すると満面の笑みで言っていたのだ。恋なんて言葉は知らずとも、ずっと義勇のことが大好きで、義勇とともにある未来しか杏寿郎は見ていない。
 もしもあのとき義勇が素直に理由を話していたら、杏寿郎は烈火のごとくに怒っただろう。いや、杏寿郎の思考は時にズレまくるので、義勇の手を取り「義勇に似た子がいい!」と真っ赤な顔で言ったかもしれない。
 俺が結婚したいのは義勇だけ。幼いころから言われ続けているのは伊達ではないのだ。もしも杏寿郎と恋人になれても、いつかは杏寿郎もきれいな女の子と結婚するんだろうななんていう義勇の切ない想像など、気づけばきれいサッパリ消えていた。
 杏寿郎は、もしも恋でなくとも自分から離れようとはしないだろう。信じるもなにもない。義勇は知っているのだ。事実はそれだけなのだと。

「金魚を見るのはいいが、どこで?」
「うむ! 今日イルミネーションを見るところに、金魚の水族館があるのだ! 日本最大級らしいぞ。金魚を見て、それでも時間が余るようならば、近くを散策してから夕飯にしよう。そのあとでイルミネーションを見る予定でいる! 義勇はなにか予定していたか?」
「いや。杏寿郎に全部任せる」
 義勇にしてみれば地元ということにはなるが、住んでいたのは五歳までだし、今はバイトや学校で忙しくて観光地には詳しくない。それに杏寿郎が張り切っているのだ。自分が口を出すまでもないだろう。
「そうか! それならよかった! 義勇に楽しんでもらえるよう、ちゃんとエスコートするからな!」

 喜び勇んでしっぽを振る犬が見える。キラキラでハッピーな、かわいいワンコが。

 思わずハンドルから手を離し、くしゃくしゃと頭を撫でてやれば、ぱちくりと大きな目がまばたくのが横目に見えた。クスッと義勇が笑うと、ご機嫌な顔がなんだか複雑そうなすね顔に変わる。
「……大人っぽいと言ってくれたはずだが?」
「大人っぽい服だと思ったのは嘘じゃない」
「服だけか……」
 ハァッとため息までつくから、義勇の笑みに苦笑の色がまじった。運転中なのが残念だ。すねるなと金色の頭を抱えこんで、よしよしと撫で回したいのに、そうもいかない。
 そんなことをすれば杏寿郎の顔はきっとうれしさと不満がないまじり、へにょっと眉が下がるだろう。そうしてすぐに、義勇が楽しいならまぁいいかと、ギュッと抱きついてくるに決まっている。義勇はちゃんと知っている。
「……うむ! 今は服だけでもしかたないな! だが、今日は全部俺に任せてくれるんだろう? もうすっかり大人だと言ってもらえるよう、頑張るまでだ!」
 杏寿郎は切り替えだって早い。いつまでも不満タラタラでいたりしない。だからこそ義勇も思う存分かわいがれもする。
「お手並み拝見だな」
「任せてくれ! 義勇にも絶対に、セクシーだと言わせてみせる」
 フッと笑って目を細めるその顔に、賢いくせに馬鹿だなと、義勇は笑みを消し肩をすくめてみせた。

 頑張る必要なんてあるものか。そんなのもうとっくに……。
 
 言ってはやらない義勇の内心を知ってか知らずか、杏寿郎も肩をすくめて苦笑いしている。おそらくは後者だろう。高感度冨岡センサーはこういうときだけ役立たずだ。鈍い。
 悟られないほうが義勇にしてみれば都合がいい。まだまだかわいい弟分でいてほしいのだ。頼りがいのある恋人なのは否定しないけれど、あんまり格好よくなられても困る。
 苦い記憶が義勇を戒める。我を忘れてすがりたくなるような恋は駄目だ。どうにでもしてと、すべて杏寿郎に委ねてしまってはいけない。
 どんなに格好よくなったって。どれだけ大人の色気を身につけたって。義勇にとってはかわいい弟分なワンコであってほしい。今はまだ。
 不安は義勇の胸の奥ひっそりと、けれどもたしかに、忘れるなとささやいていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 出発してから一時間ほど。インターチェンジをいくつか過ぎてようやく到着したのは、スポーツ系のアクティビティが充実し、宿泊や温泉入浴もできる、広大な総合リゾート施設だ。クリスマスの本日は駐車場もほぼ埋まり、家族連れやデート中のカップルでかなりの賑わいを見せている。
 イルミネーションイベントは、日も高い時刻では意味がない。まずは杏寿郎が予定していた金魚の水族館に行ってみようと、もらったガイドマップを二人で覗き込む。
 水族館は単独の施設ではなく、敷地内にある美術館に併設されているらしかった。

「あっちみたいだな。行こうか!」

 迷わず差し出された手に、ちょっとだけ義勇はためらった。だが逡巡は短い。
 だってクリスマスだし、デート中なのだ。あまりジロジロと見られるのは困るが、それでも恋人同士であることを否定したくはない。そもそも見られたところでどうせ見ず知らずの他人ばかりである。自分の羞恥心よりも、杏寿郎の笑顔のほうが義勇にだって大事だ。
 伸ばされた手をそっと握れば、杏寿郎はたちまち笑み崩れる。あんまり幸せそうで、義勇の頬が熱くなった。
 トクトクと鼓動が忙しない。キュンッと胸が甘く痛んだりもする。
 胸にあふれかえる好きという言葉がこらえきれなくなる前に、義勇は、ごまかすように冊子へと目線を落とした。
「温泉もあるんだな。いろいろ運動もできるみたいだし……あ、セグウェイに乗れるのか。不死川が乗ってみたいって言ってたよな。写経体験なんかもあるぞ。伊黒がやりたがりそうじゃないか? 工作系のワークショップも多いし、つぎは宇髄たちも誘ってこようか」
 めずらしく饒舌になった義勇になにを思ったか、杏寿郎から苦笑の気配が伝わってくる。
「義勇」
 静かな呼びかけとともに繋いだ手を引き寄せられ、息を呑んだ。
 とっさに見つめれば、わずかばかりの稚気をにじませつつもやけに艶のある眼差しが、義勇を見据えていた。
 スッと唇の前に指を立て、杏寿郎の唇がゆるりと弧を描く。

「たとえ宇髄たちでも、今日ばかりはほかの男の名は禁句だ。今日は、俺だけを見て、俺のことだけ考えてくれ」
 言葉にならず、キュッと唇を噛むと、義勇は少し上目遣いに杏寿郎をにらみつけた。
 かわいいままでいてほしいのに、これだから杏寿郎は侮れない。ドギマギさせられ、ちょっぴり悔しくもなる。
 だが、反発するのもなんだか大人げない気がしなくもない。
 ヤキモチ焼きなワンコのわがままだと思えば、かわいいものではないか。自分に言い聞かせつつ、義勇は精一杯平静を装い「わかった」とそっけなく言ってみせた。
 とはいえ、勝手に赤くなった頬や耳は隠しきれていないだろう。寒いからだと自分自身へ言い訳するのも苦しいほど、火を帯びたように熱い。
 それが証拠に、杏寿郎はクスッと忍び笑っている。
 こんなふうにときどき杏寿郎が余裕綽々な態度を見せるようになったのは、いつからなのか。中学生のころにはまだ、義勇の機嫌を損ねたかもしれないというだけで、大きな目を潤ませていたくせに。思えばやっぱりおもしろくない心地もする。いまだにときおり同じ反応をするのもいただけない。
 おまえを嫌うはずがあるか、俺を信用しろ。言ってやるのは簡単だが、結果なんてわかりきっているから義勇は言わない。義勇がなにか言う前に、杏寿郎がサッと気持ちを切り替え笑うのもわかっている。瞳の奥は泣き出しそうに揺らいだままであってもだ。

 だけど、杏寿郎は泣いたりしない。笑いすぎて涙ぐむことはあっても、悲しいつらいと涙を流すことはない。今までの人生のほとんどをともにいる義勇でさえ、杏寿郎が泣くのを見たのは三度だけだ。うれし涙が二度、悲しい涙は一度きり。その一度も半分以上は悔し泣きだったように思う。

 チラッと視線だけでうかがい見た杏寿郎の顔は、もういつもどおりに見える。センサーの感度が戻ったらしい。パッと明るい笑みを浮かべると、杏寿郎は、義勇の手にした冊子を覗くそぶりで顔を寄せてきた。
「空いてるといいんだが」
 顔の近さはいつものことだが、杏寿郎の声量は控えめだ。なんとはなしソワソワとしているようにも聞こえる。
 ん? と小さく首をかしげ無言で義勇が見つめると、杏寿郎の頬にもほわりと朱が散った。
「あの……ここには、ソファが置かれた場所があるらしいんだ。座って金魚が見られる」
 常にはない言いよどむ様に、それで? と沈黙と視線で問えば、杏寿郎の顔がいよいよ赤くなった。
「愛のパワースポット、と、言われてると……」
 めずらしくも消え入りそうな声だった。いかにも恥ずかしげでありながらも期待のこもった眼差しは、そらされることなく義勇を見つめたままだ。
 クゥーンと甘え声が聞こえてきそうな風情には、先ほどのどこか艶めいた男臭さは感じられなくなっている。

 あぁ、よかった。やっぱりまだまだかわいいままだ。

 抑えきれないときめきと歓喜に、義勇の目が我知らずゆるりと細まる。
「……空いてたら、座るか」
「うむっ! 義勇と座りたかったんだ!」
 笑顔が眩しい。セットされた前髪がうなずきに揺れた。なんだかピンと立てられた犬の耳みたいだ。そんなに振るとしっぽがちぎれちゃうぞと、本当にはない尾を心配しそうになるほど、杏寿郎は喜びを隠さない。
「行こう! 楽しみだな!」
「クリスマスだし、空いているとはかぎらないぞ」
 はしゃぐ声音がかわいくて、つい澄まし顔で言ってみれば、たちまち杏寿郎は唇をとがらせる。こんなふうにすねた顔を杏寿郎が見せるのは、義勇や友人たちの前だけだ。心許した者にだけ見せる、素の表情。頻度は義勇に対してがダントツに多い。義勇の前では背伸びして隠そうとしているようだが、隠しきれちゃいないのだ。
「むぅ……そのときはしかたないが、でもきっと大丈夫だ! 俺は義勇と出逢えたうえに、恋人にまでなれたぐらいだからなっ! 運の良さは折り紙付きだ!」
「……馬鹿」
 甘くなじれば、杏寿郎はいっそう喜悦をあらわに笑う。歩きだす足取りも、弾んでいた。

 出逢いは幼稚園。義勇より小さかったあのころからすれば見違えるほど、杏寿郎は大きくなった。たくましく、賢く、強くなった。もう義勇と背丈だって変わらない。
 なのに、何年経とうと義勇のことが大好きな気持ちはちっとも変わらない杏寿郎に、うれしいのと同時に義勇は、ほんのちょっぴり怖くなる。

 幸せだから、ちょっと怖い。変わらざるを得ない出来事が、いつか襲いかかってきそうで。

 俺さえしっかりしていれば大丈夫だ。自分にしかと言い聞かせ、義勇はやわらかく笑うとうなずいてみせた。
「パワースポット、空いてるといいな。今日は特別だから、俺も杏寿郎と座りたい」
「っ! う、うむ! 恋人になって初めてのクリスマスデートだからな!」
「声が大きすぎだ。鼓膜が痛い」
「あ、すまん!」
 だから、と、呆れた調子で笑えば、杏寿郎も照れくさそうに笑う。
 そう。今はただ、幸せに酔えばいいのだ。恐ろしいことはまだ、起きてはいないのだから。

 隠しきらなきゃ。不安と怯えを心の底に沈め、義勇は杏寿郎の手をキュッと握りしめた。冬だというのに、杏寿郎の手は少しだけ汗ばんでいた。