にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 2

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 都心ほどではないにせよ、クリスマス一色に染め抜かれた駅前は華やかだった。新幹線の停車駅だけあって広い構内にも、モールやオーナメントが飾り付けられた大きなツリーが鎮座している。駅と直結したデパートのウィンドウもクリスマスカラーに彩られ、さあ盛り上がれと言わんばかりだ。

 義勇は改札を望むそんなウィンドウの前に立ち、流れ出てくる人たちをじっと見つめていた。
 待ち人がやってくるには、もうしばらく時間がある。新幹線の到着時間はちゃんと知らされているが、待ちきれずに三十分ほども早くから駅にいるのが常だ。杏寿郎には絶対に言わないけれど。
 人待ち顔の義勇をチラチラとうかがってくる視線には、ちっとも気づかない。義勇が改札から視線を外すのは、スマホがメッセージアプリの通知を伝えたときだけだ。
 頻度はわりと多い。毎月のことだというのに杏寿郎は、今どこを過ぎただの富士山がきれいだだのと、毎回律儀に伝えてくるので。
 先月の来訪は二週目の土曜だったから、いつもと違って六週間も逢えなかった。月一と決めて遵守させているのは自分なのだから、文句を言う筋合いなど義勇にはない。けれどもやっぱり、寂しかったのは否めない。
 今朝は楽しいクリスマスに水を差す出来事があったせいで、余計に杏寿郎の笑顔を待ちわびている。同時に、怯えも少し。大丈夫と何度自分に言い聞かせても、義勇のことなら杏寿郎はびっくりするぐらい敏感に察してしまうのだ。今朝のはさすがに吐いてしまい、今も胃のあたりがしっくりこない。杏寿郎に見抜かれないか不安だ。
 義勇は、今は沈黙しているスマホをポケットから取り出した。画面には、先月までは存在しなかったアイコンがある。思い出したせいで無意識に緊張していたんだろう、アイコンを目にし、こわばっていた肩から力が抜けた。
 動揺と嘔吐がおさまってすぐに連絡し、動作チェックだってしてもらった。つくづく槇寿郎の顔が広くて助かった。警察関係者に顔が利くおかげで、アプリ開発も所轄署に協力してもらえたと聞いている。子供の見守りアプリという触れ込みも――実際、もともとそのためのアプリだ――疑われていないらしい。
 スマホを見ていると、安堵や協力してもらえた感謝と喜びもわくが、体調ばかりはいかんともしがたい。こと義勇に関しては敏感すぎる杏寿郎だ。わずかな顔色の悪さを隠しきれるか不安は尽きない。
 ふぅっと軽いため息をつき、義勇はポケットにスマホを戻した。このアプリの難点はやたらとバッテリーを消費することだ。杏寿郎のメッセージを受け取るたび、残量がザクザク減っていく。万が一のときに役立つか不安は残るが、どっちにしろこのアプリが活躍するのは初動のみだ。要件さえ果たしてくれればそれでいい。
 あくまでもベータ版。予定していた機能を突貫作業で無理やり詰め込み、ひとまず動作する状態にしただけのもの。重々言い聞かされたから、ちゃんと承知している。
 嫌味もたっぷり言われたけれど、感謝はやっぱり尽きないし、信頼も同様だ。それに、駅に来る前に手土産持参で車を借りに行った村田家での歓待っぷりで、気持ちも体調も少し浮上してもいる。

 杏寿郎たちほどじゃないけど、村田もお父さんや弟さんと似てたな。

 意識して気持ちを切り替えれば、義勇の頭に思い浮かんだのはやっぱり杏寿郎だ。村田のことを考えた端から、すぐに思考は杏寿郎へと繋がっていく。
 煉獄家の男連中は本当によく似ている。まるでマトリョーシカか成長過程の図だ。
 千寿郎を見るたび、杏寿郎もこんなだったなぁと懐かしくて微笑ましくなるし、槇寿郎を見れば、杏寿郎もいつかこんな苦み走った大人の男になるんだなと、ちょっとドキドキしたりもする。そのたび、センサーでも付いてるんじゃないかという素早さで杏寿郎が視線を遮ってくるから、ドキドキはすぐに苦笑や呆れに変わるけれども。
 少しだけうっとりとしたため息がこぼれたら、キャア! と黄色い声が聞こえた。何事かと視線を向ければ、中学生ぐらいの女の子たちがこちらを見ている。
 なんだろうと小首をかしげたとたん、少女らはキャアキャアと騒ぎながら走り去ってしまった。いったいなんなのだ。少しだけ眉根を寄せた義勇は、背にしたウィンドウをちらりと振り返り見た。
 とくに変わったところなど見当たらない。どこでも見かけるクリスマスらしいディスプレイだ。
 騒ぐほどのものとは思えないが。首をひねった義勇は、ガラスにうっすら映る自分の姿に気づき、知らずウィンドウに向き直った。
 ソレは似合わないコレは顔映りが悪いと口やかましい……もとい、忠告してくれる真菰に従い、本日のコーディネートはすべて真菰セレクションである。そんな予算はないと言えば、錆兎の借りればいいでしょと押し切られた。
 着せかえ人形然とああでもないこうでもないと着替えさせられる義勇に、真菰の死角から手を合わせてきた錆兎の顔には、明らかにご愁傷様だとかごめんだとか書いてあった。

 真菰が選んだんだし、変なところはないと思うが……。

 ガラスに薄ぼんやりと映っている自分は、いつもの着古したダウンやデニムと比べたら、たぶんオシャレな部類に入るんだろう。ファッションのことなんて義勇には全然わからない。けれど、真菰が選んだ服を着ているときの錆兎は、義勇の目から見ても男らしさが際立ち、いつも以上に格好よく見えるのは事実だ。錆兎という素材の良さもさることながら、きっと真菰のファッションセンスも優れているに違いない。
 そんな真菰がチョイスしたライトグレーのピーコートは、錆兎からの借り物だ。アラン編みとかいう、ちょっと大人っぽい白のタートルニットも、同じく錆兎の私物である。去年貰った真菰からのクリスマスプレゼントだそうな。
 義勇にそれを差し出しながら、手編みじゃないけどねぇと真菰は屈託なく笑い、錆兎は少しだけ視線を泳がせていた。錆兎がよく巻いているマフラーを見れば理由は察せる。たとえ編み目がガタガタでほつれだらけなセーターだろうと、真菰が一所懸命編んだのなら、錆兎は躊躇なく着るのだろうけれど。
 黒のスキニージーンズとスニーカーだけは、自分で買った。さすがに全部借りるのは申しわけなさすぎたし、ちょっぴり情けない気にもなったので。選んだのはやっぱり真菰だが、安価な店でさらにクーポンだなんだを駆使し価格を抑えてくれたのが有り難い。
 首に巻いたロイヤルブルーのマフラーも自前だ。これだけは、義勇が自発的に巻いた。今年の正月に、遅ればせながらのクリスマスプレゼントとして杏寿郎がくれたきれいな青いマフラーは、暖かくって肌触りも抜群にいい。

 都心よりも暖かく雪など滅多なことでは降らない街だけれど、寒がりの義勇からすれば、冬はやっぱりつらい。両親が亡くなったのが、四月の初めだというのに時期外れな雪が降った日だったからかもしれない。寒い日には、体よりも心が冷える。
 でも、このマフラーを巻くたび杏寿郎がキュッと抱きついてきているような心地がして、照れくさくも幸せにひたってしまうから、一人でいてもどうにか耐えている。
 ときどき無性に寂しくなると、部屋のなかでもマフラーを巻き、そっと顔をうずめてしまったりもする。我ながら恥ずかしい習性だ。杏寿郎が知れば喜びつつも義勇を寂しがらせている不甲斐なさに頭を抱える百面相が見られそうだが、知られたくはない。
 夏でもマフラーを押入れにしまい込めない理由なんて一つきりだ。口にしたが最後、絶対に杏寿郎はこちらの学校に転校すると言い出しただろう。わかりきっているから杏寿郎が来るときだけしまい込むマフラーには、逢いたい気持ちが募りすぎてときどき我慢しきれず落ちた涙が、少なからず染み込んでいる。
 それでも、杏寿郎が同じ大学に進学したとしても同居は――同棲なんて言ってやらない。恥ずかしすぎる――絶対に駄目だと拒んでしまうわけもまた、義勇は言えそうになかった。
 建前として口にするのは、家賃光熱費などを折半したとしても今よりもずっと出費は多くなるという、経済的なものだ。建前とはいえ、実際、義勇のバイト代だけでは今住んでいるアパート以上の家賃は、正直むずかしい。
 姉夫婦は援助させろと言うが、これから先、姉に子供が生まれれば自然と物入りとなるのだ。余剰金は貯蓄するにかぎる。
 だいいち、新婚早々に住宅ローン持ちでもある。不動産業を営む親戚が所有していた物件で破格とはいえ、三十路に入ったばかりの夫婦が背負うには、それなりにずしりと重い出費だ。自分に使う余裕があるのなら、いずれ生まれてくる甥だか姪だかに使ってほしいと、義勇は願っている。
 義勇自身、その子に対して叔父馬鹿になる気満々なのだ。土産だ祝いだと貢ぐのが目に見えている。杏寿郎だって絶対に同じ轍をたどるに違いない。これは予想ではなく確定事項だ。
 では義勇のアパートに杏寿郎が転がり込めば万事解決かと言うと、それも冗談じゃないと思う。
 なにせ義勇が住んでいるのは四畳半一間の木造アパートだ。階段は錆が浮いてるし、壁も薄い。雨漏りしないだけマシといった具合だ。
 それでもユニットバスとはいえ風呂トイレ付きで、賃料は管理費込みで一万千円となれば、文句など言えない。だいいちそれだって、紹介してくれたくだんの親戚が――御年八十歳で、義兄を幼いころからかわいがってくれている人だそうな。蔦子はもちろん、義勇のこともたいそう気に入ってくれたと、義兄が声を弾ませていた――結婚と進学の御祝儀にと仲介料なしにしてくれた。
 本当にここでいいのかと逆に恐縮されたぐらいの部屋だが、狭いのも古いのも、義勇にしてみれば姉と暮らしていたアパートで慣れっこだ。有り難いなんてものではない。
 もとは六畳風呂なし共同トイレだったのをユニットバスつきに無理やりリフォームしたという部屋は、そのせいか夏場は湿気がきついが、在宅時間が短ければそこまで気にならない。授業をサボるなど義勇にしてみれば論外だし、どうせ家にいるのは眠るときぐらいなものだ。一人で暮らすならこれで十分と決めた。杏寿郎と逢えない休日にはバイトで忙しくしているほうが、精神衛生上にもよろしい。シフトに入れなかった休日だって、カビと格闘していれば余計なことを考えずにすむ。ここ数ヶ月はなおさらだ。
 つらつらと考えているうち、義勇の顔はふたたび浮かび上がった懸案に、無意識にしかめられた。

 狭い玄関にお情け程度についている下駄箱のなか。隠した紙袋が義勇の顔を曇らせる。
 本当は捨ててしまいたいが、万が一を考えるとそうもいかない。錆兎たちには相談すべきかと悩みはしたけれど、踏ん切りはつかなかった。
 二人の口が軽いわけではないが、事が事だ。姉夫婦や村田をはじめとする数少ない友人、バイト先のオーナーにだって、報告される恐れは充分にある。となれば、まわりまわって必ず杏寿郎は嗅ぎつけるだろう。こと義勇に関して杏寿郎の勘をなめてはいけない。
 高感度冨岡センサー搭載と、宇髄たちに感心されたり呆れられたりするほどには、杏寿郎は義勇の些細な変化にもすぐ気づく。さすがに、たかが平熱よりも三分ほど高いだけの微熱を義勇本人よりも先に気づいたときには、こいつのセンサーどうなってるんだ? と少し混乱したけれども、まぁいい。
 おまえらのそれはなんなんだよと不死川には呆れ返られるが、これが自分たちにとっては通常なのだ。
 義勇だって、杏寿郎の不調にはすぐ気づく。
 健康優良児の太鼓判がドンッと押されているような杏寿郎だけれど、まれに風邪をひくこともある。季節の変わり目に少し喉を痛めるぐらいなものだけれども「うまい!」の声がいつもよりほんのちょっぴりかすれるから、義勇にはすぐわかる。
 高校のときにも、すぐに悟って「今日は部活を休んで帰れ、送っていくから」と言い聞かせる義勇と「うん」と常より幼く笑う杏寿郎を見て、不死川は「……おまえら、ちょっと怖ェぞ」と引いていたけれど、心外の極みだ。失敬な。
 それしきで寝込むことはなかろうが、杏寿郎は大会を控えていたし、家にはまだ幼い千寿郎だっているのだ。ひき始めの段階で治すに越したことはない。

 ホラ、大丈夫。義勇の眉間が知らずほどけ、口元に小さな笑みが浮かんだ。不安になっても、すぐに杏寿郎の思い出が義勇を微笑ませてくれる。だからだろうか、深刻になりきれない。
 それにたった一人にとはいえ、相談だってしているし、協力もしてもらえた。スマホのなかにはお守りのアプリ。散々文句は言われたが、納得してくれてよかった。自分ひとりで抱え込まずにいられるのは心強い。胃もだいぶ楽になってる。

「義勇っ!」

 よく通る大きな声が周囲にひびきわたった。思考の海から引き上げられパチリとまばたいた義勇の目が、迷わず焦点をピタリと合わせたのは、ガラスにうっすらと映る金色だ。
 あわてて振り向けば、杏寿郎が改札を出るなり駆け寄ってくる。
「すまないっ! 迷っていたおばあさんを乗り場まで送ったので遅れてしまった!」
 言われ、構内の時計にちらりと視線をやれば、いつのまにか新幹線の到着時間を十分ほど過ぎている。
「これぐらい遅刻にはならない。おばあさんはちゃんと乗れたのか?」
「うむ! お礼にとみかんをもらってしまった。あとで一緒に食べよう!」
 朗らかに笑う杏寿郎が実際に目の前に現れてしまえばもう、大事なことなんて一つきりだ。心配も不安も後回しになってしまう。ブンブンとちぎれんばかりに振られているしっぽが見えるようで、思わず頭を撫でたくもなる。

 だからこそ、ここ数ヶ月の悩み事にも気づかれずにいるのだが。

 気づかれなくて幸いだ。義勇のことになると杏寿郎は心配性がすぎる。もしも気づかれたら、こちらの学校に転校すると言い張るのは目に見えているのだ。受験生がなにを言っているという正論など物ともせずに、杏寿郎は我を押し通すだろう。
 それはさすがに槇寿郎たちに申しわけがないし、義勇の不安が増すだけだ。

 ついつい六週間ぶりの笑顔を堪能してしまっていた義勇だが、ふと気づいたそれに我に返り、ふたたび目をまばたかせた。
「……着替えてから来たのか」
 今日は学校帰りに直接くると言っていたはずだ。今までならそういうときは制服のままだというのに、なぜだか杏寿郎は私服である。それはいいが、なんだかこう、義勇の知る日ごろの格好とは印象が少し異なる気がする。
「うむ! 今日はクリスマスだしな。制服ではちょっと……」
 ふと口ごもった杏寿郎が視線をわずかにそらせたのを、義勇が見逃すはずもない。義勇は軽く眉をひそめた。
「杏寿郎?」
 なにを隠してると呼びかけにこめて聞けば、杏寿郎の男らしい眉がへにゃりと下がった。
「せっかくだから、食事もクリスマスデートらしくしたいと思ったのだ。それで一応、予約してあるんだが、いつもの服や制服ではちょっと……場にふさわしくないかと」
「高いんだな?」
 いつもはファーストフードや牛丼チェーンだの財布にやさしい外食しかしない。せいぜい気張ってもファミレスだ。だがこの様子では、それなりに値の張る店と見える。
「今日行く場所にあるホテルの、スカイラウンジにあるレストランだ。宿泊しなくとも、予約すればクリスマスディナーが食べられるという店で……駄目か?」
 ホテルの一言にちょっとドキリとしたが、部屋を取っているわけではないらしい。
 スカイラウンジがあるようなホテルなら、クリスマスともなれば高校生の懐事情では相当厳しいだろう。部屋の予約まではしていないことに、なんとなくホッとしてしまう。
 とはいえ、ホテルレストランのイベント用ディナーでは、それだけでも一人頭一万円程度は覚悟すべきだろう。高校生がデートで出す金額として、これはいかがなものか。食事だけではないのだし、今日だけでいったいいくらつぎ込む気なのやら。
 着替えなどを入れたいつものスポーツバッグと一緒に杏寿郎が持っている紙袋には、プレゼントが入っているんだろう。食事がプレゼント代わりではないということだ。
 もちろん例年どおり義勇だってプレゼントを用意しているし、この日のために軍資金だって貯金していたけれども、杏寿郎の準備はきっと義勇の比ではないはずだ。

 ちょっと呆れた義勇だが、呆れてばかりもいられない。
 勝手に決めるなと無言のまま抗議の視線を向ければ、杏寿郎はますますションボリと肩を落とした。犬の耳に似た立てた前髪や見えない尻尾も、へにょんとしおたれている気がして、義勇はこらえきれずに苦笑した。
「割り勘だ」
「……うむっ! 俺が出したかったが、一緒に行けるならばそこは譲ろう!」
「えらそうに言うな」
「痛っ! 義勇、痛いぞ」
 秀でた額を指でピンッと弾けば、唇をとがらせてすねてみせる。あぁ、やっぱり俺の大事なワンコはかわいい。勝手に頬が緩みかける。
 努めて冷静な顔をしてみせた義勇は、スッと一歩下がると、杏寿郎の全身をまじまじと眺めた。
 改めて見れば、やっぱり今日はちょっと、なんとなく。

「……大人っぽいな」

 つい呟けば、杏寿郎の顔がパァッと輝いた。
「本当か!? 義勇をエスコートするのに、恥をかかせるわけにはいかないからな! 宇髄にアドバイスしてもらったのだ!」
 なるほど。言われてみれば納得だ。ついでに、おまえもかとちょっぴり呆れもする。

 義勇が着ているのと似た色味のコートは、シンプルなシルエット。かっちりとしたラインが洗練されて見える。寒がりの義勇と違い杏寿郎はどちらかというと暑がりなので、コートのボタンは止めてない。それがかえって大人びた雰囲気を作り出し、オフホワイトのニットがなんだか眩しかった。
 細身のパンツは黒で、靴はキャメルブラウンのスエードローファー。いつもの見慣れたTシャツやカットソーにジーンズという出で立ちからすると、ずいぶんと大人びた服装だ。
 落ち着いた色でまとめた服に映えるオレンジの地に細い赤のストライプが入ったマフラーは、義勇が正月に贈った去年のクリスマスプレゼントだ。いそいそとラッピングを開きあい、お互い選んだのがマフラーだったことに面映ゆく笑いあったのが、なんだか懐かしい。
 杏寿郎は体格もいいから、こんな格好をすれば大学生だと誰もが信じるだろう。高校に入ってからは顔立ちもグッと精悍さを増した。杏寿郎と並んで立つと、もしかしたら義勇のほうが幼く見えるかもしれない。かわいいよりも格好いいというほうがしっくりくる出で立ちだ。

『あのワンちゃん、ここぞとばかりに大人っぽい格好してくると思うんだよねぇ。義勇にはエレガント系なきれいめコーデが似合うけど、今回はかわいめ寄りにしたほうが絶対に喜ぶと思うなぁ。てことで、アウターはピーコートで決まりね。ダッフルコートだと幼くなりすぎちゃいそうだし、そもそも錆兎が持ってないしねぇ』

 アレコレと着替えさせられたすえ真菰に言われたそんなセリフを思い出し、義勇はちょっぴり遠い目で虚空を見つめた。

 お見通し加減がちょっと怖い……。真菰のニンマリとした笑顔が目に見えるようだ。

 ピーコートにアラン編みだとか、こっちのほうが顔映りがいいだとかと言われても、義勇にはなにがなにやらさっぱりだ。きれいめコーデってなんだ。エレガントって、確実に俺には縁がないだろ、その単語。
 頭がぐるぐるしてきそうな呪文めいたファッション用語の氾濫と、ファッションショーのモデル並みに何着もの試着をさせられた慣れない疲労とで、あの日はへとへとになったものだ。動き回ったわけでもないのにたいそう疲れた。
 杏寿郎だってファッションへの関心具合は義勇とどっこいどっこいだ。けれど、たとえ同じような経緯だろうと、杏寿郎はきっと着替えさせられるのすら楽しんだだろう。
 アスリート体型でスタイルがいい杏寿郎は、顔だって男らしく整っている。抜群の見栄えの良さを、義勇の贔屓目と言う者はいないはずだ。着飾らせ甲斐があると、宇髄も真菰に負けず劣らずノリノリで選んだに違いない。なんだかんだと文句を言いつつもつきあう不死川と伊黒の顔まで思い浮かぶ。
 想像はきっと、間違ってない。離ればなれになってからまだ二年も経っていないのに、懐かしさをかきたてられる光景だ。杏寿郎は宇髄の言葉に真剣な目でうなずきながらも、終始笑顔だったことだろう。その場にいられなかったのが、義勇にはちょっぴり残念だ。
 文句を言うよりも現状をまっすぐ受け止め、楽しめるものは楽しむし、拒否すべきはがんとして拒む。杏寿郎はそういう子だ。流されてしまいがちな自分とくらべ、なんてしっかりしているのだか。

「すごく派手な格好をさせられるかとも思ったが、千寿郎や母にも好評でな! チェスターコートだとかテーパードパンツとか、なんだかわけのわからん言葉ばかり言われて面食らったが、アドバイスに従って正解だ! あの、義勇も気に入ってくれただろうか……?」

 最後の言葉はちょっぴり心配げだった。上目遣いで義勇の顔を覗き込みながら言う杏寿郎は、大人びた姿をしても、やっぱり義勇の目にはかわいく映る。
 少しだけ下がった眉尻も、常よりわずかばかり頼りなげな目も、全部がかわいい。もはやかわいいが渋滞状態である。よしよしと撫で回したい衝動にかられる手をこらえるのにも、苦労せざるを得ない。
 けれどもここは駅の構内だ。しかもクリスマスイブの。昼日中とはいえ、学校もおおむね終業式で、人出はそれなりに多い。
 さらに言えば、杏寿郎の声は大きい。ついでに、ただでさえかわいいわ格好いいわで人目をひくのに加え、今日の出で立ちがこれである。衆目を集めるのは当然だ。
 気がつけば、チラチラとこちらを窺う視線がいくつも向けられている。
 人目を気にするタチではないが、誰が見ているかわからない場所ではマズイ。知り合いが見ていたら、休み明けにはどんな関係かと根掘り葉掘り聞かれるかもしれないし、邪推されるのはなおさら勘弁してもらいたいところだ。否定などできっこないだけに、いたたまれないことこのうえない。
 人の恋バナを聞かされるならともかく、自身の恋についてのアレコレは黙秘したい。避けて通れるものなら避けたいに決まっている。だって恥ずかしいじゃないか。 
 義勇はそっけなさを装い顔をそらせると、先に立ち歩き出した。

「……似合ってる。すごく」

 声は至極小さかったけれど、杏寿郎が聞き逃すはずがない。
 義勇に遅れることなくすぐに半歩前を歩きだし、うれしげに笑うと、杏寿郎はなおも顔を覗き込んでくる。気を悪くした様子など微塵もない。

「よかった! 義勇も今日はいつもとちょっと印象が違うな。かわいい。すごく」

 目を細めて笑う顔は、日を追うごとに大人びていく。かわいいよりもかっこいいという言葉がしっくり馴染んできている。静かなささやきで伝えてくる声だって、昔よりずっと低くなり、もうすっかり大人の男の声だ。
 横目で見つめて、義勇は、勝手に赤くなりかける頬の熱さを持て余した。
 高感度冨岡センサー搭載なワンコは、そんな義勇の照れくささや戸惑いも、全部きっとお見通しだ。フフッともらされた小さな笑い声に、ますます義勇の羞恥が深まる。
 だけど義勇だってお見通しなのだ。だから「おまえのほうこそかわいいだろうが」なんて負け惜しみめいた言葉は、言わずにおく。気合を入れて大人っぽさを演出してきた頑張りに免じて。
 かわいいだけではないのは重々承知しているけれど、それもまた、まだ言ってやれそうにない。今はまだ、かわいいだけでいてほしいと願ってしまう。

「車借りてある」
「村田さんだったか? やけに髪がツヤツヤしている人だったな。俺からもお礼を言っていたと伝えておいてくれ!」
 杏寿郎の笑顔に嫉妬の欠片は見当たらない。めずらしいこともあるものだ。
 初めて二人きりで遠出するのに浮かれているんだろう。しかもクリスマスだ。いかにも恋人同士なデートにテンションが上っているのが丸わかりで、散歩と言われ喜び跳ね回る犬みたいだ。
 だが、常にはなく声のトーンだって控えめだ。大人びた服装にあわせていつものノリは封印しろとでも、宇髄あたりから忠告されたのかもしれない。

 これ、と借りた車を指し示したときだけ、杏寿郎の表情がちょっと崩れた。パチリとまばたく目が少し子供じみた幼さを見せている。サプライズは成功だ。義勇はムフフと笑みをもらした。
「車のことはよくわからんが、なんだか高そうだな。義勇が借りるなら、なんというか、父上の車みたいな家族向けっぽい感じかと思っていた」
「……デートだから」
 村田の父から借りたのはセダンタイプだ。義勇だって車種になど詳しくはないが、大学生が選ぶには高嶺の花クラスの高級車らしく、村田が登校するのに乗ってくるのも稀だ。そのたび村田は、親父が絶対に傷つけるなってうるさいとボヤいている。
 少し遠出しようと言われたときには錆兎の車を借りようかとも思ったけれど、真菰とのデートに使うかもしれなかったし――と言うと、村田にちょっと悪い気もするが――錆兎の愛車は槇寿郎と同じく大人数向けなファミリーカーだ。二人きりでのおでかけにはちょっとばかり車内の広さを持て余すし、自動車学校の車しか経験がない義勇では車間距離がつかみにくい。村田の親御さんの車だって、杏寿郎にも指摘されたとおりお高めだから緊張はするけれど、義勇にとっては安心感が段違いなのだ。
 それに、真菰にはかわいめなどと言われた服装こそしているけれど、義勇だって少しは大人びたところを見せたかった。だって年上なのだ。杏寿郎のお兄ちゃんという自覚は、恋人になったところで薄れちゃいない。
 借り物では格好つかないし、若葉マーク付きでは威張れもしないが、それでも成人だって近い。大人っぽさを演出したくなるぐらいには、義勇だって今日を待ちわび浮かれてもいた。

 そっけなさを装ったつもりでも、義勇の浮かれ具合は声音にあらわれていたんだろう。歓喜を抑えきれぬ目をして杏寿郎がふにゃりと笑みくずれる。
 けれども車に乗り込みいざ出発してみればすぐに、ご機嫌だった杏寿郎の顔は少しばかりむずかしげに引きしめられた。
「春休みになったら、俺もすぐ免許を取る」
「おまえのことだから教習費用は自分で出すんだろう? 春休みは高いぞ。大学の生協を通せば少しは割引されるし、六月や十一月あたりの閑散期なら、さらに安くなる。なにかと物入りだろうし、免許を取るのは反対しないが焦る必要はない」
 義勇と同じ大学に行くとの杏寿郎の意思がこれでもかというほど固いのは重々承知している。杏寿郎の成績ならもっとレベルの高い大学にだって合格確実だろうに。思うけれども、言っても無駄なことだってわかりきっている。
「たしかに、自分の免許なんだから父上たちに金を出してもらうつもりはないが……なんだかちょっと悔しい」
「悔しい?」
 運転中だ。慣れているとは言い難いのだから、あまり杏寿郎にばかり気を取られるわけにもいかない。だが口惜しげな気配は気にかかる。横顔に注がれる視線の圧だっていかにも強い。
 ちらりと視線を向ければ、杏寿郎はじっと義勇を見つめていた。静かだけれど熱く強い眼差しだ。
「義勇が運転しているところを初めて見たが、ハンドルを握る姿というのはセクシーだと思ってな」
「セッ、セクシー!?」
 ギョッとして、うっかり顔を向けてしまった。一体全体なにを言い出すのだ、このワンコ。
「前を見ていないと危ないぞ」
 軽く言って笑う杏寿郎に誰のせいだとわめきたくなるのをこらえ、あわてて視線を前方へと戻したものの、やけに顔が熱い。
「俺も義勇にそう思われたい。……十五ヶ月差はどうしようもないが、少しでも君に近づきたいんだ」
 横目で見る杏寿郎の静かな笑みは、やっぱりどこか大人びている。
 十八歳。もう大人の入り口にいるのだ。改めて感じ、義勇は少し言葉に詰まった。……いや、ちょっと嘘だ。だいぶ以前から感じてはいたのだ。
 とくに、去年の夏あたりから。

「義勇、みかん食べないか? 駅でもらったやつだ!」
「え、あ……うん」

 唐突に変わった車中の空気に面食らう。
 いそいそとみかんを取り出した杏寿郎がさっそく皮を剥きだすと、爽やかで甘いみかんの香りが鼻をくすぐった。浮かび上がりかけていた濃密な夜の記憶が霧散していく。
 気まずさの発端は杏寿郎の発言だが、空気を変えてくれるのもまた、杏寿郎だ。まだ早いと戸惑う義勇の焦燥を敏感に感じ取り、軽やかに笑ってくれる。
「ホラ、義勇! アーン!」

 ……うん、まぁ、これはいつものことだ。

 手ずからアーンと食べさせあうのだって、幼いころから慣れ親しんだ習慣なのだ。今さら恥ずかしがるようなことでもない。
 昼休みやみんなで遊びに行っているときにやると、不死川と伊黒からチベットスナギツネのような半目開きの目で見られたものだけれども、慣れた習慣を改めるのはむずかしい。だから、しょうがないのだ。運転中だから手も離せないし。だから、うん。
 ちょっとばかり釈然としなくはないけれども、拒む理由もない。前を見据えたままアーンと口を開けば、薄皮や筋までていねいに剥かれたみかんが口に差し入れられる。
「甘いな」
「そうか! それはよかった!」
 自分は筋さえ取らぬ房のままポイと口に入れた杏寿郎が「うまい!」と宣うのに、苦笑する。
 薄皮や筋の感触が苦手な義勇のために、杏寿郎がせっせと筋を取るのも昔からだ。杏寿郎自身はまったく気にせずポイポイと口に放り込んでいくのだけれど、義勇に食べさせるぶんまで剥くから、なんだかんだで食べるスピードは同じになる。いつもそうだった。
 甘やかし過ぎだといまだに伊黒は眉間にシワを寄せるが、だってちゃんと剥いてやらないと義勇はあまり食べてくれないのだと、杏寿郎はどこかうれしげに笑うのが常だ。杏寿郎が義勇の世話を焼きたがるのは誰もが認めるところなので、早々に言うだけ無駄と思われるらしい。すぐに誰も平然と流すようになる。
 伊黒だけは、いつまで経っても一言物申さねば気がすまないようだけれども。
 懐かしいなんて思うほどの月日が経ったわけでもないのに、このごろやけにあちらでのことが思い出される。懐かしくてたまらなくなる。不安はどうしても胸の奥にわだかまっているのかもしれない。