800文字で恋をする 51~100

墨流し恋移し 12-26 2作目

●お題:義炭で「君は本当に何も知らないんだ」 ※原作軸。恋人義炭。

 初心すぎる。今日も義勇はしみじみと実感する。
 炭治郎は色事にうとい。恋仲となっても、情欲など一度も感じたことがないようにすら見える。
 抱き寄せればうなじまで赤く染め、身を固くする。だがそれだけだ。すぐに緊張はほどけ、えへへと面映ゆく笑い、胸に頬をすり寄せてくる。愛らしい仕草に色の気配はなかった。
 接吻すら怖がらせてしまいそうで、今日も義勇は、強く抱きしめることすらできない。卵を包み込む母鳥が如く、やさしくそっと腕におさめてやるのが精いっぱいだ。
 気づいてくれるなよと内心ヒヤヒヤとしながら、やわらかな髪に唇を落とす。自分の唇が炭治郎の肌に直接触れたことはまだない。額や頬にすら触れられなかった。それでも手を繋ぐだけであったころに比べれば、腕に抱けるだけでもずいぶんと進んだほうだろう。
 本当にこの子は無垢なのだ。純粋すぎて空恐ろしくなるほどに。
 真白な上等の紙、濁りのない水。そこに墨を落とす勇気はまだ持てない。自分の欲でこの子を穢すのが怖かった。
 腕のなかで、炭治郎が小さな笑い声を立てた。
「義勇さんは、本当になにも知らないんですね」
 唐突な言葉に義勇はわずかに目をすがめた。知らないのはおまえだろうに、一体なにを言い出したのやらと見つめれば、ゆるりと見あげてきた炭治郎の瞳には、真剣な光があった。
「俺、遊郭の子たちとも文通してるんです」
 だからなんだと問う前に、赫い瞳の潤みに気づき言葉を失った。
「俺のこと、もっとちゃんと知ってください」
 密やかな声は穢れなく、けれどもほのかな欲をはらんでいる。
 姉の気に入りの小紋を、義勇は不意に思い起こした。
 澄んだ水に描かれる一期一会の文様を移しとった美しい着物。恋も同じだろうか。
「なら、教えてくれ」
 震えながら閉じられたまぶたに、そっと唇を落とす。
 互いの想いに、染めて染められあう夜は、密やかに過ぎていった。

慈雨 12-26 3作目

●お題:出掛けたハズの炭治郎がなぜか部屋の奥から出てきた ※原作軸。義→炭

 警邏から帰ると屋敷は暗かった。
 蝶屋敷の大掃除を手伝いに行った炭治郎は、まだ帰っていないのだろう。
 至るところに炭治郎の気配が残っているのに、姿がないのが寂しかった。
 腑抜けすぎだと眉を寄せ、義勇は座敷に腰を下ろした。
 警邏と稽古だけの日々は、余計なことを考える時間が多すぎる。気づきたくない想いにまで気づいてしまう。
 寂しいのは、恋しいからだ。浅ましい独占欲ゆえだ。そんなものに気づきたくはなかったのに。
 零れるため息は深い。胸を占める恋しさなど、残らず吐き出してしまえと息を吐く。けれども、恋心はかけらも目減りしない。
 ごろりと横になり、眩しすぎる電灯の明かりを厭うて顔に腕を乗せた。遮られた視界に安堵する。暗い世界には自分だけ。秘めた想いを口にしても誰にも聞かれない。
「好きだ…」
 呟く声が熱を孕んでかすれた。
 
 好きだ、好きだ、どうしようもなく好きだ、誰より好きなんだ。
 
 吐き出しきって消してしまえ。思った瞬間、耳が拾ったのは小さな泣き声だった。
 誰何するまでもなく声の主に気づき、義勇は狼狽した。
「炭治郎……?」
 襖が静かに開いた。隣の部屋から炭治郎がおずおずとにじり入ってくる。
 上げられた顔は涙で濡れていた。
「なぜ……」
「早く済んだから……一休みのつもりが寝ちゃって」
 そこにいた理由を問いたいわけではない。問いなおすより早く炭治郎はまた口を開いた。
「義勇さん、好きな人がいたんですね」
 
 ごめんなさい、好きになってごめんなさい、悲しむ資格なんてないのに、泣いてごめんなさい。
 
 炭治郎はただ泣く。恋しさを涙にして捨て去ろうとするように。
 一滴たりと落としたくない。俺にくれと、急かされるままに、流れる雫に唇を寄せた。
「しょっぱい」
「ぎ、義勇さん?」
 先を思えばこの恋は甘くない。けれど涙と同じく温かいはずだ。
 俺の想いも飲みこんでくれと、吐息を混ぜるように唇を重ねた。

一番おいしいご飯はね 12-27

●お題:別の場所でお互いに相手のことを考えている義炭 ※年年歳歳シリーズ番外編

 炭治郎は学校が大好きだ。友達に会えるし、先生たちも好き。大人になったら絶対にちゃんと勉強しとけばよかったって思うようになるって、大人はみんな言うから、勉強も頑張っている。
 ひとつだけ残念なことがあるとすれば。
「わぁ! 今日は鮭大根だ!」
 給食のおかずに目を輝かせた炭治郎は、ちょっとほっぺを染めてクフンと笑う。
 鮭大根は義勇の大好物だ。うれしそうに微笑む顔を思い出せば炭治郎もうれしくなる。
 中学生の義勇とは一緒に学校に通えない。それだけが学校の残念なところである。
 日曜のたびに稽古で逢えても、全然足りないのだ。本当は毎日だって義勇に逢いたい。
「義勇さんもお昼食べてるかなぁ」
 今日も炭治郎は、学校にはいない義勇を思い浮かべる。
 小食な義勇も、炭治郎がアーンで食べさせてあげると、ご飯を全部食べてくれる。だから炭治郎は、給食の時間だけでも義勇と一緒ならいいのになと、毎日思うのだ。
 
 義勇は学校が息苦しかった。でも最近は少し息が楽になってきた。まだ宇髄と煉獄にだけではあるけれど、頑張って挨拶もしている。
 お昼のこれだけは、ちょっと気が遠くなるけれど。
「冨岡、アーン!」
 なんで毎日煉獄と宇髄はアーンとしてくるんだろう。友達ってこういうのだっけ?
 思いながらも、差し出された唐揚げをどうにか食べ終えれば、宇髄の玉子焼きがアーンと迫ってくる。
 おまえらも恥ずかしがれとやり返しても、煉獄は笑って口を開けるだけだ。全然気にしてない。宇髄はちょっと目が死んでるけど。
 弁当を完食できるようになったのを喜ぶ錆兎たちにも、アーンされるのが恥ずかしいから頑張ってるとは、到底言えない。
 炭治郎とアーンしあうのは、恥ずかしくないしうれしいのに。
 でも小学生の炭治郎はここにはいないから。毎日逢いたくても、こればかりはしかたない。炭治郎も義勇がちゃんと食べられるのを喜んでくれるから、今日も義勇は頑張っている。

いつか来る未来にもきっと 12-27 2作目

●お題:自然に手を繋がれておろおろする義炭 ※原作軸。ご都合血鬼術。義←炭

 義勇さんが子どもになった。中身だけ。
 しのぶさんによると記憶が八歳まで退行してるらしい。世話役を任されて役得だ。
 戻るまでは子どもな義勇さんを堪能しようと思ってたのだけれど。
 
 お出かけしましょうかと誘ったら、歌舞伎を見たいと言われた。いいよとふたつ返事で銀座に来たものの、三等でも二人で一円七〇銭。米七升は買える1観覧料及び米の価格は大正三年のものですけど、いい子な義勇さんの、初めてのおねだりだ。
 選んだ演目は『さんせう太夫2森鴎外の『山椒大夫』は大正四年の発表。ここでは明治期の絵本小説『三荘太夫』を想定』が元になった『由良湊千軒長者ゆらのみなとせんげんちょうじゃ
 
 で、今、俺は泣きながら歩いてるわけですけども。
「炭治郎さん、大丈夫?」
 目元を赤くした義勇さんが、心配そうにたずねてくれる。昔からやさしかったんだな。
「おさんが、かわいそうでっ」
「うん、ほら、足元石ころあるよ」
 子どもっぽい話し方なのに、握られた手は大人な義勇さんのもの。ビックリして涙も引っこんだ。
「義勇さんっ?」
「危ないから手を繋いであげる」
 自分も泣いてたのに、義勇さんは、小さい子を慰めるみたいに言う。
 表情はいつよりもあどけないけど、見た目や声は大人のままだから、心臓に悪い。
「炭治郎さん、俺よりお兄ちゃんなのに泣き虫だね」
「ぎ、義勇さんだって泣いてたじゃないですか」
「俺は泣きやんだもん」
 クフフッと笑う、幼い笑顔。八歳の義勇さんは笑ってる。まだなにも知らないで。
 弟を助けて自分は亡くなったお姉さん。『さんせう太夫』の物語と義勇さんが重なった。歌舞伎ではふたりともお母さんに逢えたけど、義勇さんのお姉さんは。
 胸が痛くてまたポロリと落ちた涙を、義勇さんは、もう泣かないでと拭ってくれる。ときめきと悲しさがせめぎ合う。
 いつもの義勇さんに戻っても、こんなふうに笑ってくれたらいい。
 もう俺と手を繋いでくれなくても、義勇さんが笑えるようになれたら。願ったら、大きな手に力がこもった。
「大丈夫だよ、俺がいるからね」
 笑う義勇さんに、はいと笑い返した。

今日の日よ初めまして 12-28

●お題:一緒にウィンドウ・ショッピングをしている義炭 ※原作軸。最終決戦後。恋人義炭。

 柳が揺れる通りを歩きながら、炭治郎は義勇の言葉に耳を傾けた。
 隠が全国津々浦々で集めた情報は、銀座のとあるビルヂングに集められ、精査されていたのだと義勇は言う。
「銀座は新橋ステーションが近かった3大正三年東京駅開業に伴い、新橋駅は移転から新聞社などが多い。世間に通りのいい身分を装うのに、記者というのはちょうどよかった」
 鬼殺隊解散後の暮らしを考慮したお館様が、名ばかりだった雑誌社の営業に踏み切った。英断だと言う義勇の声は満足げだ。
「みんなイキイキしてましたね」
 働く喜びに満ちた顔は、見ているだけでもうれしい。
 そうだなと、穏やかに微笑む義勇が傍らにあることが、途方もなく幸せだ。
 明日をも知れぬ日々は終わった。人生は長いのだ。みな働かねばならない。
 鬼がいなくなり一年。創刊一周年を祝いにふたりで訪れた銀座は、粋でモダンな洋風建築と、昔ながらの店構えが混在する、不思議な街並みだ。通りを行き交う人々も、なんだかハイカラに見える。新しい時代にふさわしい光景に、炭治郎の胸は弾んだ。ガラス窓に並べられた商品を通りから眺めるだけでも、ワクワクとする。
 善逸たちに炭焼きを仕込んだ炭治郎が、義勇の元を訪れたのはつい先ごろ。今はともに暮らしている。
 義勇は今年満二三歳を迎えた。
 
「せっかく来たんだ、日本橋で三越のエスカレータア4大正三年に乗ってみようか」
「はい!」
 明日をも知れぬのは、ふたりにとっては変わらない。だからこそ毎日新しいなにかに出逢う日々を、笑顔で過ごす。
「紀行文、書くんですか?」
「旅暮らしになってもかまわないなら」
 雑誌社での誘いに義勇の心が揺れたのを、炭治郎は感じとっていた。留守を頼まれるかと思ったが、義勇にひとりでという前提はないらしい。幸せが胸に満ちて、炭治郎は笑う。
「いいですよ、ふたりなら」
 そうかと笑う義勇の手を取った。自然と肩が寄りそう。
 どこの空の下でもふたり。新しい日々を笑いあいながら歩いていこう。