にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 5の1

 盗聴器を取り外し、ほかになにもないことを確認し終えたところで、杏寿郎と義勇が戻ってきたため、探索は終了となった。
 正しくは、杏寿郎と義勇、そして、義勇の幼馴染だとかいうカップルが、だ。

 差し入れを買うために寄ったコンビニに、ちょうど義勇たちがいたとかで、四畳半一間への引っ越しに、総勢七人。一人は小柄な女の子とはいえ、集まりすぎだと苦笑しつつも、宇髄たちにとって初対面のカップル登場はタイムリーだ。地の利がない宇髄たちと違い、二人は地元民である。義勇の今後の生活を憂うなら、よしみを繋いでおくに越したことはない。
 錆兎と真菰と名乗った男女と、杏寿郎はすっかり打ち解けていた。物怖じせず屈託のない杏寿郎なら、当然と言ってもいいかもしれない。なにより彼らは義勇の旧知だ。杏寿郎と出逢う前の義勇を知っている。
 たったの五年しかともに過ごしたことはなく、ましてや、生まれてからという前置きがつく期間だ。互いの記憶などせいぜい一、二年しかないだろうに、錆兎たちと義勇の友情はいまだにガッチリとスクラムを組んでいるらしい。そんな二人であるからには、杏寿郎にしてみれば是が非でもお近づきにというところだろう。
 杏寿郎はこれからしばらく、義勇の傍らにいることはかなわないのだ。義勇の周囲に信用のおける人たちがいてくれるのは、心強いに違いない。それは宇髄らにしたって同様だ。
 ともあれ、錆兎と真菰は宇髄たちのお眼鏡にかなう人柄であったし、義勇への友情の深さも疑いようがない。同時に、錆兎たちからも宇髄ら、とくに杏寿郎が義勇にふさわしいかを見定められたことだろうが、ありがたいことに合格をいただけたようだ。別れ際には、誰の顔にも探り合う視線はなく、いたってにこやかであった。
 杏寿郎ばりに人懐こい真菰はまだしも、最初のうち、錆兎のほうは少々警戒心が透けて見えていた。だというのに、腹に子を抱えた猫ばりの警戒心を誇る伊黒までもが、わりあいすんなりと打ち解けあえたのだから、恐れ入る。

 冨岡は人に恵まれてんなァと、宇髄は、ジングルベルが鳴り響く街を歩きながら、口元でだけ穏やかに笑う。そこに自分が含まれてるのが、我ながらちょっとばかりこそばゆい。
「なんだァ? 思い出し笑いすんなよ、気色悪ぃぞ」
「あぁん? この絶世の美男子さまにそういうことを言うのは、この口かぁ?」
「いひゃっ! テメェ、痛ぇだろうが、やめろっ!」
 頬をつねりあげられわめく不死川に、宇髄はケタケタと笑った。
「んで? なに思い出してやがったァ?」
「なに、気になんの?」
 少々意外に思い、不死川の横顔をちらりと眺めれば、不死川は前を向いたまま、横目で宇髄に視線を投げてきた。
「顔は笑ってても、目が物騒なんだよ。なに考えてやがった?」
 おや? と、宇髄は軽く目を見張り、素直な感嘆を瞳に乗せた。
 不死川が悪意や敵意には敏いのは承知しているが、宇髄は敵ではない。ましてや今は、そこまで剣呑なことを考えていたわけでもなかった。だというのに、奥底に隠しているはずのささやかな感情を読み取るとは。
 裏を返せば、それだけ宇髄が不死川に気を許しているということでもある。それがなんとも面映ゆく、かつ、宇髄にはほんのちょっぴり複雑だ。こいつらには隠せねぇなぁと、苦笑の一つもこぼしそうになる。
 感情を隠すのは、宇髄にしてみれば習性のようなものだ。幼いころから宇髄の容貌は衆目を集め、そのなかには、下衆で身勝手な欲望やら妬み僻みの敵意やらも含まれる。おかげで疑り深くもなったし、そう簡単に心を開くこともなくなった。
 錆兎や伊黒などくらべものにならぬほど、宇髄の警戒心は、常に周囲に張り巡らされている。表面にはけっして出さぬようにしているだけだ。ところが例外もある。
 まだ、見知らぬ場所に突然連れてこられた子猫のように警戒と威嚇に余念のなかった、小学生のころ。そんな時代に出逢った仲間は、気がつけば一生コイツラとつるんでいてぇなぁなんて思うほど、宇髄の心の奥深くまで不死川たちは入り込んで、どっかりと腰を据えて笑っている。追い出そうとしたって、そうはいくかいとばかりに、おまえが本当は寂しがりなことぐらいお見通しだと笑う。
 一緒に学校生活を送ったのは、小学生のうちだけだ。中学も高校も、宇髄の卒業と不死川たちの入学は入れ替わりで、決別のタイミングはいくらもあった。そう、入れ替わりだ。中学までは学区の関係もあるが、それだって親の言いなりに私立に進んでいれば、縁はそこまでだっただろう。
 けれども宇髄は、そうしなかった。盛大な親子喧嘩の末にではあるが、希望する進路を勝ち取れて幸いだ。母校のOBなんていう頼りなく細い糸でもいい、ずっとなにがしかの縁でつながっていたかった。なんて。誰にも宇髄は言ったことがない。
 おかげでいまだに、見栄っ張りで息子の意思より世間に対する優越感重視な両親とは不仲だが、宇髄は、そりゃしょうがないわなと内心で苦笑する。
 なにかを得ようとすれば、なにかを失う。世の常だ。宇髄にとっては、気の置けぬ仲間と、相性最悪な家族を、秤にかけることになっただけのこと。正直なところ、同じ天秤に乗せるのすらが腹立たしい。
 血の繋がりがあっても、相容れぬ仲というのはあるものだ。よだれを垂らさんばかりに幼い息子を舐め回すように見る相手にだろうと、金や地位さえ持っていれば喜び勇んで息子を目の前に押し出すような両親を、信用などできるものか。
 互いに、自分のことのように相手の不遇を悲しんだり怒ったり。同じ事柄に心から笑い、泣き、沈黙を苦に思わずいられる相手。そんな者に、人生のうちいったいどれだけ出会えるだろう。家族にそれを望めぬのは不運であるのかもしれないが、絶望にはほど遠い。そんなふうに感じられること自体、奇跡のような縁あってこそだと、宇髄は胸のうちそっと微笑んだ。
 少々の照れを含んだそんな微笑は、顔には出さない。傍目には不適で皮肉げな、薄い笑みを口元に刻む。
「ちっとな、冨岡が引っ越したときのことを思い出してよ」
「……あぁ」
 すぐに、合点がいった顔をした不死川の眉がギュッと寄せられる。あのときの不快感と危惧がよみがえったのだろう。けれども、すぐにそれは消え、不死川はさして興味なさげに小さく鼻を鳴らした。
「ありゃあ結局、前の住人狙いだったろォ。ま、あんなセキュリティもなにもあったもんじゃねぇ部屋からは、さっさと引っ越したほうがいいたぁ思うけどな」
「鍵も今どきディスクシリンダーだしなぁ。下手すりゃぶっ叩くだけで解錠されるっつうのに、鍵の交換さえしてねぇんだから、大家も冨岡も呑気すぎんぜ」

 そうなのだ。たしかに盗聴器なんて物騒なものは発見されたが、それにしたって仕掛けられたタイミングが問題だと、あの日、宇髄らはかなり緊張を強いられた。
 義勇がまだ引っ越してきてさえいないうちに、盗聴器を仕掛けられる人物。それはつまり、すでに義勇と面識があるのと同義だ。義勇の入居を知っていなければ、盗聴器を仕掛けるメリットなどない。
 義勇が引っ越してくることを知る者は、多くなかっただろう。不動産屋に姉夫婦、それから、義勇の幼馴染。姉である蔦子とその旦那になった男は、即除外だ。盗聴する意味がない。
 であれば、不動産屋か話に聞く幼馴染ということになるが、後者はすぐに候補から外れた。
 行き過ぎた過保護という線も考えなくはなかったが、実際に二人と出逢ってみれば、杞憂だとすぐに知れた。残るは不動産屋だが、蔦子の旦那……つまり義兄の親戚で、個人経営の御年七十歳というから、これまた盗聴うんぬんなど考えにくい。
「管理人がいるのが、まだマシっつうか……。あの兄ちゃんも災難っちゃあ災難だわな」
 不死川の同情は苦笑交じりだ。いっそ不快そうでもあった。宇髄も感想は同じようなものである。
「ま、前の住人に連絡とって注意喚起してってだけでも、地味に面倒だからな。けどまぁ、盗聴器の理由がわかってよかったじゃねぇか」
 あの日、ワイワイとにぎやかだった一行の前に現れた管理人とやらは、大家の甥と名乗った。一室をタダで借りる代わりに、管理人を請け負っているというのである。見た目は、三十代前半。とくにどうという特徴もない、凡庸な男だった。
 大柄な宇髄や、お世辞にも人相がいいとはいい難い不死川に、いかにも及び腰になっていたあたり、いざというときに頼れるか、はなはだ不安は残るがそれはさておき。
 錆兎たちからの差し入れも含め、やたらと大量になった飲み物をお裾分けがてら、こっそりと宇髄が事情を伝えたところ、盗聴器は前の住人を狙ってのものと判明した。
 義勇の部屋に住んでいた住人は、フィリピンパブに努めていた若いフィリピーナだそうで、客と結婚して部屋を出たという。客のなかにストーカー気質の者がいたらしく、何度か不審な男がうろついているのを、管理人も見ていた。
 前住人が引っ越してからすでに三ヶ月も経っており、不審な男の姿も以降一度も見ていない。くだんの女性も、営業中に客たちの前で結婚報告したと言うから、ストーカーと化した客も転居は知っているはずだ。管理人の男が、いかにも面倒事に巻き込まれたと言わんばかりのふてくされ具合で述べた内容は、それなりに筋が通っていた。
 確かめるすべはないが、その後に毎月部屋に通っている杏寿郎も、ふたたび盗聴器が仕掛けられた気配はないと言うから、まずは安心していいだろう。盗聴器の一件については、義勇に知られぬまま終了だ。
「ったく、迷惑な話だァ。だがまぁ、あんなボロアパートじゃ、ハウスクリーニングもおざなりだろうし、盗聴器ぐらい発見しろやって責めんのも酷かァ」
「だな。それに災難ってんなら、万が一を考えて、夏まで派手にド健全でいなきゃなんなかった煉獄のほうが、よっぽどだろ」
 ククッと宇髄が忍び笑えば、不死川も半目になりつつ乾いた笑みを浮かべた。
「そりゃまぁ、やっと幼馴染から恋人になった途端に、中三事件ふたたびかってなりゃ、あいつも気が気じゃなかったろうけどよ。盗聴器あったって教えた途端に、あわくって荷台から飛び降りかけやがったぐれぇだからなァ」
 何気ない口調だが、『中三』の一言を口にした不死川の顔は、苦くてたまらぬなにかを噛みしめたようにしかめられていた。
 宇髄の笑みも、苦笑に歪む。あの件を思い出すと、理不尽さへの憤りと自分の迂闊さに、知らず奥歯を噛みしめそうになる。

 理不尽。あれはまさに、その一言でしかない出来事だ。未遂ですんだからいいようなものの、万が一など、想像すらしたくない。

 なにもなかった。義勇は無事だったのだから、忘れちまえ。周囲は何度もそう口にしたし、杏寿郎だって結果としてはお咎めなしだ。義勇自身だって、強がりでもなく事件自体に傷ついた様子はなかった。
 それでも、杏寿郎と義勇のあいだに落ちた影は、暗い。
 暗く深いその影を、杏寿郎が飛び越える決意をするまで、じつに四年を要したほどに。

 やっと、恋人として義勇と抱きしめあえる日が来たことを、どれだけ杏寿郎が喜んでいたか。あまりにもあからさますぎて、あぁやっと告白したんだなと、宇髄らにも筒抜けだったぐらいだ。
 それまでだって、表面上、二人にはなんにも変わりなどなかった。以前と同じくバグりまくった距離感で、不死川や伊黒を辟易させ、宇髄を爆笑させたものだ。
 けれどそれでも杏寿郎にとっては、幼馴染から恋人への一歩を、踏み出せずにいた月日ではあったのだ。
 杏寿郎が中学に入り初めての夏を迎えようかというときに起きた、あの事件から、義勇が大学進学するまでの四年間。それは二人にとっては、今までと同じく楽しく平和な日々でもあったろうけれど、同時に、どこか綱渡りのような月日でもあったんだろう。
 とくに、杏寿郎にとっては。

 義勇が自分を嫌うことなど、世界がひっくり返ったってありえない。それまでの杏寿郎は、心の底からそう信じていたはずだ。けれども、あの事件が落とした影は、そんな無邪気にして堅固な信念に、細く小さなヒビを入れたに違いない。ふとした拍子に、義勇の反応に怯える様子を杏寿郎は見せた。
 杏寿郎の気持ちもわかる。だが、宇髄にとっては、そんな杏寿郎の態度を受け止める義勇の心情こそが、心配でもあった。

 でも、それも今となっては、杞憂となりつつある。
 去年の七月に、真剣な顔を真っ赤に染めた杏寿郎が、宇髄のもとを訪ねてきたことで確信へと変わったそれは、今も宇髄の胸の奥をほわりと温めてくれる。
 こいつらなら、杏寿郎と義勇なら、大丈夫だ。なにがあっても二人で乗り越え、二人で歩んでいくんだろうと。
 なにかを得れば、なにかを失う。そんな世の常さえ吹き飛ばして、なにもかもを失うことなく、いくらだって幸せを掴み取っていく。そんな二人のままでいてくれるに違いない。だからこそ、自分はここで待つのだ。広い世界を駆け巡って成長していく二人が、不死川や伊黒が、ほんのひととき羽を休めに戻る場所。そんな大樹になりたいと、宇髄は心の底でひっそりと願う。
 宇髄がいるからここはホームタウン足り得ると、思ってもらえりゃ、最高じゃねぇか。
 誰にも言ったことのない、宇髄の夢は、街路樹を彩るイルミネーションよりもキラキラと輝いていた。

「おっと、おまえさん、これから伊黒んとこだろ? 荷物持ちきれっか? 俺のほうはまだ時間あっから、家まで荷物持ち手伝ってもいいぜ?」
 街なかの電光掲示板の時刻が目に入り、たずねた宇髄に、不死川がちょっぴり申し訳なさげに眉を下げた。
「あー、そりゃ助かるわ。この量じゃ、ケーキ崩しそうだしなァ。玄弥はともかく、就也たちへのプレゼントはどこかに隠しとかなきゃなんねぇから、面倒なんだよなァ」
「サンタさんも大変だねぇ。了解。んじゃ、急ごうぜ。ついでに伊黒の照れ顔も派手に拝んでくっかね」
 ニヤニヤと人の悪い笑みを宇髄が浮かべると、不死川も苦笑する。
「デートの一つも誘えてりゃいいけどなァ。あいつがあそこまで初心たァ、意外だったぜ」
「そりゃおまえさんもだろ。で? どうよ、あのべっぴんさんとは。クリスマスなんざ、誘う絶好のチャンスだったろ」
「俺のこたぁどうでもいいだろうがっ! ……毎年、クリスマスは妹たちとパーティーだとよ。すっげぇうれしそうだったわ。あんな顔されて誘えっかよ」
「そりゃ、ご愁傷さまで。ま、おまえさんもチビちゃんたちのサンタでいなきゃなんねぇしな、派手にがんばれや」
 他愛のない会話と、他意のない笑顔。今宵はクリスマスイブ。恋であっても家族愛でも、大事な人と過ごせたら、きっと幸せな、そんな夜。

 あいつらも笑いあってりゃいいな。ま、心配いらねぇだろうけど。

 両手に荷物を抱えて歩く不死川と宇髄の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。