にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 1

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「そんなの同棲すりゃ派手に解決じゃねぇの?」
 呆れた声で言う宇髄の感想はもっともだ。もちろん杏寿郎だって最初はそのつもりだった。けれども。 
「義勇が許してくれないのだ……」
「あー……あいつはそうかもなァ」

 十一月も末が近づく児童公園は、日が暮れてしまえば子供の姿はない。小さな公園は静かなものだ。
 ベンチに腰掛けて缶コーヒーを手にした杏寿郎は、深くため息をついた。
 男三人並んで座ると、子供向けな公園のベンチはいかにも狭い。木枯らしが吹くこの季節には、この狭さがちょっとありがたかった。
 幹線道路を挟んだ向かいには、杏寿郎たちがアルバイトをしている運送会社がデンと建っている。個人経営の中小企業ではあるが、そこそこ羽振りはいい。大の猫好きな社長と、無類の犬好きな専務兼奥さんの人柄もよく、バイト先としては大当たりだ。

 杏寿郎がここの倉庫で仕分けのバイトを始めたのは、高二の春だった。義勇が進学のために地方へと引っ越し、即座にバイトを探し始めた杏寿郎に、蔦子が勤めていた運送会社を紹介してくれたのだ。
 一足先にバイトしていた不死川の存在もあり、部活動で忙しくなかなかシフトに入れない杏寿郎も、肩身の狭い思いをせずに続けられている。
 倉庫の裏手にある喫煙所で社員は休憩することが多いが、高校生の杏寿郎には少々難ありだ。自然、向かいにある児童公園に足が向かう。この秋に成人したとはいえ不死川も喫煙者ではないため、休憩時間が重なると二人で公園のベンチで休むのが常だった。
 このところの休憩時間での会話は、もっぱら杏寿郎の進路だ。そろそろ受験勉強に本腰を入れねばとも思うが、とくにトラブルがなければ受かるだろうとの模試結果や担任の言葉に甘え、杏寿郎は高三の十一月になってもバイトを続けている。

 月に一度、週末に新幹線に飛び乗る生活も、もう一年半が過ぎた。言うまでもなく義勇に逢いに行くためだ。バイトだって新幹線代を稼ぐためである。
 本当なら毎週通いたいのだが、義勇が許してくれないからしかたがない。夏までは部活だってあった。学業優先、部活も頑張れ。義勇に言われてしまえば、杏寿郎だって張り切らぬわけにはいかない。
 学年十位内を常にキープし、剣道の大会では優勝常連。文武両道を地でいく男として後輩の尊敬を一身に集め、同級生にも面倒見の良さから兄貴とあだ名されるほどには、杏寿郎は学校中の生徒から慕われている。
 だが、そんな輝かしい成績の数々が、最愛の幼馴染兼恋人に「えらいな、杏寿郎はすごい」と褒めてもらいたいがゆえだと知る者は、そう多くはない。

 恋人とまではさすがに気づいていないだろうが、社長を始め運送会社の社員たちには、杏寿郎が義勇になつきになつきまくっていることは知られている。なにしろここは、蔦子が務めていた会社なのだ。
 親戚には恵まれなかった冨岡姉弟であるが、遠くの親戚より近くの他人というのは事実らしい。遺産を横領しようとした親戚に、非合法な働き口を蔦子に斡旋するほどのあくどさがなくて幸いだ。安アパートをあてがったあとは、勝手に就職先を探せとほったらかされたからこそ、煉獄家とも繋がりが持てたと言えなくもない。
 十五歳と五歳で二親を亡くし健気に肩寄せあって生きる姉弟を、たいそう不憫に思い、なにくれとなく心砕いてくれる社長がいる会社に務められたのも、幸運であった。社長も専務も、蔦子のことをたいへんかわいがってくれていた。蔦子が寿退社したあとも、頻繁に蔦子と義勇の名を会話に乗せているのは、ありがたくも微笑ましい。
 小学生のころには、蔦子を迎えに行くついでにこの公園で杏寿郎と遊ぶことも多かったので、社長たちは義勇のこともよく知っている。となれば、杏寿郎のことだって顔馴染みなのは当然だ。
 面接に訪れた杏寿郎が、開口一番社長に言われたのは「よぉ、蔦子ちゃんの結婚式ぶりだな! で、いつからくる?」という、面接ってなんだっけと首をひねりたくなる一言である。
 営業部長補佐という肩書の三毛猫を膝に抱いた社長から、履歴書を渡すまでもなく告げられた採用決定。履歴書持参の意味とはと思わなくもないが、採用ならばありがたいかぎりだ。
 即座に「できれば明日からでも働きたいです! よろしくお願いします!」と笑った杏寿郎に、営業部長を務める柴犬を撫でながら、専務が苦笑していた。犬と猫の肩書の違いに二人の力関係が見えるとは、不死川の言である。

 ちなみに、不死川も面接内容は似たようなものだったらしい。それもこれも蔦子への信頼あればこそだと思うと、弟同然な杏寿郎もなんだか誇らしくなる。
 めちゃくちゃ時間かけて履歴書書いたのによォと、不死川は遠い目をしていたが、杏寿郎にはピンとこない。履歴書を書いているときに顔をのぞかせた父に、どれ見せてみろと言われ素直に見せたら、ゲンコツを落とされたことのほうが解せぬ。
「新幹線代などと志望動機に書く奴があるかっ、この馬鹿息子!」
 と、父は青筋を立てていたが、正直は美徳だと父も母も言うではないか。まぁ、嘘も方便とも言われたが。
 それを話したら伊黒にも、なぜ冨岡が絡んだとたんにおまえのIQは一気に下がるんだと、呆れられた。杏寿郎からすれば、それこそなぜそんなことを言われるのかわからんと、首をひねらずにいられない。不死川には死んだ魚のような目をされ、宇髄には爆笑された。これまた解せぬ。
 それはともかく。

「冨岡のこったから、煉獄が一緒に住んだらなし崩しに、家賃だなんだを全部親父さんが払うことになると思ってやがんだろォ。あとはアレか、引っ越しすんのがめんどくせぇ」
「そのとおりだ! よくわかるな、不死川!」
「わからいでか。なんだかんだで付き合いも長ぇしなァ」

 不死川の口調はボヤキに近いが、杏寿郎からすれば羨ましいことこの上ない。
 小学校からのつきあいである不死川は、悔しいが杏寿郎よりも学校での義勇をよく知っている。小一から高三に至るまで、なぜだかすべて義勇と同じクラスという奇跡を得ているのだ。卒業アルバムには、小中高とすべて義勇と不死川は一緒に写っている。
 出席番号だってあまり離れてなかったせいか、修学旅行だって全部同じ班だ。よしんば杏寿郎が義勇と同い年だったとしても、冨岡と煉獄では、同じ班になれたか怪しい。名字一つとっても格段の差だ。
 羨ましい。じつに羨ましすぎる境遇ではないか。ちょっぴり妬ましくすら思える。
 十五ヶ月違いの杏寿郎は、中学高校は一年ずつしか義勇とともに通えなかったというのに、不死川は十二年間一緒なのだ。これを奇跡と言わずしてなんと言う。
 運命とは言わない。口が裂けても言いたくない。けれども縁深いことに違いはないし、不死川はいい奴だ。杏寿郎が同じ学校に通えぬあいだ、誤解されがちな義勇の世話を焼いてくれた。
 短気で怒りっぽい不死川は、口下手な義勇にイライラとすることも多いが、やたらと突っかかっていたのはせいぜい最初の一年だけらしい。杏寿郎が小学校にようやく入学できた年には、すっかり義勇の保護者っぷりが板についていた。
 不死川は子沢山家庭の長男なので、ポヤポヤとした義勇をほっておけなかったのだろう。気持ちはわかる。
 ともあれどうあがこうと、杏寿郎は義勇よりも十五ヶ月年下なのだ。ずっと一緒というわけにはいかない。杏寿郎がいないのは寂しいけど、不死川がいてくれるから学校も楽しいと、義勇が笑顔でいられたのだから、文句など言っては罰が当たる……が、やっぱり羨ましい。

「でもアイツ、大学院に進む気なんだろ? 生活費は姉貴に頼らずにバイトで賄ってるっつうし、家賃や光熱費を折半できるのは派手にありがたい話だろうによ。あいかわらず意固地なのな」
「蔦子姉さんにも頼らぬものを、我が家に頼るなど、義勇がするわけないからな。だが、意固地というのとは違うぞ! 義勇はとても真面目で義理堅いだけなのだ!」
 ハイハイとげんなりした声で言う宇髄は、義勇とは三つ違いなため、小学校時分にしか同じ学校に通ったことはない。なのに、杏寿郎の従兄である伊黒も含めたメンツでつるむことが多いのは、宇髄が杏寿郎たちのことを気に入ってくれているからだろう。
 華やかな容姿なうえ新進気鋭のイラストレーターとして脚光を浴びている宇髄に、こんなところでくすぶっているのはもったいないなどと言ってくる者も、それなりにいるのを杏寿郎たちは知っている。それでも宇髄はお節介な言葉を飄々とした笑みで受け流し、いまだに都心から少し離れたこの街で暮らしている。
 呆れた顔をしつつも宇髄も義勇を案じているのに変わりはなく、いい奴だなと、杏寿郎はちょっとだけ微笑んだ。
 宇髄は在宅ワーカーだが、住んでいるマンションが近所なため、公園に杏寿郎たちが来たのが窓から見えると、こうしてフラッと現れる。息抜きと本人は言うが、最近は頻度が増えた。たぶん、杏寿郎の受験が近づいたからだろう。
 面白がりで事態を引っ掻きまわすこともそれなりにあるけれど、面倒見のいい男なのだ。杏寿郎と義勇を心配してくれているのだとわかるから、杏寿郎も、宇髄には父や母にも言えぬ相談をしがちだ。義勇も同様なのは、少々妬けなくもないけれども。

 このメンバーで一番年下なのは言うまでもなく杏寿郎だが、末っ子扱いされているのはむしろ義勇だ。怒りっぽい不死川はしょっちゅう義勇に文句を言っているが、それでも長男らしい世話焼き精神を発揮してなんだかんだと面倒をみているし、みんなの兄貴分な宇髄にいたっては言うまでもない。皮肉屋の伊黒でさえ、ネチネチと文句を言いつつも義勇をかまうから、杏寿郎はうれしくなるのと同時に、ちょっぴりヤキモキしたりもする。
 当の本人は頑として認めないが、甘やかされるのに慣れている義勇は、年上の宇髄にはとくになついているのだ。これまた羨ましい。杏寿郎には無条件に甘えてくれやしないのに、宇髄にだけは完全に甘えん坊な弟の顔を見せるなんて、ズルい。
 だからなぜおまえは冨岡に関してだけそんなに心が狭いんだと、伊黒には頭を抱えられるが、しょうがないではないか。杏寿郎の義勇馬鹿っぷりは、母曰く幼稚園からの筋金入りだ。

「もういっちょ追加で、おまえと一緒に暮らしたら毎晩派手に求められて、身がもたないから嫌だ。こんなとこかね」

 ブフォッと盛大な音を立てて、飲みかけたコーヒーを吹き出したのは、不可抗力だ。
「うぉっ! 汚ぇなぁ、おいっ! 大丈夫かよ」
 むせた杏寿郎の背中を、宇髄がトントンとたたいてくる。ありがたいが、そもそも宇髄の発言が原因だ。いきなりそういう話を振るのはやめてもらいたい。
「…………宇髄、義勇はそういうことを君に相談しているのか?」
 地を這うような声音になったのもまた、やむなしと思いたいところだ。
 いつもの面々には杏寿郎の恋心などだだ漏れなので、義勇と晴れて恋人となって以降も、杏寿郎だってなにかと相談している。だから、義勇がよしんば宇髄に杏寿郎とのアレコレを相談したとしても、責める道理はない。
 ないのだが、それはどうかと思うではないか。こればかりは杏寿郎の心が狭いうんぬんの話ではない。
 宇髄は見るからに美丈夫で頼りがいもあり、信頼の置ける年上の男だ。溺愛している恋人が、自分の知らぬところで宇髄に夜の営みについてを話している様など、想像するだけで照れくさいのを通り越し胸が焼けてもしかたがなかろう。

 感想や愚痴があるのなら、俺に直接言ってくれればいいものを。義勇が望むならできるかぎり善処するというのにっ!

 実際、義勇が待てと言えば杏寿郎は、脂汗が流れようと我慢して動かず待つし、無理はけっしてさせていないつもりだ。
 もう無理と訴えられることはあるが、駄目なのか? と悲しく見つめれば、義勇は受け入れてくれるから、同意の上であるのに違いはない。……はずだ。大丈夫。うむ。義勇はもうちょっと加減しろとは言うけれど、怒っていない。……はずだ。たぶん。

「ていうかよォ、宇髄にゴムの通販頼んでる時点で、おまえに文句言う権利ねぇだろ。そんぐらいコンビニで買えや。冨岡相手にそんなに盛れるってのが、俺にゃわかんねぇけどなァ」
 少し乾いた笑い声を立てて言った不死川に、杏寿郎はちょっと唇をとがらせた。
 このメンツだと少々子供っぽくなるのは、杏寿郎も義勇とどっこいどっこいだ。むしろ、義勇がいると無意識に背伸びしてしまって、大人っぽく見られようとしてしまいがちなので、こちらのほうが素と言えなくもない。
 そんな杏寿郎を宇髄は面白がり、不死川や伊黒は少々呆れつつも見守ってくれているというのが、このメンバーでの通常運転だ。
 わからんと言いつつ、不死川の顔に嫌悪の色は一切ない。ここにはいない伊黒だって、眉をひそめはしても、嫌悪感というよりも慎みを持てだとか杏寿郎の義勇馬鹿っぷりへの呆れのほうが、だんぜん大きい。本当に友人に恵まれたと、杏寿郎は常々感謝している。

「そうは言っても、コンビニで売ってる避妊具では、義勇とその、そういうことをするには、あまり体に良くないと宇髄が言うのだ。義勇の体を損なうような真似はできん。それに、宅配便を受け取るのは母か千寿郎だ。なにを買ったのかと聞かれても答えようがないのだから、しょうがないではないか」
 全国チェーンのドラッグストアで見かけたことはあるが、母の友人がいるレジに持っていく度胸は、さすがの杏寿郎にもない。となれば選択肢は残されていないのだ。
「え、男同士じゃゴムも特別製かよ。マジか」
 眉唾と書かれた顔を向ける不死川に、宇髄がニヤリと笑う。
「特別ってわけでも男同士専用でもねぇけどな。イソプレンラバーっていってな、そこらのコンビニにあるポリウレタンやラテックスのコンドームよりも、肌に優しい素材なわけよ。直腸ってのは膣と違って単層だからな。かなり傷つきやすいからよ、なるべく肌に近い柔らかさのほうが安心ってわけだ。潤滑剤も必要なんだし、まとめて買ったほうがちったぁお得ってことでな。興味あんなら、おまえにも派手にオススメのやつ教えてやろうか?」
「いらねぇよっ! んな相手もいねぇわ!」
「んだよ、あの美人さんにまだ告白してねぇのか。ノロノロしてっとほかの男に取られっかもしれねぇぞ?」
「うっせェ! そういうんじゃねぇっつってんだろ!」
「はいはい、地味にそういうことにしといてやろう」

 街灯に照らされた公園に、楽しげな宇髄の笑い声がひびく。子供が遊んでいる時間でなくて幸いだ。たとえ声をひそめようと、純真な幼子の前でしたい会話ではない。というか、とうてい聞かせられない話だ。
 騒がしい宇髄たちの声をぼんやりと聞きながら、杏寿郎は無人のブランコを見るともなく見つめた。何度となく義勇と一緒に遊んだ公園だ。そこここに思い出が転がっている。
 手持ち無沙汰に握りしめた缶コーヒーは、すっかり冷めていた。

 コーヒーをブラックで飲めるようになったのはいつからだったろう。ハッキリとした記憶はない。義勇に関することならば、なにひとつ忘れたものなどないのに。
 出逢った日はもちろんのこと、義勇と過ごした日々はすべてキラキラとして記憶も鮮明だ。
 義勇に初めて大好きだと言った日。義勇が初めてお泊りしてくれて、一緒の布団で眠った日。義勇と背が並んだ日。全部覚えている。初めてのキスや、初めて眠る以外の目的で同じ布団に入った日にいたっては、金の額縁に入れたカレンダーを飾っておきたいぐらいだ。忘れたいと願うことだってなくはない。思い出しただけで叫びだしたくなるような、悪夢に似た記憶だって、義勇と過ごした日々のなかにはある。それでも、そんなつらい思い出さえなにひとつ忘れられないのだ。義勇に関する事どもに、忘れていいものなどなにもない。忘れては駄目だとも思っている。
 初めて夢精した日のことだって、その夜に見た義勇の夢とともに、杏寿郎は覚えている。思い返すと恥ずかしくて、でも、やっぱり俺は義勇が好きなんだなぁと、ちょっぴりの罪悪感とともに深く実感したものだった。
 当然というか、初めて自慰をしたのも、級友に見せられたグラビアと同じポーズをした義勇を想像をしながら、だ。

 小学校の高学年ともなれば、ませた級友からグラビアやらエロ本なんてものも、見せられることはあったけれど、杏寿郎はまったく興味がなかった。女の人の裸など見れば、それなりにドキドキとはするが、触れたいだとかあまつさえ抱きたいなんて、思ったことがない。ほかの男性であればなおさらだ。杏寿郎が興奮するのは今も昔も義勇にだけなのだ。
 宇髄と交友を持てたのは、その点でもありがたい。なにしろ男同士でのアレコレなど、学校の性教育の授業でも教えちゃくれない。
 準備の手順から行為中の注意点、使用するのにオススメの避妊具やら潤滑剤にいたるまで、懇切丁寧にレクチャーしてくれた宇髄には、感謝せねばなるまい。……まぁ、大部分は面白がり気質によるものだろうけれども。

「おい、煉獄。休憩終わるぞ」
「もうそんな時間か。俺も戻って仕事しねぇとな。おまえらも地味に頑張れや」
「地味は余計だァ」
「うむ、またな、宇髄! あ、そうだ。その、明日あたり荷物が届くと思うのだが……代金はこれで足りるはずだ」
 少し口ごもりつつ宇髄を呼び止め、慌てて財布から札を出した杏寿郎に、宇髄は愉快げに笑い、不死川はなにやら表情筋が死んだ半目開きになった。
 この顔、どこかで見たことがある気がする。
 感情の読めない虚無顔は義勇もよくするけれど、義勇の場合は、猫がなにもない空間をじっと見ているのに似ている。幽霊でもいるのかと怯えられることもあるが、杏寿郎からすればぼんやりしている義勇もかわいいなと、微笑ましいだけである。
 対して不死川の表情はといえば、どちらかというと諦めの境地だ。たまに伊黒も見せる顔である。見慣れた表情だが、なにに似てると思ったんだろう。
 思い出せぬもどかしさに首をかしげた杏寿郎は、すぐにポンと手を打った。

 そうだ、この前のお泊りで義勇のアパートで見たアレだ。声を誤魔化すためにつけっぱなしにしていたテレビに写っていた、アレに似ている。チベットスナギツネだ。

 思い出せた爽快感に杏寿郎は知らず笑みになったが、さっきの今で交わす会話としては、やはりどことなし恥ずかしくはある。ついでに、壁の薄い安アパートでのあれこれも思い起こされて、頬が知らず熱くなった。
「了解。ブツはいつもどおりここでわたしゃいいな? 明日もバイト入ってんだろ?」
「うむ! クリスマスの軍資金を貯めなければならないのでな! 今年はちょうど週末だし、千寿郎には申しわけないが義勇と二人きりで過ごすのだ!」
 新幹線代だけでなく、今月はプレゼント代だって稼がねばならない。それに今年は義勇が免許をとったので、二人でドライブしてイルミネーションを見に行くのだ。
 義勇には内緒だが、レストランも予約済みである。もちろん、杏寿郎がおごる予定だ。
 俺のほうが年上なんだからと、義勇は杏寿郎におごられることを嫌がるが、ここは杏寿郎の顔を立ててほしいところである。年上の恋人に甘えきりなど男がすたる。
 だいいち義勇だってまだ学生なのだ。学費は早逝したご両親の保険金やら遺産から捻出しているが、家賃や食費といった生活費はバイトの給料でまかなっている。奨学金こそ借りてないものの、絵に描いたような苦学生だ。
 住んでいるアパートも、昔蔦子と暮らしていたのに似た四畳半一間なのである。ユニットバスがついている分、まだマシといったところだ。デート費用ぐらいは彼氏である自分が出さずしてどうする。
 まぁ、いつもは声を抑え動きも抑えで、隣やら階下を気にしつつなホニャララを、気兼ねなく堪能すべくホテルに泊まりたいなんていう、絶対に義勇には言えぬ予定もあったりするのだけれど。というか、もう予約してるけれども。十八になっててよかった。

 うむ、食事代は押し切られて割り勘になったとしても、ホテル代は俺が出さねば。いや、出す! 彼氏として、ここは譲れん! 予約済みだと当日に知れば、義勇だってキャンセルしろとは言わんだろうしな!

 胸中で決意の焔を燃やし張り切る杏寿郎に、なにかを悟ったのか、不死川はもはや相槌すら返さない。
「へぇ。……頼んだの十個入り? クリスマスにお泊まりなら派手に盛り上がんだろ、足りんの?」
 横断歩道へ向かって歩きながら、こっそりと耳打ちしてきた宇髄の言葉に、杏寿郎の顔がボンッと赤く染まった。歩みだって止まる。
 赤面し絶句した杏寿郎に、宇髄は今日一番の愉快げな声で笑った。

「ま、頑張れや、恋する青少年。かわいい黒猫と暮らせるよう、派手に祈ってやんよ」
「あー……猫、な。似てなくもねぇかァ。ていうかよ、宇髄が言うと別の意味に聞こえんぞ」

 不死川の顔にも苦笑が戻り、真っ赤な顔で固まったままの杏寿郎を振り向き笑った視線は、呆れを含みつつもどこかやさしい。
「お、そういやそうだな。さすが俺様、無意識でもうまいこと言うねぇ」
「アホか。ま、そりゃともかく、ありゃ保護しとかねぇと、危なっかしいからなァ。首輪つけとくにこしたこたぁねぇか。オラ、仕事すっぞ。甲斐性あんとこ見せてぇんだろ」
「……うむ! 残り時間も頑張ろう!」

 信号が青に変わる。先に渡りだした二人に追いつくべく、杏寿郎は駆け出した。
 今日は九時までの勤務だ。残り三時間も、愛しい黒猫と過ごす特別な日のためにも、頑張らなければ。

 できることなら、春には大切で特別な、大好きでたまらぬ黒猫と暮らせたらいいのだけれど。

 ペットではないから飼いたいなんて言わない。杏寿郎は、大好きな黒猫と暮らしたい。一生、一緒に。