真菰
慌てて休憩所に行ったけれど、煉獄の言葉どおり、義勇も禰豆子もいなかった。義勇が横になっていた場所には、濡れたタオルが残っているだけだ。
ざわざわとした休憩所を見回して、真菰は少し泣きそうになった。もちろん、ぐっと我慢したけども。
「俺たちが浴場に向かって五分くらいは、冨岡も横になってたらしいんだが……」
「禰豆子がタオルを取りに行ってすぐに、外へ行くって出て行っちまったと。まったく、具合悪いなら大人しくしてりゃいいのに」
ガシガシと頭を掻く宇髄をなだめるように、煉獄がその背を軽く叩く。
「人がいるのが落ち着かなかったんだろう。ここを選んだ俺たちも悪い。それに、近くにいたちゃんと客に言付けを残している。あまり責めてやるな。まぁ、禰豆子にも遊ばせたいというのが、一番の理由かもしれんがな」
そのとおりだと真菰は思う。義勇は人が多い所が苦手だ。具合が悪いならなおさら人の気配はつらかっただろう。それに、義勇はやさしい。禰豆子一人がみんなと遊べないのを、申し訳ないと思ったに違いない。慌てていたからって、そこまで読めなかった自分が悪い。真菰は小さく唇を噛む。
禰豆子は言葉遣いはまだ幼いけれど、炭治郎の妹だけあって同じ年の子よりもしっかりしていると、真菰は思っている。子供らしくないと自覚している真菰や錆兎とくらべれば、まだまだ幼いのは確かな事実だ。それでも禰豆子はとても責任感のある子だと真菰は知っている。だから禰豆子を責める気持ちなんてどこにもない。
「とにかく、冨岡が外にいるのなら、場所が限られているぶん探しやすいだろう。まずは禰豆子を探したほうがいいかもしれん。俺は行きも帰りも禰豆子とすれ違わなかったからな」
「それって、俺たちがいた浴場とは別の場所に行っちゃったってことですか? どうしよう、禰豆子どこに行っちゃったんだろう」
煉獄の言葉に炭治郎は、すぐにも探しに行きたそうにそわそわと辺りを見回してる。
みんなが大浴場に戻ったことを禰豆子はちゃんと知っている。それでなくても、タオルを取りに行ったなら、必ずロッカーのある大浴場の脱衣所に現れるはずだ。
禰豆子の服やタオルが入っているロッカーは、みんなで髪を乾かしていた洗面台が並ぶ場所に近い。禰豆子が来たなら誰かしら気づくはずなのに、誰も禰豆子を見ていない。それなら、禰豆子はどこに向かったっていうんだろう。
「しかたねぇ、館内放送頼むか」
「……それはもっと後じゃ駄目? 禰豆子ちゃん、迷子の放送されたらきっとガッカリすると思うの。それに、義勇が聞いたら絶対に落ち込んじゃうよ」
宇髄の提案はもっともだし一番確実だが、禰豆子の気持ちを考えると忍びない。せっかく張り切っていたのに、自信を失っちゃうんじゃないかと心配になる。義勇だってそうだ。自分のせいだと気に病むに決まっている。
「では手分けして探すしかないな。なに、館内にいるのは間違いないんだ。すぐに二人とも見つかるだろう!」
煉獄の言葉にうなずきあったそのとき、あの、と声をかけてきた人がいた。
「いきなりごめんなさいね。話が聞こえちゃったんだけど、もしかして探しているのってポニーテールにした五、六歳くらいの女の子かしら?」
少し離れた席から声をかけてきた小母さんの言葉に、炭治郎が勢いよく「はい、妹の禰豆子です!」と駆け寄っていった。
「ここに来たときにね、入り口でその子に大浴場はどっちかって聞かれて、私ったら女湯のほうを教えちゃったのよ。てっきりお母さんと来てるんだと思っちゃって……。男の人ばかりってことは、あの子は男湯を探してたのよねぇ。勘違いしちゃってごめんなさいね」
「いえ、当然だと思います。こちらこそお騒がせしてすみません」
申し訳なさそうに言った小母さんに、宇髄が笑いかけると、小母さんの顔がちょっぴり赤くなった。周りを見れば、そこここで女の人が同じように頬を赤くして、チラチラと宇髄を見ている。
いつもより愛想良く笑う宇髄は、たしかに女の人から見たら格好いいんだろうけれど、真菰はちょっとだけ嫌だなと思った。錆兎だって整った顔をしているから、大人になったらきっと宇髄と同じくらい、女の人たちに見惚れられるに違いない。そのとき、錆兎が宇髄のように女の人にだけやさしく笑ったら。
そんな錆兎は、なんだか嫌だ。
べつに宇髄が嫌なわけじゃないけれど。宇髄のことは好きだけれども。それとこれとは話が別っていうか。いつもと同じ、ちょっと人を食ったからかいまじりな笑い方をすればいいのに、女の人にだけ愛想良く笑うなんて、やっぱりチャラい。
「おら行くぞ、真菰。おまえしか女湯には入れねぇんだからな」
ぐしゃっと髪を掻きまわされて、プンッと頬を膨らませた真菰は宇髄をちょっとにらみつけた。
「せっかく乾かしてくれても、ぐしゃぐしゃにしちゃったから宇髄さん減点」
「うっせ、なんか失礼なこと考えてやがっただろ。仕返しだ」
ヒッヒッヒとちょっと意地悪な顔で笑った宇髄に、きょとんとした真菰は、少し驚いた自分を隠すようにツンとそっぽを向いてみせた。
「じゃれてないで行くぞ」
さっそく休憩所から出ていた錆兎が苛立ったように言うのにうなずいて、ととっと隣に駆け寄る。こっそりと錆兎の耳元に顔を寄せて、耳打ちひとつ。
「宇髄さんって意外と私たちのことよく見てるよねぇ。今のちょっとビックリしちゃった」
なんで私が考えてたことわかっちゃったのかな。さっきのちょっぴり不機嫌な気持ちなんてどこかに吹き飛んで、少しだけウキウキと言ったら。
「……天元より俺のほうが真菰のことわかってる」
「うん。私も、錆兎のことなら誰よりもわかるよ」
だから、錆兎が今ちょっとやきもち妬いてくれたのも、わかっちゃうんだぁ。とは、言わないでおく。
まずは禰豆子を探すのが最重要。義勇だって心配だし、炭治郎が待ちきれずに足踏みしちゃってるし。浮かれている場合じゃない。
「行こ、錆兎」
「あぁ」
手を差し出せば、錆兎はためらいなく真菰の手を握ってくれる。だからきっと、大きくなっても大丈夫。真菰が嫌って思ったら、たとえ言葉にしなくても、錆兎は必ずわかってくれる。
脱衣所での不安がまたチリリと胸を焼いたけれど、信じることしか今はできないから。
未来に確定事項なんてきっとない。それでも信じなくちゃ不安に負けちゃう。
そんな真菰と錆兎を、後ろで宇髄が「仲のよろしいことで」とからかい声で笑う。
「そうだよぉ。ずっと仲良しだもーん」
と、真菰も笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
女湯に一人入った真菰が脱衣所や大浴場を見て回っても、禰豆子はどこにもいなかった。とりあえず真菰は、みんなが待つ廊下の突き当りまで戻るしかないようだ。
女湯の真ん前で待てるかっ! と宇髄が言うし、煉獄もそれは勘弁してくれとなんだか情けない声で同意したものだから。わざわざ廊下を戻らなくちゃいけないのが、真菰としてはちょっぴり不満だ。時間の無駄というか、合理性に欠けるというか。解せぬ、って感じ。
女の人にあんなに愛想を振りまいてたくせに、女湯の前は嫌だなんて、宇髄さんたら変なの。
思いながら廊下を戻ってみれば、待っていたのは錆兎と炭治郎だけだった。
「真菰! 禰豆子は!?」
「禰豆子ちゃん、脱衣所にも大浴場にもいなかったよ。宇髄さんと煉獄さんはどこ行ったの?」
炭治郎の問いかけに答えながら小走りに近づいていった真菰に、男湯のほう見に行ったと錆兎が答えた。
「間違えたのに気づいたのかもしれないからって言ってな。とりあえず禰豆子がいてもいなくても、四十五分になったらさっきの休憩所で待ち合わせることにした」
なるほど。今度はかなり合理的な判断だ。うなずいて真菰は、突き当りの壁に掛かっている時計を見上げた。
「今、四時二十分かぁ。じゃあ次はどこを探そうか」
「女湯だって大浴場のほかにもいろいろ風呂があるんだろう? もしかしたら、ほかの風呂に行ってるんじゃないのか?」
錆兎の言葉に思わず目をむき、真菰は炭治郎と声をそろえて言った。
「禰豆子ちゃんにかぎってそれはないよ!」
「禰豆子にかぎってそれはない!」
炭治郎と顔を見合わせてうなずきあう。ちょっとビックリしている錆兎に、ずいっと顔を寄せ、さらに真菰と炭治郎は言い募った。
「だって、禰豆子ちゃんは義勇にタオルを持っていこうとしてたんだよ?」
「しなくちゃいけないことがあるのに、それを放り出して勝手なことするなんて、禰豆子は絶対にしないぞ!」
真面目な顔で詰め寄った二人に、錆兎は少しだけたじろいだけれど、すぐに「そうだな」とうなずき返してくれた。
「たしかに、禰豆子はそういうとこちゃんとしてるな。悪かった」
潔く謝る錆兎に笑って「いいよ」と言った炭治郎が、けれどすぐにまた顔を曇らせた。
「でも、そしたら禰豆子はどこに行ったんだろう」
「男湯に行ってもいいけど、それじゃ宇髄さんたちと同じとこ探すことになるよねぇ」
「別のところを探すほうが理に適ってるな」
うーん、と三人で考えていたら、突然炭治郎が、あっ! と声を上げた。
「ツリーハウス! 露天風呂の後に行こうって言ってただろ? もしかしたら、俺たちがいると思って禰豆子もそっちに行ったのかも!」
なるほど、それは十分に考えられる線だ。
「そうだね。女湯でロッカーが開かなかったら、私たちを探すに決まってるもんね」
「よし、それじゃツリーハウスに行ってみるか。ここからだとどう行くんだ? 男湯に戻るか?」
聞かれて、真菰は錆兎と炭治郎の手を取り、女湯へと足を向けた。
「こっち! 女湯にもツリーハウスに行くドアがあったよ。そこから行けばいいよ」
手を取り合って女湯の脱衣所を通ってツリーハウスに続くドアへ。気は急くけれど走ったら迷惑になっちゃうから小走りに。
いますようにと願いながらドアを開けたら、そこは子供の笑い声であふれていた。
きょろきょろと三人で見回してみたけれど、禰豆子の姿はない。ツリーハウスのなかも見に行ったけれど、やっぱり禰豆子はいなかった。
「どうしよう、禰豆子はここには来なかったのかな」
「私たちがいなかったから移動しちゃったのかも」
途方に暮れて錆兎を見たら、錆兎もなんだか泣き出しそうな顔をしていた。もちろん、錆兎はこんなときに泣いたりしない。グッと涙を我慢する。だって。
「……あのさ、さっき宇髄さんに義勇さんが焦ってるって言われたとき、錆兎と真菰はなんであんなに悲しそうだったんだ?」
突然、意を決した声で炭治郎が言った。一瞬だけ時が止まったような気がして、真菰が思わず縋るように錆兎を見ると、錆兎も同じ目をして真菰を見ていた。
そんな真菰と錆兎にどう思ったのか、炭治郎が少し慌てながら、でもお兄ちゃんな顔をして言う。
「いきなりこんなこと言ってごめんな。でも、禰豆子も心配だけど、俺は錆兎たちのことも心配なんだ。あ! 俺よりずっと錆兎と真菰のほうが大人だってのはわかってるよ! でもさっきはなんだか泣き出しそうだった」
うん、泣きそうになったよ。不安だったから。でも。でもね。
「……炭治郎は、早く大人になりたいって思ったことある?」
「え? うーん、そうだなぁ。ハチに噛まれそうになったときとか? 俺が大人だったら禰豆子を守れるのにって思ったかも。あと、父さんや母さんが忙しそうなときに、大人だったらもっと俺も手伝えるのにって思うかなぁ」
だけどハチのときは義勇さんが助けてくれたから、子供のままで良かった。だって俺が子供だったから義勇さんに逢えた。ほわりと頬を赤くして、炭治郎はうれしそうにはにかむ。
炭治郎は本当に義勇のことが大好きだ。私や錆兎と同じくらいに。もしかしたら、もう炭治郎のほうがずっと、義勇のことを好きなのかもしれないと思っちゃうぐらいに。それはまったく悪いことではないのだけれど、それでもどうしても少し不安で、真菰はちょっぴり切なく笑った。
「私と錆兎はね、義勇の心が迷子になっちゃってからずっと、早く大人にならなくちゃって思ってたよ。義勇を守りたいから。鱗滝さんのことだって、私たちが大人になったら守れると思ったから。でも……でももう義勇は、私たちに守られなくてもいいって、思ってるのかもしれない」