ワクワクドキドキときどきプンプン2日目

禰豆子

「んじゃまぁ、レディーファーストな」
 宇髄に言われて、お風呂の順番はすぐに決まった。真菰と義勇と一緒に風呂に向かいながら、禰豆子は、ちょっとため息をつく。大好きな真菰や義勇と一緒はうれしいのだけれど、さっきの宇髄と煉獄のジャンケンが、禰豆子にはまだ悲しい。
 少ししょんぼりしてしまっていたら、真菰がよしよしと頭を撫でてくれた。
「大丈夫だよ。宇髄さんも煉獄さんも、禰豆子ちゃんのことが嫌いなわけないじゃない」
 やさしい声がうれしくて、禰豆子も笑ってうなずいたけれども、やっぱり胸はチクチク痛む。お兄ちゃんの炭治郎や、大人みたいな真菰や錆兎と違って、禰豆子はどうしたってみそっかすのお荷物だ。禰豆子がそう言えばきっと、みんなはそんなことないよって慰めてくれるだろう。誰も禰豆子を馬鹿にしたりしないし、邪魔者扱いなんてしないでくれる。義勇だって無表情だしやさしい言葉をかけてくれたわけじゃないけれど、禰豆子と一緒にお風呂に入れと言われたとき、なんのためらいもなくうなずいてくれた。真菰もうれしそうに笑ってる。
 わかっているのだ、禰豆子だって。みんなやさしいし、いい人ばかりだ。それでも悲しくなってしまうのは、真菰や錆兎がうらやましいからなんだろうか。
「真菰ちゃんと錆兎くんはなんで大人の人みたいにお話しできるの? 剣道してるから?」
 鱗滝の家のお風呂は、お弟子さんがもっといっぱいいたときにリフォームしたとかで、ちょっと古びているけれど三人で入っても余裕なぐらい広い。脱衣所も体がぶつかりあう心配なんてない。お兄ちゃんも一緒だったらもっと楽しいのになと思いつつ、洋服を脱ぎながら禰豆子が聞くと、真菰は唇に指を当てて、んー、と考えだした。
「私も錆兎も早く大人になりたかったからかなぁ。だって義勇のお姉ちゃんとお兄ちゃんだもん」
 そう言って真菰は笑う。それを見る義勇は無表情。ほんのちょっとだけ眉が寄っているような気がしたけれど、ほんのちょっぴりの変化だから、禰豆子はあまり気に留めなかった。もっとずっと気になることがあったので。
「禰豆子も竹雄と花子のお姉ちゃんだけど、真菰ちゃんたちみたいになれないの。どうしたらいいのかなぁ。禰豆子もお兄ちゃんが我儘言ってくれるように、早く大人になりたいなぁ」
 湯気のこもった浴室に足を踏み入れながら言えば、思わず落ちたため息が湯気に溶ける。真菰が少し不思議そうにパチンとまばたきした。
「我儘を言ってほしいの? 炭治郎は我儘言わないの?」
「うん。お兄ちゃんはね、いっつも我慢しちゃうの。お兄ちゃんが貰ったお菓子でも、お兄ちゃんは私たちにくれるんだよ。オモチャも同じ。お兄ちゃんはいつでも私たちが先なの。竹雄や花子がお兄ちゃんが大好きなお菓子を全部食べちゃっても、お兄ちゃんは一個も食べないで、おいしいかって笑ってくれるの」
 真菰と並んで義勇にお湯をかけてもらいながら、禰豆子は炭治郎の笑顔を思い出す。
 炭治郎の笑顔はいつでも温かくてやさしい。炭治郎が一緒にいれば禰豆子はいつでも百人力だ。誰と一緒にいるより安心する。義勇が炭治郎のヒーローなら、禰豆子のヒーローは炭治郎だった。
 いっぱい我儘を言ったって。いっぱいいっぱい甘えたって。炭治郎はいつだってにこにこ笑ってくれる。
 禰豆子がもうちょっと小さかったころに、いつも遊んだりおやつをくれていたおばあちゃんは、お空のお星さまになってしまった。それからずっと、禰豆子の面倒を見てくれていたのは炭治郎だ。
 お父さんやお母さんはお店が忙しくて、毎日大変なのは禰豆子にだってわかる。かまってやれなくてごめんねと謝られるたび、禰豆子は大丈夫だよと笑ってみせた。お兄ちゃんがいるから平気と笑える。
 本当はお母さんにもっと甘えたいけど、禰豆子よりも小さい竹雄や花子だっているのだ。お姉ちゃんなんだから我儘は言っちゃ駄目だと、我慢する日はそれなりにある。そんなとき、炭治郎は「兄ちゃんにはいくらでも我儘言って甘えていいんだぞ」と笑ってくれる。だから禰豆子は、花子ばっかりお母さんに抱っこされてズルいなんて、思ったことすらない。炭治郎がお父さんやお母さんの代わりをしてくれるからだ。

 でも、それならお兄ちゃんは誰に我儘を言って、誰に甘えるんだろう。

 いつでもお兄ちゃんだから、長男だからと笑って、なにひとつ我儘を言わない炭治郎だけれど、たった一人だけ、甘えたそうにする人がいる。義勇だ。
 義勇と出逢ってからの炭治郎は、いつでも二言目には義勇さんだ。義勇さんは俺のヒーロー。義勇さんはすごい。義勇さんはやさしい。義勇さんのことが大好きだと、ちょっとほっぺを赤くして炭治郎は言う。
 それでも炭治郎は、自分から我儘を言わない。甘えたそうにしても、どうしたって遠慮してしまっているように見えた。
 さっきだってそうだった。

「お兄ちゃん、きっとぎゆさんの弟になりたいんだと思うの。でもなりたいって言えないの」
 それは我儘だと思っているから。だから炭治郎には言えないのだろう。炭治郎は、『お兄ちゃん』だから。
 禰豆子は、後ろに座って髪を洗ってくれている義勇を見上げた。
 手を止め見下ろしてくる義勇の目は、どこか困っているみたいに見える。そんな義勇を、隣りに座って体を洗っていた真菰も仰ぎ見た。
「義勇も我儘言ってくれないよね。私も錆兎も義勇に我儘言ってほしいのに」
 真菰の言葉に、義勇はますます困ってしまったようだ。ちょっとだけ眉が下がっている。
「お兄ちゃんやお姉ちゃんは我儘言えないから、ぎゆさんも真菰ちゃんたちに我儘言えないの? でもぎゆさんは真菰ちゃんたちの弟でもあるんでしょ?」
 それなら禰豆子と同じだ。禰豆子は竹雄たちのお姉ちゃんだけど、炭治郎の妹でもある。
「禰豆子はね、お兄ちゃんにだけは甘えちゃうの。我儘言いたくなったりするの。そうするとお兄ちゃんがかまってくれるから」
 大好きだから甘えたくなる。かまってほしいと我儘を言いたくもなる。義勇は違うんだろうか。
「……困らせる」
 小さな義勇の声に真菰がきゅっと眉根を寄せた。禰豆子もちょっと悲しくなる。
「困らないよ。だって大好きなんだもん。我儘言われるのも甘えられるのもうれしいよ」
 そう言う真菰に禰豆子もうなずいて、顔を見合わせ「ねー」と笑った。
 困らせるから我儘を言えないというのはわかる。禰豆子がお父さんやお母さんに我儘を言えないのと一緒だ。でも、言われるほうで考えると、もっと甘えて我儘を言ってと思ってしまう。

 あれ? これも我儘なのかな?
 
 むずかしいなぁと思いながら、禰豆子は一番気になることを聞いてみた。
「ぎゆさんはお兄ちゃんに我儘言われたら困る? 甘えられたら嫌いになっちゃう?」
 禰豆子の声には少しだけ不安がにじんでいたんだろう。義勇はすぐに首を振ってくれた。しっかりと禰豆子の目を見つめてくるきれいな瑠璃の瞳には、ひとかけらも嘘なんて見つけられない。
 だから禰豆子も、よかったと笑った。

 お風呂から出て茶の間に向かうと、炭治郎たちが鱗滝のお手伝いをしていた。
 ちゃぶ台で錆兎と炭治郎が、人参をスライサーで千切りにしている。その向かいでは、包丁を握った宇髄がひたすらキャベツを千切りしていた。その手際の良さには禰豆子も真菰もビックリだ。すごく早いしキャベツも細い。まるでコックさんみたいだ。
「すごい、宇髄さん上手!」
「ふふん、だろぉ? もっと派手に褒めていいぞ、禰豆子。あと、さっきは悪かったな」
 自慢げに言ったかと思ったら、すぐにバツが悪そうに謝ってきた宇髄に、思わず笑ってしまう。派手な服装だし口も悪いしで、ちょっと怖い人に見える宇髄だけれど、本当はやさしい人なんだとこういうときによくわかる。
 もともと禰豆子はくよくよ悩まない。怒りも持続しないたちだ。だからこんなふうに謝ってもらうと、悲しい気持ちよりうれしい気持ちのほうがずっと大きくなって、ニコニコとしてしまう。
 さっきのジャンケンのことはもう忘れちゃおう。スパッと思い切ると、禰豆子は宇髄の隣に腰を下ろし、にっこりと笑いかけた。だって宇髄も煉獄もいい人だし、禰豆子はやっぱり二人が好きなのだ。
「いいよ。でもなんでお台所でしないの?」
「流し台が俺様には低すぎんだよ。全員で立つには狭いしな」
 なるほど。鱗滝が立っている流し台は宇髄には低そうだ。見上げるのも大変なほど宇髄は大きいから、このほうが楽なのだろう。
「炭治郎、杏寿郎が戻ってきたら先に風呂に入れよ。俺と天元は後でいいから」
 錆兎に言われて、そういえば煉獄の姿が見えないなときょろきょろと真菰と一緒に見回すと、気づいた宇髄が苦笑した。
「煉獄は道場で布団敷いてるよ。あいつ、ビックリするぐらい料理できないから戦力外」
「義勇、炭治郎たちが帰るまでみんなで道場で寝るんでもいいだろ? 俺らと義勇の布団も杏寿郎が道場に運んだから」
 こくりとうなずいた義勇に、炭治郎がうれしげに笑ったのを見て、禰豆子も顔を輝かせた。みんな一緒がうれしいのは禰豆子も同じだけれど、炭治郎が幸せそうなのが禰豆子にはなによりうれしい。
「それじゃ真菰ちゃんと一緒に眠れるの?」
「やったね。隣で寝ようね、禰豆子ちゃん」
 キャッキャと笑い合ってるうちに煉獄が戻ってきて、禰豆子に気づいた途端ぺこりと頭を下げた。
「さっきは傷つけてしまってすまなかった! 女の子と一緒に風呂に入るというのは初めてで、どうにも照れてしまったのだ。本当に申し訳ない!」
「禰豆子のことが嫌いなんじゃねぇから」
 宇髄にも改めて頭を下げられ、禰豆子は一瞬きょとんとして、すぐにまたにっこりと笑った。
「大丈夫、もう悲しくないよ。真菰ちゃんやぎゆさんとお風呂入るの楽しかったもん」
 それならよかったと二人が笑ってくれるのがうれしい。やっぱり宇髄も煉獄もいい人だ。小さな禰豆子にも、誤魔化したりしないでちゃんと謝ってくれる。
 やさしく笑った煉獄が頭を撫でてくれて、禰豆子はますますうれしくなった。

 だから禰豆子は気がつかなかったのだ。炭治郎がちょっと悲しそうな顔をしたことに。

 一日目の夕飯は義勇の大好物だという鮭大根と、コロッケとメンチカツがいっぱい。炭治郎たちがくるからと、鱗滝がたくさん買ってきてくれたらしい。
 宇髄が千切りしたキャベツは、炭治郎と錆兎が千切りした人参と一緒にコールスロードレッシングで和えられた。きれいな千切りに煉獄がしきりに感心していたのがおかしい。どっちも大皿でドンッと置かれている。
 禰豆子と真菰も、義勇と一緒にお皿を出したりしてお手伝いした。それを見ていた鱗滝はずっとにこにこと笑っていて、お父さんやお母さんの躾がしっかりしているんだろうと炭治郎や禰豆子を褒めてくれた。
 お母さんが作ってくれるいつものご飯も好きだけれど、こんなふうに友達と一緒に食べるご飯は、なぜだかいつもよりおいしく感じるから不思議だ。炭治郎と真菰に挟まれて、禰豆子はご機嫌だった。
 反対隣りの義勇へと笑顔を向けつつご飯を頬張る炭治郎に、禰豆子は上機嫌なまま「あのね、お兄ちゃん」と話しかけた。
「禰豆子ね、ぎゆさんに頭を洗ってもらったの。ぎゆさん頭洗うの上手だったよ。真菰ちゃんと一緒にぎゆさんの頭も洗ってあげたんだぁ。それにね、禰豆子が自分で体洗って、ちゃんと耳の後ろも洗ったら頭撫でてくれたんだよ。肩まで浸かって百数えられたら、偉いって言ってくれたの!」
 炭治郎の向こう側で、義勇がこくりとうなずいてくれる。炭治郎も笑ってくれたから、禰豆子はもっと炭治郎を喜ばせたくて、炭治郎の耳に唇を寄せて内緒話もした。
「あとね、内緒だけど、ぎゆさんお尻に傷があるの。ちっちゃいころに犬に噛まれちゃったんだって。ぎゆさん、だから犬が苦手なの。内緒だよ? でもね、禰豆子がもう痛くない? って聞いたら、大丈夫って言ってくれたよ」
 義勇のことが大好きな炭治郎に、教えてあげようと思ったのだ。義勇のことなら炭治郎はきっと、なんだって知りたいはずだ。そうなんだと、教えてくれてありがとうと目を輝かせ、笑ってくれると思った。それなのに。
 一瞬だけだった。炭治郎がどこか痛そうな、悲しげな顔をしたのは、ほんの一瞬。すぐに明るくてやさしい笑顔をみせてくれた炭治郎は、いつもどおりのお兄ちゃんだ。
「そっかぁ、褒めてもらえてよかったな、禰豆子」
 声だっていつもと変わらずやさしい。それでも見間違いなんかじゃない。キュッと眉が寄って、赫い瞳が揺れたのを、禰豆子は見た。

 まただ。きっとまた炭治郎は、なにかを我慢した。

 どうして? と、禰豆子の顔も悲しくて歪む。泣きたくなってくる。
 なんでお兄ちゃんは我慢しちゃうんだろう。義勇はきっと怒ったりしないのに。禰豆子だって、もしも炭治郎が我儘を言っても嫌いになったりしないのに。悲しいなら悲しいと言ってほしい。だって。
「禰豆子ちゃん? どうしたの?」
 箸を止め黙り込んでしまった禰豆子に、真菰が話しかけてくれる。だけど心配そうな声に禰豆子は笑い返せなかった。
「どうして……? お兄ちゃん、どうして我慢するの? なにが悲しかったのか言ってくれないと、禰豆子、わかんないよ」
 大好きなお兄ちゃんが悲しんでる。それが悲しい。それなのに、なにが炭治郎を悲しませたのかわからないから、悔しい。わからない自分にちょっぴり腹も立つ。グッと喉の奥が詰まり、禰豆子の目に涙が浮かんだ。
 禰豆子が突然泣き出したものだから、みんながギョッと目をむいている。ご飯の最中に泣き出すなんて、少しだけ恥ずかしくもなった。けれど、涙は勝手にぽろぽろと落ちる。
「禰豆子、どうしたんだ? どっか痛いのか?」
 炭治郎だって心配してくれているのに、涙が止められない。
「ねぇ炭治郎、今なにか我慢した? 我儘言いたいのに言わなかったの?」
 きっと禰豆子の涙のわけに気づいてくれたんだろう。真菰が炭治郎に聞いてくれた。真菰は禰豆子と同じ一年生なのに、本当にお姉ちゃんみたいだ。
 悲しい気持ちの片隅で、いいなと禰豆子はちょっと思う。

 真菰ちゃんはいいな、大人の人みたいでいいな。禰豆子もお兄ちゃんが頼ってくれるぐらいお姉ちゃんになりたいのに。

 お姉ちゃんは泣いちゃダメと思うのだけれど、悲しくて悔しくて、涙はぽろぽろ零れて落ちる。
 炭治郎は真菰の言葉に少し言葉を詰まらせていた。口にしていいのかわからないという顔をしている。
「禰豆子ちゃんはね、炭治郎にも我儘を言ってほしいんだよ。私や錆兎が、義勇に我儘を言ってほしいって思うのと同じなの。大好きだからいっぱい我儘言って、いっぱい甘えてほしいんだよ。私と錆兎は、義勇に我儘言ったり甘えたりもするよ。私たちが我儘言って甘えると義勇がうれしそうにしてくれること、ちゃんと知ってるから」

 義勇のことが大好きで、義勇も私たちのこと大好きって思ってくれてるの、知ってるから。

「炭治郎と禰豆子ちゃんも同じでしょう?」
 笑う真菰の顔は、とてもやさしい。やっぱりお姉ちゃんみたいだ。炭治郎と同じ、温かくてやさしい笑顔。
「うん、禰豆子も、真菰ちゃんとおんなじ。お兄ちゃんが大好きだし、お兄ちゃんが禰豆子のこと大好きなのも知ってるよ」
 義勇と炭治郎は違うのかと、炭治郎の向こうに見える義勇へと禰豆子は視線を向けた。涙でぼやける義勇の顔は、それでもきれいで、ちょっと困っているように見える。炭治郎が困っているのと同じように。
「あの……俺……」
 ためらいながら口を開いた炭治郎を、全員で見守ってしまう。宇髄の口が声にしないまま「言え、言っちまえ」と動いてるのがわかった。煉獄と錆兎も固唾を呑んで炭治郎を見てる。鱗滝も箸を止めてじっと炭治郎と義勇を見ていた。

「俺っ、本当はさっきやきもち妬きました! 俺だって義勇さんと一緒にお風呂入りたかったから! 義勇さんの髪を洗ってみたかったし、俺の頭も義勇さんに洗ってほしいです! 一緒にお風呂で百まで数えたいし、偉いって褒めてもらいたいし、義勇さんのお尻の傷だって俺も見たいし、それから、それから、あの……」

 一気に言った炭治郎が、少し肩を落として隣の義勇を見上げた。

「俺、義勇さんの弟弟子になりたいです……義勇さんと一緒がいいです……」

 義勇をじっと見つめて小さな声で言った炭治郎に、宇髄と錆兎がよしっとうなずきあう。煉獄も微笑んでいた。鱗滝も笑っているけど、ちょっと涙ぐんでるみたいだ。
 まだ涙が止まらない目で真菰を見れば、真菰もうれしそうに笑ってうなずいてくれて、ようやく禰豆子の顔にも笑みが戻る。
 でも、まだ義勇の答えを聞いていない。一番肝心なのは義勇の気持ちだ。
 みんなの視線が義勇に向けられる。義勇はますます困っているように見えた。だけどじっと炭治郎を見つめている。瑠璃の瞳は炭治郎の赫い瞳から外れず、ただじっと見ている。
「……炭治郎が大変なのは、嫌だ」
 暫しの沈黙のあと、紡がれたのはそんな言葉。けれど、しょんぼりとうつむきかけた炭治郎の顔をふたたび上げさせたのも、義勇の言葉だった。

「だけど、もし炭治郎が俺の弟弟子になったら……うれしい。すごく、うれしい」

 言いながら、義勇の顔がゆっくりとうつむいてゆく。炭治郎の顔が上げられたのとは反対に。
 義勇も炭治郎も不器用だ。不器用で、とてもやさしい。やさしすぎて自分のことは全部二の次にしちゃうくらいに。
 大好きだから我儘を言いたい。大好きだから困らせたくなくて言えない。それを繰り返す。二人を見ているとなんだか胸の奥がほわっと温かくなるのは、きっと大好きが溢れているからだ。

 パァッと輝いた炭治郎の顔。少し戸惑っているようだけど、それでもうれしさを隠しきれていない義勇の瑠璃の瞳。二人が幸せそうなのが、禰豆子にはただうれしかった。
 大好きなお兄ちゃんが、もっと義勇に甘えられたらいいと、禰豆子は思う。炭治郎はお兄ちゃんだけど、禰豆子と同じで小学生なんだから。義勇よりずっと子供なんだから。
 たまにはお兄ちゃんだって弟になればいいのだ。竹雄や花子みたいに甘えん坊で我儘な、義勇のかわいい弟に。義勇が──やさしくて強いお兄ちゃんが、きっと炭治郎を甘やかしてくれるはずだ。

 禰豆子が甘やかしてあげられないのは残念だけれど、でも悔しい気持ちはすぐに消えた。炭治郎が笑ってくれるなら、それで禰豆子も幸せなのだ。

「義勇、明日は炭治郎たちに稽古をつけてやれ」
 親御さんには後でわしから相談することにしようと、少し涙ぐみながら鱗滝が言ったのに、義勇が小さくうなずいた。
「炭治郎、俺の予備の竹刀をやる。がんばれよ」
「禰豆子ちゃんには私のをあげるね。お父さんたちがいいって言ったら、鱗滝さんとお迎え行くよ」
 錆兎と真菰の言葉に、禰豆子は炭治郎と顔を見合わせた。炭治郎の頬はちょっぴり赤い。少し恥ずかしそうで、でも目はキラキラとうれしげに輝いている。それがとてもうれしくて、禰豆子の胸は幸せではち切れそうだった。
「うん! ありがとう真菰ちゃん、お兄ちゃんと一緒にがんばる!」

 明日からお兄ちゃんと禰豆子も、真菰ちゃんたちやぎゆさんの弟と妹!

 とってもワクワクして、なんだかドキドキする。新しいことはいつもワクワクドキドキだ。
 きっと残りのお休みも、ずっとこんなふうにワクワクドキドキするんだろう。
 それがとっても楽しみな禰豆子だった。