義勇
スーパー銭湯の裏庭で一人ベンチに座った義勇は、止む気配のない鈍い頭痛に眉を寄せ、深くため息をついた。
大概の客は休憩所の座敷やラウンジで休むらしく、義勇も最初に連れて行かれたのは座敷だ。けれどもあそこは人の気配が多すぎる。一緒に残ってくれた禰豆子には悪いが、横になっても落ち着けなかった。
禰豆子がタオルを取りに行ったのを機に、新鮮な空気を求めてふらふらと歩き回り、ようやく見つけたのがこのベンチだ。喫煙所ではないせいか、屋外までわざわざ出てくる人は見当たらなかった。人気のなさが今は心底ありがたい。義勇は苦しい息を整えようと、何度か深呼吸した。
近くにいた人に禰豆子への言付けを残したが、ちゃんと伝わっただろうか。禰豆子一人で迷ったり、泣いていたりしないだろうか。不安は尽きないが、頭痛を訴える頭では考えもまとまらない。
体調に気を付けるよう、出がけに真菰からさんざん言われたのに、このザマか……。義勇は落ち込みをあらわにうつむいた。
今日は常になく体調がいいと思っていたのだが。いや、だからこそ油断したのかもしれない。
昨日の昼食から、食事のたびに炭治郎は、手ずから義勇に食べさせようとする。まるで幼い子を世話するように。恥ずかしさは消せないが、拒めば悲しませそうで雛鳥のように口を開けてやれば、炭治郎は至極うれしげに顔をほころばせた。それがどうにも面映ゆく、炭治郎が喜ぶのがなによりもたまらなくうれしくて。気が付けばいつもより食が進んでいた。
眠るときもそうだ。一緒に寝たいともじもじと言うのがかわいくて、自分の布団に招き入れ頭を撫でたら、炭治郎は幸せそうに照れた笑みを浮かべ義勇にすり寄ってきた。炭治郎の温もりは傍らにあるだけで義勇をまどろませる。いつの間にか深い眠りに落ちていた。
無意識に抱きしめていたのはご愛嬌ってものだろう。目を覚ましたときに腕のなかにいた炭治郎に少し驚いたが、それ以上に、深く熟睡していた自分にこそ義勇は驚いた。
あんなにも安らかに眠れたのは、姉の事故以来初めてで、だから錯覚したのだ。以前の自分のようだと。
義勇は深く嘆息する。いつもより食事をとれても、久し振りに熟睡できても、しょせんは付け焼刃だ。やっぱりまだ心に体が追いついていない。少し長湯をしただけで、ごっそりと体力を奪われへたばっている。こんなことで炭治郎たちの兄弟子として指導してやれるのだろうか。
それでも、炭治郎が自分に我儘を言ってくれたのがうれしかったのだ。
やきもちを妬いてもいいかと聞いてきたわりには、炭治郎は相変わらず我儘を言わずにいる。あからさまに甘えてくることも少ない。義勇を独り占めしたいと言ってくれたけれど、錆兎たちが義勇をかまっているときなどは、気が付けば一歩引いたところで見ていることが多かった。
もっと甘えていいのに。歯がゆく思いはするが、甘えるわけにはいかないと思われていてもしかたがない。錆兎や真菰のみならず、同級生の宇髄や煉獄にまでも保護者のように振舞われる現状では、炭治郎とて甘えにくいだろう。
そこまで考えて、義勇は思い浮かんだ同級生の顔に焦燥を募らせた。
おそらくは出がけに錆兎たちからなにか言われたに違いない。駅に向かうのに宇髄たちが選んだのは、遠回りになる大通りだった。
鱗滝の家から駅に向かうなら、姉の事故現場である繁華街近くの道のほうが断然早い。自転車を走らせてすぐに気づき、義勇は内心怯えていたのだが、先頭を走っていた宇髄はためらいもなく大通りへと進んでいった。
義勇を挟んで前後に並んでの道行きに、会話はほとんどなかった。それでも、二人が自分を気遣ってくれている気配は義勇にも感じとれた。遠回りだというのに急かさない。宇髄はかなりスピードを出すタイプだろうと思っていたが、のんびりとしたサイクリングのようなペースを保ってくれた。姉の死を思い起こさせる要因に配慮してくれたことぐらい、義勇にだってわかる。
錆兎たちから頼まれたことも簡単に想像がつく。二人にとっては、義勇のお守を任されたようなものだ。迷惑な顔一つせず明るく笑いかけてくれる煉獄や、口は悪いが疎ましがる様子など微塵も見せない宇髄が、義勇には不思議でならなかった。
義勇を見るほかの同級生の目は、異質なものへの嫌悪や嘲りを隠さない。なのに二人にはそれがないのだ。
いくら仲良くなった子供たちに頼まれたとはいえ、こんな面倒な事情を抱える自分を、彼らは迷惑に感じないのだろうか。気持ちが悪いとは思わないのだろうか。考えれば考えるほど、義勇の戸惑いは深まっていく。
こんなふうになる前でさえ、義勇には特別に親しくしていた友人などいなかった。周囲から見ると昔から口下手でコミュニケーション能力が低い……らしい。なんとなくそう思われているのを感じるだけで、あまり自覚はない。
それでも、それなりに友人と呼べる同級生はいるにはいた。けれど常に姉優先、剣道を始めてからは加えて剣道優先だった義勇は、友人たちから付き合いが悪いと思われていたことを知っている。
顔を合わせれば笑みを浮かべながら自分を頼りにしてくるクラスメートたちが、義勇が教師に呼ばれ席を外したときに、堅物すぎてつきあいづらいと言い合っていたのを聞いたことがあった。ショックと呼べるほどの驚きはなく、そんなものなのだろうと思った自分は、もともと異質な存在だったのだろう。
女子から告白されたときだってそうだ。同級生たちのように浮かれるどころか、喜びや興奮などまったく感じなかった。なぜよく知りもしない自分のことを好きだなど言えるのか、不思議だっただけだ。すぐに断ったのはもちろんだが、友人たちからもったいないだのなんだのと言われるのがうっとうしくて、もう二度と告白などされたくないとすら思った。
炭治郎から大好きなたった一人のヒーローと言われるのは、どうしようもなくうれしくなったのに、なんでだろう。よく知らないのは炭治郎だって同じことだ。なのに炭治郎からの好意は、困惑はしても心からうれしいと思える。
もっとも、こんなふうになった今では告白してくる女子などいるわけがないから、そういう意味での迷惑ごとは皆無になるはずだ。
ああ、迷惑といえば、宇髄と煉獄にはまた迷惑をかけてしまっているだろうか。子供たちが心配しているかもしれない。義勇は外にいると、禰豆子が伝えてくれていたらいいのだが。そもそも禰豆子に言付けが伝わってなかったらどうしよう。俺を探して迷子になっていないだろうか。炭治郎たちと楽しく遊んでくれていればいいのだけれど。
少し朦朧とした義勇の思考は、取り留めなく過去へ現在へと堂々巡りを繰り返す。そしてやっぱり自分の不甲斐なさへと辿り着く。
でも。と、義勇は少しだけ不貞腐れた気分で眉を寄せた。
自分がこんなところで一人苦しんでいる原因の一端は、あの二人にもあるのだ。ちょっとぐらいは反省してほしいと思ってもしかたないだろう。
入館して、ウェアとロッカーのキーが着いたリストバンドを受け取ったのは、二時間ほど前のこと。思い返して、あのときにはこんな羽目になるとは思わなかったのにと、義勇はまた小さくため息をついた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まずは稽古の汗を流してからと、子供たちと並んで体を洗ったのが、風呂三昧の始まりだ。
禰豆子が真菰に背中を洗ってもらっている横で、炭治郎は自分も体を洗いながら、何度もそわそわと義勇をうかがい見てくる。大きな目が雄弁に期待を伝えてくるのが愛らしく、ご希望どおり髪を洗ってやろうと、義勇は炭治郎を自分の前に座るよう手招いた。
パッと顔を輝かせた炭治郎が、すぐに風呂椅子に座る義勇の膝の間にちょこんと腰を下ろす。
「お願いします!」
浴場にひびく元気な声で言って、義勇を見上げて炭治郎は笑った。ちょっぴりむずがゆくも誇らしい、不思議な温かさが、義勇の胸を満たす。暗く冷たい黒い靄のなかでうずくまったまま、二度と光なんて臨めないのだと思っていたのに、こんな小さな笑顔一つに心が動く自分が、義勇にはなにより不思議だ。炭治郎はすごいな。なんとはなし感動しつつ、義勇はシャワーヘッドを手に取った。
下を向いた炭治郎のうなじは、幼さに見合って細い。背も肩も、やせ細ってしまった自分よりさらに薄く小さいのは、錆兎や真菰だって同様だ。それでも炭治郎だけは、なにかが違って見える。
なにがあっても守りたいのは、錆兎たちや禰豆子も同じことなのに、なぜだろう。炭治郎の幼い首や背中は、義勇の動かなくなった心をさざめかせるのだ。
慎重に湯をかけてやり、濡れて深みを増した赤い髪を洗いだすと、今度はやけに心が落ち着いた。錆兎や真菰に対してもそうなのだが、髪を洗ってやるという行為は、なぜだかとてもやさしい気持ちになる。相手が幼い子供だからだろうか。義勇にはよくわからない。
丁寧に、怖がらせないようにと、義勇は炭治郎の髪をゆっくりと洗う。洗い慣れた錆兎たちではないからか、炭治郎に触れる義勇の指先は我知らずいつも以上に慎重になった。
シャンプーの匂いと、ときおり膝に触れる炭治郎の体温、細い肩。この子はまだ幼いのだと、不意に強く思った。義勇の凍りついていた心がまた少し柔らかさを取り戻す。炭治郎と触れあうたび、温かく朗らかな笑顔を向けられるたび、義勇の心に小さな明かりが灯って、息が少しずつ楽になるのだ。
洗い終えるのはなんだか残念な気がしたけれど、いつまでもグズグズと髪ばかり洗っているわけにもいかない。コンディショナーまで済ませて濡れた髪を拭い終えたら、炭治郎がパッと振り返った。
「ありがとうございました!」
元気な声と笑顔は、どことなしはにかみを含んでいる。大きく丸い目がじっと義勇を見つめ、少しだけ逡巡をにじませた。
「あの……義勇さんの髪、俺が洗ってもいいですか?」
ためらう声に義勇は一も二もなくうなずいた。なんでそんなことを不安げに聞くのかわからない。いっそう顔を輝かせていそいそと立ち上がった炭治郎が、義勇の背後に回る。義勇が風呂椅子を降りてあぐらをかいたのは無意識だ。煉獄や宇髄のような高身長ではなくとも、義勇だって中三だ。小学生の炭治郎とでは身長差がある。錆兎たちに洗ってもらうときも、少しでも楽に洗えるようにと床に直に腰を下ろすのが常だった。
「義勇の髪って多くて長いから、いつも錆兎と二人で洗ってあげるんだけど、炭治郎一人で大丈夫?」
「大丈夫! あの、どこか痛かったらすぐに言ってくださいね?」
髪を洗うだけなのに、まるで歯医者みたいだな。炭治郎の心配がちょっぴりおかしくて、義勇はわずかに頬をゆるめた。こくんとうなずけば、「じゃあ、いきますっ」とやけに真剣な声が返ってきてそろっと毛先からシャワーが当てられた。
目の前の鏡に映る炭治郎の顔は、竹刀の点検をしていたときと同じくらい真剣だ。思わずクスリと笑ってしまった義勇にきづいたのか、炭治郎がキョトンと目をしばたたかせた。照れたように顔をほころばせるさまは、やっぱり幼くて、なんだか少し胸が詰まる。
水滴の散った鏡に映る炭治郎の笑み。一所懸命さが伝わってくる細い指の感触。来られてよかった、心の深いところで義勇はしみじみ思う。
感情が薄れ果ててからは、錆兎たちとどこかに出かけることもなくなった。なんの反応も返せぬ義勇が一緒では、どんなに楽しい場所だろうと二人の顔も曇りがちになる。帰宅してからも懸命に空元気を奮いたて、遊園地や映画より家にいるほうが楽しいと笑う二人を見るのは、鱗滝にとってもつらかったろう。義勇の体力だって心配だったに違いない。思い返してみれば鱗滝家に世話になって以来、お出かけなんてほぼなかった。いや、なくなった。
当人たちは認めないだろうが、錆兎と真菰が墓参りにあれほどはしゃいだ理由の一部には、子供らしい『おじいちゃんと一緒のお出かけ』への喜びがあったはずだ。
もっと早く気がつくべきだった。悲しみと罪悪感にうずくまって、周りのやさしい人たちから向けられる気遣いにすら、目を背けていた自分が悔しい。よみがえりつつある感情は、義勇に新たな罪悪感をいだかせる。
けれど。
チラチラとうかがってくるみんなの視線を、全身に感じる。それは少し落ち着かぬものではあったけれど、不快感はどこにもなくて、どことなし温かい気持ちになる。視線を向ければ一様に、楽しげな笑みが返ってくる、みんなの顔。子供たちはもちろん、煉獄や、宇髄でさえ、義勇と目が合うと笑ってくれる。
来られてよかった。鏡越し目が合った炭治郎の、はにかんだ笑みを見つめ、義勇は心から思ったのだ、そのときは。
「先にジェットバス行ってるぞ」
「夕飯もここで食べるんでしょ? 急がなくてもいいじゃない」
炭治郎が義勇の髪を洗い出してまもなく、一足先に体や髪を洗い終えた宇髄と煉獄が立ち上がった。
「全種類制覇と宇髄が言うのでな! 真菰たちは急がなくていいぞ。慌てると滑って転ぶかもしれない! 行き違いになったらツリーハウスで落ち合うことにしよう!」
「なんだ、けっきょく天元が一番楽しんでるんだな」
いかにもお付き合いといった風情でいたわりには、風呂を堪能しきる気満々な宇髄に、錆兎が少しあきれた顔つきで言った。
「人生派手に楽しんだもん勝ちだからな。おまえら待ってたら湯冷めするわ。おまえらもゆっくり楽しめよ」
もしかしたら宇髄たちは、義勇が気づくよりずっと早く、錆兎たちの寂しさに気づいていたのかもしれない。出逢ったばかりの――実際には教室で顔を合わせているけれど――彼らに、義勇が打ち解けきれずにいることにも配慮してくれたんだろう。水入らずで楽しませてやろうという思惑もあるに違いなかった。
思考もまだまだ滞りがちな義勇が思い至るぐらいだ。敏い錆兎と真菰はすぐに宇髄たちの真意に気づいたらしい。
「わかった、途中で一緒になったらそこからはみんなで回ろう」
「逢えなかったらツリーハウスね」
「煉獄さん、宇髄さん、またね!」
バイバイと無邪気に笑って手を振る禰豆子に、煉獄と宇髄も笑顔で手を振り返す。昨夜のちょっとした騒動のわだかまりはどこにも見えなかった。
義勇たちへの気遣いばかりでもなく、全種類制覇も本気で言っていたんだろう。ジェットバスに義勇たちが向かったときには、すでに宇髄らの姿はなかった。家を出る前に真菰のタブレットで施設の内容は見ているし、どんな順番で回ろうかと相談もしている。落ち合う場所も決めているのだから、中学生二人を心配をする必要はないだろう。
次は錆兎が興味津々だった電気風呂に行ってみたが、子供たちには刺激が強すぎ、我慢比べどころじゃないと早々に上がる。真菰がねだるままに本当は一人用らしい壺湯に全員で入ってみたときには、さすがに狭くてぎゅうぎゅうとくっつきあうことになった。
お湯よりも、互いの身体が触れている面積のほうが多いんじゃないかと思うくらいだったけれど、子供たちは狭い狭いと言いながらも楽しそうだった。寝ころび湯では禰豆子が本気で眠ってしまいそうになり、次の湯まで義勇が抱っこして運んだりもした。
風呂だけでもそれなりに楽しめるものだと、少しばかり感心しつつ、色々と巡っているうちに時間は過ぎていく。
「露天風呂に入ってから、ツリーハウスに行くか」
「そうだね。そろそろ煉獄さんたちも行ってそうだし、そうしよっか、禰豆子ちゃん」
「うん! ツリーハウス楽しみ」
「義勇さんもそれで大丈夫ですか?」
子供たちが盛り上がるのにうなずいてやりながら、義勇は、少しだけ不安を覚えた。
体力が覚束ない義勇は、日ごろ長湯をすることがない。一緒に入っている錆兎はといえば、じつはけっこうな風呂好きで、本来なら鱗滝や真菰が呆れるぐらい長湯だ。けれど今は、義勇に付き合って自分もさっさと上がってしまう。
いつだって我慢ばかりさせてしまっているから、こんなときぐらいは、たっぷりと風呂を堪能させてやりたい。だが、今の自分の体力で最後まで付き合えるのか、心もとなさは如何ともしがたかった。短めの時間で次々と回っているとはいえ、湯に浸かるたびにだんだん逆上せてきている気がする。気分が悪くなる前に自分だけ上がらせてもらえるといいのだが。
でもきっと、途中で自分が出てしまったら錆兎もついてくるだろう。もちろん、炭治郎も真菰も、禰豆子だって同様だ。せっかく楽しんでいるのに、自分のために中断させるのは忍びない。
だから義勇は、つい我慢してしまったのだ。いつもよりも進んだ食事や、熟睡できたことで、楽観していたのは否めない。少しぐらいなら大丈夫。以前の自分と同じと言わないまでも、もう少しぐらいは。きっと大丈夫と。
露天風呂に行くことが決定して、義勇は内心ホッとした。露天風呂の後はツリーハウスのある中庭で少し休むと、家を出る前からすでに決めてある。義勇の体力を考えた真菰が、あらかじめみんなに言い聞かせていた。
『私たちはツリーハウスで遊べるし、義勇たちはベンチで休めるでしょ? 休憩所やレストランより空気もよさそうだし、遊んで汗かいたらまたお風呂入って、その後でご飯。決まりねっ』
そう言った真菰はもちろん、錆兎や煉獄たちもきっと、休憩を挟むことで義勇が気兼ねするのを案じたに違いない。不甲斐ない自分に合わせてもらう申し訳なさは変わらないが、意地を張ればなおさらみんなを心配させてしまう。
休憩しているうちに体調も戻るだろう。あとちょっと我慢するだけでいい。それぐらいなら大丈夫。そう思っていたのだ。まさかあんなことになるとは、かけらも想像することなく。
露天風呂に行くと、宇髄と煉獄が先に入っていた。ほかにもちらほらと女児がいるせいか、禰豆子や真菰が近づいてももう慌てる様子はないが、それでもやっぱり二人とも少し照れくさそうだった。
「あのね、禰豆子、ぎゆさんとお揃いなの! ほら!」
湯に浸からないようにと、真菰によっていつもより高い位置で結ばれた義勇の髪を指差して、禰豆子がポニーテールにした自分の髪を揺らしてみせる。
「おー、そういう髪型も似合うな、禰豆子。しっかし……冨岡はそうしてると、後ろから見たらまんま女子じゃねぇ?」
一瞬ビビったわと宇髄に笑われ、義勇は思わずムッと眉を寄せた。
宇髄や煉獄にくらべかなり細いのは明らかだし、こんな髪型では女に見えなくもないだろうと、自分でも思わなくもない。だが、思っても口にしないでほしい。
「そんなことないよ。似合うんだから男子とか女子とか関係ないでしょ」
「そうだぞ、天元。公衆浴場で髪をだらしなくお湯につけてるより、全然いいだろ」
「へいへい、俺が悪かったって。んな睨むなよ」
不満は錆兎と真菰が代弁してくれたし、宇髄の謝罪で終わった話のはずだった。
会話を黙って聞いていた煉獄が目前に近づいて、しげしげと義勇を眺めまわしてきたのも、訝しくはあったがまだいい。痩せた体を見られるのはいたたまれないが、男同士だ。嫌がるほうが変なのかもしれないとも思ったし。
問題はその煉獄が、ふむ、と一言呟いた後のこと。いきなりガシリと義勇の肩をつかんだ挙句、前日の宇髄のようにぺたぺたと体を触りだすだなんて、誰が思うものか。
道着の上からでさえ面食らったというのに、面と向かって素肌を触られまくった義勇の驚きは、一瞬で限界値を超えた。思考は停止状態。声もなく目を見開くことしかできない。
逆上せかけていたはずが、ダラダラと冷や汗が流れ出す。だというのに煉獄は、至極真面目な顔でうんうんとうなずくばかりで、手を放してはくれない。
「なんで義勇さんを触るんですか!? よしよしは慣れてからにしてくださいって言ったのに!」
煉獄とのあいだに割り込んで抱き着いてきた炭治郎が、叫ぶように言う。言葉の内容はともかく、助かったと義勇は安堵しかけたが……。
「いや、筋肉を見たくてな! 宇髄の言うように冨岡は女子と同じぐらい細いだろう? スタミナもないと言うわりには剣先がブレなかったから、かなり良質な筋肉なのだろうと思ってな! ……うん、思ったとおり柔らかくていい筋肉だ!」
「柔らかいといいんですか?」
待て。そこで興味を持つな、炭治郎。そう言いたかったけれど、咄嗟には声にはならない。
おまけに。
「ああ、そういやいい筋肉の条件はそうらしいな。普段は柔らかくて力を入れたときだけ固くなる筋肉のほうが、アスリート向きだってよ。イチローの筋肉とか、すげぇ柔らかいって聞いたことあるぜ」
「そうなのか? 義勇は細いけどちゃんと筋肉はついてるし、触ると腕とか肩とか柔らかいんだ。イチローみたいないい筋肉ってことだな!」
よけいなことを言うな、宇髄。うれしそうにしてないで助けてくれ、錆兎。
「へぇ! あ、本当だ。義勇さん柔らかい!」
困惑しきって焦る義勇をよそに、抱き着いたままの炭治郎は背中だの胸だのを触ってくるし、どれどれと後ろに回り込んできた宇髄も腕やら腹筋やらに触れてくる。煉獄の手はまだ肩に乗ったまま。となれば、当然のように禰豆子も触りたがるわけで。本当だぁと無邪気に笑うのはいいが、足を揉むのはやめてほしい。
炭治郎が膝の上に座っているから際どい場所には触れられないとは思うけれど、女の子が男の足をうれしそうに触るのはどうなんだ? 真菰で慣れているから、一緒に風呂に入るのも裸のまま抱っこするのもべつに気にならなかったけれど、これはさすがにマズイんじゃないのかと義勇だって思う。
頼みの綱である錆兎と真菰はといえば、義勇が褒められる喜悦のほうが勝っているのか、そうだろう義勇はすごいんだと笑っているばかりで、いつものように止めてくれる気配はない。
これはどうあっても自分の口でやめろと言わなければ、このとんでもない事態は収まらないのでは? ようやく思い至った義勇が、遅ればせながら口を開きかけたそのとき。
「へぇ、女みたいに細っこいわりにゃ立派じゃねぇか。俺様には負けてるけどな」
ひょいと肩口から覗き込んできた宇髄の言葉に、なにが!? と固まった義勇に気づかなかった炭治郎は、きっと悪くない。あどけない顔で「なにがですか?」と聞いたのも、純真な子供の素直な疑問でしかないのだから、絶対に悪くない。
義勇が褒められてうれしそうな錆兎や真菰だって、無邪気に足に触る禰豆子だって、悪くない。誰がなんと言おうと、悪くなんてない。
だから悪いのは当然、「そりゃナニだよナニ」とニヤニヤ笑った宇髄と、炭治郎の肩口から覗き込んできて「ふむ」と真面目な顔でうなずいた煉獄に決まってる。
くらくらと眩暈を覚えて義勇が湯に沈んだのは、全部、全部、宇髄と煉獄のせい。