天元
俺様としたことが、失敗したなぁ。心配そうにキョロキョロ周りを見回しながら歩く子供たちを見ながら、宇髄は内心で自嘲のため息をつく。
自分の何気ない一言に、まさか錆兎や真菰があんなに動揺するとは思いもしなかった。どんなに大人びていても、まだまだ経験の少ない幼子なのだ。自分では対処しようのない問題に、不安を覚えることだって多々あるだろう。そんな二人の不安の核心を、宇髄の言葉はピンポイントで突いてしまったようだ。
配慮が足りなかった。宇髄はこっそりと反省する。顔には出さない。そういうのはガラじゃない。
昨夜、煉獄とともに聞いた鱗滝の話に、宇髄が密かに心に抱いた決意など、ほかの誰にも明かすつもりはなかった。第一、自分の感慨や決意など、しょせんは独りよがりなエゴだと宇髄は思っている。
やさしさや思い遣りだと信じ込んでいるだけの身勝手な思い込みで、自分のエゴを他者に押し付けるやつらが、この世の中なんて多いことか。時にそれは悪意よりも質が悪い。受け取る側の心や意思を無視した、独善的な正義感ほど厄介な物はない。宇髄はそれを重々承知していた。けれど。
目の前の子供たちは、そんな身勝手さなど欠片も持ち合わせてはいない。少なくとも、義勇に対する感情は一方通行ではなく双方向のもので、だからこそ不安にもなるし臆病にもなるのだろう。義勇だって同じことだ。お互い、相手の心を思い遣っているるからこそ、自分の選択に悩み惑う。互いの不安はきっと、近いからこそわかりにくいんだろう。傍で見ている宇髄には筒抜けだが、当人たちは気づかない。
どうにもじれったくて、でも微笑ましくて。わずかばかり、羨ましい。義勇を案じる炭治郎たちの会話を聞きながら、宇髄は口元だけでかすかに笑った。自嘲の笑みは我ながら苦い。
子供たちは、義勇がもとの生活や健康を取り戻すことを、信じている。諦めるなど思いもしない。煉獄だってそうだ。
宇髄もたしかにそれを望んでいるけれど、後悔が心の奥底に消せない染みのようにこびりついているのも事実だ。自分にはできなかった。諦めてしまった。もっとできることはあったかもしれないのに。もう、取り返しはつかないし、取り戻そうとも思えないほど遠くへ来てしまった。
だから、これは自分のエゴだと宇髄は自覚している。
面白いと思っていることは事実。退屈しないと楽しんでいるのも本心。それでも、心のなかに生まれた小さな決意も、宇髄にとっては大事なことなのだ。
宇髄自身がもっと先に進むために、宇髄は自分のエゴを貫くつもりでいる。後悔に囚われている時間などないのに、後悔していることに気づかされた借りは、しっかりと返さねば気が済まない。今度は諦めないと、飄々とした風情の裏で決意を燃やす。
それが子供たちや義勇にとっても、いい方向へ行くものになるのならいいのだけれど。不安があるなら、その一点だ。
「外の休憩所は喫煙所ばかりだな。さすがにそういうとこにゃいねぇだろ」
「そうだな……行ったとしてもすぐに移動しそうだ」
心配なのは、移動する気力や体力がなくて、いっそう具合を悪くしていることだけれど。
「あとは……お、裏庭に喫煙マークがないやつがあるぜ。行ってみるか」
大人たちばかりの喫煙所を後にして、廊下の案内板に目を向け宇髄が言うと、子供たちも一斉にうなずいた。今度は宇髄を先頭に廊下を歩く。炭治郎は禰豆子と、錆兎は真菰と手を繋ぎ合って、ぞろぞろと宇髄の後をついて歩く、雛鳥みたいな子供たち。なんだかアヒルにでもなった気分だ。
年齢的に言えばまだ子供の範疇である宇髄だけれど、物怖じしない性格と見事な体躯も相まって、傍からすれば引率の保護者にしか見えないだろう。それが宇髄にはなんとも居心地が悪い。いや、事実そうではあるのだけれども。
なにより落ち着かないのは、保護者などと宇髄が言ったら鼻で笑いそうな錆兎が、こんなにも大人しくついてくることだ。憎まれ口さえない錆兎に、なけなしの罪悪感が刺激されてしかたがない。
まだつきあいは浅いが、錆兎や真菰の言動には宇髄や煉獄と対等であろうとする意思が見えた。だというのに今の錆兎ときたら、強がった顔をしていても、年相応の心細さが隠しきれていない。
ああ、本当に失敗した。つくづくほんの四十分かそこら前の自分を、ぶん殴ってやりたい。苛立ちは歩みに直結していたようで、気がつけば宇髄と子供たちの距離が少しばかり開いている。
しまった置いてきちまったと宇髄が振り返りかけたとき、窓ガラスの向こうに見えたのは、金色と赤の派手な髪。その傍ら、煉獄の体に半ば隠れて見えた艶やかな黒いポニーテールに、思わず声が弾んだ。
「おい、いたぞ!」
宇髄が外へと足を踏み出した途端に、バタバタという足音がして、宇髄を押しのけ子供たちが外へと飛び出していく。
「義勇っ!!」
「義勇さん!」
口々に名を呼びながら駆け寄っていく子供たちに、義勇は困惑しているようだ。いつもの無表情には、オロオロなんて言葉が書いてある気すらする。
「ぎゆさん、ごめんなさいっ。髪の毛濡れたまんまで寒くなかった? 風邪ひいてない?」
足にぎゅっとしがみついて泣き出しそうな禰豆子に、言葉をかけあぐねているのがまるわかりだ。慌ててコクコクとうなずきすぎたのか、立ちくらみを起こしたらしくよろけるから、炭治郎たちがまた大騒ぎだ。あの口下手と不器用さを見てしまえば、錆兎たちでなくとも過保護になるってものだろう。
苦笑しつつ近づき、宇髄は煉獄の傍らに立つと、立ち去っていく男の後ろ姿に向かって顎をしゃくった。
「おい、あれは?」
「ああ、冨岡の具合を心配してくれてな。自分の茶を冨岡にくれたのだ!」
いいやつだなと朗らかに笑う煉獄とは裏腹に、宇髄はわずかに目をすがめ、屋内へと消えていく背を見つめた。
「あの人がどうかしたのか?」
「なにか気になることでもあるのか?」
訝しげな声で問いかけてくる煉獄と錆兎に、宇髄は軽く肩をすくめてみせた。
「いや……もしかしたらナンパだったんじゃねぇのかなぁ、と。その髪型だと、知らないやつが見たら派手に女と間違えそうだからな、冨岡は」
「ちゃんと男性用の服を着てる……間違えられるわけがないっ」
ニヤニヤと笑って言ってやれば、当の煉獄たちより先に、義勇のほうが素早く反応してきた。上目遣いに宇髄を睨んでくる顔は、存外子供っぽい。
整った顔立ちと細い体躯、ポニーテールも相まって、上目遣いは逆効果だ。率直な指摘を宇髄はかろうじてこらえた。ごまかすために口にした言葉だが、意外と当たりかもと思ったことは、墓場まで持っていこうと内心で誓う。
不機嫌をあからさまに表情に出す義勇は、錆兎たちの目から見てもめずらしいのだろう。錆兎と真菰がポカンと目も口も丸くしたのは、ちょっと見物ではあったけれど、それよりも。
ツンツンした銀髪に、顔に大きな傷、ねぇ。
宇髄自身が実際に逢ったことはない。けれど話にはよく聞く他校の生徒と、一瞬だけ見た男の特徴は酷似している。本人であることは疑いようがない。
冨岡の件には関わってこないだろうと踏んでたが、ちっとばかり早計だったか?
おそらくあそこに居合わせたのは偶然。義勇に声をかけたのも、煉獄が言うとおり善意でしかないとは思う。そもそも義勇だと気づいたかどうかすら怪しい。他意はないと思いはするが、ちょっとばかり気にかかる。
もしかしてもしかしたら、本当にナンパだったりするかもしれないし……いや、それならそれで問題か。
宇髄の懸念に気づかぬ一行は、むくれる義勇をなだめるのに必死だ。女には見えない間違えられるわけがないとなだめる錆兎たちの傍らで、義勇の不機嫌の理由がよくわかっていない炭治郎と禰豆子が義勇は綺麗だからと褒めて、義勇の顔をなんとも言えない表情にさせている。
思わず爆笑しそうになるのをこらえてチラリと隣へ視線を移すと、煉獄も肩を震わせて下を向いていた。ふと顔を上げた煉獄と視線がぶつかり、無言のままうなずきあう。ここで笑えば義勇は完全にへそを曲げるだろう。以心伝心、煉獄と二人で笑いをこらえること暫し。
義勇の髪がまだ濡れたままなことに気づいた真菰と禰豆子に、早く乾かさなきゃと急かされるころには、義勇の機嫌も直ったようだ。もともと怒りを引きずらぬ質なのか、怒りを持続するほどの気力もないのか。いずれにしても、初夏とはいえ夕暮れはまだ冷える。濡れた髪では風邪をひきかねないのも事実だ。
機嫌を直してくれてなによりだと内心独り言ち、宇髄はまた煉獄と顔を見合わせ苦笑した。
体調を崩したうえに風邪をひいたとあっては、子供たちにとっても義勇にとってもせっかくの休日が台無しになってしまう。昨夜からの子供たちのはしゃぎようや、炭治郎と髪を洗いあっていたときの義勇の穏やかで幸せそうな瞳を思い起こせば、それはあまりにも忍びない。
「髪を乾かしたあとはどうする? 冨岡が大丈夫なようなら、予定どおり夕飯まで竈門少年たちにはツリーハウスで遊んでもらって、俺たちはベンチで休むのはどうだ? ただ横になっているよりも、子供たちが遊んでいるのを見ているほうが冨岡も安心できるだろうし、子供たちだって視界に冨岡がいるほうが憂いなく遊べるからな」
煉獄の提案に、義勇がコクリとうなずいた。どこかホッとして見えるその顔に、宇髄は自分によく似た顔を思い起こし、やっぱり違うなと自嘲の笑みを押し殺した。
身勝手なのは承知の上だ。ただのエゴだと自覚してもいる。それでも義勇の感情を読み取るたび、宇髄は安堵している自分に気づく。昨夜の鱗滝の話を聞いてからは、なおさらに。
そして思い出すのはやはり、先程の邂逅だ。きっとあの男は一瞬見ただけの自分など気にも留めていないだろうが、こちらにはそうもいかない事情がある。
とりあえず探ってみるかと、優先項目として心に刻み込む。結果によっては自分一人で動くことになるだろうけれど、もとより宇髄はそのつもりだ。
守りたいのは義勇だけではなく錆兎や真菰、炭治郎たちも含めた全員だ。そうでなければ意味がない。誰一人傷つけたくはないし、一人のほうが正直なところ動きやすい。
そんな宇髄の本心を知れば、錆兎はきっと怒り狂うだろう。いや、すでに怪しんでいるのは明白だ。それでも、意気込みだけではどうにもならないことだってあるのだ。明かしてやる気はない。
宇髄の内心などまったく知らぬ素振りの錆兎が、早く来いと急かすのに笑って応えてやりながら、宇髄は気持ちを切り替える。
先を行く義勇や子供たちの背を眺めつつ、宇髄はゆっくりと歩きだした。
諸々の心配事やら懸念への対処は、明日からでいい。今度はきっと遅くはならない。
さぁ、楽しい休日を仕切り直そうか。