にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 5の3

「義勇」
 泡をすべて流し終えると同時の呼びかけは、短い。肩から足をおろされて、義勇の唇から知らずかすかな吐息がもれる。体は柔らかいほうだが、昨夜、さんざん腰を酷使したあとだ。少々キツイ体勢から解放されて、心なし固くなっていた体から力みが抜ける。
 いたわる仕草でゆるりと背を撫でられて、縁につかまっていた手を、義勇は杏寿郎の首へと回した。合図も言葉も必要ない。杏寿郎の腰に足まで回して抱きつけば、体が浮き上がる。
 子供みたいに抱っこされるのすら、杏寿郎になら恥ずかしくはない。裸でいるとき限定だけれども。
 裸だと恥ずかしくないとでも? と、脳内で伊黒がキレる寸前みたいな形相で唸るけれども、当然だろうと、お帰りいただく。生まれたままの姿で抱きあうなら、長い後戯とも言えるじゃないか。達したらそれでおしまいなんて、性欲処理みたいな睦み合いなどまっぴらごめんだ。だからこれも、昨夜のセックスの続き。
 とはいえ、ことが終わるとたいがい義勇は疲れて寝落ちしているし、朝の日差しのなかでは、おはようのキスがせいぜいだ。朝はどうしたって気恥ずかしさが勝る。
 かといって眠らずにいられたときでも、義勇としては、ピロートークは勘弁してほしいところだ。どうせ口を使うなら、背中がむず痒くなるような言葉より、たくさんキスしあうほうがいい。
 興奮と劣情が過ぎ去っても、お互いなにもまとわぬ姿で抱きしめあって、笑いあって、何度もキスする。昨夜のように、疲れ果てて気を失うように眠ってしまうのでもなければ、杏寿郎とするセックスはそこまでがセットだ。
 世の中には、終わったらすぐに背中を向けて眠ってしまう男もいると聞くが、杏寿郎はそんなこと絶対にしないと、義勇は内心ちょっと自慢だったりする。
 もちろん義勇だって男なので、射精したあとの世に言う賢者タイムとやらは、嫌というほど理解している。義勇自身、一気に気持ちが萎えて脱力してしまいもするのだから、もしも杏寿郎がそういう態度をとったところで責める筋合いはない。男性なら当然の生理的反応だと知っているのだし、お互い男同士だ、そこは理解を示すべきだろう。
 けれども、杏寿郎は絶対に、そういう態度をとらない。気だるい脱力感を覚えていようとも、義勇の髪を撫で、必ず幸せそうに微笑む。そうして義勇のまなじりに、頬に、ひたいにと、キスの雨を降らせてくるのだ。当然のことながら、唇にも。体だけでなく心もくすぐったくなる、至福のとき。これはただのセックスじゃなくて、愛を深めあう行為だと確認し合うような。
 もしかしたら、眠ったあとにもしてるかもしれないと、義勇はぼんやりと想像してみる。
 義勇を起こさないようにと、羽根で触れるようなキスを、杏寿郎は義勇の顔に何度もそっと落とすのだ。そんな姿が目に浮かぶ。
 たぶん想像の当否の確率は、半々ぐらい。杏寿郎のことだから、義勇の眠りを守るのは俺の役目と、ひたすら我慢して見つめている可能性も高いので。それはそれでかわいいし、全身がムズムズしてくるほど愛おしくてたまらなくなるから、かまわない。

 ともあれ、朝の訪れとともに新しい一日が始まってしまえば、長い長い後戯を含めたセックスも終わりだ。衣服を着るのが切り替えスイッチと言えなくもない。
 壁の薄い義勇のアパートでは、隣の部屋の生活音が聞こえてきたりもするのだ。そんななかで甘い夜を継続するのはむずかしい。

 でも、今日は急がなくていい。今朝はまだ恋人たちのクリスマスで、ここは愛しあうための場所。服だってまだ着ていないのだ。だから抱き上げられても恥ずかしくなんてない。
 新たな火をつけるような激しいキスは勘弁願いたいが、こんなふうにゆったりと、甘い熱の熾火を絶やさぬようにする戯れならば、大歓迎だ。
 理性と羞恥心は、衣服とともに脱ぎ捨てたままだ。いわゆる姫抱っことやらをされようと、木にしがみつくコアラよろしく杏寿郎にしがみついて抱えられようと、全部、甘い夜の続きだからいいのだ。恥ずかしがらずに、思う存分イチャイチャできもする。

 たぶん、実際に不死川たちが聞けば、服着てるときだって充分イチャイチャしまくってんだろうがと、目をつり上げるのだろうけれども、義勇と杏寿郎にイチャついている自覚がない以上、言われたところでピンとこないだろう。言うだけ無駄ってものである。

 杏寿郎の肩に顎を乗せ、腕と足でギュッとしがみつく体勢は、横抱きにされるよりもはるかに不安定だ。それでも義勇に怯えはない。立ち上がる杏寿郎に、安心して身を任せていられる。
 落とされそうなんてヒヤリとすることもなく、杏寿郎に抱っこされたまま浴槽に身を沈めれば、湯の温かさに知らずハァッと吐息がこぼれた。
 腰を下ろした杏寿郎の体勢は、ちょっと不自然だ。浴槽の縁に頭をあずけ、腰を前に突き出すようにして座っている。どうしてそんな姿勢をとってるのか、簡単にわかるから、義勇の口からクツクツと忍び笑いがもれた。
 杏寿郎にしがみついたままの義勇も、座るというより杏寿郎にのしかかっている。二人して足を伸ばしても余裕のある広い浴槽だ。隙間なくくっつきあう必要などないだろうが、離れるのは惜しい。
 それでも戯れに義勇は、少しだけ身を起こし、杏寿郎を見下ろし言ってみる。
「離れようか? 俺の尻に押されて痛いだろ」
「……おさめるから、待って」
 離れちゃ嫌だと、腰を抱く腕に力が込められた。義勇の笑みが深まる。
 杏寿郎の腰に回したままの足は窮屈だし、開かれた双丘のはざまでドクドクと脈打ち存在感を知らしめている硬さに、体の奥がキュゥンとうずきだしてもいるが、理性をかなぐり捨てるわけにもいかない。チェックアウトまでは時間があるとはいえ、体調が万全でない状態で借り物の高級車を運転する度胸など、若葉マークにはないのだ。
 目を閉じた杏寿郎の、グッと寄せられた眉間に刻まれるシワを、クスクスと笑いながら義勇はツンと突いてみる。耐える杏寿郎の顔は、精悍さが二割がた増していて、けっこう好きだったりするのだ。我慢している内容はともかく、男らしさがいや増して、男前っていうのはこういう顔をいうんだろうなと思ったりもする。
 なんだかうれしくもなって、チュッと鼻先にキスした義勇に、寄せられた眉根はそのままに薄く目を開けた杏寿郎が、喉の奥でうなった。
「義勇、おさまらなくなるから、今はちょっかい出すのは勘弁してくれ」
「こっちを触られるよりいいだろ?」
 尻をこすりつけるように少しだけ揺すれば、杏寿郎の眉間のシワが深くなった。ギュウッとつぶられた目が、ちょっぴり悔しい。こういう顔も好きなのはたしかだけれど、恍惚に蕩けてはちみつみたいに甘くなる瞳は、もっと好きなので。獰猛な獣めいた瞳と同じくらい、義勇のなかで欲の火を燃え上がらせる、その目が見たい。
「杏寿郎」
 ささやきで呼びかければ、奥歯を噛みしめながらも開かれていく大きな目。恋の熱にくつくつと煮詰められて、溶けて甘く香り立つ果実のような。
 男らしくすべてが大振りな杏寿郎の顔立ちのなかで、長いまつ毛はやけに繊細に見えて、ホラ、甘いよと、義勇を誘ってくるようだ。いざないを拒まず、義勇は、伸ばした舌で杏寿郎の目をチロリと舐めた。
 ビクンと小さく跳ねた肩、大きく波打った硬い胸襟。腰を抱く手にはギュッと力がこもって、少し痛い。尻に当たる熱は、また少しだけ大きくなった。
 ハァッと熱い息が義勇の首をくすぐって、お返しとばかりに唇が押しつけられてくる。
「見えるとこはやめろ」
「……痕つけられるのが嫌なら、あんまり煽るな」
 常にはない荒い物言いに、義勇の背がゾクリと震え、口元に浮かんだ笑みがまた深まった。
「つけられるのが嫌だなんて、一度も言ってない」

 そう。最初から、一度だって。

 初めての夜はお互い、無我夢中で、キスマーク一つうまくつけられやしなかった。だけど、今は。
 獣めいた唸り声とともに、唇が鎖骨に滑りおりて、鋭い痛みが走る。かじりつかれたのは一瞬で、痛みはすぐに去り、胸元に強く吸い付かれて甘い痺れが肌に広がった。見なくてもわかる。上気しだした肌に、杏寿郎が赤い花を咲かせたのが。
 所有印は花弁の形で、義勇の肌に刻まれる。嫌だなんて思ったことは、一度もない。うれしいと胸弾ませたことは、何度もあるけれど。口に出して教えてなどやらない。

 抱え込んだ杏寿郎の頭に頬を埋める。ふわふわとした金の髪がくすぐったい。湯はもう溢れ出しそうに溜まっている。止めなきゃ。そんな言葉が頭の片隅に浮かんだけれど、義勇の指は杏寿郎の髪から離れたがらず、先を望む腰が無意識に揺れた。
 杏寿郎のことを笑えやしない。昂ぶった義勇の熱は杏寿郎の腹筋でこすられて、じわりとぬめりを帯びたのが湯のなかでも感じられる。疲れ果てても、義勇だって若い。恋はたやすく身のうちで情火を噴き上げる。
 けれども杏寿郎は、避妊具なしではけっして抱こうとしない。それはもはや確定事項だ。お互いに快感を得るのは簡単だけれど、受け入れずに果たされる欲は、義勇にとっては未消化でもある。日常に戻る帰り道を考えれば、ここでおしまいにすべきだと、わかってもいた。
 だけど欲しくて。寂しいと訴える隙間を余さず埋めてほしくて。

 後戯じゃなくて、前戯に変更。シフトチェンジを望んでいるのは、きっとお互いさまだ。だけどやっぱり、杏寿郎は、自制心を総動員するに違いない。
 さて、どうしよう。すぐに出た結論に逆らわず、義勇はゆっくりと腰をずらした。肚のうずきに目をつぶろうと、今は欲を晴らしたい。はちみつに漬けこまれた甘酸っぱい果実のような瞳が、ひたすら甘く蕩けていくのが見たい。

 いっそ、泣けばいいのに。初めて隙間なく抱き合った、あの夜みたいに。

 杏寿郎にしてみれば、それこそ勘弁してくれとぼやきたくなることだろうが、本音を言っていいなら義勇は、もう一度あの初々しさを堪能したかったりするのだ。ポロポロときれいな涙を落としながら、必死に腰を打ち付けてきた杏寿郎の顔は、今も思い出すたびたまらなく幸せな心地がするから。
「義勇?」
 腰を浮かせて立ち上がる義勇にかけられた杏寿郎の声は、どことなし寄る辺ない。駄々をこねて叱られた子供が、置いていかれるのに怯える風情だ。
 離れたくないのにどうして、でも義勇は嫌かもしれない。そんな葛藤が透けて見える杏寿郎の顔に、うっすらと笑んでみせた義勇の目も唇も、いっそ淫蕩と言ってよかった。同時に、聖母の深い慈しみをもたたえている。杏寿郎にもそう見えるのであれば重畳。理性を打ち捨てるまではいかず、けれども甘い誘惑に勝てぬギリギリの劣情。それがほしい。
 自分にそんな顔ができるか、義勇としては甚だ心もとないところではあったが、杏寿郎の高感度冨岡センサーを信じるとしよう。
 義勇もとうに兆している。見せつけるように杏寿郎の眼前に立てば、ゴクリと息を呑む音がした。ゆっくりと後ろを向き、濡れた壁に手をつく。足元が滑りそうで少々不安だけれども、杏寿郎のことだ、絶対に義勇を支え抜くに決まっているから、義勇はかまわず振り返り微笑んで見せる。
 足をピッタリと閉じて、ちょっと尻を突き出してみせれば、ザバッと派手に湯が揺れた。
 センサーの具合は好調らしい。なによりだ。立ち上がり義勇の腰を掴んだ杏寿郎に、義勇の欲と慈愛をないまぜた笑みが深まった。

「うっかり挿れるのはなし」
「気をつける」

 返される声は急いて、閉じた太ももにねじ入れられた熱は凶暴なほど。だけれども、振り返り見る杏寿郎の顔は幸せそうに蕩けているから、義勇の満足も高じて、甘い声が素直にこぼれた。
 突き挿れるときと同じように、杏寿郎は試す慎重さでゆっくり腰をゆすってくる。義勇の腰を支える左手はそのままに、濡れた右手がそろりと肌を這い上がってきて、指先が胸に触れた。くるりと周囲をなぞる指先は固い。
 もっとちゃんとと、腰をさらに突き出して言葉にせずねだれば、望むとおりにつまみ上げてくれる指がうれしい。
「あ、ん!」
「こっちも、勃ってるな。前よりつまみやすくなってるの、かわいい」
「おまえが、そうしたんだろっ。人前で着替えられな……んんっ! あっ、引っ張っちゃ、だめ、あぁ!」
「うん、ごめん。責任とっていっぱいしてあげるから……」
 のしかかられて、義勇は突っ張っていた肘を折る。壁に押しつけられた顔は振り返ったまま。甘くあえぐ唇の端に口づけられて、思わず舌を伸ばした。
 お互い目は薄く開いたまま、舌先だけのキス。湯よりも熱い杏寿郎の淫熱で、前立腺を肌の外から刺激され、揺れる膨らみをこすられるたび、ビクビクと義勇の腹筋が痙攣する。固い指は胸の尖りをこねたりつまんだりを繰り返していた。
 肚のなかに包まれるのにくらべれば、快感の刺激は弱いだろうに、杏寿郎の息は火傷しそうに熱い。

 あぁ、溶ける。溶かされる。激しく腰を打ちつけられて、ザバザバと湯が揺れた。パンッと肉を打ちつけあう音が、くぐもりつつも浴室に大きくひびき渡るのにさえ、官能を刺激される。
 ねじったままの首は少し苦しいけれど、杏寿郎の顔から視線を外したくない。余さず見たい。
 早まる動き、壁に当たる先端が訴える痛みすら快感に変化されて、義勇も夢中で腰を揺らめかせた。
 くる。思ったのと同時、杏寿郎の瞳が瞬間カッと燃えて、義勇の腰から脳天までを快感が突き抜けていった。燃え上がった熱い杏寿郎の瞳が、したたり落ちるはちみつみたいにトロトロと甘くきらめき蕩けていくのが見えた。
 いい子。そんな言葉が頭に、胸に、湧き上がって。たまらず金の髪に手を回せば、願ったとおりのキスが落ちてきた。