それは、先月の不道徳極まりない三日間の記憶も抜けきらぬ、梅雨のとある日の一幕だ。
「今夜はしないからな」
「なんでっ!?」
仰天顔、というよりももはや、この世の終わりかと言うほどの絶望顔をした杏寿郎に、義勇は少々……いや、わりあい本気でドン引きした。必死か。そこまで欲求不満なのか、高校生。十五ヶ月しか違わないのに、性欲の差がちょっと怖い。
とはいえ、本音を言えば、義勇だってしたくないわけではないのだ。杏寿郎とのムニャムニャは、まぁ、うん、好き……だ。理性を繋ぎとめるのに苦労はするし、両隣の住人に聞かれてやしなかったかと、翌朝は生きた心地がしなかったりもするけれども。
だがしかし。義勇は心を鬼にして、一心に見つめてくる雨のなかの仔犬みたいな視線を見ないふりした。ビシリと指差した先は、濡れた窓ガラス。
「この雨で、布団をどうやって干せと?」
ゴールデンウィークだって、大変だったのだ。なにせ、乾く間もないとはこのことかと思うほど、敷きっぱなしになった布団はいろいろなもので濡れに濡れて、シーツは一度換えたがそれ以上の替えはなく。杏寿郎が帰る日に、羞恥に身を焼かれながら干した布団とシーツは、なんとか帰宅するころには乾いたけれども、今日はそういうわけにはいかない。
見ろ、この雨を。ザァザァと降りそそぎ、やむ気配はまったくない。こんな日に、布団を駄目にしてなるものか。家に帰ればふかふかの布団が待ってる杏寿郎はいいが、義勇は晴れるまで汚れて湿った布団で眠らねばならなくなるのだ。冗談じゃない。
「……うぅむ、それは、その……あっ! コインランドリーという手もあるぞ!」
「どうやって持っていく気だ? この雨のなかを」
冷ややかな指摘に、杏寿郎の肩がしゅんと落ちた。ちらっと上目遣いで見上げてくる目はすがるようだし、日ごろは男らしくキリッとした眉もへにょっと下がっている。はい、かわいい。雨のなかの仔犬的風情がいや増してる。闇雲に抱きしめて、おうちに行こうねと言ってやりたくなってしまうではないか。
笑顔が一番好きなのは確かだが、こんなふうにしょんぼりする姿を見られるのは、役得としか言いようがないのだ。レア物というにはわりと頻繁に見ているけれども、見飽きることはたぶん一生ないだろう。思わず義勇の頬がゆるみかける。
いや、ほだされてはいけない。だいたい、先月のアレコレだけで、義勇にしてみれば、今月分どころか来月の分さえ充分に満たしている。日ごろの回数などぶっちぎりで、何回果てたかわかりゃしない。出さずにイッた回数も含めたら、ちょっと気が遠くなる。
なにせ、避妊具をつけるのは杏寿郎だけだというのに、十個入りの箱が空になっているのだ。しかも足りなかったし。いろいろと盛り上がる要素が重なった結果ではあるが、正直やりすぎだろう。高校生の性欲、派手に怖い。
宇髄がケタケタ笑う声が聞こえてきそうな沈黙の攻防は、義勇に軍配が上がるかと思われた。少なくとも、義勇は勝利を確信していたのだ。
「義勇も避妊具をつければ布団も濡れないぞ! そうしよう!」
さも名案とばかりに、パッと顔を輝かせた杏寿郎がそんなことを言い出すなんて、思いもしなかった。
「……は?」
「それならローションだけ気をつければ解決だろう?」
にこにこと笑う顔がちょっぴり幼い。なのに、言ってることは純真さからはほど遠い。だからなんでそんなに必死なんだと、思わず義勇が虚空を見つめてしまうぐらいには。
そして、杏寿郎は、隙きを決して見逃さない。剣道の試合でも、こういった場面でも。
「義勇、抱きたい……駄目か?」
我に返ったときにはすでに抱きすくめられていて、鼻先を髪に埋めるようにしてささやかれる言葉は、耳に直接注ぎ込まれる。ゾクゾクと背が震えてしまえばもう、白旗を上げざるを得ない。
もう風呂はお互い入った。準備も……いや、期待したからではない。もはや杏寿郎が泊まるときのルーチンだからだ、断じてしたいと思っていたわけじゃない。やわらかくて乾いた布団バンザイ。濡らしたくなどないったらない。
でも、アレだ。問題は布団が濡れることだけで。雨は激しく、テレビをつけていなくとも、たぶん声は雨音でかき消える。先月と違って、明日にはいつもどおり杏寿郎は帰るのだ。次に会えるのは来月。また一月逢えない。
「……絶対に、濡らすなよ?」
「気をつける!」
あぁ、しっぽ。しっぽが見える。ブンブンとご満悦に振りたくられているしっぽが。
泣く子と地頭には勝てぬと言うが、義勇にとっては、泣く杏寿郎には勝てぬ、だ。いやべつに、杏寿郎は泣いたりしないけれども。
それでもやっぱり、義勇にしてみれば泣く杏寿郎には勝てぬが正しい。ランドセルを背負って見せたそのときに、わんわんと泣いて一緒がいい、義勇とずっと一緒にいると泣いた杏寿郎が。初めて繋がりあった日に、ポロポロと涙をこぼしながら、うれしい幸せだ好きだ義勇と抱きしめてきて、泣きながらも腰を動かしていた杏寿郎が。胸に居座っている以上、義勇は、杏寿郎に勝てやしないのだ。
それでも、してやられるだけなど男がすたる。せめて優位を保つべく、ピシッと指で杏寿郎の額を弾いた義勇は、ちょっぴり赤くなったそこに、チュッとキスを落としてやった。