にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 4の2

 一分とかからずたどり着いた部屋に車を止めた。少し上っ調子な会話は、荷物どうするとかチェックアウト何時? だとか、甘さなどないものばかり。ちょっとでも睦言めいたが最後、部屋に入るのさえ待ちきれずに、借り物の車のなかで貪りあってしまいそうで。

 朝食のパンとお互いのクリスマスプレゼントを手に、車を降りる。早く早くと焦るけれど、腰を抱かれて部屋に入れば、とたんにお互い気まずさが転び出た。
 ラブホテルと言われて義勇が思い浮かべたのは、たまにドラマなどで見る、どんと置かれた巨大なベッドだ。けれどもここには、そんなものはありはしなかった。目に入る光景は、ごく普通の生活空間のようにさえ見える。いかにもな様子がまるでない。
 ちょっと変わった間取りのアパートの一室。もしそう言われれば、素直に信じたかもしれない。義勇が住む築六十年の狭いアパートよりも、居住性は段違いに良いだろう。
 玄関の狭さは大差がない。長期滞在する客を想定していないのか、靴箱はなく、代わりに自動精算機とやらがあるのが、ここが宿泊施設だと知らしめている。
 小さなキッチンは、それでも義勇のアパートより、シンクも作業スペースも広い。アパートとくらべれば断然料理もしやすそうだ。
 一口だけなのがちょっと物足りないコンロはIHだった。はからずも目を輝かせつつ、杏寿郎には絶対に触らせないようにしようと、義勇は心密かに誓う。
 二人用の小さなダイニングテーブルが置かれた壁際には、壁掛けタイプのテレビ。リサイクルショップで買った義勇のテレビより、よっぽど大きい。その奥に見える丸見えの洗面台が、アパートとは違うと思わせるぐらいだろうか。脇に見えるドアはきっと浴室だろう。
 もしも、目の前にすぐベッドがあったとしたら、戸惑う間もなくベッドにもつれ込んだかもしれない。けれども、生活の匂いはしないくせに、さもこのまま住めますよと言わんばかりの部屋は、なんだか映画のセットにでも紛れ込んだみたいで、なんとはなし拍子抜けした気分だ。イメージと違いすぎる。
 杏寿郎も同様なんだろう。下調べはしてあるのだろうが、実際に目にすると身の置きどころを見つけられずにいるようだ。
 けれどもまぁ、冷静になって考えてみれば、助かったかもしれない。だってどんなに早くと焦れようとも、風呂にも入らずに事に及ぶのは、ちょっと。準備すらせずにベッドに入るのは、差し障りがある。
 ついソワソワとして周囲を見回していた義勇の耳に飛び込んできたのは、んんっと杏寿郎がもらした空々しい咳払いだ。
 戸惑いは少しばかり、向ける視線をすがるものにしてしまっていたんだろう。こんなときでさえ、意識の切り替えは杏寿郎のほうが早い。一秒だって早く繋がりあいたいと願うのは、杏寿郎だって同じはずだ。それでもまごつく義勇に合わせようとしてくれている。
 義勇だって体はもう熱が高まっていて、たくましい腕や胸に包まれるのを早く早くと切望してもいる。けれど、男同士である以上、即行為に移れるというものではない。

「とりあえず、まずは部屋の探検、ってとこだな」
「……そうだな」
 顔を見合わせたら、ちょっぴり気恥ずかしい笑みが同時に浮かんだ。
 どんなときでも楽しめることを探すのは、杏寿郎の数多い美点の一つだと、義勇は思っている。それはこういうときにも発揮されて、義勇の心を軽くしてくれるのだ。だからこそ、義勇も年上の余裕めいたところだって見せられる。本心では当惑と羞恥に身を焼かれていても、だ。
 明日の朝食になるパンやクリスマスプレゼントの入った紙袋をテーブルに置き、ともあれ、義勇は気になってしょうがなかった小さなキッチンに近づいた。
 備え付けられたキャビネットには、電気ポットやカップなどが置かれている。お茶やコーヒーを淹れられるのはありがたい。こういうところはビジネスホテルと変わらないんだなと、心なしホッともする。あまりにも勝手が違うと戸惑いが大きすぎて、なにひとつ触れられなくなりそうだ。
「調理器具はないんだな」
「頼めば無料でレンタルできるらしいぞ。食材も、フロントに注文すれば、そのまま調理できるのをドアの前まで届けてくれる。なにか頼むか?」
「おまえの腹具合次第だな」
 ちょっぴりからかい口調で言える程度には、余裕が生まれてきた自分に安堵が深まる。あんまりのぼせ上がって、リードを手放してしまうわけにはいかない。
「料理してるあいだ放っておかれるのは寂しいから、今日はいい」 
 言って甘えるように背中から抱きついてくる杏寿郎に、クスリと笑う。
 さっきまでの急き立てられるようなものではない抱擁は、薄く欲をまといながらも子供のじゃれあいめいていて、義勇を追い詰めてはこない。本当に辛抱強い忠犬だと、肩に乗せられた頭をよしよしと撫でれば、杏寿郎の笑んだ吐息が首筋をくすぐった。
「コラ、探検してからだろ?」
「そうだった! 風呂の用意もしないとなっ!」
 フフッと笑い合えば背中から温もりが離れる。けれどもすぐさま指を絡めるように手を繋がれるから、寒いなんて思わなかった。

 洗面台には必要なものは全部そろっているようだ。アメニティの種類もビジネスホテルと大差はない。だが、浴室は断然広かった。
「足を伸ばして風呂に入れる……っ!」
 義勇が感極まったのは致し方ない。だってアパートの風呂は狭いユニットバスだ。平均身長より高い義勇の背丈では、膝を抱えなければ入れないし、そもそも湯船に浸かるのさえ稀になっている。
 姉と暮らしていたアパートだって同様だったけれども、月の半分以上は煉獄家の広いヒノキの風呂に入っていたから、不自由さをあまり感じたことがなかった。なんという恩恵に預かれていたのかと、しみじみと感謝しつつも恋しく思う、広い風呂。のびのびと入れない風呂では体の疲れも抜けないものだなと、こちらに越してきてから何度ため息をついたことか。

 まぁ、利点もあるけれど。とくに、というか確実に、杏寿郎が泊まるとき限定で。
 準備をするには、バスとトイレが一緒というのは、なにかとありがたいのだ。

「ブロアバスとかいうやつみたいだぞ。あと、光る」
「は? 光る? なんで?」
 風呂が光ってどうしろと。ごく普通の樹脂製な浴槽に見えるけれどと覗き込めば、たしかになかにライトがいくつかついている。浴槽の床に敷かれた小さな穴がいくつもあいたマットも謎だが、ライトの意味もさっぱりわからない。
 義勇の脳裏に、ついイルミネーションの輝きがよみがえる。いや、あんなきらびやかに光るわけじゃないだろうけれども。いずれにせよ、落ち着かないことこの上ないのでは?
「俺もよくわからんが、まぁ、あとで試してみよう! 一緒に、入らないか?」
 お伺いは、ささやきだった。ちょっぴり自信なさげに、でも、期待に弾むのを抑えきれない声音での。
「……二人で入っても、これなら大丈夫だろうしな」
「いいのかっ? 義勇と一緒に風呂に入るのは、夏にうちに来て以来だなっ!」
 ブンブンとしっぽを振る犬みたいに喜悦をあらわにする杏寿郎に、義勇の顔にも自然な笑みがふわりとのぼった。
「でも、その……準備、してから、な」
 杏寿郎の肩にこつんと額を落として顔を隠して言えば、あ、うん、待っていると、上ずった声をあげコクコクうなずく気配がするから、恥ずかしさを通り越しクスクスともれる笑みが止められない。
 そっと頭を抱えこまれて、前髪越しに額へとキスが落ちてくる。すがるように杏寿郎のニットの裾を掴んだ。

 抱かれるための準備はどうしたって恥ずかしくて、いまだに慣れない。
 宇髄にコソコソと訊ねたときには、そんなことまでしないと駄目なのかと、ちょっと目の前が暗くなりもした。それでも、抱きあわないなんて選択は、義勇にはないのだ。
 初めてそれを意識してから、実際に抱きあえるまで、ずいぶんと時間がかかったけれど。

「お湯を溜めてるあいだに、探検の続きしようか」
「そうだな」
 照れくさく笑いあって、電子パネルの操作は義勇が。万が一にも壊されたらたまったもんじゃないので。すねてとがらせる唇に、ちょんと口づけさえもする。聖夜だから、恋人だから、少しぐらい浮かれたって罰は当たらないはずだ。
 ピシッと硬直した杏寿郎の手を、今度は義勇が引く。
 ホラ、おいでと、無言で促せば、舞い上がりっぷりを隠しきれない杏寿郎が肩を寄せてくるから、もつれ合うように歩く。クリスマスプレゼントも交換してしまおうかと、紙袋をそれぞれ掴んで、階段に向かう。
 階段をのぼるときに一段後ろを杏寿郎が歩くのは、いつものことだ。杏寿郎が背後にまわるのに義勇が気がついたのは、いつだっただろう。幼稚園のころにはもう、不思議に思っていたような気もする。
 義勇が万が一足を踏み外しても、支えられるように。
 意図に気づいたときは、やたらと顔は熱くなるしちょっとムカつきもするしで、大変だった。
 だって、義勇は杏寿郎よりお兄ちゃんなのだ。そのころにはまだ、杏寿郎のほうが体だってずっと小さかったのに。
 もしも義勇が落ちたら、杏寿郎では支えきれずに下敷きになるのは確実だ。だけど杏寿郎は絶対に、階段を登る義勇の後ろに回るのだ。二年上の義勇のほうが、支えてやるべきなのにである。
 今ではもう、杏寿郎の背は一センチだけとはいえ、義勇を越した。体重差は三キロだけだが、体格となると格段にいい。だからまぁ、支えてくれるというなら、支えてもらおうじゃないかと思いもする。
 義勇だって体力や運動神経には自信があるけれど、杏寿郎にいたってはいっぱしの武道家と変わらない。槇寿郎に言わせればまだまだヒヨッコだろうが、長年の鍛錬と研鑽で、竹刀を手にせずともそんじょそこらの奴らにはまったくひけを取らないはずだ。
 当然のことながら、暴力沙汰などもってのほかだし、決してそんな事態にはさせるものかと誓っているけれども。
 ちょっと悔しいけれど、たくましい腕や胸に包み込まれると、安心するのも確かだ。安堵して、そして、ときめく。愛おしさで、満たされる。
 だが、浮かれつつも穏やかでいられたのは、階段をのぼりきるまでだった。

「……デカいな」
「そ、そうだな……」
 義勇がイメージするラブホテルは、部屋に入ったとたんに目に飛び込んでくる、ドンッと鎮座した大きなベッドとピンクのライトだ。杏寿郎だって似たようなものだろう。
 パチリとついた電灯はごく普通だ。テレビに二人用のソファ、小さめのローテーブル。備え付けのクローゼット。スロットマシーンが置いてあるのは、ちょっと違和感があるけれども。それよりなにより。

 これ、キングサイズってやつか……?

 とうとうイメージどおりの光景があらわれて、知らずゴクリと喉が鳴った。
「こ」
「こっ!?」
 かすれた一音に過敏に反応してバッと振り向いた義勇に、杏寿郎も過剰に驚いてかビクンと肩を跳ね上げらせていた。
「や、コートをだな! クローゼットに、その、しまっておかないかと、聞こうとしたん、だが……」
「あ、あぁ。そうか、コート……そうだな、脱ぐか」
 ゴクンッと喉を鳴らす音がして、見れば杏寿郎の顔は煙を吹きそうに真っ赤だ。
 今の流れのどこに、そんな反応をする要素が? と、思った刹那、義勇の顔もボンッと火がついたように赤く染まった。
「こ、コートだけだ! 服は脱がない!」
「わ、わかっているともっ。コートだけだな、う、うむ! わかっている!」
 ディナーのときの紳士っぷりなどどこへやら。義勇がコートを脱がすのに手を貸すどころか、あわてふためいて落ち着きなくコートを脱ぐ杏寿郎に、少しあっけにとられる。それでも緊張はやっぱり消えず、ドキドキとしてかすかに震える手に気づかれぬように、義勇はそろっとコートを脱いだ。
 たった一枚脱いだだけなのに、なんだか装備を身ぐるみ剥がされたみたいで、やけに心細い。ここにいるのは義勇と杏寿郎だけで、怖いことなどないのに、勝手に体が震える。
 だって、ベッドが。あんなに大きくて、二人でダイブしてもまったく問題なさそうな、ベッドが近くに。ほんの数歩進んだら、飛び込める。

 なに考えてるんだ、俺は。駄目だろ、それじゃ。
 真冬とはいえ汗だって少しはかいてる。どうせ汗まみれになるとしても、杏寿郎に汗臭いと思われるのは嫌だ。それに、準備。そうだ、準備しなくては。
 でも、杏寿郎に我慢しなくていいと言ったのは、自分だ。今すぐと望まれたら……そうしたら。

 テンパってオロオロすると、流されがちになるのは義勇の悪い癖だ。つい深く考えずにうなずいてしまう。
 たいがいは自分が頑張ればどうにかなるとか、ちょっと我慢したら済むんだしといった、義勇にとってはささいなことばかりだ。けれどもその癖は、周囲の人から見ればどうにも放っておけないらしい。
 不死川や錆兎には、おまえは人のこと考えすぎて自分をおざなりにするのがよくないと、異口同音に言われもする。断れば相手が困るだろうと心配するのは義勇のいいところだけれど、それで自分が困るようでは駄目だろうと、宇髄や真菰に諭されることだって多い。伊黒でさえも、だからどうして貴様は自分がないがしろにされているのに気づきもせずうなずくんだと、青筋立てて叱ってくる。
 だけど、一人でなければいつだって、杏寿郎が義勇こっちだ! と手を引いてくれるから。だから、ホラ。

「義勇! プレゼント交換しよう!」
 二人分のコートをクローゼットにかけた杏寿郎が、パッと笑って義勇を手招いてくれる。
 こっちこっちとソファに腰掛けて呼ぶ杏寿郎に、ホッと肩の力が抜けた。隣に腰掛けて、メリークリスマスと笑いあえば緊張も解ける。空気が変わる。杏寿郎が、変えてくれた。

 去年のプレゼントは、相談もしないのにお互いマフラーだった。でも今年は、紙袋からして大きさがてんで違う。
 かさばる杏寿郎からのプレゼントは、けれども軽い。小さな義勇のプレゼントとくらべれば、それなりに重くはあるけれども。
「今年のプレゼントは別々だな! 開けていいか?」
「あぁ。一緒に開けよう」
 笑いあってラッピングを剥がす。意外に思われがちだけれど、杏寿郎が包みを乱暴に破いたことは一度もない。丁寧に包装を外して、包み紙をたたむさまを見るたび、躾け万全の血統書付きなんて言葉が義勇の脳裏をよぎる。
 義勇だって同じだけれども、それはむしろ、煉獄家の躾けに馴染んでいるがゆえと、言えなくもない。
 なにしろ幼稚園からこっち、義勇は多くの時間を煉獄家で過ごしているのだ。瑠火も槇寿郎も、義勇をよその子扱いなどまったくしなかったので、杏寿郎にするのと同じように注意もされたし、叱られもした。お客様ではないのだからと、靴を玄関に脱ぎっぱなしにすることさえ許されなかったぐらいだ。煉獄家の下駄箱には、義勇や蔦子のスペースがしっかり確保されていた。
 無論のこと、両親が存命だったころにも、礼儀作法は幼児なりに身につけてきたつもりだ。蔦子からだって、ほったらかしになどされていない。それどころか、煉獄家の迷惑にならないようにと、肝に銘じていたんだろう。蔦子は行儀作法には少々うるさくなった。
 口調はやわらかくとも、ピシリと飛んでくる叱咤は、なんとはなし瑠火に似ている。さすがは二人目のお母さんと呼ぶだけはある。血は繋がらずとも蔦子にとっても瑠火は母同然であり、子育てのお手本だったのかもしれない。下駄箱に炭の入った小袋を置くようになったのも、瑠火に習ってだ。
 靴を脱いだら下駄箱に。湿気がこもらないよう靴のなかには小袋を。義勇にとっても慣れた煉獄家の習慣は、冨岡家においても同様だ。姉夫婦の家でも、すでに義兄が同じように躾けられている。

 ともあれ、お互い慎重に包装紙を剥がしたら、パチンとまばたいたのは同時だ。
「これ、カイロか? なんだかかわいいなっ!」
「着る毛布……? あ、こっちはルームソックスか。予算オーバーじゃないだろうな」
 プレゼントは二人で決めた予算内で。それは幼いころからの二人のルールだ。でないと杏寿郎は張り切りすぎて、貯金をクリスマスと義勇の誕生日で使い切ってしまいかねないので。
「それは大丈夫だ! 約束はちゃんと守ったぞ!」
「ならいいが。へぇ、肌触りいいしあったかい、な……?」
 ビニールから取り出して広げてみた、黒い毛布の手触りがいいのは、嘘じゃない。触れているだけで温かいのも。寒がりな義勇のためにと、杏寿郎が頭をひねって選んだことが、よくわかるプレゼントだ。
 だから、うれしいのは確かなんだけれども。

「……おい、なんだ、コレ」

 ルームソックスは別にいい。毛布の色に合わせたらしい黒いふかふかしたソックスは、日当たりが悪くて寒い部屋ではありがたい。だけれども、だ。なんなのだ、パーカー部分についたこの余計な布地は。よく見たら、ソックスの足裏部分についた滑り止めも、なんかおかしくないか?
「……こ、今年もおそろいだな! ありがたく使わせてもらう! 義勇、ありがとう!」
 ホラ、と、箱から取り出した義勇からのプレゼントを手に笑う杏寿郎の顔が、ちょっぴり引きつっている。
 杏寿郎にはかわいすぎるかなと思ったけれども、宇髄や不死川が、アイツ黒猫と暮らしたいんだってよと言うから選んだプレゼントだ。なぜだかいつもニヤニヤ笑うのは意味がわからないけれど。
 槇寿郎が動物嫌いなものだから、煉獄家ではスモモのほかにペットは飼えない。代わりというのはなんだが、気分だけでもと選んだそれは、猫の足を模したUSB充電できる電気カイロだ。暑がりとはいえ、杏寿郎のバイト先の倉庫は冷えるし、休憩は公園のベンチだと聞いているので。受験生が風邪などひいては大変だ。せめてちょっとでも温かいようにと選んだ。喜んでくれてなによりだ。
 だから、それはいい。いいんだが、それよりも。

 おそろい。まぁ、否定はしない。たしかにおそろいではあるだろう。どっちも、黒猫だ。

「義勇の猫耳が見てみたくて選びました……ごめんなさい」
 うん。ちゃんと謝れるのは、えらい。いい子だ。でも。

 毛布のパーカーにちょこんと立ってる三角形の耳。よくよく見れば、尻のあたりにはしっぽまでついてる。なんだ、この、首元のスナップについた赤いリボン。メンズもの、なんだよな? ソックスの滑り止めだって、肉球になってるし。これをデザインした人はなにを考えて作ったのやら。

「……俺に猫耳を生やしたところで、みっともないだけだろ」
「そんなわけないだろう! 絶対にかわいい! 義勇に似合わないはずがない!」
 ガシリと両手を握りしめられ、鼻息荒く真剣な顔を寄せられても、同意はいたしかねる。
 あきれ返るばかりの言い分だが、それでも、まぁ、猫耳うんぬんはともかくとして。
 離せと手を振りほどけば、しょぼんとうなだれる。そんなさまがかわいいのも、たしかなので。
「あったかそうだな」
 どうせ、着るのは部屋でだけだし。こんなものを着たみっともない姿を見るのも、絶対に、杏寿郎だけだし。
 猫耳だって……着てしまえば、自分の目には映らない。だから、まぁ。
「じゃ、じゃあ!」
「うちは寒い。ありがたく着させてもらう」
「うむっ! そうしてくれ!」
「うん、おまえがいないときに着ることにする」
「よもやっ!? ちょっ、まっ、いや、だが……わ、わかりまし、た。うむ、着てくれるだけでもかまわん! 義勇が風邪を引くのは嫌だからなっ!」
 泡を食ってオタオタとうろたえ、自問自答は数秒。深く刻まれた眉間のしわに、いったいどれだけ残念なんだとあきれるが、杏寿郎は、義勇が元気でいられるならそれでいいとすぐに笑うから。

「だが……くれた人に着た姿を見せないというのも、失礼だな」

 ん? と、まばたき、期待に大きく見開いた目でじっと見つめてくる杏寿郎を、義勇は手にした毛布にそっと頬を寄せ見つめ返した。うん。肌触りはやっぱり抜群にいい。
「風呂から出たら、着てやろうか?」
「っ! ぜひ頼む!! 写真も撮っていいか!?」
「調子に乗るな」
 また手を握ろうとしてくるのを避けて、ピンッと指で額を弾いてやる。
 杏寿郎にだけ見せるならまだしも、写真など勘弁だ。
 唇を尖らせすねても、すぐに照れくさそうに、うれしくてたまらないと言わんばかりに杏寿郎は笑うから、撫でてやりたくてしょうがなくなってしまう。

 あぁ、なんてかわいい、俺の犬。俺だけの、かわいくてやさしいワンコ。

 かわいいなんて、おまえのためにある言葉だろうと笑み崩れてしまうけれど、かわいいばかりじゃないから、杏寿郎相手に油断はできない。

 猫耳毛布はともかく、記念にと写真を撮ろうにも、杏寿郎のスマホは、使いすぎて赤いランプがチカチカしている。義勇のスマホもバッテリーの残量が心もとなくなっていた。
 並べて充電器に繋いだら、タイミングよく階下から電子音が聞こえた。
「おっ、風呂が溜まったな!」
「十分。十分経ったらこい」
 立ち上がる義勇に続こうとした杏寿郎の足が、義勇の声に止まる。
 なんでと、杏寿郎は聞いてこない。わかったと、小さく答えて微笑む頬は、ほんの少し赤かった。
 義勇の頬だって、きっと杏寿郎以上に赤いはずだ。やけに熱い。
 遅れてきてほしい理由なんて、杏寿郎は絶対に理解している。それが義勇にもわかるから、少しだけいたたまれなくて、何度繰り返しても恥ずかしい。
 逃げるように階段を降りたら、ハァッと大きなため息が我知らずこぼれた。

 もしも、一緒に暮らせたら、こんな日が毎日のように。

 キュウッと胸を締めつけるのは、甘い期待。でも、まだ早い。
 いつかはきっとと願っているが、十五ヶ月差はどうしようもない。義勇が院に進むころまで。せめて、杏寿郎が成人するまでは、駄目だ。
 急いては事を仕損じる。万が一にも引き離されたりしないよう、リードを決して手放さずに待つのだ。
「大丈夫。ちゃんと、一緒に暮らせる。ずっと、一緒にいるんだ」
 今だけ我慢すれば、きっと。
 自分に言い聞かせる義勇の声は小さい。けれども、強く、揺るがなかった。