にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 3

 金山寺味噌やらチョコレートなど、家や友人への土産を買い込んでみれば、けっこうな大荷物だ。千寿郎へのクリスマスプレゼントには、結局金魚の置物を買った。スモモと違ってふっくらと丸みを帯びた、琉金と呼ばれる種類の金魚を模したものだけれども、きっと千寿郎は顔をほころばせ喜んでくれるだろう。
 目当てのアンパンも、幸いなことに一つだけ残っていた。一押し商品だけあって、売れ行きも好調なんだろう。一つだけでも買えたのは幸いだ。
「けっこう買ったな」
「うむ! だが、アンパンも買えたし、セールをしてたのもラッキーだった!」
 そこそこいい値段をするのは知っていたから、自分のぶんは控えめにしようと思っていたけれど、たまたま百円均一セールをやっていて助かった。
 アンパンも、コンビニで売っているようなものの二倍はあろうかという大きさだから、義勇と分け合ってちょうどいい。具だくさんのパンなどを十五個ほども買っても、二人前のルームサービスより安いぐらいだ。
「売れ残ってるのを喜ぶのは申しわけないが、たしかにツイてたな」
「だから言っただろう? 俺の運の良さは折り紙付きだ! 一生一緒にいればそのうち宝くじだって当たるかもしれないぞ!」
「それはさすがに無理だろ。いいとこ千円ぐらいじゃないか?」
 カラリと笑って言えば、義勇もクスクスと満更でもなさそうに笑ってくれる。一生一緒という言葉を否定もせずに。
「ふむ。それなら五百円ずつ山分けだなっ。なにを買う?」
「当たる前から気が早い」
 笑いあいながら、人の流れに逆らって駐車場へと歩いていく。紙袋をお互い持っているから、さすがに手は繋げないが、不安はもうなかった。義勇の笑顔にも、チリチリとしたさざなみのような胸騒ぎは、感じられない。
 喧嘩にならなくてよかった。不安を抱えたままもごめんだ。初めて恋人として過ごせるクリスマスなのだ。幸せな思い出でいっぱいにしたい。

 駐車場からつづく太鼓橋が、イルミネーションの一番手だ。橋の両側に立つツリーはたくさんの電飾で金色に輝き、ピンク色の電飾がリボンを巻いたようにきらめいている。そこここで歓声が上がり、写真を撮っている人たちも見える。
 橋の脇に据えられている大きな鷹の像や、橋自体もライトアップされているのだが、ツリーはともかく、鷹の足元にあるナスの像には、違和感しかない。義勇も首をかしげていた。一富士、二鷹、三なすびを表しているのだというのはリーフで知ったが、クリスマスとの関連がなさすぎて、顔を見合わせ苦笑してしまった。
 到着時にはすでに満車に近かった駐車場には、人気はなかった。みんなイルミネーションを見ているのだろう。杏寿郎もちょっとばかり焦らなくもない。
 買い物に少々時間を食ったこともあり、なんだかんだと時間が押している。レストランの予約時間まであと十五分ほどだ。有料のイルミネーションショーは、時間が決まっているのだ。食事は連絡すれば多少の融通は効くかもしれないが、ショーはそうはいかない。

 ライトで照らされた駐車場は、それなりに明るいが、それでもきらびやかなイルミネーションからすると寂しく見える。
「義勇、車はこれだったか?」
 たしかこのあたりと記憶にある場所にあった白い車を指差せば、義勇が小さく首を振った。
「同じ車種みたいだけど、ナンバーが違う。あっちみたいだ」
 義勇が足を向けた場所にあった車のナンバーを見て、杏寿郎は、知らずクスリと笑った。
「俺がいるぞ」
 笑って指し示したプレートには、05-90とある。
「ホラ、煉獄だ」
 本当だと笑うかと思ったのに、義勇はなぜだかソワソワと視線をさまよわせだした。
「義勇?」
「……だから、借りた」
「え?」
「だからっ、煉獄って読めるってずっと思ってたから、村田に頼んだんだっ。……気づかないと思ったのに」
 最後の言葉は蚊の鳴くような小ささだ。白いライトの浮かぶ頬は、ほのかに赤い。

 なんか、もう。なんか、なんかっ、こうっ、あぁぁっ!

 顔を覆ってゴロゴロと転げ回ってしまいたいぐらいの興奮は、言葉にもならず、どうしていいのかわからない。なんだこのかわいい生き物。駄目だろう、こんな愛くるしい生き物を一人にしておいてはっ! やっぱり絶対に一緒に暮らす! でなければ俺がもたん! 心配で心臓がとまりかねん!

 ブルブルと震えて感動と決意を噛みしめていた杏寿郎を、そろりと上目遣いで義勇が窺い見てくる。恥ずかしいのか、マフラーを口元まで引き上げる仕草が、またこう、なんともはや。
「煉獄、だけか?」
「ん? え、あ、最後の0にもなにか意味があるってことか?」
 うわぁ、という語彙力皆無の雄叫びめいた言葉しかもはや浮かばなくなっていた頭が、義勇の言葉であわてて回転しだす。ピッと肩を跳ね上げた義勇は、ブンブンと首を振ってごまかそうとしたようだが、もう遅い。
「ゼロ……零……いや、違うな」
「なんでもないっ! ホラ、いいから荷物入れるぞ!」
「なんでもないってことはないだろう? 丸でもないだろうし、ふむ……」
 んー、と目を閉じ考え込む杏寿郎の背を、もういいからと義勇は叩いてくるが、照れ隠しでしかないからか、たいして痛くもない。
「あ、ラブ」
「っ!!」
「わかったぞ! テニスのスコアとかのラブだろう! 煉ご……く……ラブ」
 ひらめいたことに気を取られ、満面の笑みで告げた杏寿郎の顔が、じわりと赤らんでいった。義勇にいたっては、もはやゆでダコみたいだ。答え合わせなんかする必要もない。

 あぁ、もう、どうしてくれよう。どうしたらいいんだろう。抱きしめてしまってもいいだろうか。イルミネーション? もうどうでもいい。今すぐ抱きしめて、キスして、それから。それから……。

 ゴクリと鳴った喉の音が、やけに大きくひびいて聞こえる。少しうつむいている義勇の、ふせられた睫毛がかすかに震えていた。
 鼻先までうずめた青いマフラーを、そっと引き下ろしても、許してくれるだろうか。駄目と言われても、止められるかわからないけれど。義勇は、背を抱き返して、笑ってくれるだろうか。

 ゆっくりと、手を伸ばす。腕をとって、引き寄せて。そうしたらきっと義勇は、恥ずかしそうにちょっとだけ拒んでみせるだろう。でも殴ってきたりはしないのだ。だって、人はいない。自分たちしか。だから抱きしめてもきっと、義勇は怒らない。

 杏寿郎の手が伸びてきても、義勇は逃げない。少し体を固くして、さっきよりうつむいても。
 もう少し。あと、五センチ。触れたら、もう、止められそうにないけれど。止まらないけれど。

 指先が、コートに触れた。
「おいっ! いいかげんにしろ!」
 ビクンッと飛び跳ねそうになったのは、義勇も同様だ。いや、実際に二人とも五センチくらいは飛び上がったかもしれない。
 見咎められたのかと、そろってキョロキョロと周囲を見まわせば、どうやら声は自分たちに向けられたものではないようだ。同列の端に人影が見える。
 なにやらもみ合っているように見える人影に、思わず顔を見合わせた。
「喧嘩か?」
「……かな?」
 せっかくのクリスマスだというのに、迷惑な話だ。おかげで義勇とキスしそこねた……とは、さすがに八つ当たりがすぎるか。
 ンンッと意味なく空咳して、どうする? とお伺いの視線を向けてみる。義勇は肩をすくめて、小さくうなずいた。喧嘩なら止めなければと、義勇も考えるだろうとの予想は当たりだ。
 杏寿郎もヒョイと肩をすくめてみせる。並んで歩き出した足取りは、ちょっと大股で、苛立ちがあらわだったかもしれない。
 人影は二つ、いや、三つだ。騒動のもとは、赤い髪の男と黒髪の男。もみあっているというよりも、赤髪を黒髪が引き止めているというのが、正しいかもしれない。

「恋雪もおまえと一緒でいいって言ってるだろうっ。ここまで来て一人で帰るなんて、我儘すぎるぞ、猗窩座!」
「おまえがうるさいから来てやったんだ。あとは二人で勝手にしろ」

 黒髪はいきり立っているが、赤髪のほうは白け顔だ。諍う二人にオロオロとしている女性が恋雪とやらだろうか。いずれにせよ、楽しいクリスマスが台無しになって、気の毒なことだ。
「君たちっ! どういう事情かわからないが、せっかくのクリスマスだ。喧嘩はやめたらどうだ。そこの女性も困っている!」
 杏寿郎が声をかけても、赤髪の男はいかにも面倒臭げに、冷めた視線を向けてきただけだ。
「誰だ、おまえ。おまえに関係ないだろう?」
「他人はすっこんでろ!」
 思いがけず怒鳴り返してきたのは黒髪のほうで、これはちょっと予想外だ。さて、どうするかと思うまもなく、うろたえるばかりだった女性が声を張り上げた。
「狛治さんっ。親切に言ってくれた人に怒るのは駄目……あの、猗窩座さんも、せっかく来たんだし一緒に行きませんか?」
 勇気を奮い起こしたのだろう。最初の呼びかけこそ勇ましかったが、声はか細く小さくなっていく。震える手も痛々しい。
 よくよく見れば、男たちの顔立ちはよく似ている。髪色が違いすぎるからか印象に差はあるが、もしかしたら双子なのかもしれない。
「あまり他人の事情に口出ししたくはないが、喧嘩になるのなら放ってはおけん! 家族連れも多いのだ、子供たちや女性が怯えるだろう。互いに言いたいことがあるのなら、話し合いで済ませるべきではないだろうか!」
「へぇ……ずいぶんといい子ちゃんぶったセリフだ。だが」
 黒髪のほう――狛治というのがこちらだろう――は、恋雪の言葉に多少は落ち着きを取り戻したようだが、猗窩座と呼ばれた赤髪は、なにやらニィッと口角をつり上げ、まじまじと杏寿郎を見据えてくる。
 なんだか嫌な感じだな。知らず眉をひそめそうになった杏寿郎は、次の瞬間、鋭く打ち込まれてきた拳を寸前で避けた。
「杏寿郎っ!」
「なにをする!」
 すぐさま義勇を背にかばい立ち、鋭く睨みつけた杏寿郎に、猗窩座はますます楽しげに笑う。
「わかるぞ。おまえ、強いだろ。なぁ、喧嘩しよう。強いやつを叩きのめすのが、好きなんだ」
「やめろっ、猗窩座!」
 狛治の止める声も、恋雪の細い悲鳴も、猗窩座の耳には入っていないのだろう。好戦的な目をギラつかせ、杏寿郎だけを射抜くように見つめている。
「君がなにを好むのかなど、俺には預かり知らんところだ。それこそ関係ないな。意味なく振るう拳など持ち合わせてはいない」
「それはそれは。反吐が出そうな優等生のお言葉だ。だが、俺にもおまえの考えなど関係ない。意味なら作ってやろう」
 ハハッと愉快げな笑い声を上げ、タンッと地を蹴った猗窩座の狙いは、すぐに知れた。
 杏寿郎の脇をすり抜け義勇に殴りかかろうとした猗窩座の腕を、反射的に掴みしめた杏寿郎に、猗窩座はニンマリと笑って顔を寄せてくる。
「おまえの名前は?」
「……煉獄杏寿郎だ。彼を傷つけようとする者は、何人たりと許さん」
「杏寿郎っ、よせ!」
 ギリッと渾身の力で掴んでも、猗窩座の笑みは消えない。ギシギシと骨の軋みさえ聞こえてきそうなほどの力を込めてでさえ。

 こいつ、ただの喧嘩好きではないな。

 杏寿郎は腕を掴んだだけでなく、そのまま腕を引き体勢を崩させるつもりでいた。だが、猗窩座は揺らがない。体幹が優れているだけでなく、杏寿郎の腕力に負けぬだけのパワーも持ち合わせているということだ。飛びかかってくるスピードも、生半可なものではなかった。
 少しでも隙きを見せれば、やられる。
 負けるつもりはない。だが、確実に倒せるとの勝算も見えない。
 猗窩座も、余裕のある態度のわりには動かぬところを見ると、次の攻撃に出ようにも決め手にかけ、杏寿郎の出方を探っているのだろう。
 俺なら、どう出る? どう倒す? 思考は目まぐるしくまわる。すべての可能性と、防御と反撃の手を、杏寿郎は無言のまま脳裏に巡らせた。

「やめろって言ってるだろ、杏寿郎! もういいっ!」

 義勇の制止の声に従おうにも、猗窩座の行動は見過ごせない。こいつは義勇を狙ったのだ。杏寿郎と喧嘩がしたいなんて、くだらなすぎる理由で!

 憤怒の業火が、胸のうちで唸りを上げて燃え盛っていた。こいつは、敵だ。義勇を傷つけようとする者。俺から義勇を奪おうとする輩。すべて排除せねばならない。断じて許せるものか!
 ギシリと噛みしめた奥歯から、口中に錆臭い血の味が広がる。
 わずかにも力を緩めたが最後、こいつは襲いかかってくる。それだけならばまだしも、義勇を邪魔だと判断したら、まず義勇を始末しようと考えるだろう。
 長年剣道で培った観の目は、猗窩座の筋肉の動きや息遣い、目線一つからも、情報を見逃さない。危惧は確信に近かった。だからこそ、杏寿郎は一切動けない。義勇を傷つける可能性がある以上、手を離すこともできず、さりとて足払いして動きを封じようとしても、猗窩座に避けられる予想は簡単につく。

 ギンッと睨みあう一触即発の――実際は、すでに互いの手の内を読みあう心理戦が繰り広げられているのだが――杏寿郎と猗窩座のあいだに、誰も割り込めずにいる。恋雪は当然のことながら、狛治も下手に手を出せば均衡が崩れ、かえってマズイ事態になるのを感じ取っているのだろう。手をこまねいているのを感じた。
 駄目だ。このままでは、力負けするかもしれない。ジリッと猗窩座の足が動いている。ツッと、杏寿郎のこめかみを図らずも汗が一筋流れた。
 と、そのときだ。

「っ!?」
「……おまえ」

 杏寿郎の頬をかすめるように飛んできたのは、石つぶてか。猗窩座の視線が、杏寿郎の背後に注がれている。

「そこまでだ。次は当てる」

 静かな声にはそれでも怒りが隠しきれていない。だが、杏寿郎だって引けるはずがないのだ。
「義勇、下がっていてくれ」
「おい、義勇。おまえも強いだろ。杏寿郎の影に隠れているだけのなよっちい奴かと思いきや、おもしろい。おまえもやろう。杏寿郎と二人がかりだっていい。楽しもう!」
「いいかげんにしろっ、猗窩座! 一緒に行くのが嫌なら帰ろう! だから他人に迷惑をかけるな!」
「貴様が軽々しく義勇と呼ぶな! だいたいなぜ義勇の名を知っている!」
「おまえが言ったせいだろうが。それより、予約の時間に間に合わなくなるぞ、いいのか? 俺は喧嘩なんかしない。せっかく来たのに帰ることはないだろう? それを放置されても困るが」
「すまん! それはともかく、まとめて返事するのはやめてくれ! 混乱するんだがっ!?」

 義勇の返答で、なんだか緊迫感が薄れた気がする。というか、気が抜ける。こういうところだって大好きだけれども、この場では正直勘弁してほしい。

 だが、膠着状態から抜け出せたのは確かだ。猗窩座の空気が変わった。
 不意に力が抜けたのに気づき、杏寿郎も慎重に手をゆるめる。
「ふん。やる気が失せた。邪魔が入らないときに改めてやろう、杏寿郎、義勇」
 腕をブラブラと振り、猗窩座はニヤリと笑うと、振り返りもせずさっさと歩いていく。
「義勇と呼ぶな!」
「おまえもいいかげんにしろ、バカ犬」
 ゴツンと頭に落とされたゲンコツに、うぐっと杏寿郎が首をすくめる横を、狛治と恋雪があわただしく駆けていった。
「あの、すみませんでしたっ」
「待てよっ、猗窩座!」
 バタバタと駆けていく二人をなんとはなし無言で見送り、杏寿郎は、小さく喉を鳴らすとそろりと義勇を窺い見た。
「あの、義勇……」
「荷物」
 このまま帰ると言い出されたらどうしようと、ちょっとばかりビクビクと呼びかけた杏寿郎に、義勇が返してきたのは簡潔な一言だ。
 ん? と首をかしげれば、フゥっとため息をつき、義勇は無表情のまま、それでもわずかに目元を和らげてくれた。
「早く車に入れないと、予約の時間になるぞ」
「あ、うむ! 急ごう!」
 ホッとして、思わず笑った杏寿郎の額を、ピンッとおまけのように指で弾いて、義勇の顔にようやく苦笑が浮かぶ。

 急いで車に紙袋を置いたら、手を繋いで走り出す。なんだかとんでもないことになりかけたけれども、義勇が帰ると言わずにいてくれてよかった。
「変な奴だったなっ!」
「今日のところはしかたなかったとはいえ、万が一また出くわしても、相手をするなよ?」
 義勇に言い聞かされずとも、二度とは逢いたくない。だが、もしも万が一が起きたら……うん、考えるのはやめておこう。なんだか嫌な予感しかしない。

 なにはともあれ。クリスマスイブは、これからが本番だ。夜は、これからなのだから。
 多少ケチはついたが、さぁ、ここからが勝負だ。春からの同棲生活のためにも、仕切り直しといくとしよう。