にゃんこなキミと、ワンコなおまえ 3

 水族館から出ると、辺りはもう暗かった。なんだかんだとすでに時刻は五時だ。楽しい時間はすぎるのが早い。
 和柄と組み合わせられた水槽のなかでひらひらと泳ぐ金魚は、目に楽しく、義勇が夢中になってくれたのはありがたかった。
「クラゲや水草まで展示してあるとは思わなかった」
「まったくだ! だが、きれいだったなっ」
 コートを着込んだ義勇にマフラーを巻いてやりながら、杏寿郎が愉快な気分で笑えば、義勇はコクンとどこか幼い仕草でうなずいてくれる。ずっと上の空だが、機嫌は悪くなさそうだ。
 悪ふざけのつもりはなかったが、義勇をむくれさせたのは事実だから、犬と愛を語らう趣味はないぐらい言われるかと思ったけれど、ご機嫌ななめのままでなくてよかった。
 それどころか、金魚を見るうち童心が蘇ったのか、水槽を見てまわる義勇の瞳はキラキラとして、金魚よりもよっぽど愛らしく美しかった。

「……なぁ、スモモって、やっぱり鯉じゃないか?」
「……よもやそれはない……と、思うが、断定はできんな」
 まだ気にかかっていたか。義勇のつぶやきについつい杏寿郎は苦笑した。
 考え事に気を取られてでもいなければ、義勇はおとなしく杏寿郎にマフラーを巻かれたりしないだろう。よくよく気にかかっているらしい。
 ソファには運良く座れたが、義勇がこのありさまでは、愛の語らいどころじゃない。隣に座る杏寿郎そっちのけで、義勇は真剣な顔をしてやっぱり鯉、いやでもと、ブツブツつぶやいていた。
 かわいかったから、いいんだけども。義勇さえ楽しかったのなら、愛を語らう本番は夜でかまわないんだけれども、だ。
 なんだかなぁと、杏寿郎の苦笑いに細まった目が虚空に向けられた。
 一応は、ソファにだって座れたのだし、恩恵だって眉唾ものと思っていたのも確かだ。文句をつけるのは大人げない。でもなんとなく、ちょっとおもしろくないのも事実だ。なんだかスモモに負けた気がする。義勇の機嫌を直してくれたのだから、感謝するべきだとも思うが、魚に恋人の意識をかっさらわれるのはどうなんだ? うーんと、杏寿郎もうなりたくなってくる。

 金魚の種類は豊富だったけれども、それだけでは場がもたなかったのか、なぜだか水族館にはグッピーや、アニメ映画でお馴染みのオレンジと白の模様が入った魚だのもいて、クラゲのエリアにいたってはかなり広かった。まぁ、カラフルにライトアップされてゆらゆらと泳ぐクラゲは、なかなかきれいではあったが。
 なんとも懐が広いというかなんというか、ソファだって一箇所かと思いきや結構な数で、カップルがそこここに座っていたのだ。パワースポットとはいったいと、考え込まざるを得ないところだ。
 だが、それはまぁいい。一匹百万円もするという巨大なランチュウを見て、金魚に百万と思わず複雑な心境で目を見交わしたのも。撮影可の館内にこれ幸いと、スマホのバッテリーがあやしくなるほど、水槽を覗き込む義勇をここぞとばかりに写しまくれたのも、うれしい。俺じゃなく金魚を撮れと、ちょっぴり頬をふくらませるのさえ、かわいかったからいいのだ。
 だが……。
 大きく白い金魚が泳ぐ水槽を見つけ、スモモに似たのがいると大興奮で二人して覗き込んだそれは、実は鯉で。鰭長錦鯉とやらいうらしいのだが、本当に色さえオレンジ色ならばスモモにそっくりだった。スモモのほうが若干大きめな上、魚類らしからぬ鋭い眼光をしているけれども。
「稚魚は金魚そっくりだって書いてあったし」
「だが、値段が段違いだろう? 縁日の金魚に紛れ込むとは思えんが……しかし、本当に似ていたからな。そういうこともありえるかもしれん」
 とくに深く考えて言ったわけではなかった。けれども義勇は杏寿郎の同意に安堵したようだ。
「もし本当にあの鯉の仲間だったら、スモモは一匹きりじゃないんだな。よかった……」

 気になっていたのはそこか。
 静かに微笑んだ義勇の、少しうつむいた顔に、杏寿郎の胸が言いしれぬ想いでいっぱいになる。泣きたいような、義勇を力いっぱい抱きしめ愛を叫びたいような、切なくて、でも温かい気持ちが、胸にあふれてこぼれ落ちてきそうだ。
 名付けるのなら、この想いこそがきっと恋なのだろう。庇護欲も尊敬も、独占欲や寛容も、すべて綯い交ぜ詰め込んで、胸弾ませたり沈み込ませたりもする、この想い。義勇だけに向かう、これが、恋だ。
 抱きしめたいけれど、それはまだ早い。きっと義勇は怒るだろう。だから杏寿郎は我慢する。

「あとで詳しく調べてみよう。その結果、もしスモモが金魚でしかなくとも、一匹きりなんてことはない。一緒に池のなかに住んでやることはできないが、スモモだって俺たちの家族だ。寂しいなど思わせないでやればいい」

 スッと上げられた義勇の海色の瞳が、杏寿郎を映した。揺らめく海に、義勇は、魚でなくとも杏寿郎を住まわせてくれる。魚じゃないから、抱きしめあえる。二人きり、もっと夜が更けたら。
「それに、錦鯉では手が出ない可能性も高いが、金魚ならいつかは嫁さんと暮らさせてもやれるしな!」
「うん……スモモが寂しくないなら、それでいい」
 ほのかに笑う義勇に顔を寄せ、ささやいたのは、悪戯心というには少々水分多めだ。でないとなんとなく泣いてしまいそうだったので。

「スモモは鯉でないかもしれないが、俺の気持ちが恋なのは、疑ってくれるなよ?」
「うん? ……ば、バカ犬! あ、ちがっ」 

 バッと一歩飛び退り、顔の前で両腕を交差させてガードする義勇のあわてっぷりに、一瞬ポカンとした杏寿郎は、すぐにククッと体を二つに折るほど笑い出した。
 あんまりかわいくて、どうにも笑みが止められない。大声で笑えば人目を集めすぎる。ますます義勇はへそを曲げてしまうに違いない。なんとか声を抑えようとするのだが、あとからあとから湧き上がる笑いは、止められそうになかった。
「土産を買うんだろうっ、行くぞ!」
「悪い、置いてかないでくれ」
 まだ笑みを消せないまま、とっさに腕をつかめば、振り払うかと思いきや、義勇はちょっぴり唇をとがらせただけだった。
「泣くほど笑うな」
「うん、すまない。かわいくって止められなかった」
「かわいくない。杏寿郎のほうがよっぽどかわいい」
 すねた声音だが、きっと本気で言っているんだろう。昔から義勇は、どことなく自己肯定感が薄い。蔦子に言わせると、両親が亡くなってからそんな具合らしかった。つまりは杏寿郎と出逢う少し前からだ。
 両親の事故から重なる出来事に、心がついていかないのだろうと蔦子は思っていたようだが、今でも義勇は自分を卑下しがちだ。かなり根深い。
「俺をかわいいなんて言うのは、今じゃ義勇ぐらいだぞ」
「……宇髄は?」
 ちろりとねめつける視線に、グッと言葉に詰まる。
「あれは意味が違うんじゃないのか?」
「杏寿郎がかわいいと思われてるのに変わりはない」
 それはそうかもしれないが、宇髄の言うかわいいは、たぶんにからかいだ。杏寿郎が恋心に翻弄されて右往左往するさまに対してである。見た目も性格も愛らしい義勇への称賛とは、意味合いがまったく違う。
「だとしても、義勇にかわいいと言われるのは、ちょっと悔しい」
「じゃあ、もうかわいがらなくていいんだな?」
「それこそズルいだろ……」
 かわいいと子供扱いされるのが口惜しいのは確かだけれど、おいでと甘くささやかれ抱きしめられる愉悦を、まるきり捨て去ってしまうのも惜しい。恋する青少年の煩悩をなめてはいけない。
 だって、義勇が甘やかしまくってくれるのは、今ではそういうときだけなのだ。
 大人扱いされたいし、頼りがいのある恋人として見てもらいたいけれど、かわいいと甘やかされるのが嫌いなわけじゃない。

 やわらかな声と、やさしく撫でてくれる手。いい子、杏寿郎かわいいと、悦楽にかすれる声で笑いかけてくるささやきは、蜜のなかで溺れるごとくに甘い。
 あれを全部なくす? それは……ちょっと。だってああいうときの義勇の色っぽさは、たぶん、杏寿郎がリードしての行為で見せてくれるはずのものとは、また一味違う気がしてしまうのだ。まだ見たことがないから、わからないけれども。
 まぁ、それこそ杏寿郎のほうがリードを握られ躾けられている気も、ちょっとばかりしないでもないけれど。

 へにゃりと眉を下げて、情けない声でボヤいた杏寿郎に、義勇の機嫌は浮上したらしい。
「買い物もするんだろう。千寿郎へのクリスマスプレゼントも買おうか。もう買ってあるか?」
「いや。一緒に選んで買おう。割り勘って約束だからな」
「クリスマスのプレゼントだぞ」
「でも土産だろう?」
 じっと見つめれば、肩をすくめて苦笑する。よかった。ここだけは勝てたらしい。杏寿郎の顔にもちょっと情けなさの余韻がにじむ笑みがのぼる。
 視線を義勇の手にちろっと落とすと、フゥッとかすかなため息が聞こえた。
「……お手」
 ぶっきらぼうな声で言い、手を伸ばすから、杏寿郎の笑みが朗らかなものに変わる。
「ワン!」
 声を弾ませ手をとれば、義勇の頬がほんのりと赤らみ、やさしくたわんだ目が杏寿郎に向けられた。
 大人の男としてエスコートするという目標を、軌道修正する気はないけれど、こういうやり取りだって結局のところ、杏寿郎は好きなのだ。
 義勇のそばにいて、義勇が笑っていれば、杏寿郎は天下無敵だ。誰にも負けないし、誰にも義勇を傷つけさせない。姫を守るナイトとしてでも、ご主人さまを守り抜く忠犬でも、とどのつまり、義勇を守りきれるならなんだってかまわないのである。
「さぁ、行こうか」

 それでも、せめて仔犬ではないと思ってもらいたいものだ。

 指を絡めても、義勇は振りほどくことはなかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ショップが並ぶ棟はそれなりに広い。すでにイルミネーションが点灯されているせいか、人気はまばらだ。メインとなる商品は食べ物が多い。観光地だけあって値段はそれなりだが、どうにか予算は超えずに済みそうだ。
 手にとった瓶詰めのケチャップをしげしげと眺めている義勇の横顔を、さりげなく窺いつつ、杏寿郎は、さも今思いついたふりをして話しかけた。
「義勇、土産を買い終えたら、明日の朝飯にパンも買っていかないか?」
「めずらしいな。和食じゃなくてもいいなんて。俺のことなら気にしなくていいぞ。なんなら土産とはべつにさっきの金山寺味噌を朝飯として買ってもいいが?」
「いや、ここの石窯アンパンが有名らしいんだ。かなり大きいらしいぞ。食べてみたくてなっ」
 ふぅん、ととくに気にした様子もなく義勇がうなずいた。杏寿郎は胸中で小さくガッツポーズする。
 これで明日の朝食を確保できる。ホテルのルームサービスや、ダイナーで食べるのは、義勇が嫌がるに決まっているのだ。大食漢の杏寿郎が満足できる量とも思えない。予算オーバーして義勇に出してもらうのは絶対に避けたいところだ。
 かといって、コンビニ食というのも、特別な夜を過ごした翌朝としては味気ないし、なにより杏寿郎はレンジすら扱えない。
 たいへん無念ではあるが、コーヒーはペットボトルか缶で我慢しよう。もちろん、持ち込みで。販売しているものは高いし、備え付けのポットは……たぶん、壊す。夜明けのコーヒーなんて、杏寿郎にとっては夢のまた夢でしかない。少なくとも、電気ポットでは無理だ。
 サイトの写真で見るかぎり、部屋はダイニングキッチン付きではあるけれども、IHヒーターだったし……きっと駄目だ。無謀な挑戦はすまい。とりあえず、今日のところは駄目だ。弁償するほどの金はない。というか、万が一壊した場合、同棲がまたはるか先に遠のく。かもしれない。
「おまえのとこと、姉さんのとこ。宇髄たちに、錆兎と真菰へは一緒でいいから……こんなものか。あとは千寿郎へのプレゼントだな。食い物よりも雑貨のほうがいいだろ?」
「ん? あ、あぁ、そうだなっ。消え物ではプレゼントとしては味気ないし、雑貨のコーナーに行くかっ」
 紙袋を互いに持って、雑貨が置かれているほうへと向かう。
 昼に見た彫刻とはだいぶ趣は異なるが、どれも木で作られた愛らしい動物の置物が並んでいた。クリスマスだからか、サンタや雪だるまといった季節ものもある。すべて手作業で作られているそうで、ほとんどの木彫りは白木の色合いと墨の二色でパッと見は地味だ。だが、素朴な温かみを感じるものばかりで、自然と頬が緩む。
 義勇も、祈ってるみたいなポーズをしたうさぎを手に取り、はんなりとした笑みを浮かべていた。
「これなら、千寿郎も気に入りそうだな」
「うむ! きっと喜んでくれると思う。どれにしようか。千寿郎が一番好きな動物はライオンだが……お、あるぞ。これにするか?」
「おまえに似てるから、だったか。俺は、あんまり似てないと思うが……」
 百獣の王に例えられるのも少々照れるが、似ていないと断じられるのも、どことなし憮然としてしまう。
「俺は犬か?」
「うん。……あぁ、これ。ゴールデンレトリバーがあればピッタリだったけど、ラブラドールもちょっと似てる」
 のほほんとした顔の犬の置物を手に取り、義勇はいかにもうれしげに笑っている。
 そりゃあ、このデザインではライオンだってのんきな顔をした愛らしいものではあるが、せめてもうちょっと格好いい動物にしてほしいものだ。
「むぅ……あ、こっちはどうだ。狼だ!」
 これもまた、しょせんは愛らしいの域を出ないが、遠吠えする姿はまだしも精悍と言えないこともない。そんなに格好いいものかと笑われるとしても、それで話が盛り上がるのならそれもまた楽しめるだろう。
 けれども義勇は、笑ってくれるどころか、なぜだか杏寿郎が手にした狼を凝視している。笑みはスッと消え、小さく唇まで噛んでいる始末だ。
「義勇?」
「……似てない。杏寿郎は犬でいい」
 犬だ、ではなく、犬でいい。些細なことだ。意味などないかもしれない。だけど、やけに気にかかる。
 それでも、なぜ? と問うには、義勇の様子は聞く耳など持ってなさげだ。ふいっとそっぽを向き、狼を手にしたままの杏寿郎から繋いだ手をほどき、離れていこうとさえする。
 突然の変化に戸惑って動けない杏寿郎を、不意に義勇は振り返り見た。
「おまえは犬だよ。やさしい犬。おっかない狼なんかじゃない。ホラ、それより金魚があった。千寿郎への土産、これにしないか?」
 義勇は笑っていた。ぎこちなさなんてどこにもない、自然な笑みで。
 なぜだろう。うなじがチリチリとする。
 あぁ。そうか。あのときに、似ている。心配させまいと、杏寿郎に隠し事をしていたあのころの義勇に、似ているんだ。
 思った瞬間、記憶のなかに沈めた腹立たしい出来事が、まるで今まさに起きているかのように、激怒をともない呼び覚まされた。
 浮かび上がり、脳裏をしめるのは、怒り。いっそ、憎しみと言ってもいい。だって、あれは『敵』だ。なにをおいても、なにを捨てても、排除せねばならない、敵。今も思い出すだけで激昂に総毛立つほど、許されざるべき者ども。

 グルッと、喉の奥で唸りがあがる。こめかみがひきつる。ギリッと奥歯を噛みしめた。今、目の前にいるのは義勇だけなのに、怒りがおさまらない。

 と、不意に温もりが頬を包んだ。反射的に睨みつけても、義勇の手は離れていかなかった。そればかりか、そっと杏寿郎の頬に触れ、やさしく撫でてくる。
 一瞬にして燃え上がった憤懣が、小さく鎮まっていくのを感じた。代わりに胸を占めたのは、不安だ。
「……義勇は、怖いから狼が嫌いなのか?」
「嫌いじゃない」
 声をかすれさせ聞いた杏寿郎に、即座に返った義勇の答えは強かった。
 それ以上は、問えなかった。だって、なんと聞けばいいのかわからない。

 本当は、俺のことを怖いと思ってるか? 俺が……嫌い?

 そんなこと、どう聞けばいい。もしも、答えがイエスなら……。自分がどうなってしまうか、杏寿郎にもわからない。ゾクリと背を走ったのは、怯えだ。
 杏寿郎は小さいころから、おばけだって怖くなかったし、転んでも自分で立ち上がり、泣いたりしない。心配そうな義勇に、痛くない平気だと笑ってもみせた。怖いものなんて、ないのだ。痛いと泣いたりなんかしない。
 だけど、義勇に嫌われるのだけは、どうしようもなく、怖い。考えただけで、胸が痛くて痛くて、心臓を切り刻まれているような気がしてくる。
「……杏寿郎。変なこと言い出して、悪かった。ホラ、これを買ったら買い物は終わりだ。レストラン行くんだろう? クリスマスディナー、楽しみだな」
 穏やかな声でうながされても、杏寿郎の体は動いてくれそうになかった。足から凍りついていくようだ。勝手に手足が震えているのを、気づかれぬようにすることすらできない。なんて不甲斐ないんだろう。でも、怖いのだ。
「言っただろう? おまえはやさしい犬だって。怖くなんてないし、嫌いになんかならない」
「うん……」
 義勇はやさしく笑っている。笑ってくれる。だけど不安は消えない。怯えは、義勇に嫌われるかもという焦燥だけではないのだ。杏寿郎は恐る恐る口を開いた。
「義勇……なにも、ないか?」
「なにもって、なんだ?」
 からかうようなひびきに、ムッと口をへの字に曲げる。義勇の瞳に映るその顔は、我ながら、癇の強い子供のようだ。扱いにくく生意気だと思われそうな顔をしている。だけどここは引けない。
「ごまかさないでくれ。中三のときみたいに、隠してるんじゃないのか?」
「もしそうなら、錆兎たちがとっくにおまえに言ってる。隠そうとしたって、錆兎や真菰にはバレるに決まってるだろうしな。どうせ頼み込んでるんだろう? 俺になにかあったら、すぐに連絡してくれって」
 義勇はいかにも苦笑いだ。
「授業はほとんど錆兎たちとかぶってるし、バイト先でも村田がフォローしてくれてる。いつも信頼できる誰かしらと一緒にいるんだ。おまえが心配するようなことは起きてない」
「……本当か? それならいいが、なにかあったらすぐに言ってくれ」
「ん……。大丈夫だ。怖いことなんて起こらない。きっと。だから、ホラ、笑え」
「……ひひゅう、いひゃい」
 むにっと頬をつまんで引っ張る義勇は、ご満悦といった体だ。クフクフと笑っている。
「子供のころにくらべると、あんまり伸びないな。餅みたいにやわらかかったのに」
 むにむにと頬を上げ下げさせるのはやめてほしいのだが。地味に痛い。
 お返しとばかりに、義勇の頬を両手でグッと挟む。むにゅっとつぶれた頬とタコみたいに突き出された唇に、知らず杏寿郎の目がたわんだ。ブサイクな顔だ。でも、かわいい。どうしようもなく。途方もなく。義勇は、どんな顔になっても、誰よりもかわいい。
 キュウッと眉を寄せ、ますます頬を引っ張ってくる義勇に、杏寿郎も義勇の頬をぐりぐりと手のひらでこねる。いったいなにをしてるんだか。互いに呆れが目に浮かんで、ククッと肩が震えたのは同時。手を離したタイミングも一緒で、フハッとそろって小さく吹き出した。
 人気は少ないとはいっても、無人じゃない。チラチラと視線が注がれているのには気づいたが、気になりもしなかった。だって義勇が笑っているのだ。これ以上に大事なことなんて、杏寿郎にあるわけがない。

 不安は、いつのまにか消えていた。