流れ星 後編

 ホゥホゥと夜行性の鳥が鳴く声が、木立のなかにひびいていた。白々と輝く半円近い月も、チカチカとまたたく星も、枝々の隙間からわずかに覗くばかりで辺りはいかにも暗い。
 地面を埋める枯れ葉は、踏むたびカシャリと乾いた音を立てたが、身動きを止めた煉獄の足元からはそれももう聞こえなかった。代わりに聞こえてくるのはピチャリとあがる水音だ。いかにも小さく、聞こえるたびに途絶える音に、煉獄は薄く笑った。
 冨岡の舌も唇も、懸命に動かされている。けれどたどたどしさは拭えず、積極性に欠ける。音を立ててしまうたび、舌は止まった。そんな恥じらいすら今は、愛おしさよりも苛立ちを煉獄の胸にかきたてるのだなどと、冨岡は気づいてもいないに違いなかった。
「明るくないと興が乗らないか? よく見えるほうがいいなんて、君はいやらしいな」
 からかいよりもいっそ侮蔑と言っていい声音に、冨岡の目線が上げられた。瑠璃の瞳は暗がりのなかではただ黒い。二人きりの逢瀬では、いつだって冨岡の瞳は甘えん坊な子供のあどけなさをたたえていたのに、見上げる眼差しには悲しみと怒りがあるばかりだ。
 笑顔こそいまだ見せてはもらえないけれど、瞳のなかで笑う幼い冨岡がいることを感じるからこそ、今までは愛想のなさへの不満など煉獄にはなかった。人の輪に入らぬ冨岡を案じて、笑ってみてはどうかと促したことはあるが、どうにもぎこちなさ過ぎてしょんぼりと肩を落とし謝られる始末で、煉獄は、笑ってくれと口にするのはやめている。表情の乏しい冨岡だが、煉獄には比較的素直に感情を表に出す。それだけでよかった。ささやかな感情表現の一つひとつを拾い上げ、悟れる自分が誇らしかった。
「残念ながら明かりはないが、まぁ頑張ってくれ。これが好きだっただろう? しないでいいと言っているのに、咥えたがっていたものな」
 過去形で語るたび、冨岡の瞳から怒りが消えて、悲しみばかりが募っていく。悲嘆だなどとよくもまぁ言えるものだ。ただの思い込みだと、頭のなかでもうひとりの自分が嗤った。わかってやれているなど、思い上がりでしかない。見たいものを見ていただけだろうと、嘲笑う。
 心の奥底でやめろと叫ぶ声は小さすぎて、もう聞こえない。

 冨岡の後頭部をゆうるりと撫でると、見上げてくる目がすがる色を浮かべた。咥えられているときに、髪を撫でたり耳をくすぐってやると、冨岡は褒められた子供のようにどこかうれしそうに目を細める。いつもそうだった。
 常の優しい交合と同じ仕草に安堵したのだろう。ホッと緩んだ冨岡の顔は、次の瞬間には見えなくなった。
「ぅぐっ!」
「ほら、ちゃんと奥まで咥えてくれ。猫のように舐めるだけじゃ出せやしない。飲みたいんだろう?」
 まさか突然に押さえつけられるとは思っていなかったのだろう。抗う余地もなく突き入れられた太く長い塊に、冨岡の手が強く煉獄の太ももを掴みしめた。嘔吐感をこらえるのに必死なのか、ギリッと食い込ませる指には遠慮がない。
 冨岡も苦しくてたまらないだろうが、力のかぎりに掴まれる煉獄も、痛みを感じずにはいられなかった。けれども、煉獄は動じない。引く気はなかった。逃れようとする頭を許さず、いっそう押し付ける。痛みは煉獄の怒りを燃え上がらせる燃料にしかならない。

 噛みちぎられるかもしれない。ふと思い、それもいいかと、煉獄はうっそりと笑った。

 冨岡がいるのに、ほかの誰かを抱くつもりはない。ならばもう、こんなものがなくともいいじゃないかとすら思う。たとえ冨岡の心が自分のもとから離れようとも、それでも恋しくてたまらないのだ。冨岡以外の肌に触れたくはない。たとえ最初から、自分の片恋にすぎなかったのだとしても。

 胸のなかでギシギシと歯車が軋むたび、頭のなかでは天秤が揺れている気がする。恋しさと怒りが乗せられた天秤は、ゆらゆらと揺れる。怒りに大きくかたむく天秤に、小さな声の主が必死に恋しさを乗せていた。獰猛な獣の咆哮に押され消え入りそうなくせに、恋しさをかき集めせっせと天秤を均そうとしている。怒りよりずっと恋しさのほうが勝ると証明したがっている。馬鹿だ。煉獄はまた自分を嘲笑う。
 煉獄の冷めた視線や笑みを、睨み返す余裕もないのだろう。冨岡はそれでもどうにか歯を立てまいとこらえているようだった。舌が動き出す。喉の奥を突かれているせいか、吸い上げることはできないらしい。舌の動きもさきほどよりずっと緩慢だ。圧迫されて、舐め回すのは無理なのだろう。
 根本近くまで冨岡の口に含ませたことなど、一度もなかった。苦しげな顔を見れば、快感よりもずっと大きな罪悪感に苛まれ、苦しかったか? ごめんと、謝り倒してしまうのが常だった。なのに今は、謝罪など浮かびもしない。昏い喜びすら感じる。
 キュウッと閉まって、これ以上入り込ませまいとする喉が、先端を締め付けてくる。感じたことのない感覚に、煉獄の口から知らず呻きがもれた。冨岡の苦痛を考えずに振る舞ったことなどないから、こんな快感は知らずにいた。たまらず腰が震える。
 言葉もなく、煉獄はガシリと冨岡の頭を両手で押さえると、遠慮などみじんもなしに腰を振り立てた。
 たちまち上がった苦鳴にも、腰の動きは止まらない。ギリギリと食い込んでくる指先が、煉獄を押しやろうとしてくるのを許さず、奥の奥までこじ開け犯そうとする動きは、情交よりも拷問めいていたかもしれない。文字どおり乱暴を働いている。狼藉としか言いようがない。恋情などかけらも抱かぬ相手にだろうと、こんなことできやしないだろうと思うほどに、思いやりなどまるでない行為をしている。愛しくて、恋しくて、誰よりもやさしくしたかった、冨岡に。

「出すぞ。飲んでくれ」

 冨岡の指に、さらに力が込もった。
 鼻先が濃い金朱の茂みに埋まるほど、冨岡の顔を己の股間に押し付ける。喉に勢いよく注ぎ込まれた粘液に、ビクビクと痙攣するのさえもが煉獄の快感を煽った。
 さらにグッグッと押し付けながら、最後まで絞り尽くすように吐き出しきって、煉獄はようやく腰を引いた。
 離れたとたんに、ガクリとうずくまり、冨岡はガハッと咳き込むなり嘔吐した。ボタリと地に吐き出されたのは、白濁混じりの胃液ばかりだ。食事はしていなかったんだろうかと、ぼんやりと思う自分が不思議だった。
 忍び笑いが聞こえる。どうやら自分は笑っているらしい。おかしいなと、また思う。目の前で冨岡が苦しんでいるのに、なぜ自分は突っ立ったまま笑ったりなどしているんだろう。頭のなかで天秤が揺れていた。ギシリ、ギシリと、胸の奥で歯車が軋む。自分のことなのにわからない。苛立ちすら今は、遠く掠れているような気すらする。
 煉獄は、ゲホゲホと咳き込んでいる冨岡の髪をまた掴むと、苦しむ顔を仰向かせた。
「吐き出すとはひどいな。いつも飲みたがっていたから出してやったのに。本当に君は嘘ばかりだ」
 見下ろす視線の先で、汚れた唇がおののいている。冨岡の口から言葉は出てこなかった。わずかに差す月明かりに見えた、濡れた瑠璃の瞳の奥には、笑う子供はどこにもいない。
 どこか遠くで子供の泣き声がする。駄々をこねていやだいやだと喚いている。冨岡の瞳にはもう、悲嘆よりも諦めがあった。
 冨岡じゃないのなら、この声は、誰の声だろう。身を引き絞られんばかりに悲しげで、それでいて怒りを込めた癇症な子供の声。
 聞いていたくなくて、煉獄は手を離すと冨岡から視線を外し、足を踏み出した。
「……煉獄」
 震える小さな声が名を呼んだ。置き去りにされるとでも思ったんだろうか。引き止める声なのか、安堵の声なのかなど、どうでもいいけれど。いずれにせよ立ち去る気など煉獄にはない。
 カシャッと音立てて乾いた落ち葉が割れる。うずくまったままの冨岡の背後に回り込んだ煉獄に、振り向き見てきた冨岡の顔が幾度目かの驚愕に彩られた。
 煉獄の逸物はまだ天を仰いでいる。まとった羽織もそのままに、のしかかるようにして煉獄は冨岡の腰に腕を回しベルトに手をかけた。
「煉獄っ!」
 慌てて制止してくる声は、少ししゃがれていた。嘔吐で焼かれた喉が痛むのかもしれない。
「あれだけで終わりなわけがないだろう? 君はまだなんだからな。処理したくて俺と逢っていたんじゃないのか? 張り型よりはいいと思われていたことを、光栄だと思うべきかな」
 振り向いたままの冨岡の顔は、信じられないものを見たと言いたげだ。幻覚でも見ているかのように、なぜだかぼんやりとしてさえ感じられる。だがそれも一瞬で、切れ長の大きな目がたちまち険を帯び、今宵初めて、冨岡ははっきりと怒りをあらわした。
「ふざけるな!」
「ふざけた真似をしていたのは、どっちだ?」
 冷たく吐き捨てた煉獄に、刹那、ビクリとすくみはしたが、冨岡の顔から怒りは消えなかった。
 怒ってほしいと思っていたはずだ。けれども冨岡の表情に煉獄の胸に吹き上げたのは、怒りの豪火だった。
「やめろ! ただの処理ならほかを当たれ!」
「ハッ、それを君が言うのか。張り型程度じゃ満足できないから、俺のを挿れていただけだったというのに」
 立ち上がろうとする冨岡を許さず、まだやわいそこを、隊服の上から煉獄は強く握った。
「握りつぶされたくはないだろう? いつもみたいに大人しくしていてくれ。面倒な手間はごめんだ。あぁ……もともと君にはこんなものいらないのかもしれないな。女のように魔羅を挿れられて喜んでいたんだから、必要ないか」
 木立の合間に短く高い悲鳴がひびく。ガクリと冨岡の肘が折れた。震える腰は、煉獄の腕に支えられて、小さくうずくまることすら許されずにいる。歯を噛みしめ激痛に耐えている冨岡の、見慣れた半身違いの羽織の背をつくづくと眺めながら、煉獄は外した前立ての間から指を滑り込ませた。
 痛みに縮こまったそれを、木綿の布地越しに揉みしだく。勃たせるためだけの仕草に、気遣いなど欠片もなく、冨岡の熱が高まることはなかった。
 落胆するでもなく煉獄は手を引くと、冨岡のベルトを外し洋袴を勢いよく引きずり下ろした。現れた尻は、白い布地に包まれている。腰の横で結ばれた紐をほどけば、褌はいともたやすく冨岡の肌を滑り落ち、夜目にも白いつるりとした生身の尻がさらされた。
 慌ただしい性交には、本当に便利だな。頭の片隅で思いながら、煉獄は冨岡の腰を右手で支えつつ、隊服の金ボタンに手をかけた。
「ホラ、しっかり踏ん張らないと羽織が汚れるぞ」
 白濁混じりの己の吐瀉物に気づいたのだろう。冨岡がジリッと後退った。臀部に当たった濡れた熱に、またビクンと背がすくめられる。
「君の尻でこすられるのも悪くはないが、今日のところはまどろっこしいのはなしだ。さっさと済ませよう」
 言いながら隊服のなかに忍ばせた手に、振り返り見てきた冨岡の顔には、もう激痛に耐える色はない。すがるよりもむしろ怪訝そうな眼差しの所以は、煉獄の手が胸の尖りに触れてこないからだろう。今では|襯衣《シャツ》の上からでもわかるプクリと膨らんだ赤らみを、煉獄はいつも愛でてやまなかったのだから、触れもせずに内ポケットに伸ばされた手に戸惑うのはわからないでもない。
「面倒な手間はかけないと言っただろう。胸をいじられたいのはわかるが、欲しいなら自分でしてくれ」
 取り出した小さな薬瓶をチャプリと揺らして言った煉獄に、冨岡の顔から怒りが抜け落ちた。
「面倒……だった、のか?」
 ポツンと落とされたつぶやきは、心細気な子供の声に似ていた。
 冨岡の頼りなげな声に呼応するように、違う、違うと、泣きわめいているのは誰だろう。幼い男の子の声がする。声は、早くと訴える獣の咆哮とはくらべものにならぬほどに小さい。あぁ、あれは、俺だ。幼いころの自分の声だと、虚ろな心で煉獄は思う。
 まさか、そんなことはあるまい。泣きわめいて駄々をこねたことなど、子供のころでさえ一度もないのだ。馬鹿なことを思うものだと、薄く笑って、煉獄は考えるのをやめた。
 支えているのか、逃げ出せぬようにしているのか。自分でもわからぬ右手はそのままに、片手で器用に薬瓶の蓋を外した煉獄は、いつものように自分の手に油をなじませるのではなく、まろい尻へとそのまま垂らした。たちまち丁子の甘い香りが立ち込める。
 煉獄が持ち歩いている薄められた油と違い、冨岡が持っているのは刀の手入れ用だ。刺激の強さが段違いなことはわかっている。最初のときこそ、ほかに潤滑剤になるものもなく使用したものの、あれ以来そのままで使ったことは一度もない。
「煉獄……っ!?」
 双丘の間に流れていく油をさらに塗り込められるに至って、なにをされるのかようやく悟ったのか、冨岡の声に若干の怯えがにじんだ。冨岡の雄は、呼吸によって激痛を抑えようとも、まだ萎えたままだ。愛撫などまるでしていないのだから当然かもしれない。けれども冨岡の困惑と怖じ気を宥める気にはなれなかった。
 油でてらりと光る尻を割り開き、煉獄は無言のままに猛り立つ剛直を突き入れた。

 叫び声は冨岡の口からではなく、煉獄の胸のうちだけであがった。