流れ星 後編

 救援の報で駆けつけた山野で、冨岡は夜明けを向かえた。黎明が辺りを照らし出す。黄金と朱に彩られる空は、冨岡の心を温かく照らしてくれる男に似ている。
 煉獄は、どうしているだろう。昇る朝日をまぶしげに見つめながら、冨岡は脳裏に浮かんだ面影に頬を緩めた。
 お館様からの直々の命だ。たやすい相手ではないのは確かだろう。昨日は煉獄は戻らなかったようだった。二晩続きの任務になるともなれば、上弦ならずとも下弦である可能性は高い。
 煉獄ならばそこまで危険はないと思うが……むしろ、同じ任につくと聞いた炭治郎のほうが、心配なほどだ。
 まさか煉獄と同じ任に炭治郎が向かうとは思ってもみなかった。炭治郎のもとへつい向かってしまった自分の行動は、我ながららしくないと思えて、苦笑せざるを得ない。そのくせ、煉獄のことについてはなにひとつ告げられなかったのだから、自分の口下手加減には呆れ返る。まったくもって情けないかぎりだ。
 けれども、わざわざ炭治郎に含みおかずとも、きっと煉獄は炭治郎と禰豆子を公正に判断してくれるはずだ。炭治郎の為人を、鱗滝や炭治郎自身からの文でしか冨岡は知らない。信頼しているというのなら、よっぽど煉獄への信頼のほうが厚い。煉獄の目で見た炭治郎の印象を、早く聞いてみたいものだ。

 晩秋の早朝の空気はしんと冷えている。まだ赤みの強い東の空を見つめたまま、冨岡は気がつけば煉獄のことを考えている自分に苦笑した。
 煉獄が帰ったら笑みを見せると約束したが、ちゃんと笑えるだろうか。煉獄は自分がどんなにみっともない笑みを見せても、きっと嫌な顔はせずにいてくれるだろうけれど、できることならうれしそうに笑ってほしいと思う。見栄を張る気はないが、それでも煉獄には少しでもいいところを見せたいと思ってしまうのだから、恋というのはなんとも面映い。
 ホゥッと小さくもらした吐息は、自分でもどうにも甘ったるく感じられる。
 初めての恋は、弱い自分には分不相応なほどの幸せを与えてくれた。煉獄が、教えてくれた。誰かを特別に想う恋の甘さを、幸せを。
 約束を重ねるたびに、弱く不甲斐ない自分も少しだけ強くなっていける気がする。煉獄は自分の願いを叶えたいと言ってくれたが、煉獄が笑ってくれるなら、それだけでいいのだ。そばにいてくれればいいとの言葉に嘘はない。
 煉獄が帰ったら、自分から逢いに行ってみようか。ふと思いつき、冨岡はクスリと笑った。五月のあの日――初めて体を重ねた、煉獄の誕生日と同じように。
 きっと煉獄は、満面の笑みを浮かべて喜んでくれるはずだ。その笑顔を思い浮かべるだけで冨岡の顔も笑み崩れる。
 楽しませようとなどしれくれなくてもいいのだ、本当は。煉獄が笑いかけてくれるだけで、実はいつでもうれしくて、笑みがこぼれそうになるのをこらえていたのだから。

 煉獄が首筋に残した傷は、まだ残っている。渾身の力で噛みしめられたとはいえ、呼吸や胡蝶の薬によって痛みはすでにない。もうしばらくすれば痕も残さず消えるかもしれなかった。なんとなく惜しいなと思ってしまう自分に、また少し冨岡の笑みが深まる。

 先日の別れ際に煉獄が口にした約束は、本当はうなずきたくなどなかった。煉獄が先に逝くことなど考えたくもないし、煉獄以外の誰かに恋をするなど、できるとは思えない。任務で煉獄が残していった傷跡一つでさえ、消えるのが惜しいと思ってしまうのだ。こんなにも誰かを恋い慕うなど、煉獄でなければ無理だろう。
 よしんば煉獄の望みどおりに誰かに心惹かれても、抱かれることはきっとない。冨岡は自分の腹に知らず手を当てた。視線を落としそろりと撫でる己の腹には、もう煉獄の残滓など残ってはいないけれど。それでも不思議と熱くて、煉獄の想いがここに留まっている気がした。
 この奥の熱までをも知るのは、煉獄だけでいい。たとえほかの誰かに恋する日がきたとしても。ここには、煉獄しかいらない。

 フッと、かすかに吐息し、冨岡は一度ゆるりとまばたくとまた朝日を見つめた。
 冨岡の目がそれを映し出したのは、そのときだ。

「……あ」
 金と赤に染まりゆく東の空に、くっきりと長く白く描き出された軌跡。
「流れ星……」
 初めて見た流れ星は長く尾を引き、ずいぶんと力強かった。その軌跡は刃の一閃にも似ている。燃え立つような黎明のなかを飛ぶ流星。まるでそれは愛おしい男の姿に似て、冨岡の胸がトクリと甘く高鳴った。

 ――冨岡!

 朗らかで温かい声までもが聞こえてきたような気がして、なんとなく照れくさくなったが、顔を伏せる気にはならなかった。
 一緒に見られなかったのが残念だな。思いつつも、冨岡はようやく黎明のなかを走り出す。

 屋敷に戻ったら湯浴みして、ひと眠りしたら炎屋敷の近くまで行ってみよう。運が良ければ逢えるかもしれない。そうしたら、蕎麦屋へ一緒に行って、俺も流れ星を見たぞと教えてやるのだ。なんでも願いを叶えてくれそうなほどに、強く白い光を放っていたんだと。煉獄はそれはすごいなと笑ってくれるだろう。
 朝日に照らされ、冨岡は駆ける。目に焼きついた流れ星の軌跡に、唇をほころばせながら。