流れ星 後編

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 梅雨入りにはまだ少しばかり早いだろうに、その日は雨が降っていた。
 雨が降ろうが雪が降ろうが、鬼狩りに休みなどない。鬼は季節も天候もおかまいなしだ。むしろ、日の差さぬこんな日は、昼でも気が抜けない。
 それでも期待を胸に冨岡の管轄へと足を運び、ましてや出逢えてしまったら、行く場所などもう決まっていた。
 いつも以上に急き立てられるように始まった交合に、冨岡は気持ちが追いついていないように見えた。体は煉獄の愛撫から快感を拾い上げられるようになってきたものの、今日は性急過ぎたのかもしれない。愛撫もそこそこに洋袴も褌も脱がされて、冨岡は、なすがままになりつつも困惑している。冨岡も早く繋がり合いたいと願ってくれているようではあったが、やさしく穏やかな愛撫に慣れた体は、短兵急な煉獄の手に戸惑いばかりを強く感じてしまうらしい。

「煉獄っ、もっとゆっくり……」

 ためらいがちな声に、煉獄は、先を進めたがる手を無理にも止めた。
 落ち着け。冨岡を急かすな。仕切り直しだ。自分に言い聞かせ、煉獄は身を起こすと謝罪を口にしようとしたが、次の瞬間には目を大きく見開く羽目となった。
「と、冨岡っ!?」
 冨岡の手が、すっかり勃ちあがった煉獄の股間に伸ばされ、ためらいを見せずに触れている。
 初めてのときこそ自分から煉獄の熱に触れてきた冨岡だったが、あれ以来、冨岡から触ってきたことなどない。煉獄も望むことはなかった。第一、あのときだって冨岡は煉獄の寸法を測ろうとしただけなのだ。愛撫などとは言い難い。
 だというのに、今、知らずビクビクと震える煉獄の淫熱に触れた冨岡の手は、やんわりと揉み込むように動いている。まるでいつもの煉獄の仕草を真似るように。
「……俺もする」
「は?」
 まのぬけた声だなと、なぜだか他人事のように思う。めったにない現実逃避などしていたのかもしれない。だってありえないではないか。そんなことを言い自ら煉獄に愛撫を施すなど、初心な冨岡にはありえぬ自体だ。
 まさか血鬼術かと、一瞬瞳を険しくした煉獄に、冨岡は気づかなかったらしい。冨岡は少し顔を伏せ身を起こすと、煉獄の胸を左手でグイッと押した。刀を握る右手には、煉獄の熱い太刀を握ったままでだ。
 柱としてはあろうことか、されるがままに布団に腰を落としてしまった煉獄を見上げることなく、冨岡はもぞもぞと四つん這いになった。呆然と見下ろす煉獄の眼差しに、冨岡のつむじが映る。

 冨岡のつむじは左巻きなのか。俺はどうなのだろう。冨岡とは背丈がほぼ変わらないから、つむじをまじまじと見るなど初めてだ。帰ったら自分のつむじも千寿郎に見てもらおうか。同じだったらちょっとうれしい。

 現実逃避は続いていたのかもしれない。馬鹿馬鹿しいことを考えているとは、不思議と思わなかった。だがどこか空々しい夢想もそこまでだ。
「とっ、冨岡?! 駄目だ、離れてくれ! 君はそんなことをしなくてもいい!」
「らんれ?」
「くっ! 咥えたまま喋るのはやめてくれ!」
 食べるのが下手で、いつでも唇の端に食べかすがついてしまう冨岡の小さな口が、煉獄の足の間で屹立を咥えている。見てはいけないものを見てしまった気がして、一瞬止まりかけた煉獄の鼓動は盛大に騒ぎ立てていた。目をそらさなければ。やめさせなければ。思いながらも目はそらせず、体は固まったように動かない。
 慌てふためきつつも、手を伸ばして冨岡の頭を押しやろうとはしない煉獄に、冨岡の目が少し細められた。笑んでいるように見えて、煉獄の胸がドキリと大きな音を立てる。だが、さらに紡がれた不明瞭な冨岡の声は、不満があらわだ。
「へんほふはふふほひらんれ」
「俺はいいんだ! 君にそんなことはさせられない!」
 パチリと上目遣いの目がまばたいて、プハッと息継ぎするかのように、唇が離れた。
「よくわかったな」
「なにが!? あ、あぁ、君の言葉か。なにを言いたいのかぐらいわかるに決まっているだろう? お、おい!」
「なら、そんなことを言うな」
「そんなこと? ちょっ、冨岡! やめてくれと」
 チロリと先端を舐めてくる冨岡を、今度こそ止めるべく伸ばしかけた煉獄の手が、ピタリと止まった。
「同じだろう?」
 見上げてくる眼差しは睨みつける強さ。口調だって淡々としながらも不満めいている。瞳の奥で負けず嫌いの子供がむくれていた。愛されていることを疑わず、ちゃんと好きって言ってと頬をふくらませる子供の冨岡が、思慮深い大人の瞳に住んでいる。おとなしくて聞き分けのよい子供だったことは想像に難くないが、それでも冨岡はきっと、子供のころから負けず嫌いで甘えん坊だ。生まれたときから弟だった冨岡らしい。煉獄の前でだけ現れる幼い冨岡だ。
 長男として、強く生まれたものとして、煉獄が弟を可愛がらずにいられないことを、無意識に気づいているのかもしれない。冨岡のほうが歳上であるにもかかわらず、ときどき甘えたな弟めいたわがままを瞳に宿す。
 していることは大人の行為だというのに、駄々をこねる子供のようだから、たまらない。
「同じじゃ、ないのか?」
 さらに問うてくる冨岡は、言葉が足りない。甘えを感じ取り、ゆるゆると煉獄は首を振った。
「違わない。同じに決まっているとも」
 好きなのも、大切にしたいのも。気持ちよくなってほしいと願うのも、みんな、二人一緒で同じだ。足りない言葉でもわかる。ピタリと噛み合った歯車のように、二人の心に隙間はなかった。
 煉獄は、真っ赤に染まった顔で、少し照れくさく笑ってみせた。冨岡の黒髪にポフンと乗せた手は、止めるためではなく、先を促しやさしく撫でる。
「つらくなったらすぐにやめてくれ」
 返事はなかった。小さな口は精一杯大きく開かれて、先よりも質量を増した逸物を食んでいた。
 制止しておきながら、興奮にさらに大きくなってしまった自分自身が、なんだか妙に恥ずかしい。だが、しかたがないではないか。見える光景は視覚の暴力とさえ言えるほどだし、重なり合う心に、どうしようもなく気持ちも体も昂ぶってしまうのだから。
 口中でビクンと震え大きくなった煉獄に、少し咎めるように眉を寄せ、ちらりと見上げてくる冨岡の瞳の奥で、幼い冨岡が満足そうに笑っていた。

 今日の店は、二階の部屋が埋まっていた。なら出ようとはならなかったのは、注文を聞きにきた老婆があんまりニコニコとしていたからだ。たぬき蕎麦はなかったが、おすすめだというとろろ蕎麦は美味だった。冨岡が食べ終えたときに、二階から客が降りてきて幸いだ。二店目を探すには、繋がりあいたい気持ちは切羽詰まるほどになっていたから。
 いつだって悲しいぐらいに短すぎる逢瀬の時間は、さらに減り、いつも以上に性急に手を伸ばすことになったけれども、それでも今日の店もたぶん当たりなんだろう。あの老婆が掃除しているのだろう部屋は清潔だ。雨はわずかに雨足を強めた。ザァザァと音がする。雨雲に隠れた太陽は差さず、室内は薄暗い。冨岡が大胆な行動に出られたのは、もしかしたらこの薄暗さのせいかもしれない。

 ハァッと熱い吐息が煉獄の口からもれる。口の大きな煉獄と違い、冨岡の口は小ぶりだから、口いっぱいに頬張ってもすべて収めることはできないらしい。煉獄がいつも施す愛撫を、そのまま倣い辿る仕草ではあるが、どうしてもうまくはいかないようだ。
「……冨岡、大丈夫か?」
「ん……すまない、おまえみたいにうまくできない。ちゃんと気持ちいいか?」
 横笛のように竿を食み、不安をにじませて眼差しを上げてくる冨岡に、快感以上の喜悦と、微量の切なさが胸に満ちた。
「当然だ。よすぎてたまらない……冨岡」
 髪を撫でる煉獄の手に、冨岡はまどろむ猫のように目を細めた。いじらしさに、しゃにむに抱きしめたがる腕を、煉獄は懸命にこらえる。稚拙な愛撫に、腰の疼きはいかんともしがたいところまできている。時間だってどんどん過ぎていく。だが、もういいと止めさせ先へ進む気にはなれない。達するには決め手にかける、技巧よりも一所懸命さばかりが伝わる愛撫が、途方もなく愛おしかった。
 見下ろす冨岡の頭頂に見えるつむじまでもが、この上なくかわいく見えるのだから、恋の病というのは度し難いものだ。なにもかもが愛おしく、冨岡になら、なにをされてもきっと許してしまうだろうとさえ思う。
 なんだか少し気恥ずかしくなって、煉獄はささやかな悪戯に出た。
「んぅ?」
 ツンとつむじを突いてみたら、冨岡の顔が、煉獄の熱を咥えたまま小さく上げられた。なんだ? と視線だけで問うてくる冨岡に、クスリと笑ってみせる。
「君のつむじを初めて見た。左巻きなんだな」
「……やっぱり、気持ちよくないんだろう」
 すねているようにも悲しんでいるようにも聞こえる声に、ちょっと慌てる。
「そんなことがあるものか! すごく気持ちがいいに決まっている。当たり前だろう?」
「……余裕綽々だ。俺はいつも、なにがなんだかわからなくなるぐらいなのに」
「まさか。余裕などあるわけがない。よすぎて、すぐに達してしまいそうなんだ。それはさすがに恥ずかしいからな」
 だが、と、こみ上げる嬉しさに微笑みながら、煉獄は愛おしくてたまらぬと伝えるやさしさで、冨岡の頬へと手を滑らせた。
「いつも君は、俺の愛撫でそんなに感じてくれていたんだな。それはとても嬉しい!」
「……それこそ、当たり前だろう。馬鹿」
 ちょっぴり唇を尖らせ、目元を赤く染めた冨岡が言う。甘くなじる声に煉獄が笑みを深める間を与えず、冨岡はまたパクリと煉獄の熱を咥え込んだ。キュッと先端を吸い上げながら、白い手が、口の小ささを補おうとでもいうように根本を握り込んでくる。
 冨岡の手も、刀を握る者らしく固い。指の付け根には煉獄と同じようにタコがあり、握る力は慎重でやんわりとしていても、こすられるとその固さが刺激を生む。チロチロと舐めたり包んだりしようとしてくる舌は柔らかく、異なる刺激にクラリと目がくらんだ。
 それでも、冨岡の狭く強く締めつけてくる体内に慣れた煉獄が達するには、今少し刺激に欠ける。視覚からくる興奮や叫び出したいほどの愛おしさは、呼び水になり煉獄の熱を高めつづけ、達しそうだという言葉に嘘はないのに、決定的な要素もない。

 もっと深く、強く、包み込まれたい。本能がわめき出す。振り立て突き出したがる腰を、煉獄はギリッと奥歯を噛み締め耐えた。

 自分が咥えてやるときには、喉の奥の奥まで誘い込んで息苦しさに生理的な涙がにじもうと、もっと深く丸ごとかわいがりたいと煉獄は躍起になる。やめろと口走る冨岡の声にすら興奮した。だが、自分がされる側になってみれば、とんでもない話だ。冨岡の目尻に浮かぶ涙を見てしまえば、どうしたって制止の声をあげそうになる。冨岡には申し訳ないことをしてきたものだ。
 けれども、冨岡も苦しいばかりではない。罪悪感を消すための思い込みではなく、経験として煉獄は知っている。それが証拠に、四つん這いになった冨岡の尻は小さく振られ、モジモジと足を擦り合わせていた。
 いつも、口内で愛撫を与えるときには、手や舌だけで施す際の概念的な快感と違い、肉体的な官能を煉獄も刺激されるのだ。固く濡れた先端を上顎でこすってやれば、冨岡も腰を震わせるけれど、煉獄自身だってゾクゾクと背が震える。冨岡の雄で愛撫されているようなものだ。抱いているのは煉獄なのに、ときおり、抱かれているような気がわずかばかりすることもあった。
 少々複雑な感銘は、煉獄だけのものではないのだろう。冨岡は口での愛撫を嫌がるけれど、深く咥え込み上目遣いに見上げてやると、濡れた瞳が、罪悪感を追い越す男としての征服欲めいた快感を得ていると、煉獄に伝えてくる。
 立てた脚をブルブルと震わせて、煉獄の髪やら肩を掴みしめ、唇を噛み耐える冨岡の姿態は、春画に描かれた女性や稚児の裸体よりも艶めかしい。けれども瞳には、れっきとした雄の本能が兆している。女性めいた立場での快感だけでなく男としての快感をも、同じ男である自分との交合で冨岡も得ているのだと思うと、煉獄は得も言われぬ興奮を覚えたものだ。支配されているのはどちらやら。体内に楔を打ち込み一体となるような繋がりにはない、性の境界線が解けて混じり合うような口での愛撫は、冨岡の男としての矜持を満たすものでもあったに違いない。
 だが、やっぱり申し訳なさは先に立つ。ただ気持ちよくなってくれたらそれでいい。自分のことなど二の次だ。初めてのときに、冨岡が口にした悲壮な覚悟。それを煉獄は今、思い知らされている。
 愛しくて愛しくてたまらない、心の底から惚れた相手だ。苦しむ顔など見たくはないし、我慢などさせたくはない。ただひたすらに気持ちよくしてやりたいと必死になってしまう。あのとき冨岡は、煉獄とまったくもって同じ気持ちだったのだ。それは今この瞬間だって変わりがない。
 遊女やら遊び相手にならば、苦しげな姿もまた、興奮剤になるのだと聞く。支配欲は男の本能なのだろう。頭では理解できなくもないし、煉獄とて、想像のなかでならば死んじゃうと言わせるほどに冨岡を攻めたてることがなかったとは言わない。まだ冨岡の肌に触れる前、自身を慰めるその際に、足跡のない白雪のような冨岡を自分が蹂躙する様も、それなりの頻度で脳裏に思い浮かべていたのだ。
 けれども、もう無理だ。自分の口に吐き出させようと激しく愛撫しても、決して腰を突き上げ煉獄の喉を犯そうとはしてこなかった冨岡の気持ちを、追体験までしてしまった。ともに男だからだろうか。理解できてしまうのだ。同じ気持ちなのだと。愛おしくてたまらぬ人に、そんなことができるわけないだろうと。
 踏み荒らしたいのではなく、包み込み癒やしたいのだ。穢したいのではなく、守りたい。愛おしさは図りしれず、動物的な本能よりももっと深い、根源的な愛が冨岡との交合では勝る。それは、父や母が子に与える無条件の情愛に少し似ていた。
 直接な刺激で得る肉体的な快感よりも、冨岡が心地よさげに蕩ける顔を見せるたび、煉獄の頭や心が喜んでいた。気持ちがいいと揺れる瞳がうれしい。鬼狩りとしての責任感の上に立つ、理性を忘れぬ交わりは、肉体よりも先に心があった。冨岡という温かい水に沈み、包み込まれる。記憶にすらない、母の胎内にいたときのような安堵。快感よりもなお深い安心感と愛おしさ。そこに苦しげな涙などいらなかった。
 それでも、同じ想いを抱いているとわかるからこそ、冨岡の望みも理解できてしまう。煉獄だっていつも思っていた。自分の愛撫で乱れる様が見たい。自分が与える愉悦に酔わせ、悦楽の果てに昇りつめさせたい。番う相手のすべてを支配してしまいたい。
 男なのだから当然の欲求だろう。上目遣いに煉獄を見つめる冨岡の瞳に、あるかなしかの征服欲がほの見える。忘我の際にあるような、互いに追い求めともに達する混ざりあうような快感とはまた違う、男としての支配欲を満たすその瞬間を、冨岡だって望んでいる。
 だが。
 ギリギリと噛みしめる奥歯から、かすかに血の味がする。クソッ! と悪態をつき、冨岡の髪を握りしめて腰を突き上げてしまいたい。できるわけもないから、口内ににじんでいく血を煉獄は飲み込むしかない。
「冨岡、もう無理だっ。離してくれ!」
「ひふもほはへほっへへんほふほひふはほ」
「わかるがわからん! 口じゃなく、いつものように君の尻で飲んでくれ!」
 自分でもなにを言っているのやらわからぬままに喚いた煉獄に、プハッとようやく冨岡の口が離れた。けれども唇は先端にまた当てられている。
「変なことを言うな。だいたい、なかで達したことなどないだろう、おまえ」
「しょうがないだろう!? なかに出してしまうわけにはいかないのだから!」
 冨岡の肚のうち深くに子種を注いでしまいたい衝動は、いつだってある。けれどもそんなことをしてしまえば、処理に手間取ることになる。体内に残れば腹を壊すとも聞いた。短い逢瀬ではできるはずもない話だ。
 それに、なかを満たせずとも、冨岡の顔や腹に降りかかる己が吐き出した白い欲に、視覚から興奮を得てもいた。逢瀬の間が空いたときなどは、ぴゅるぴゅると吹き出す白濁はなかなか止まらず、汚れていく冨岡に身を潜めていた支配欲が満たされる心地もした。

 どうでもいいが、口を当てたまま喋らないでほしい。あぁ、いつも俺がそうしていたからか。

 唸る煉獄になど素知らぬ顔で、冨岡は先端にチュッと接吻までしてくる。即物的ですらあった性急な始まりに、煉獄が思う以上に冨岡は不満を覚えていたのかもしれない。もしかして、意趣返しでもされてるんだろうか。クラクラと目眩さえしてきそうで、煉獄は図らずも天を仰ぎ目を閉じた。
 とろろ蕎麦など食べなければよかった。ただのかけ蕎麦にでもしておけば、あんなに性急に求めようとはしなかったものを。わかりきっていたではないか。冨岡は食べるのが下手だ。丼を置いて食べ終わってしまったぞと眼差しで訴えてくる冨岡の、小ぶりな唇の端にとろろがついているのを見ることになるぐらい、簡単に予想がつくだろうが。たかがそれしきのことで興奮して、余裕なく階段を駆け上がり接吻もそこそこに布団に押し倒した自分を、一発ぶん殴りに行きたい。
 雨が降っているのもよろしくない。薄暗いせいでいつもより冨岡が大胆だ。雨音に紛れるせいか、わざと音を立てて舐めてくる舌にも遠慮がない。

 部屋に入るなり引っ張り出した布団は柔らかく清潔で、押し倒すのにためらう時間など一秒たりとなかった。冨岡が食べ終わるのと同時に、二階から降りてきた客は気が利いていると思った。美味だったとろろ蕎麦も、清潔な部屋も、声を隠してくれる雨音も。当たりのはずが、裏返してみれば煉獄を追い詰める結果になっている。

「頼む。限界だ。挿れさせてくれ」
 懇願はうわ言のようになった。情けないと思う余裕すらない。幼子のままのいとけなさを宿していても、冨岡はちゃんと一つ年上の男なのだと思い知らされていた。
 顔を仰向け目を閉じたまま言った煉獄の首に、身を起こした冨岡の腕がやわらかく回された。耳元に落とされたささやきは、少し笑んでいるように聞こえる。
「うん……本当は、俺も限界だ。ここに、欲しい。煉獄」
 まさか笑っているのか? 冨岡が? 見たい。冨岡の笑みが。願いは強く湧き上がったが、ドクドクと脈打ち早くと訴える熱棒の先を、引き締まった尻でこすられてしまえば、暴発しそうになることに耐えるだけで精一杯だ。
 いつのまに手にしていたのだろう。キュポンと小瓶の蓋が開けられる音が聞こえた。煉獄がいつも隊服に忍ばせている、薄めた丁子油の瓶だ。刀の手入れ用では、もちろんない。
 通和散も準備はしているが、手早さは断然丁子油が勝る。持ち歩いている理由はそればかりでもないが。
 交合に慣れるまでは、冨岡もやはり痛みへの怯えがあったのだろう。戦闘で追う痛みなら臆することはなくとも、快感と綯いまざった痛みは勝手が違うらしい。
 求めたくても素直に言えないこともまた、理由かもしれない。痒いからという言い訳がほしかったのだろう。初めて通和散を用いた二度目の交合で、油も使ってくれと消え入りそうな声で懇願されて以来、刺激が強すぎない程度に薄めた丁子油を、煉獄は持ち歩いている。使う頻度は最近ではあまり多くはない。痒みで誤魔化す必要もないほどに、冨岡ももう受け入れることに慣れている。
 胡蝶に、塗ってもつらくない程度に、けれどもぬめりや鎮痛作用を十分に果たすには、丁子油はどれぐらいの割合に薄めればいいだろうかと聞いたことは、冨岡には内緒だ。笑みの形のまま無になるという器用な表情を浮かべつつも、ちゃんと教えてくれた胡蝶には感謝しかない。理由についても聞かずにいてくれたのがありがたかった。媚薬としてもちゃんと作用するならこれぐらいとの言には、どこまで気づいているのかと肝を冷やしもしたけれども。

 熱狂的なまでの希求けくに突き動かされていたというのに、部屋に入ってからいつもよりも時間が経っている。部屋に入ってから過ぎた時間は、初めて体を重ねたときと大差がない。煉獄の若い肉体は煽られつづけ限界を訴えていた。
 コロリと布団に転がった瓶からこぼれた油が、布団に染み込んでいく。ハァッと興奮をたたえた熱い息が煉獄の耳をくすぐり、ゾクリと背筋に電流が走った。着込んだままでいる隊服の背はきっと、手のひらからこぼれた油で汚れたことだろう。だが、そんなことはどうでもいい。冨岡もたぶん気づいていない。示す行動は突拍子がなくとも気遣いを忘れぬ冨岡だが、今は早く繋がりたくて気が回っていないのだろう。常なら即座に聞こえてくるはずの謝罪はなかった。
 抱きつかれたまま身動きを忘れた煉獄の首から、するりと解けた冨岡の右手が、自身の臀部へと伸ばされるのが見えた。眼球に焼き付く光景は、暴力的過ぎる。冨岡の白く、けれども女のようなたおやかさのない無骨な剣士の指が、油をまとって未熟な桃に似た固い尻のあわいへと滑り込まされていた。
 後ろ手にまさぐる指先は、んっ、んっ、という息を詰めた短い喘ぎに合わせ飲み込まれていく。
「冨岡……」
「んぅっ、ん……はぁっ、あっ。もうちょっと、だから、ぁんっ!」
 掠れた呼びかけに、あえかな声をもらしつつも健気に答えられてしまえば、我慢の臨界点を超えた。転がる瓶に残る油を急ぎ自分の手に垂らせ、煉獄は乾いた左手で冨岡の尻を掴むと、冨岡の指を含んだそこへ、油をまとった自分の指をねじ挿れた。
「ひっ! や、あぁ! 煉獄、駄目だ、あっ、あぁっ!」
「大丈夫、裂けてはいない。痛くなかっただろう? ちゃんと俺の指も飲み込んでくれている。それに、君と俺の指を合わせても、俺のどころか張り型より細いだろう?」
「ば、かっ! そういうことじゃ……あふっ。んぅ、やぁ!」
 首に回されたままの腕に力が込められ、ギュッとすがりついてくる。拒絶を口にしつつも、もっと深くと求める腰が後ろへと突き出され、勃ちあがった二人の濡れた太刀が打ち合わさった。
 今度の欲求には逆らわず、煉獄は試すように腰を突き上げる。冨岡の背が反り返り、腰が揺らめく。グチュグチュと淫猥な水音がする。雨の音に紛れて聞こえる互いの荒い息遣いと、いやらしい粘着質な音が、興奮をさらに昂ぶらせていった。
「も、いいっ! 痒い! 痒いからぁ!」
「うん。好きなだけこれで掻いてやるから……冨岡、飲んでくれ」
 指を引き抜き、両手で冨岡の尻を割り開きながら言えば、膝立ちになった冨岡はゆっくりと腰を落としてくれた。
 飲み込まれていく快感に、煉獄の口からも掠れた喘ぎがこぼれる。冨岡は感じ入った顔をわずかに仰向け、目を閉じていた。震える唇から、あぁ……と恍惚とした呻きをもらす様は、淫蕩でいながら、それでもやっぱり眩しいほどに清白として見えた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇