冨岡に想いを告げた煉獄に、返された返答は「そうか」の一言だった。表情は露と変わらず、声もいつも通りの平坦な、感情を乗せぬ小声である。
うぅむ、これはどういう反応なのだろう。
振られたのか、はたまた受け入れられたのか。冨岡の様子からでは、煉獄にはさっぱりわからない。
冨岡に恋をしているのだと自覚をしてから、日ごと想いは募るばかりだ。柱合会議で冨岡と逢えば、鼓動は高まり心が浮き立つ。少しでも親しくなりたくて、逢うたび話しかけているが、冨岡からまともな反応が返ってきたことはない。いつだって冨岡は煉獄の話を黙って聞くばかりで、せいぜい小さな相槌を打ってくれれば上々というところだ。
煉獄の心のなかに灯る恋の火と同じ熱を、冨岡の静かな面持ちから見つけ出すことはできずにいる。ほかの柱たちにくらべれば、まだ自分は冨岡と馴染んでいるほうだと思いはするが、冨岡が同じ想いを返してくれるなど、現状、夢のまた夢であろう。
それでも、黙ったまま想いを募らせるばかりは、煉獄の性に合わない。鬱々と思い悩むより、当たって砕けるほうがよほどスッキリする。もちろん、一度や二度振られたくらいで砕け散るような、生半可な恋心ではないが。
ともあれ、まずは告げるだけでも良いと思っての告白ではある。冨岡の答えがつれなくともくじけるものかと思っていたのだが、これはさすがに予想外だ。
「すまないが冨岡、それはどう意味だろう。俺は振られたのだろうか」
言えば冨岡は、めずらしいことにわずかばかり視線を泳がせた。そのままそっぽを向く冨岡に、煉獄は、困らせてしまったかと少し切ない苦笑を見せた。
柱となった以上、いつなんどきこの命が散るか、煉獄にもわからない。冨岡だって覚悟と決意は同じことだ。色恋にかまける気も暇もあるものかと、けんもほろろに袖にされてもおかしくはなかった。
あきらめるつもりは毛頭ない。けれどもそれはあくまでも煉獄の心構えであり、決して冨岡を思い煩わせたいわけではなかった。告げずにいられなかったのは、ただ知っていてほしかっただけだ。冨岡を心から恋い慕う者がここにいると。
だが、意に反して煉獄は、すでに答えを催促してしまったようなものである。ここは前言を撤回し、気にしないでくれと言うべきなのだろう。高飛車に思われがちだが、冨岡はその実やさしい男だ。煉獄を傷つける言葉は口にしづらいに違いない。
いつだって冨岡を見てきたから、煉獄は知っている。人との関りを避けるそぶりが多いから、傍目には冷たく映るが、困った者がいれば冨岡はいつだって、さりげなく手を差し伸べることを。
そんな冨岡を困らせるなど、柱としても冨岡に恋する一人の男としても、言語道断だ。煉獄は己を恥じた。
男らしく、すまなかったと謝るべきだ。煉獄の決意は早かった。
小さく一度息を吐き、煉獄が口を開こうとしたそのとき。冨岡の手がそっと持ち上がった。
冨岡の白い顔は、まだそっぽを向いている。煉獄のほうを見ようとはしない。それでも冨岡は、玲瓏な横顔を煉獄に見せたまま、羽織の袖をいかにもためらいがちに横に振った。
一瞬キョトンとした煉獄の顔が、その意味に気づいたとたんに真っ赤に染まる。
それは、若い未婚女性の仕草に似ている。冨岡が着ているものはもちろん振袖などではないが、この場において意味するものはきっとそういうことだろう。ずいぶんと古めかしい所作ではあるが、きっと己の勘違いではあるまい。ゴクリと煉獄の喉が知らず鳴った。
男性からの求愛に、前後に降られる袖はお断り。左右に振られれば……。
「冨岡! 君も俺のことを好いてくれているのか!」
煉獄が勢い込んで言っても、冨岡はいつもの無表情だ。だがよく見れば、わずかに覗く耳はほのかに赤い。
「冨岡、俺は猛烈にうれしい! 君にふさわしい恋人となるべく、精進努力する! 決して君に後悔などさせないと、愛刀と亡き母に誓おう!」
闇雲に駆けだしたくなるような、爆発的にわきあがる歓喜に、煉獄は抑えきれずガシリと冨岡の手を握った。途端に冨岡の肩がビクリと跳ねあがる。パッと振り向いた顔には、やはり感情の色はあまり見られない。けれども怜悧な印象の目は丸く見開かれ、どこか頑是ない子どものように見えた。
冨岡の瑠璃色の瞳が、戸惑うように握られた手へと向けられたのに気づき、煉獄はあわてて手を引いた。
「すまん! あまりにもうれしかったものでな。手を握るのはまだ早かった!」
千寿郎がもっと幼いころには、煉獄はよく手を繋いで歩いた。幼いころならば自分も、父や母に手を繋がれていたものだ。けれども冨岡も自分も、もう幼い子供でもなければ、ただの知己や友人ではないのだ。今、このときからは。煉獄は胸にわく喜びと気恥ずかしさに、離した手を固く握りしめた。
この手は今、冨岡の手を初めて握ったのだ。思えばなんとも面映ゆい。
今日から冨岡義勇は、煉獄杏寿郎にとって、ただ一人の愛おしい恋人である。その人の手を、この手はしっかりと握りしめた。
手を繋ぎ歩いたわけでも、ましてや抱きしめたわけでもない。恋人としての触れ合いには、あまりにもささやかすぎ、色めいた風情などまるでない接触ではある。宇髄辺りが知ったのなら、地味に奥手が過ぎるだろうと呆れられるかもしれない。だが煉獄はそれでも良かった。自分は確かに、恋人の手を握ったのだ。その事実だけが、煉獄の胸を震わせる。
ましてや当の恋人は、あの冨岡義勇である。凛と咲く竜胆のような、気高くも寂寥を漂わせる麗しい人。いかに受け入れられたからといって、たやすく手折っていい存在ではない。
「お互い明日をも知れぬ身だ。だが、急いて関係を進める必要はないだろう。節度は守る! だから、ゆっくりと恋をしていこう、冨岡。少しずつでいい。俺をもっと好きになってくれ」
高揚する心をどうにか抑え、なるべく穏やかに聞こえるよう煉獄は言った。それをどうとらえたのだろうか。冨岡は、煉獄が触れた右手を胸元に寄せ握りこむと、そっと自分の左手で包み込んだ。
小さくこくりとうなずき、そのまま少しうつむくその仕草は、恥らう少女のようにも見える。なんだか叫びだしたいような感慨が煉獄の背を貫いた。鼓動は知らず速まり、甘く高まる。
常に冷静に見えるが、冨岡は、存外恥ずかしがり屋らしい。
驚かせぬよう、怖がらせぬよう、少しずつ関係を深めていくのだ。この美しい人を怯えさせるようなことをしてはならない。冨岡と並び立つ柱としても、冨岡に恋をささやく権利を得た恋人としても、誰に恥じることなくふさわしいと思われる男とならねば。
ようやく顔をあげた冨岡の瞳が、じっと煉獄の瞳を見返してくる。夕暮れが近い。鴉が任務を告げるまで、地に伸びた二人の影はその場から動かなかった。
恋仲になったとはいえ、お互い多忙を極める身だ。逢える日はそう多くない。担当地区はそれなりに離れているし、柱合会議のときも、みなの輪に入ろうとしない冨岡は、会議が終わればすぐに姿を消してしまう。
煉獄の決意とは関係なく、恋の進展は亀の歩みよりもよほどゆっくりとしている。
それでも、今日はようやく一歩前進だ。ともに食事に行くだけだが、その前に三度ほど断られていることを思えば、大いなる一歩である。
断られるたび煉獄は、いろいろと考えた。最初は、恋人になったのだから初めて行く場所はそれなりに良い店のほうがよかろうかと、甘露寺から聞いた評判の洋食屋に誘ってみた。答えは「行かない」の一言だった。
洋食というのが悪かったのだろうかと、次は料亭に誘ってみたが、答えは同じこと。三度目には、ならば食事ではなくミルクホール辺りで少し茶を喫するだけでもと言ったのだけれど、それでも答えは同じだった。
そして今日だ。今度も断られるかもしれない。そうしたら、ならば食事ではなく散歩をしようと煉獄は言うつもりだった。ただ並んで歩くだけならば、冨岡だって断らずにいてくれることのほうが多い。
あわよくばと思いはするが、冨岡はもともと人慣れしていないように見える。告白を受け入れてくれただけでもこの上ない僥倖であるのに違いはないのだ。
ただ並んで歩くだけでも、煉獄にとっては至福の時間であるのに違いはない。ゆっくり進展していけばよいとの決意にも変わりはなかった。
ところが、今日にかぎって冨岡は「時間があるようだったら一緒に飯を食わないか」との煉獄の誘いに、こくりとうなずいてくれた。なにが冨岡の気を変えさせたのかはわからないが、この好機を逃すわけにはいかない。
喜び勇んで煉獄が冨岡と連れだって来たのは、とくに気負った店ではない。どこにでもある一膳飯屋だ。
あまり格式ばった店を冨岡は好かないようだし、ミルクホールでは腹の足しにはならない。ならば友人とふらりと入るような店のほうが、冨岡の気に入るかもしれないと選んだ店だ。
なのに。
「あまり食が進んでいないようだが、もしかして迷惑だっただろうか」
冨岡は黙りこくったまま、煉獄が話しかけても小さくうなずくか首を振るかするだけだった。冨岡とともにいられるうれしさに舞い上がっていた煉獄とて、ぎこちなくすらある冨岡の様子には不安になる。
もとより話しかけるのは常に煉獄からだし、冨岡は口数が多いほうじゃない。けれどもここまでだんまりを貫かれるのは初めてのことだ。相槌すら打ってくれなかったことなど、一度もなかったというのに、食事を始めてからというもの、煉獄は冨岡の声をまったく聞いていないのだ。
冨岡と一緒だとなにもかもがたまらなく美味に感じて、いつも以上に食が進む煉獄に比べ、冨岡の前に置かれた料理はいくらも減っていない。黙って食べてばかりだというのに、だ。
たまのことではあるが、柱合会議の後でお館様が柱たちを慰労する宴を開いてくださった折などには、さすがに冨岡も出席する。その際にもほかの柱より、冨岡はゆっくりとした調子で食事していたけれども、今日の様子はまさしくぎこちないとしか言いようがない。
浮かれて話しかけすぎたんだろうか。俺の声がうるさくて、冨岡は落ち着いて食事ができないのかもしれない。
申し訳なさに駆られて、煉獄はしゅんと肩を落とした。恋とはなんともままならぬものだ。臆病心など自分には無縁だと煉獄は思っていたが、冨岡の態度ひとつにこんなにも不安にさせられる。
だがそんな煉獄の焦燥とは裏腹に、冨岡は驚いた顔をするなり、ブンブンと首を振った。
もぐもぐと、いっそ必死と言っていいほどに咀嚼する様は、なんとなく小動物めいている。少し呆気にとられて見ていた煉獄の前で、ようやくゴクリと口のなかのものを飲みこんだ冨岡は、箸を置くとじっと煉獄を見つめ返してきた。
「食べながら話せないだけだ」
「なるほど! それで黙っていたのか。俺と食事するのは嫌なのかと思ったが、そうでないならよかった!」
わかってみればなんのことはない。それで宴席でも黙りこくったままだったのだろう。またひとつ冨岡のことが知れたと、煉獄は顔をほころばせる。
安堵する煉獄に、冨岡はどこかいたたまれなさげな様子で、少しうつむいた。
「……会話を楽しめない食事では、煉獄が気を悪くすると思った。断りつづけて嫌われるよりはと思ったが……返事もできぬありさまですまない」
「なんだ、そんなことで断られつづけていたのか。冨岡は気の使いどころを間違ってるな!」
安堵のままに快活に笑った煉獄とは裏腹に、冨岡は心外と言わんばかりの顔で少しばかり拗ねているようにも見える。それはずいぶんと煉獄の胸を弾ませた。
「冨岡を嫌うなど、朝日が西から昇ろうとあり得ん! 君と一緒にいられるだけで俺はうれしい! 俺の話を聞いてくれているだけでもかまわない、これからもこうして一緒に飯を食ってくれないか?」
「……わかった」
こくりとうなずいた冨岡は、いつもの無表情のままだ。けれどもほんの少しだけ、雰囲気がまろやかになった気がする。
「俺も……煉獄が話しかけてくれるのは、うれしい。その、会話もできず申し訳ないが、煉獄の話を聞いているのは、好きだ。また誘ってくれ」
訥々と語る冨岡の顔は、不愛想そのものだ。けれどもやっぱり、煉獄の目にはやわらかく穏やかな空気をまとって見える。
しかも、今冨岡は好きだと言ってくれた。告白を受けてくれたときも冨岡は無言だった。疑うわけではないが、恋仲になっても好意を示してくれたことのない冨岡からの、初めての『好き』だ。舞い上がらずにはいられなかった。
「うむ! もちろんだ!」
弾んだ声で答えれば、冨岡は少しうれしそうに目元をゆるませ、また箸をとった。
ぎこちなさがとれた冨岡の箸づかいはきれいだ。というよりも、冨岡の所作は万事美しいと煉獄は思っている。
だが、口が小さいからだろうか。食べるのはずいぶんと下手だ。
「口の端に飯粒がついてるぞ」
今よりも幼いころの千寿郎のようで、微笑ましく思いながら指でつまみとってやれば、冨岡はわずかにうつむいた。視線をさまよわせるその目尻は、ほのかに赤い。冨岡はやっぱり恥ずかしがり屋だ。
あぁ、なんて愛おしいんだろう。
幸せに、煉獄の顔は自然と笑んでしまう。
煉獄の心を占める冨岡への想いは、千寿郎に対する無条件の慈しみと似ているが、あきらかな違いもある。冨岡へと抱く想いは、熾火のような欲を孕んでいる。チリチリと身を焼く、情欲の火だ。
冨岡に対する恋心は、子供のように純粋で無垢なばかりではない。煉獄とて年ごろの男なのだ。恋しい人をこの手に抱き、白い肌身を余すところなく堪能したいと思うのは、当然のことだった。
とはいえ、ゆっくりとと宣言した以上、小ぶりなその唇に触れるその日を待ちわびているのだと、冨岡に告げるわけにはいかない。それでも、触れたいと思うこともまた、まぎれもない煉獄の本心ではあった。
飯屋を出て、さて帰るかと、夕暮れが近づく街を並んで歩く。離れがたくはあるが、夜は鬼の時間だ。ゆっくりと逢瀬を楽しむような暇はない。
いまだ手を繋ぐこともなく、冨岡と煉獄の間は少しばかり離れている。話しかけるのはやはり煉獄ばかりだ。冨岡は食事中でなくともあまり返事を返してはくれない。
だが、煉獄は気にしなかった。だってもう気づいているのだ。
夕焼けに包まれだした往来に、並ぶ二人の影が伸びている。冨岡の手の影が、そっと煉獄の影に重なった。まるで手を繋いでいるかのように。
煉獄の手に冨岡の手は触れてはいない。影だけの手繋ぎだ。ちらりと横目でうかがった冨岡の顔は、見る者によっては冷徹だとさえ言われる目元が、ずいぶんとやわらいでいる。微笑みこそないものの、穏やかでやわらかな表情だ。
今はまだ、影だけの重なり合い。けれど、きっといつか。
「では、俺はあっちだ。お互い頑張ろう!」
さりげなく影を確認しながら、煉獄は少し冨岡に近づいた。
冨岡は気がついただろうか。煉獄の横顔の影が、冨岡の顔の影にわずかに重なったことに。
うなずいた冨岡の顔は、夕焼けに照らされ赤く染まっていた。