体力的な問題などを鑑みれば、伊黒が幼稚園や保育園に通うには、問題が山積みだった。結局、杏寿郎と義勇以外には同年代の子らと遊ぶ機会もないままに小学校に入学したのは、しかたのないことかもしれない。
他人に囲まれるよりも、まずは家族の愛情を。そう考えたらしい父や母に、いっそ溺愛と言っていいほどにかまわれまくって過ごした伊黒が、春になって入学したのは私立の小学校だ。
公立校では教室でみんなと給食を食べねばならない。今もって食が細いだけでなく、伊黒の顔には大きな傷がある。マスクの下の傷跡をからかわれたり、怯えられたり、万が一にもいじめられてはと心配した両親が、そう決めた。
昼食はお弁当持参で、教室で食べなくてもいい。それが入学の決め手だ。おかげで伊黒の傷を見たクラスメイトは、今のところ誰もいない。保健室で養護教諭にだけ傷跡を見せての食事は、伊黒にとってもありがたかった。
ただ、父母を悩ませる問題もある。ゴールデンウィークが近づいても、まだ友達がいないのだ。
元気いっぱいに校庭でみんなと遊ぶというのは、まだまだ体の成長が追いつかない伊黒にはむずかしかった。杏寿郎や義勇ならば、伊黒が疲れてしゃがみこむと急いで駆けつけて、大丈夫? と心配してくれもする。けっして怒り出したりしない。けれどもそんなやさしい子達ばかりでもない小学校では、みんなと同じようにできない伊黒は、どうしてもはみ出しがちだ。
まだひと月だ、気に病むほどではないと伯父や伯母は言うけれど、父や母の心配は尽きないらしい。伊黒は一人で本を読んでいるのが好きだし、平日は鏑丸と、休日には杏寿郎と、ついでに義勇とも遊べる。だから、べつに友達がいなくても気にしていないのだけれども、母を心配させるのは心苦しかった。
だんだん学校に行くのが憂鬱になってきた伊黒だけれど、それでもちょっとだけ楽しみなのは、ゴールデンウィークになったら、いっぱい杏寿郎と遊べることだ。
伊黒と義勇が小学校に上がって以来、杏寿郎と遊べるのは休日だけになっている。義勇は毎日逢っているようだけれど。ズルい。言えないけれども。
毎日煉獄家にお邪魔するのは、連れて行ってくれる母に申しわけないし、伯父や伯母にも迷惑だろう。大人の都合をまず考えてしまう伊黒には、そんなわがままなど言えやしない。
けれどもゴールデンウィークは、杏寿郎といっぱい遊べる。家族旅行だって、煉獄家と一緒だ。冨岡家も一緒だけれども、それはまぁいい。義勇の姉の蔦子は、とてもきれいでやさしい人だ。鏑丸にだって最初は腰が引けていたけれども、ちゃんとかわいがってくれている。だからまぁ、一緒でもかまわない。
ゴールデンウィークになったら煉獄家にお泊りして、みんなで動物園にだって行くのである。サファリパークとかいう場所で、車に乗って園内を回り、自由に動く動物たちを見るのだ。
おまけに夜は貸別荘でバーベキューと花火だぞと、父が胸を張ったのには、伊黒は正直ピンとこなかった。けれども母がよかったねぇ楽しみですねと笑うから、伊黒もなんだかすごくうれしくなった。
鏑丸はお留守番だけれども、ペットショップの店長さんがあずかってくれることになったから、安心だ。カレンダーに花丸を書いて、あと何日と母とカウントダウンするのも楽しい。
父と一緒に動物図鑑を眺めては、期待に胸はずませる日々は少しずつ過ぎて、とうとう煉獄家を訪れたのは五月の三日。土曜日の今日からゴールデンウィーク最終日である火曜まで、杏寿郎と一緒だ。
鏑丸をペットショップに連れて行ったその足で、胸を弾ませ煉獄家に向かった伊黒が覚えた衝撃を、誰が知ろう。
「おまえが小芭内? いいねぇ、派手な目だなぁ!」
「煉獄よりチビじゃねぇか。好き嫌いしねぇでちゃんと食ってんのかァ?」
誰だ、コイツラ。
パタパタと廊下を駆けてきた杏寿郎と義勇の後ろから現れた見知らぬ子供に、伊黒は思わず硬直した。二人とも銀髪で、一人は義勇と背丈と大差がないが、もう一人は見るからに年上だ。小学生だろうが、ずいぶんと大きく見える。
小さいほうは、ツンツンと逆だった髪もちょっと不機嫌そうな表情も、なんとなく怖い。大きいほうはといえば、やたらと整った顔立ちをしているが、愛想がよすぎてなんだか胡散臭く感じる。
「こんにちは、君たちが一緒に行く宇髄くんと不死川くん?」
「はい。はじめまして、宇髄天元です。小学四年生。よろしくお願いします」
「……不死川実弥」
「あ、コイツは派手にふてぶてしいですけど、まだ一年です。冨岡のクラスメイトですよ」
「こちらこそよろしくね。小芭内と仲良くしてやってくれるかな?」
父と二人が交わす声も、緊張しきった伊黒の耳を素通りしていく。
伊黒の背に流れる冷や汗など、まるで気づいた様子もなく、杏寿郎と義勇はニコニコとしている。現れた伯父や伯母も笑顔だ。ギギギと音がしそうなほどにぎこちなく、父と母を仰ぎ見れば、二人の顔にも笑みがあった。
「小芭内、お友達が増えてよかったですね」
「二人とも義勇くんと同じ学校のお友達なんだってさ。一緒に旅行するから仲良くしようね」
あぁ、なるほど。友達候補を見繕ってくれたのか。
ちょっと遠い目になりかけつつ、伊黒はどうにか目をたわませた。マスクの下の口を思い切りへの字にしたいところではあるが、同年代の子と仲良くしてほしいと願う両親の気遣いを、無下にするわけにはいかない。けれども、仲良くなるなど無理難題がすぎる。
如才がなさすぎてかえって胡散臭い宇髄はまだしも、不死川という子供は、本当に承知しているんだろうか。いかにも不機嫌な顔は、いやいや参加させられたと言わんばかりだ。
仲良くしてみせたほうがいいんだろうけど、向こうにその気がなければ無理だろうな。
先行きが不安なのは伊黒ばかりなようで、大人たちは夕飯までみんなで遊んでいなさいと、庭へと子供たちを送り出す始末だ。誰も味方がいない。
「小芭内、行こう!」
義勇と繋いだ反対の手を杏寿郎が差し出さなければ、伊黒はきっと、父や母と一緒にいる理由を探しただろう。だが多少の気まずさをこらえても、杏寿郎とは遊びたい。不承不承杏寿郎の手をとった伊黒に、宇髄がニッと笑った。
「大人ってのは、子供同士ならすぐ仲良くなれると思い込むもんだからな。乗り気じゃねぇだろうけど、親父さんたちを安心させるためと思って、ちっと我慢してやってくれや」
なんとも大人びた物言いと表情に、伊黒は少しばかり戸惑いつつもうなずいた。
宇髄という少年は、歳に似合わぬ処世術を身につけているようだ。美少年然とした容貌にはちょっと気圧されなくもないが、伊黒の事情をそれなりに酌んでくれているふしもあり、なんとかお互い仲のいいふりをできそうではある。
問題は、こっちだ。むぅっと顔をしかめている不死川をちらりと見やり、伊黒はマスクの下でため息を噛み殺した。
不満なら断ればよかったのに。伊黒だってべつに、杏寿郎と鏑丸がいれば、友達なんて作れなくてもかまわない。ついでに義勇もまぁ、一緒でもいい。ちょっぴりイライラさせられることはあるけれど、一緒に遊ぶのはそれなりに楽しく思えたりもする。
だが、最初からこんなにも不愉快そうな不死川とは、どうしたって仲良くなどできそうにもない。不死川はいかにも利かん気そうだ。身体虚弱な伊黒と遊ぶのは、不満が募るばかりだろう。そう伊黒は思っていた。
だから。
「……走ったりすっと、すぐ疲れるんだろォ? だるまさんがころんだでもするか?」
「うむ! じゃあ鬼を決めよう!」
「最初はこいつが鬼でいいだろォ。動かねぇでもいいからなァ。疲れたらすぐ言えよ」
不死川がそんなことを言い出すとは、思ってもみなかった。
不機嫌そうな顔は変わらない。いかにもつまらなげな声音だし、伊黒に向けられた顔もにらみつけるようだ。だというのに、不死川の言葉は伊黒を気遣っているとしか思えない。見た目と口にした文言の落差は激しすぎて、言葉が出てこなかった。
絶句した伊黒をよそに、杏寿郎がパッと笑顔になった。
「なるほど! 不死川はおりこうさんだな!」
「おりこうさんってなんだよ。気持ち悪い言い方すんなっ」
「む? 父上や母上は義勇におりこうさんと言ってくれるぞ? 宇髄や不死川のことだって、そう言って褒めていた! 小芭内の話をしているときもそうだ! 俺は父上におバカと言われることもあるが」
「あぁん? 煉獄、おまえ派手になにやったんだよ」
「ケーキを食べたときに、口に生クリームを塗っただけだぞ。義勇とおそろいだ! ちょっと塗りすぎたが!」
「……うん、それは親父さんの気持ちがわかるわ」
肝心の伊黒をそっちのけで、杏寿郎と二人はワイワイと騒がしい。ちっとも物怖じしない杏寿郎は、年上の二人に対してもまったく対等に話している。
ポカンとしていた伊黒に、ひょいと杏寿郎越しに顔をみせた義勇がニコニコと笑いかけてきた。
「不死川くんってすごくやさしいでしょ。宇髄くんもだよ。だから、小芭内もお友達になれるよ」
「うむ! 義勇の言うとおりだ! 」
義勇が話しだせば、杏寿郎はすぐさま反応する。それはいつもと同じだけれども、なんだかもじもじとしだしたのは、どうしたことだろう。答えはすぐに出た。
「えっと、義勇。俺は?」
「杏寿郎はいっちばんやさしいよ。大好きっ」
「そうか! 俺も義勇が一番やさしくておりこうだと思う! 俺も大好きだ!」
「杏寿郎のほうが俺よりもずっとおりこうさんだよ? 足だって早いし、腕相撲も杏寿郎のほうが強かったし、それからおやつもおっきいほう俺にくれようとするし。すっごくやさしい。俺のほうが大好き」
「俺よりも義勇のほうがおりこうさんだぞ! お歌もじょうずだ! 母上と作ってくれたホットケーキもすごくおいしかった! 俺は義勇が俺のこと好きなのより、もっと義勇のこと大好きだ!」
「えー、俺のほうがもっともーっと好きだもん」
「俺はそれよりもっとだ!」
考えるまでもなかった。そうだ、コイツラは気がつけばすぐに、大好き大好きと人目もはばからず抱きつきあうんだった。
伊黒と三人で手をつないでいる今は、ギュウギュウ抱きあうのは我慢しているようだけれども、そのぶん大好き合戦が著しい。
それでもまだ、伊黒にも大好きと言いださないだけマシだ。胸の奥がムズムズとしてこそばゆく、恥ずかしくなるからあれは勘弁してほしい。そんなあけすけな好意には、いまだに慣れそうもないのだ。どうしたらいいのかわからなくなる。
げんなりとして死にかけた伊黒の目が、同じような目をした不死川と、パチンと見あった。以心伝心。まったくの初対面だというのに、なんとなく通じ合うものを感じて、思わず無言で見つめあう。
もしかしたら不死川は、顔に出すのが苦手なだけで、とてもやさしくてちょっと苦労性なのかもしれない。思っていれば、パンパンと手を叩く音がした。
「はいはい、もういいから遊ぼうぜ。伊黒のおっかさんが地味に心配そうにしてっからよ」
宇髄が笑いながら言うのにハッとして、伊黒が縁側に顔を向ければ、なるほど、母がいかにも気をもんでいるのが見えた。胸元でギュッと手を握りしめ、まるで祈ってでもいるかのようだ。
「うむ! じゃあ小芭内が鬼だ!」
「あそこの木でやろう。小芭内、がんばってね」
「オラ、行くぞ」
不死川が手を差し伸べてくるのに、伊黒は思わずパチパチと目をしばたたかせた。
「あの、一人で大丈夫、です」
「そうかァ? こけんじゃねぇぞ。明日は動物園行くんだからよ、車で回るっつっても怪我したらキツイからなァ」
面倒見がいいというかなんというか。不死川の言葉はやっぱりぶっきらぼうだし、顔だってまだ不機嫌そうだ。だけれど、まるですごく小さい子を気遣うようである。
一年生なら、伊黒と同い年だ。なのにここまで心配されると、ちょっぴり申しわけなくもあるが、それ以上に、一人じゃなんにもできないと思われているようで腹も立つ。けれども、やっぱり不満なんて口には出せない。
文句を言うなんて、伊黒にはできやしないのだ。だってきっと、怒られる。殴られたり蹴られたりするかもしれない。やさしい両親や伯父たちも、杏寿郎や義勇だって、絶対にそんなことしないとわかっているのに、不安と怯えはまだまだ伊黒の体をすくませる。誰かに怒ってみせたことなんてない。どうしても言葉を飲み込んでしまう。
ましてや初めて会った不死川や宇髄になど、普通に話しかけていいのかすら、判断がつかなかった。年下の杏寿郎に呼び捨てにされても怒らないのだし、仲がいいのは理解できる。旅行に誘われるぐらいだから、伯父たちも二人を信用してるんだろう。けれど伊黒は普通と違うのだ。一緒に遊べばすぐに、コイツと仲良くするなんて無理と言われてしまうかもしれない。
不安を抱えつつ庭の隅の大樹に向かった伊黒は、バタバタと駆けていく足音を背中に、ドキドキと騒がしい鼓動を持て余した。
楽しく遊ぶというよりも、いっそなにかの試験でも受けるみたいだ。あながち間違ってもいまい。母や父からすれば、伊黒にちゃんと友達ができるかのテストみたいなものだろう。
ちゃんとやらなきゃ。思いながら伊黒は、しばらくして聞こえてきた杏寿郎の「もういいぞ!」との声に、大きく深呼吸した。
「だるまさんがころんだ」
精一杯張り上げた声は、ちょっぴり裏返って、内心焦りながら振り返る。
離れた場所に立つみんなは、ピタリと止まっていた。それはいいんだけれども。
やる気なさげにそっぽを向いて立っている不死川はともかく、目にピースサインを当ててウィンクしている宇髄はなんなんだ。なまじ顔がいいから、様になっているのがなんだか妙にイラッとする。杏寿郎と義勇が手をつないだままなのは、まぁ、いつものことだけれども。
それはさておき、動いている者がいないのならと、また伊黒は顔を木に向けた。
「だるまさんがころんだ」
今度はちゃんと言えた。ホッとしつつ振り返ると、今度は杏寿郎と義勇の手は離れていた。それはいい。けれども、だ。
なぜみんなして、人差し指を立てて手を組み口を引き結んで、微動だにせず真っすぐ立っているんだろう。これはあれか、忍者か。そのうちニンニンとでも言いだしそうな格好である。ドロンと消えるのか。まさか、伊黒の前から消えたいという意思表示だったりするのか。
なにが起きているのかわからずに、ちょっぴり困惑しながらも、伊黒はまたみんなに背を向けた。
決り文句を口にして振り返るたび、みんなは少しずつ近づいてくる。毎回、示しあわせたように同じポーズで。
忍者の次は、鷲掴みにするような手を顔の横にあげて、ガオーッと口を開けた狼ポーズ。そのまた次は、ボディビルダーのポージングのように横を向き、上半身だけこちらに向けて腕で円を作っていた。筋肉なんてまるで見えちゃいないけど。というか、ボディビルダーみたいなムキムキな筋肉なんてないだろ、おまえら。そのポーズになんの意味があるんだ。
伯父が唯一持ってる漫画のキャラクターみたいに、仁王立ちで片手を天に突き上げていたのは、まぁ、楽そうではあった。だけど、世紀末覇者が四人もいるのはどうなんだろう。せめて一人にしろと言いたい。
これはもう、疑いようがない。コイツラの趣旨はもはや、だるまさんがころんだなんかじゃないのだ。
もしかしてからかわれているんだろうか。不安がまたぞろ頭をもたげたけれども、杏寿郎や義勇まで一緒ならそれはないはずだ。宇髄たちの狙いは、いかに伊黒を笑わせるか。たぶん、そんなところだろう。
笑うより呆れが先立って脱力するんだが。しかもみんな動かないし。
ハァッとため息をついて、伊黒はまた、だるまさんがころんだと口にした。ちょっと投げやりな声には、それでもほんの少し、ワクワクとしたひびきがまじっている。伊黒自身は気づいちゃいなかったけれども。
くるりと振り返った伊黒が見たものは、バンザイするように両手を上げて片足立ちする一同だ。
これは、あれか。どこぞの製菓会社のマークか。みんなマークと同じく笑顔だ。不死川だけはちょっぴり引きつった顔をしているけれども。
と、さっきから吹き出すのをこらえていたらしい宇髄が、わずかに揺れた。
「う……宇髄、さん。動きました」
とっさには呼びかけられずに、ちょっと戸惑う声で言った伊黒に、即座に反応したのは宇髄ではなく不死川だった。
ムッと顔をしかめて手足をおろした不死川に、思わず怯むが、ルールはルールだ。
「不死川さん、も、動い……ごめんなさい」
口にした途端に不死川の眉間がギュッと寄せられたのが見えて、伊黒はビクンと首をすくめた。やっぱり嫌われた。怒られる。知らずギュウッと目をつぶって謝った伊黒の耳に、聞こえてきたのは。
「なんでさん付けなんかしてんだァ?」
イライラとした声に、そろりと目を開ける。腹立ちを隠さぬ不死川の隣で、宇髄が苦笑しているのが見えた。
「敬語もなしでいいぞ。コイツラもタメ口だろ? 気にすんな」
「不死川さんと宇髄さんでは駄目なのか? 母上もそう呼んでいるぞ?」
「おまえのおっかさんと一緒にすんな。俺らは友達。さん付けなんか地味に他人行儀だろうが。冨岡のくん付けも、なんだかむず痒いってのによ。宇髄さんなんてよそよそしくてやだね」
キョトンと聞く杏寿郎は、まだ片足をあげたままだ。手もいまだにバンザイしている。ちょっとグラグラしてるけど。義勇も耐えきれなかったのか手足をおろしてしまっているというのに、杏寿郎だけは、伊黒が見ているあいだは動いちゃいけないと思っているようだ。
「むぅ。それなら義勇や小芭内みたいに、名前で呼んだほうがいいんだろうか。実弥と天元だな!」
いよいよグラグラ揺れながら言う杏寿郎に、不死川が噛みついた。
「おいっ、名字ならともかく下の名前で呼び捨てすんな、幼稚園児!」
「えっ、じゃあ……さっちゃん?」
「一気にかわいくなったな、おい」
義勇の言葉に笑ったのは宇髄だけだ。不死川は時が止まったかのように硬直していた。
「なるほど! さっちゃんと、てんちゃんだな!」
「そしたら、小芭内はオバちゃん?」
ブファッと吹き出して、腹を抱えて大笑いしだした宇髄を後目に、伊黒の目も点になる。
オバちゃん……オバちゃん、だと? それじゃ全然違う意味に聞こえるだろうが!
「気持ち悪い呼び方すんじゃねェ!」
「そうだ! よりにもよってオバちゃんとはなんだ!」
怒鳴る不死川につられ、伊黒も声を張り上げ怒鳴る。自分でも気づかぬままに。
「義勇、オバちゃんだと女の人みたいだから、駄目みたいだぞ?」
「それじゃ……オッちゃん?」
グラングランと大きく揺れながらも、いまだにポーズをとったままの杏寿郎に、小首をかしげて聞く義勇には、おそらく他意はない。
「なるほど! それならちゃんと男の人だ! やっぱり義勇はおりこうだな!」
無邪気に笑う杏寿郎にだって、悪意やからかいなどまるでないだろう。けれども、だ。
「やべぇっ、派手に腹イテェ」
「オをとってもバッチャンか。オッちゃんしかねぇなァ、こりゃ」
なんだ、これは。腹を抱えて笑い転げる宇髄や、腹立ちも忘れたかニンマリとした笑みを向けてくる不死川も、おりこうだ、そんなことないよと、キャッキャと笑いあっている杏寿郎と義勇も。一体全体なにを考えているんだ、コイツラは。
知らず識らずブルブル震えだした伊黒は、キッと顔を上げ全員をにらみつけるなり、いっそう声を張り上げ怒鳴った。
「うるさい、さっちゃん! てんちゃんも笑ってるんじゃない! おまえら全員、名前呼び禁止だ! 杏寿郎だけは従弟だから小芭内のままでいい! あといい加減足を下ろせ!」
「えー、贔屓だ贔屓ぃ。あ、俺様はてんちゃんよりもテンテンのほうが、アイドルっぽくてよくねぇ?」
「え、なんで? オッちゃんじゃなく、小芭内って呼ぶのも駄目?」
「む? だけどまだ、だるまさんがころんだの最中だ! 動いたら負けてしまう!」
「……おまえ、この状況で言うのがそれかよ。ズレてやがんなァ」
本当に、なんなのだ。ピーチクパーチクと。やかましいったらありゃしない。からかう口調や笑みに悪意をまるで感じない宇髄や不死川も、親しみをまるで隠さない義勇も。素直すぎる杏寿郎はともかくとして。
「もういいっ、黙れ貴様ら! 宇髄、不死川、冨岡、杏寿郎! 全員、動いた!」
「えっ? 俺は動いてないぞ、小芭内!」
「さっきからグラグラ揺れっぱなしだ! 転ぶ前に足を下ろせ!」
「こけて怪我したら、明日のサファリパーク楽しめねぇぞ。従兄の兄ちゃんが、もうおしまいってさ。やさしいな」
怒鳴る伊黒の声に、宇髄のまだ笑いがにじむ言葉がつづいた。
「うむ! 小芭内は義勇と同じくらいとってもやさしいのだ!」
「うん。おば……じゃなかった。えっと、伊黒はすごくやさしいんだよ。宇髄くんや不死川くんと一緒。杏寿郎と同じくらいやさしいんだ」
「おい、てめぇもくん付けやめるんじゃねぇのかよ、冨岡ァ。伊黒のことだけ友達らしく呼び捨てかァ?」
みんな笑顔だ。ぞろぞろと近づいてきて、宇髄が伊黒の手を取る。伊黒よりもずっと大きい手は、温かくてやわらかだった。
「全員捕まっちまったなぁ。派手に伊黒の勝ちだ」
「うむ! 小芭内は強いからなっ!」
「……そういうこっちゃねぇだろうよ」
「なんで? お……じゃなくて、伊黒は本当に強いんだよ? 蛇さんとだってお友達になれるし、杏寿郎のおじさんも見習えよって言うよ?」
本当になんなんだ、これは。胸がじんわり温かくて、なぜだか視界が潤むこの現象を、なんて言えばいいんだろう。コイツラをなんて呼べばいいんだろう。
目の奥が熱くてしかたがないけど、泣くものか。
「ふん、当然だろう。燃える思いを名にもらっているんだぞ。強い子なんだ、俺は」
胸を張って尊大に言い放った、五月の昼下がり。晴れた青空はどこまでも澄み渡り、温かな太陽が眩くみんなを照らしている。
伊黒に大切な友達がまた増えたのは、そんなやさしくて爽やかな空の下でのことだった。