ゆっくり温まっていってねと恋柱様に言われた炭治郎たちが、温泉に入っているあいだに、濡れた服を恋柱様が乾かしてくれました。おまけに甘いお菓子まで頑張ったご褒美にとくださったのです。炭治郎たちは、すっかり恋柱様が大好きになりました。
なにかお返しをしたかったのですが、残念ながら洋服屋さんが持たせてくれた恋柱様へのお弁当は、炭治郎が背負っていたのを忘れて水に飛び込んでしまったので、水浸しです。これでは食べていただくわけにはいきません。
「どうしよう……。ごめんなさい、恋柱様」
「気にしなくていいのよ。次に来たときに食べさせてねっ」
恋柱様が笑ってくれたので、炭治郎たちも、きっとまたお弁当を持ってお参りに来ますとお約束したのでした。
温泉に入って、美味しいお菓子もいただいて。傷だらけになってしまっていた手や顔も、善逸が持っていた洋服屋さんの不思議な布で拭ったらきれいに治せました。炭治郎たちは元気に帰り道を急ぎます。
行きと違って帰り道は、いつもと同じようにおしゃべりしながら楽しく走りました。善逸と伊之助はすっかり仲直りしたようです。炭治郎もすごくうれしくなって、弾むように走ります。
トントントン。いつものように炭治郎が戸を開くと、洋服屋さんのホッとした顔が見えました。
「洋服屋さん、お遣いしてきました! はい、蜘蛛の糸です!」
炭治郎が糸玉をわたすと、洋服屋さんは頭を撫でるのではなく、ギュッと炭治郎を抱きしめてくれました。
「洋服屋さん?」
「すまなかった」
「なにがですか?」
抱きしめられて顔を真っ赤にした炭治郎が聞くと、洋服屋さんは炭治郎のおでこに自分のおでこをこつりと当てて、そっと囁くように言いました。
「危ない目に遭わせた。もうお遣いはしなくていい」
その言葉にビックリしたのは炭治郎だけじゃありません。禰豆子や善逸、伊之助も、みんな驚いて口々に言いました。
「子分たちが危ない目に遭ったのは、俺様が不甲斐なかったからだっ! てめぇは関係ねぇ!」
「お前、口の利き方っ! でも本当に洋服屋さんのせいじゃないですから! 俺と伊之助が喧嘩してたのが悪いんだから謝んないでぇ! 不思議なことができる人に謝られるのってなんか怖いからぁ!」
「洋服屋さん、心配かけてごめんなさい。でも私たち、洋服屋さんのお手伝いがしたいの」
禰豆子の言葉に、洋服屋さんはそれでも、ふるふると首を振ります。
「風柱のところでも危ない目に遭っただろう? 柱の住まいで命を落とすことはないだろうが、万が一ということもある。お前たちはただの子供だ。これ以上危険な目に遭う必要はない」
だからもうおしまいにしようと言う洋服屋さんをじっと見て、炭治郎は言いました。
「でも、お遣いをしなくても、年が替わる夜にはきっと危険な目に遇いますよ?」
目を見開く洋服屋さんに、炭治郎はにっこりと笑いかけました。
もう何回か眠ったら年が替わります。『災い』の首魁がキメツの森を襲う夜がくるのです。
今までお逢いした柱様たちは、懸命に炭治郎たち森の動物を守ってくださるでしょう。けれど、森にはたくさんの動物がいるのです。炭治郎たちばかりを守るわけにはいきません。『災い』はきっと炭治郎たちのところにもやってきて、炭治郎たちを襲うに違いありませんでした。
「洋服屋さん、俺はただの狐だけど、できることがあるなら精一杯やりたいです。洋服屋さんのお手伝いをして、柱様たちとお逢いしたら、できることが見つかるかもしれません。それに、洋服屋さんが俺たちにいろんなものをくれるのには、なにかわけがあるんだろうなってことぐらいわかります。だから、やめろなんて言わないでください」
まっすぐに洋服屋さんの目を見て言う炭治郎に、洋服屋さんは少し悲しそうに眉を寄せましたが、やがて小さく溜息をつくと、炭治郎の頭を撫でてくれました。
「……わかった」
やったぁと喜ぶ禰豆子たちの声を聞きながら、炭治郎も、うれしくて思わず洋服屋さんの首に腕を回すと、キュッと抱きつきました。
「洋服屋さん、今日はなにを作るんですか? 今日も見ていていいですか?」
洋服屋さんはちょっと苦笑しましたが、いつものようにうなずいてくれました。
今日もテーブルに用意されていたご飯をみんなが食べているあいだ、急いで自分の分を食べた炭治郎は、洋服屋さんの隣に立ってお仕事机を覗き込みます。
洋服屋さんは、糸紡ぎを取り出して机の上に置くと、蜘蛛の糸を仕掛けてくるくると回し始めました。細い細い赤い蜘蛛の糸はきらきら光りながら、撚り合わさってしっかりとした糸になっていきます。炭治郎がほぅっと感心しながら見ていると、洋服屋さんはその糸をさらに組んでゆき、赤い組紐を作り上げました。
その組紐にフッと息を吹きかけると、洋服屋さんは禰豆子を手招きました。
「なぁに? 洋服屋さん」
洋服屋さんは禰豆子に後ろを向かせ、禰豆子の長い髪に組紐を結んでくれました。
ちょうちょ結びされた組紐は、禰豆子によく似合います。善逸や伊之助も似合う似合うと言ってくれたので、禰豆子はとてもうれしそうです。
「ありがとう、洋服屋さん!」
笑う禰豆子の頭を撫でる洋服屋さんに、炭治郎たちは顔を見合わせると、大きな声で言いました。
「洋服屋さん、次のお手伝いはなんですか?」
「……蛇柱の住まいにいる金の蛇の鱗をもらってきてくれ」
「わかりました! でも洋服屋さん? なんでそんなに困ったような顔をしてるんですか?」
風柱様のときと同じような顔をしている洋服屋さんに、炭治郎が首をかしげると、洋服屋さんは少し口ごもりながら言いました。
「……蛇柱にはよく嫌味を言われる」
「なんだ、嫌われてんのか」
「俺は嫌われてない」
やっぱり即答した洋服屋さんに、炭治郎たちもやっぱり笑ってしまったのでした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
キメツの森はすっかり真冬です。もう少ししたら雪が降ってくるかもしれません。
今日も洋服屋さんの用意してくれた朝ご飯をたっぷりと食べて、洋服屋さんの手製のお弁当を持って、炭治郎たちは森を駆けます。
蛇柱様のお社があるのは、恋柱様のお住まいの近くにある沼なのだそうです。恋柱様と蛇柱様は仲良しで、もしかしたらご結婚もありえると、お二人の元へお参りに行く動物たちが噂しているんだよと善逸が教えてくれました。
「素敵! 恋柱様がお嫁入するところ、私も見たいなぁ。きっとすごくきれいだと思うの」
「ね、禰豆子ちゃんの花嫁さん姿だって、きっときれいだよぉ。あ、あのさあのさっ、いつか俺とけっこ「柱が柱の眷属になんのかっ!? すげぇな!」」
善逸の言葉をさえぎって言った伊之助に、善逸がお前なぁぁぁっっ! とわめきましたが、伊之助はなんで善逸が怒りだしたのか、さっぱりわからないみたいでした。
ギャアギャアと騒がしく言い合いながら走る善逸と伊之助は、それでも楽しそうで、もう昨日までのように険悪な空気はありません。
それをうれしく思いながらも、炭治郎は、チクンと痛んだ胸に首をひねりました。
柱様同士のご結婚は、森の動物たちにとってもお祝い事です。炭治郎も素敵なことだと思いました。けれども、思い出してしまうのは水柱様のことです。
水柱様もお嫁さんを迎え入れて、森の動物たちにお祝いされる日がくるのでしょうか。やさしくお嫁さんの頭を撫でて、ギュッと抱きしめてあげるのでしょうか。
なんだか悲しい気持ちになるのが不思議で、炭治郎は黙ったまま走りました。
「だいたいさぁ、柱様同士の結婚は、眷属とは関係ないだろぉ? 俺もよく知らないけどさ、風柱様のとこの眷属が言ってたじゃん。柱様同士や柱様の血筋の人からご伴侶様を迎えるんだって」
「ご伴侶様と神嫁様はどう違うのかしら。恋柱様は蛇柱様のご伴侶様になるのかもしれないけど、音柱様のお嫁さんたちはご伴侶様にはなれないのかな?」
「うーん、神様のことはよくわかんないなぁ」
禰豆子たちのお喋りを聞きながらどんどん駆けていくと、やがて広い沼が見えてきました。
辺りは薄暗くて、ところどころ木漏れ日は差しているのですが、なんだか『災い』だって出てきそうです。
「蛇柱様はどこにいらっしゃるんだろう」
「呼んでみりゃいいんじゃねぇのか? おいっ、蛇柱! 出てきやがれっ!」
「うわぁぁぁっ! おま、お前っ、なに言っちゃってんのぉぉぉっ!!」
善逸が慌てて伊之助の口をふさぎます。炭治郎と禰豆子も、蛇柱様が気を悪くされていないかハラハラしながら辺りを見回しましたが、蛇柱様が出てくる気配はありません。
「どうしよう、蛇柱様はお出かけなのかな?」
「恋柱様のところに行ってらっしゃるんじゃないかしら」
パッと顔を輝かせて禰豆子が言いました。それなら、また道を戻って恋柱様のお住まいに行かなくちゃいけません。だけどもし、恋柱様のところにいらっしゃらなかったら、またここに戻ることになりますから、夜になる前にお店へ帰れるかわからなくなってしまいます。
「うーん、困ったなぁ」
炭治郎たちが悩んでいると、ビュウッと冷たい木枯らしが吹き抜けて、木々がざわざわと音を立てました。炭治郎たちは洋服屋さんの手袋やマフラーでへっちゃらですが、とても冷たい風でした。
風はビュウビュウと吹いて、炭治郎たちは思わず座り込んでしまいました。あんまり風が強くて、立っていると飛ばされてしまいそうだったのです。
みんなでぎゅっと手を握り合って風がやむのを待っていると、バサバサッと頭の上で音がして、ボトリとなにかが落ちてきました。
なんだろうと見てみると、大きな大きな蛇が丸まってビクビクと震えながら、地面を激しくしっぽで打ち付けています。
「ギャァァアアァァァアァァッッ!! へ、蛇っ! 蛇ぃぃいぃぃぃいいぃっ!!」
びょんと飛び上がった善逸は、ガッシリと炭治郎に抱きつきました。ねずみの善逸にしてみれば蛇は天敵です。善逸は怯え切ってガタガタと震えていました。
「蛇柱のとこなんだから、蛇がいるのは当然じゃねぇか」
「だってだってだって、蛇柱様は神様だから俺を食べないだろうけど、普通の蛇は食べようとするだろぉぉっ!! しかもこんなに大きい蛇じゃ、禰豆子ちゃんだって危ないよっ! 食べられちゃうかもしんないだろうがぁっ!!」
「ちょ、ちょっと、善逸っ! そんなにしがみついたらなんにも見えないよっ!」
炭治郎が言っても善逸はブルブル震えて離れようとしません。しかたなく善逸の顔をグイッと押しやって炭治郎が見てみると、蛇はなんだか苦しそうです。
「この蛇、なんだか苦しそうじゃないか? どうしたんだろう」
「蛇なんて放っておけよぉ、早く恋柱様のとこに行こうぜっ!」
「そういうわけにはいかないよ」
善逸を引きはがした炭治郎が近づいていくと、丸まっていた蛇が、ゆっくりと鎌首をもたげました。
「うっぎゃあぁぁあぁあぁぁぁあぁぁっ!! こんなことあるぅぅうぅぅぅっっ!?」
「紋逸、うるせぇっ!」
伊之助が怒鳴りますが、善逸の悲鳴ももっともで、その蛇は、体は蛇なのに人の顔がついていたのです。どう見たって普通の蛇ではありません。
まさか『災い』か? 炭治郎は身構えましたが、蛇からは『災い』の恐ろしい匂いはしてきませんでした。
「あ、この蛇怪我してるぞ」
よく見れば蛇の目の下には、ざっくりと切り裂かれたような傷がありました。先ほどの風が起こした鎌鼬にでも切られたのかもしれません。
「痛そう……」
「うん、だからこんなに苦しそうなんだな」
禰豆子が心配そうに言うのにうなずいて、炭治郎は、ビクビクと怯えている善逸に向かって言いました。
「善逸、洋服屋さんの布だったら、この蛇の怪我も治してやれるんじゃないかな」
「俺っ!? 俺にやれっていうのっ!?」
「いや、善逸が怖いなら俺がやるけど」
「じゃあ炭治郎がやってよっ、ほらっ!」
放り投げられた小袋を受け止めて、炭治郎は取り出した布を手に近づこうとしたのですが、蛇はグネグネとのたうち回ってじっとしてくれません。
「みんなで蛇を抑えて、誰か一人が拭いてやるしかないんじゃないかな」
「じゃあ、私だね。一番力が弱いもの。私が拭いてあげるね」
「禰豆子ちゃんにそんな危ないことさせられるわけないじゃんっ! うぅっ、いいよ、俺が拭くよぅっ!」
泣きべそをかきながら善逸が布を手に近づいたので、伊之助と禰豆子が蛇の体を抑えました。
「よしよし、いま治してやるからな。頼むからおとなしくしてくれよ」
炭治郎が蛇の顔を掴むと、善逸はブルブルと震える手で、蛇の傷を拭きました。
傷は見る間に治って、大蛇の顔が途端に普通の蛇へと変わりました。驚いた炭治郎たちが手を放すと、蛇はすぐさまシュルシュルと去っていってしまいました。
「おい、貴様ら。どうしてあの蛇を助けた?」
声は頭の上から聞こえてきました。炭治郎たちが見上げると、口を布で覆い首に白い蛇を巻きつけた男の人が一人、枝に横たわっていました。もしかしてこの人が蛇柱様なのでしょうか。
「蛇柱様ですか?」
「だったらどうした」
「初めまして、蛇柱様。俺は狐の炭治郎、こっちは妹の禰豆子で、友達の善逸と伊之助です! 今日は洋服屋さんのお手伝いで、蛇柱様のお住まいにいる金の蛇の鱗をいただきに来ました!」
炭治郎が元気よく言うと、蛇柱様はゆらゆら指を揺らして不機嫌そうに言いました。
「質問に答えていないぞ。そんな礼儀知らずが柱にものをねだるなんて、世も末だ。こんな奴らが俺の住まいに来るとは、頭痛を覚えるんだがな。おまけに挨拶するのは貴様だけか。まったく、あいつと同じく礼儀知らずもいいところだ」
ネチネチとした物言いに、炭治郎は思わずぽかんとしてしまいました。この方が本当にあの恋柱様と仲がいいのでしょうか。
炭治郎の疑問はみんなも同様だったようで、善逸も伊之助も、疑り深い目で蛇柱様を見ています。
「蛇柱様、こんにちは。失礼なことをしてごめんなさい。私は狐の禰豆子です」
禰豆子だけは素直に蛇柱様へとご挨拶をして、ぺこりと頭を下げました。それを見て善逸も慌てて頭を下げます。
「ねずみの善逸です……えーと、ごめんなさい」
「チッ、イノシシの伊之助だ!」
伊之助だけは、ふんっと胸を張っていましたが、蛇柱様はなにも答えず、炭治郎をじろじろと見ています。
「あの蛇は怪我をしていました。困っているなら助けるのは当然だから助けました!」
炭治郎が蛇柱様をまっすぐに見つめて言うと、蛇柱様は少し眉を寄せ、さらにたずねてきます。
「異形の蛇だぞ、恐ろしいだろう? なのに当然だと? 信用しない信用しない、俺から金の蛇の鱗を貰いたくて言ってるだけだろう?」
「そんなことはありません! だって俺たちは、蛇柱様は恋柱様のところに行ってらっしゃると思ってましたから!」
ぴくりと蛇柱様の眉が上がって、フンッと小さく鼻を鳴らすと蛇柱様は「鏑丸」と誰かを呼びました。それは首にいた蛇の名前だったらしく、蛇はしゅるりと蛇柱様から離れると、木をスルスルと登っていきます。
やがて戻ってきた鏑丸は、炭治郎の元へと這ってきて、グイッと鎌首をもたげました。その口には、きらきらとした金色の鱗が一枚銜えられていました。
「ありがとうございます!」
鱗を受け取った炭治郎が頭を下げたのに続いて、禰豆子と善逸もお礼を言って頭を下げました。伊之助も頭こそ下げませんでしたが、ありがとよと礼を言ったので、蛇柱様は少し不機嫌そうな顔をしながらもうなずいてくれました。
「見た目で差別するような愚か者を神は救わない。貴様らを信じるわけじゃないが、恋柱に免じて教えてやろう。俺の名前は伊黒だ。もし俺を呼ぶことがあるなら、そう呼びかけるんだな」