手袋を買いに行ったら大好きな人ができました2

 風柱様のお住まいで、お日様が顔を覗かせるまでぐっすりと眠らせてもらった炭治郎たちは、鳥に変化した少年に崖の上まで運んでもらいました。
 今度はお参りに来るよと手を振ってお別れしたら、炭治郎たちはまた一所懸命走ります。夜までにお店に戻らなくてはいけません。いつもは走りながらもお喋りするのですが、今日はお喋りはなしです。
 急いでいたからだけじゃありません。善逸と伊之助が、今日になってもそっぽを向き合って、口をきこうとしなかったからです。
 走ってるあいだも、お弁当を食べているときも、二人は絶対に互いを見ようとしませんでした。炭治郎と禰豆子がなだめたり叱ったりしても、二人はすっかりへそを曲げてしまって、お店に着くまで一言も口を利かなかったのです。

 トントントン。いつものように戸を叩いたら、洋服屋さんがすぐに戸を開けてくれました。炭治郎たちが帰るのを待っていてくれたのでしょう。
 いつもだったらとてもうれしくなってしまったでしょうが、今日の炭治郎は善逸と伊之助が気になって、ちょっぴり元気がありませんでした。
 洋服屋さんは、炭治郎や禰豆子たちの様子を見てもなにも言わず、みんなにご飯を食べさせてくれました。
 いつもはワイワイと楽しく食べるご飯も、善逸と伊之助が喧嘩中では、いつものようにおいしいと思えません。せっかく洋服屋さんが用意してくれたのに、こんな気持ちで食べるのは申し訳なくて、炭治郎はストンと椅子を下りると、お仕事机に向かった洋服屋さんの隣に並びました。
「今日もお仕事を見ていてもいいですか?」
 洋服屋さんはうなずいて、風柱様からもらってきた羽根を黄色いブーツに縫いつけています。しっかりと縫い留めると、洋服屋さんは、フッと羽根に息を吹きかけました。
「これをあいつに」
 洋服屋さんの視線の先には、うつむいてクッキーをもそもそと食べている善逸がいます。
 ブーツを渡すと、善逸は大喜びでブーツを履いてくれました。けれど、それを見ていた伊之助は、フンと鼻を鳴らして言いました。
「こいつがもらったもんなんだから、俺は手伝いにはいかねぇからなっ! お代はこいつが払えばいいだろっ!」
 なんてこと言うんだと炭治郎が叱る前に、洋服屋さんが強い声で言いました。
「四人で行け。恋柱の住まいにかかる蜘蛛の糸を、四人全員で行ってもらってこい」
 みんなで行かなければお代は受け取らないと、洋服屋さんは言います。ムッとして言い返そうとした伊之助も、洋服屋さんが怖い顔をして睨むので、渋々うなずきました。

 すっかり夜になってしまったので、今日もお泊りです。いつもだったら隣のベッドに並んで眠る善逸と伊之助は、今日は禰豆子を挟んで離れたベッドで眠りました。
 それを見て、炭治郎と禰豆子はすっかり悲しくなってしまいましたが、洋服屋さんが禰豆子も大きいベッドに呼んで二人まとめて抱っこしてくれたので、ようやく二人も眠ることができました。

 今日もキメツの森はいい天気。だけれども、出発した炭治郎たちの心はお空の青さとは裏腹に、どんよりと雲が立ち込めているかのようでした。
 いつものように洋服屋さんの用意したお弁当を持って行く先は、恋柱様がお住まいになる森の奥の温泉です。森の動物たちの疲れを癒してくれる温泉は、お参りのあとで温泉に入る者で、いつも賑やかなのだそうです。
 あまり遠くない場所なので、いつもの炭治郎たちであれば、お遣いを終えたら温泉に入っていこうかと、楽しく笑いながらの道行きだったことでしょう。けれど善逸と伊之助の喧嘩はまだ続いていて、今日は誰も楽しくお喋りなんてできません。
 どうすれば善逸と伊之助は仲直りしてくれるんだろう。炭治郎は走りながら考えますが、いい考えは浮かびませんでした。
 禰豆子も心配なのか、善逸と伊之助をチラチラと見ていました。いつでもニコニコと明るい禰豆子も、そもそもの原因は自分だと思ってしまっているのか、すっかり落ち込んでしまって、二人に話しかけられずにいるようです。
 沈んだ気持ちになりながらも進んでいくと、どこからか硫黄の匂いがしてきました。炭治郎の鼻がひくひくと動きます。どうやら温泉の匂いのようです。炭治郎は深い木立の合間を指差しました。
「きっとこっちだ。行こう!」
 精一杯明るく言っても、善逸たちは、いつもみたいに元気な返事を聞かせてはくれません。
 洋服屋さんに言われただけでなく、炭治郎だって四人でお遣いをする気満々でしたが、風柱様の眷属の少年の言葉が気にかかって、ちょっと不安になってきます。
 恋柱様が対価のお弁当を受け取ってくれればいいのですけれど、もしもまた試験があったら、こんな調子で合格できるのでしょうか。
 弱気を振り払うように炭治郎は、むんっと胸を張って拳を握りしめました。
 今までだってみんなで頑張ってきたんじゃないか。これからだってみんなで頑張らなきゃ!
 炭治郎はみんなに向かって明るく笑いました。
「さぁ、蜘蛛の糸をもらいに行こう!」
「うん、お兄ちゃん」
 禰豆子はやっと少し笑ってくれましたが、善逸と伊之助はまだ元気がありません。それでも二人も一緒に木立の奥へと進んでくれました。
 木立の影が切れると、ふわふわと湯気がただよう温泉が見えました。今日は誰も来てはいないようです。

「わぁっ、かわいい! ねぇ、君たちお参りに来てくれたの?」

 突然聞こえた明るい声に、炭治郎たちが湯気の向こうに目をこらすと、ぴょんと飛び跳ねるようにして桃色と緑の髪をしたとっても愛らしい女の人が現れました。きっとこの人が恋柱様なのでしょう。
「恋柱様ですか?」
「そうよ、かわいい子狐さんっ。やぁん、女の子の狐さんもいるのね、かわいいっ! ねずみさんもイノシシさんもかわいいわっ! みんな、ゆっくり温泉を楽しんでいってね!」
 キャッキャッとはしゃぐ恋柱様に、炭治郎はちょっぴり面食らってしまいました。こんな大歓迎は初めてです。
「あ、あのっ、初めまして、恋柱様。俺は狐の炭治郎、こっちは妹の禰豆子で、友達の善逸と伊之助です! 今日は洋服屋さんのお手伝いで、恋柱様のお住まいにかかる蜘蛛の糸をいただきに来ました!」
 炭治郎が言うと恋柱様はきょとんとして、まじまじと炭治郎を見つめてきました。そうしてちょっと驚いた顔で口元に手を当てると、「ヤダッ、気がつかなかった! 素敵ねぇ」とうっとりしています。
「あ、ごめんなさい。ついキュンとしちゃって」
 恋柱様はぽかんとする炭治郎たちに照れた顔で笑いながら、こっくりとうなずきました。
「いくらでも持って帰っていいわよ。だけど蜘蛛の糸は自分達で探して、自分達で取ってこなくちゃ駄目なの」
 そうでなければ意味がないのだと、恋柱様は言います。
「蜘蛛の糸は赤くてきらきらしてるから、きっとすぐに見つかるよ。頑張ってね!」

 明るく言って恋柱様は姿を消してしまいました。しかたなく炭治郎たちは温泉のまわりを探したのですが、蜘蛛の巣なんてどこにも見つかりません。
「どうしよう、お兄ちゃん」
「うーん、ここよりもっと奥にあるのかな」
「なぁ、炭治郎。あっちから大きな水音がするんだ。もしかしたらそっちにあるんじゃないかな」
 耳を澄ませた善逸が言うので、炭治郎は善逸が指差した方に向かってふんふんと鼻をうごめかせました。けれど辺りは温泉の匂いがいっぱいで、炭治郎の自慢の鼻でも、水の匂いを嗅ぎ当てられません。
「権八郎がわかんねぇんじゃやめとこうぜ。そんな弱みその言うことなんか信じられっかよ」
「なんだとぉっ!」
「やめないかっ!! 伊之助、善逸の耳がとてもいいこと知ってるだろ? 善逸もそんなに怒るなよ」
「そうだよ、いつもみたいに仲良くしようよ」
 怒る炭治郎や泣きそうな禰豆子に、善逸と伊之助はバツが悪そうに黙りましたが、やっぱりお互い謝ったりはしませんでした。

 とにかく行ってみようと善逸が指差したほうへ進んでいくと、ドドドドドドドドドッと大きな音が響いてきて、やがて大きな滝つぼの上へと出ました。
「うわぁ、かなり深そうな滝つぼだな」
「炭治郎、あんまり身を乗り出すなよっ。こんなの落ちたら助からないぞっ!」
「善逸さんが言うとおりだよ、お兄ちゃん。ここは危ないよ」
「ふん、弱みそどもじゃ無理だろうなっ。親分の俺様が見てやるぜ!」
 そう言うと伊之助は、みんなが止めるのも聞かずに、滝の上に枝をせり出した木によじ登りはじめました。
「おいっ、伊之助! 戻ってくるんだ、危ないぞ!」
「うるせぇ! 俺様に指図すんな! ん?」
 怒鳴り返した伊之助は、不意に黙り込んだと思ったら、枝の先をじっと見つめています。
「おいっ、あったぞ! この枝の先に赤い蜘蛛の巣がかかってやがる!」
 伊之助の言葉に炭治郎たちがよく見れば、たしかに細い枝の先で、蜘蛛の巣がきらきらと赤く光っています。
「本当だ! お兄ちゃん、きっとあれだね!」
「でもあのままじゃ危ないって! だって伊之助は俺らのなかで一番重いんだぞ!? ほらっ、枝がミシミシいってるじゃん!」
「伊之助っ、一度戻ってこい! そのままじゃ枝が折れるぞっ!」
 炭治郎たちが言っても、伊之助は意地になったように枝を進んでいきます。枝はグラグラと揺れて、伊之助が先に行けば行くほど、大きな水音に紛れてミシリミシリと枝の軋みが聞こえてきました。
「俺が行ってくる! 炭治郎たちじゃ枝が折れるかもしれない。俺なら軽いからあの馬鹿止めてくるっ!!」
 そう言うと、善逸は木を登りだしました。ねずみの善逸はスイスイと進み、枝の付け根まであっという間に辿り着きました。
「伊之助っ、この馬鹿っ!! 危ないだろ、戻って来いよ!」
「うるせぇぞ、弱みそめっ! 紋逸の言うことなんか聞いてやるかよ!」
「うっわムカつくぅぅっ! あーそうですかっ! 俺だって人の名前もまともに呼ばない伊之助なんかに、返事なんてしてやんねぇからっ!!」
 グラグラ揺れる枝の上で口喧嘩するものだから、下で見ている炭治郎と禰豆子はハラハラしてしまいます。炭治郎も木に登りたいのですが、善逸が言うように、枝は伊之助だけでさえ折れそうでした。炭治郎が行けば、三人もろともに滝つぼに落ちてしまうかもしれません。
 どうしよう、伊之助をどうにかして止めないと! 焦りますが、伊之助たちが登っている木のほかには、滝つぼにせり出している枝はありません。
 滝の水は激しくて、落ちたら浮かび上がることはできないでしょう。途中で受け止められる場所があればいいのですが、そんな場所も見当たりません。万が一、枝が折れて伊之助が滝つぼに落ちたら、溺れるのを覚悟で飛び込んで引き上げるよりほかなさそうです。
 しかたがないと、炭治郎と禰豆子は、急いで滝つぼに向かいました。
 枝の上ではまだ、伊之助と善逸が言い合いをしています。
「だいたいお前はいっつも乱暴なんだよっ!」
「お前はいっつも泣きべそかいてばっかりじゃねぇかっ!」 
 ギャンギャンと言い合っているうちに、伊之助の重みに耐えかねた枝が、バキリッと大きな音を立てて折れました。

「うわっ!!」
「伊之助っ!!」

 折れた場所は伊之助がいた場所よりもちょっと後ろ。伊之助は折れた枝にしがみついて、ユラユラと揺れる羽目になっています。
 枝は大きく揺れて、今にも滝つぼに落ちてしまいそうです。伊之助だっていつまでしがみついていられるかわかりません。
「伊之助っ、今行くからっ!!」
「馬鹿ッ!! 来るんじゃねぇ、紋逸! お前まで落ちるだろうがぁっ!!」
 とっても怖がりで臆病な善逸が、ためらいなく枝を進んでいくのを見上げて、滝つぼに着いた炭治郎と禰豆子は、必死に辺りから蔦を掻き集めました。蔦の端を木に結んで、反対の端を炭治郎は自分のお腹に巻きつけます。
「禰豆子、もし伊之助が落ちたら兄ちゃんが救けに行くから、蔦が解けないように見ててくれ!」
 すぐに飛び込めるよう準備する炭治郎と禰豆子の頭上では、善逸が折れた枝で顔に引っかき傷を作りながらも、必死に伊之助に手を伸ばしています。
「伊之助っ、早くっ!!」
「俺がつかまったらお前まで落ちるぞっ! 怖がりのくせに無理すんじゃねぇ!!」
「怖いよっ、怖いに決まってんだろぉぉぉっ!! でも伊之助が落ちるのはもっと怖いんだから、しょうがないじゃんかっ!!」
 グッと言葉に詰まった伊之助が、意を決したように善逸に向かって手を伸ばします。
「伊之助っ、もうちょっとだ! 善逸も頑張れっ!!」
「善逸さん、もう少し! 伊之助さん頑張って!!」
 炭治郎と禰豆子も必死に応援しました。
 あとちょっと。もう少し! 善逸と伊之助の指先が触れて、ぎゅっと手を握り合ったその瞬間。揺れていた枝がとうとう千切れて、二人の体が空中に投げ出されました。
「伊之助っ!!」
「善逸ぅっ!!」
 叫ぶように呼び合った二人は、お互いをぎゅっと抱きかかえて落ちていきます。
「善逸っ、伊之助っ!!」
 大きな水しぶきを上げて二人が滝つぼに落ちたと同時に、炭治郎も水に飛び込みます。落ちてくる大量の水に引き込まれて、炭治郎の体も滝つぼへと沈みました。
「お兄ちゃんっ!!」
 禰豆子の悲鳴ももう聞こえません。落ち込む水が立てる泡に紛れて、手を繋ぎ合ってグルグルと水に揉まれている善逸と伊之助の姿が見えました。炭治郎もまともに泳ぐことはできず、滝に引き込まれるばかりでした。
 それでも必死に二人に手を伸ばしていると、突然ふわりと体が泡に包まれました。大きな泡は炭治郎を包み込んで、ぷかりと水面に浮かんでいきます。
「だ、駄目だっ!! 伊之助と善逸がまだ……っ!」
 慌てて泡を破ろうとしたとき、善逸と伊之助の体が大きな泡に包まれて、炭治郎の泡と同じようにユラユラと水面に浮かんでいくのが見えました。
 泡は水面近くまで浮かぶと、スイスイと岸に進んでいきます。
 岸に辿り着くと泡はパチンと割れて、びしょ濡れの炭治郎に、禰豆子が泣きながら飛びついてきました。
「お兄ちゃんっ!! よかった……っ」
「禰豆子、心配かけてごめん。あ、伊之助と善逸はっ!?」
 慌てて見回すと、善逸たちも岸に上がっているのが見えました。
「いの、いのずげぇぇっ、ごめぇぇんっっ!! 伊之助が死ななくてよかったよぉぉぉっっ!」
「泣いてんじゃねぇよ、紋逸ぅ!」
「お前だって泣いてんじゃねぇかよぉぉっ! それとなんでまた名前間違えんだよ、馬鹿ぁぁっ!」
「うっせぇぇっ!! 弱みそが無茶しやがって、子分のくせに生意気なんだよぉっ!」
 抱き合ってわんわんと泣く二人の無事がわかった途端に、炭治郎の大きな目にも涙が浮かび上がって、炭治郎と禰豆子は泣きながら善逸と伊之助に駆け寄り抱きつきました。
「伊之助ぇっ!!」
「善逸さんっ!!」
 よかったぁとみんなで泣いていると、ほかにも泣き声がしているのに善逸が気づきました。
「あれ? 誰か泣いてない?」
「うぅっ、みんな小さいのに偉いよ~。友達想いの子たちでキュンキュンしちゃうぅ~!」
 見れば恋柱様がポロポロと涙を流しながら、うんうんとうなずいています。
「みんな、よく頑張ったねっ! 蜘蛛の糸を持って帰っていいよ!」
 泣きながら言ってみんなを抱きしめてくれる恋柱様に、炭治郎は慌ててしまいました。
「こ、恋柱様っ、恋柱様まで濡れちゃいますよ!」
「やだ、炭治郎くんたらやさしい!」
 うふふと笑って恋柱様は、炭治郎の頭を撫でてくれます。
「あっ! そうよ、お兄ちゃん、蜘蛛の糸はどうしよう!」
「そうかっ! 蜘蛛の巣も枝と一緒に落ちちゃったんだ!」
 慌てる炭治郎たちに、恋柱様はなおも笑って大丈夫よ~と言うと、指先をくるくると回し始めました。すると赤いきらきらとした糸が滝つぼから伸びてきて、みるみるうちに恋柱様の指に巻き取られていくではありませんか。
 あっという間に赤い糸玉になった蜘蛛の巣を、呆気に取られていた炭治郎に差し出して、恋柱様はにっこり笑って言いました。

「神様だって、大事な人のために命懸けで頑張れる子の応援をしたいものよ。私の名前は甘露寺っていうの。もしも私を呼ぶときは、そう呼びかけてねっ」