キメツの森は今日もいい天気。森の外れの小さな洋服屋さんにも、ポカポカとした陽射しが降りそそいでいました。
今日は温かい日和ですが、そろそろ冬が近づいてきています。お店にも、冬支度をする森の動物たちが、マフラーや手袋を買い求めにくることでしょう。
このお店の商品は、動物たちが冬のあいだ寒さに凍えないようにと、水柱様と呼ばれる神様が作っているのです。だから、手袋ひとつでもたいそう温かく、動物たちは冬がくるとお店にやってくるのです。
でも最近は、お買い物ではないお客さんが増えました。
もともとお店の店員さんのお友達はしょっちゅう遊びにきてはいましたが、このところは以前よりも頻繁にやってきては、お祝いをしてくれるのです。
そのたび店員さんである炭治郎は、ふさふさな自慢の尻尾をご機嫌に揺らして、ニコニコと笑っていました。
炭治郎は、もともとはどこにでもいるただの狐の子どもでした。けれども、実は日柱様という神様の力を持つ天狐の子孫だったのです。
昔々、恐ろしい『災い』の首魁と柱たちが戦った際に、炭治郎も日柱の力で一緒に戦い、勝利を収めました。それからずっと、キメツの森は平和で穏やかです。
神様の仲間入りをした炭治郎は、長いこと、洋服屋さんである水柱様の眷属として神様修行をしていました。そうして大人になった炭治郎は、先ごろ正式に日柱を襲名し、水柱様のご伴侶様としてお嫁さんになったのです。
炭治郎は男の子なのにお嫁さん? と、不思議に思う人もいるでしょう。でも、なにしろ水柱様も炭治郎も神様なので、普通の動物たちと違って男の人同士でも赤ちゃんだって生まれるのです。
今日もせっせとお店の周りの落ち葉を掃いている炭治郎の首にかけられた、小さな真っ白い袋には、炭治郎と水柱様――義勇の赤ちゃんが眠っていました。
赤ちゃんといっても、実はまだまだ卵です。神様の子どもとしてこの世に現れるには、卵たちには神気がまだ到底足りません。
炭治郎と義勇が、赤ちゃんが欲しいとそろって強く願って過ごした夜に、ポロリポロリと炭治郎がこぼした涙が固まって、キラキラと輝く石の卵のようになったのは、そろそろ秋の気配がしだすころでした。
卵はふたつ。炭治郎の瞳のように赫い卵と、義勇の瞳のように青い卵です。
宝石のようにキラキラとした卵は、触るとほんのり温かく、トクントクンと小さな鼓動がしています。このなかで、ふたりの赤ちゃんはいつか外の世界に出る日まで、スヤスヤと眠っているのだそうです。
「今日はいい天気だぞ。早く一緒に日向ぼっこできるといいなっ」
炭治郎は袋に入った卵にやさしく笑いかけます。義勇が作ってくれた袋は上等の絹でできていて、炭治郎の胸の上でゆらゆらと揺れていました。すべすべと触り心地の良い真っ白な袋は、きっと素敵な揺り籠のように卵たちには感じられていることでしょう。
早く逢いたいなと思いながら、炭治郎は卵に話しかけつつ、せっせとお掃除に精を出していました。
炭治郎が義勇のお嫁さんになったとき、ほかの柱様方やお館様と呼ばれる森の守り神様は、きっとすぐに子宝に恵まれるだろうと笑っていました。柱様の眷属となって神様の世界の仲間入りをした炭治郎の妹の禰豆子や、友達の善逸や伊之助も、早くふたりの赤ちゃんに逢いたいねと笑っていたものです。
とっても恥ずかしかったのですが、もちろん、炭治郎だってそのつもりでいました。
だって、大好きな義勇の赤ちゃんです。もともとは普通の狐の子だった炭治郎にしてみれば、お嫁さんになれば子どもはいっぱい生まれるものだと思ってもいました。炭治郎だって弟妹はいっぱいいましたから、すぐに赤ちゃんがいっぱいきてくれると思っていたのです。
けれども、なかなか赤ちゃんは生まれませんでした。義勇は炭治郎をたいそう慈しんでくれますし、誰が見ても仲睦まじい夫婦になれたのですが、それでも赤ちゃんはいっこうに生まてきてはくれなかったのです。
義勇は気にするなと言ってくれましたが、だんだんと炭治郎は悲しくなってきてしまいました。
男の子である炭治郎でも、ちゃんと赤ちゃんは生まれますよと蟲柱様は言ってくれましたが、もともと炭治郎はただの狐です。もしかしたらほかの神様とは違うのかもしれません。
神様の仲間入りをして、大好きな義勇のご伴侶様にもなれましたが、義勇には炭治郎よりももっとお似合いの神様がいっぱいいます。蟲柱様もそうですし、その眷属の子たちだって、みんな素敵な女の子です。男の人でも赤ちゃんが生めるのなら、炎柱様や風柱様、霞柱様だっていらっしゃいます。みんな炭治郎よりずっと強くて立派な、義勇とお似合いな神様ばかりです。
どんどん、どんどん、不安は大きくなっていって、炭治郎はとても悲しくなってしまいました。
炭治郎が悲しんでいることは、義勇にも、もちろん伝わっていました。だからいつでもやさしく、いつかちゃんと子どもは生まれるからと慰めてくれるのですが、炭治郎は申し訳なさが募るばかりだったのです。
そんなある日のことでした。ふさぎ込んでいく炭治郎を心配して、禰豆子たちが気晴らしに遊びに行こうと誘ってくれました。
「たまにはみんなで楽しんでくるといい」
義勇もそう言って、快く送りだしてくれたのですが、一緒に行ってはくれませんでした。それはとても寂しいことでしたが、炭治郎は「義勇さんも一緒に行きませんか?」とは言えませんでした。
とてもやさしくしてもらっているのに、いつまでも赤ちゃんの生めない炭治郎のことを、義勇は本当はどう思っているのでしょう。それが不安で、炭治郎はなにも言えなかったのです。
禰豆子たちが誘ってくれたのは、キメツの森を出てしばらく行った大きな山でした。高くて険しい山でしたが、お館様からお借りした雲に乗っていったので、山のてっぺんにはあっという間につきました。そこはとても空気がきれいで、キメツの森と同じくらい清々しい場所でした。
お山はキメツの森よりも早くに秋がきているようです。木々の葉っぱは黄色や赤に染められて、おいしそうな木の実もたわわに実っています。
地面を探せばあちらこちらにキノコもたっぷりと生えていて、ずっとふさぎ込んでいた炭治郎も、自然とワクワクとしてきました。
「きれいなとこだなぁ。森と同じくらい食べ物もいっぱいだ! 義勇さんへのお土産に、いろいろ採っていこうかな」
「私も恋柱様たちにお土産を持っていきたいな。お兄ちゃん、いっぱい採ろうね!」
禰豆子が笑って言えば、善逸や伊之助も張り切って、それじゃ競争しようと笑います。
久しぶりのみんな一緒のお出かけは、沈んでいた炭治郎の心も温かくしてくれました。
「なんだ、ずいぶんと騒がしいな」
みんなでせっせと木の実やキノコを集めていたら、聞こえてきたのはそんな声。見れば木の上から天狗様が覗いていました。
「この山の主様ですか? お邪魔してます! 俺はキメツの森の日柱で炭治郎といいます! お土産にキノコや木の実を持って帰ってもいいですか?」
たずねてみれば、天狗様は大きな声で笑いながら、採りすぎなければいいだろうとうなずいてくださいました。
ひらりと木の上から降りてきた天狗様は、ずいぶんとお爺さんのようです。やさしい匂いがしていました。
「おまえが日柱か。義勇は息災か?」
「義勇さんを知ってるんですかっ!?」
天狗様なら神様である義勇と知り合いでも不思議ではありません。けれども、義勇という名前は、今は炭治郎しか知らないはずです。その名前をはっきりと口にした天狗様に、炭治郎はびっくりしてしまいました。
「義勇だけではないぞ。わしは錆兎や真菰のことも知っておる。あれらはみんな、この山で鍛錬を積んでおったからな」
炭治郎の疑問が口にせずともわかったのでしょう。そう言って天狗様はなおも笑いました。
「義勇さんが鍛錬していたのは、このお山だったんですね! それじゃ、あなたは大天狗の鱗滝さんですか?」
義勇が世話になったという、狭霧山の大天狗様の話を、炭治郎は聞いたことがありました。
先代の水柱様である義勇のお姉さんが災いにおそわれて、眷属の錆兎や真菰とともに亡くなられたとき、義勇はこの山で鱗滝から修行を受けていたそうです。そのことをずっと義勇は悔いていて、大切な家族を守れなかった自分に神の資格はないと思っていたのです。
動物たちを救っても、決してお姿を見せてはくれなかった水柱様。その寂しくて悲しくて、けれどもとってもやさしい匂いは、今ではひたすらにやわらかく甘くやさしく香って、いつも炭治郎をふうわりと包み込んでくれています。
義勇さんには、もっともっと喜んでもらいたいのに、家族をいっぱいあげたいのに。どうして赤ちゃんは俺のところにきてくれないんだろう。
炭治郎がまた悲しい気持ちになってうつむくと、大天狗の鱗滝は、やさしく笑ってポンポンと頭をなでてくれました。
「なぁに、気にすることはない。今ごろ義勇はお館様や柱たちから、たっぷりと説教されていることだろう。義勇が反省したらすぐに子宝にも恵まれるに違いない。おまえはゆったりと気持ちを大きく朗らかにいなさい」
炭治郎は、その言葉にビックリしてしまいました。
突然現れた天狗様に驚いて、少し遠巻きに見ていた禰豆子たちも、目をまん丸くしています。
「な、なんで義勇さんが叱られるんですか!?」
「そりゃあ、おまえがそれだけ赤子を望んでいるというのに、生まれないのなら、義勇が原因に決まっているからな」
こともなげに言い、まったくしょうのない奴だと苦笑する鱗滝に、炭治郎は目を白黒とするばかり。だって赤ちゃんが生まれないのは、炭治郎がもともとは神様ではなかったからだと思っていたのですから。
でも……。
もしも本当に義勇が原因なのだとしたら、それはどうしてなのでしょう。だって義勇は生まれ落ちたそのときから、いずれ水柱の襲名が決められていた立派な神様です。ご伴侶様を迎えて次の水柱を襲名するお子様を得ることを、誰もが望んでいたはずなのです。
「めんどくせぇなぁ! グジグジしてんじゃねぇぞ、勘五郎!! ガキなんか勝手に生まれてくんだろうがっ」
「おまえ誰なんだよそれは。こんだけ長く生きてんのに、どうして名前を覚えらんないんだよ」
フンッと鼻息荒く言う伊之助に、善逸がげんなりと肩を落とします。炭治郎も思わず苦笑してしまいました。
柱様の眷属になって、炭治郎と同じく神様の世界の仲間入りをしたふたりですが、相変わらず伊之助は乱暴者ですし、善逸は女の子に弱くて泣き虫です。でも、そんなちっとも変わらないふたりが、炭治郎は大好きですし、変わらずいてくれることがありがたいなぁとも思っていました。
善造! 違うっ! 念逸! だから誰なんだよっ! と、いつものようにギャアギャアワイワイとさわがしいふたりに、鱗滝が「これはまたにぎやかな奴らだ」と大きな声で笑いだしました。
思わず炭治郎はあわててしまいました。
山の主様である大天狗様の前で、失礼なことをしてしまったぞ。しかも鱗滝さんは、義勇さんのお師匠様なのに!
「お、おいっ。おまえたち、やめないかっ。失礼だろ!」
「そうよ、ちゃんとお行儀よくしなくっちゃ」
禰豆子とふたりで言えば、たちまち善逸はごめんねぇ禰豆子ちゃ~んと、くねくねとしつつもおとなしくなりました。伊之助も、ちょっと不満そうではありますが、天狗の長い鼻をん~? と近づけられて、少し腰が引けてしまったようです。
その様子に、鱗滝はまた愉快そうに笑いました。
「まぁいい。近頃では修行にくるものもなく、寂しいかぎりだったからな。たまにはにぎやかなのもいいだろう」
恐ろしいお顔ですが、鱗滝はとてもやさしい天狗様のようです。炭治郎は禰豆子とそろってホッと胸をなでおろしました。
「炭治郎よ、義勇への土産ならば、わしの作った葡萄葛の酒も持っていくがいい」
エビカズラとは昔々の言葉で、山ブドウのことです。炭治郎はもちろん、禰豆子たちも大好きな山の恵でした。
「酒よりブドウの実をよこせよ」
「伊之助ぇぇぇっ!! おまえ、どうしてそうなのっ!?」
伊之助の両肩をがしりとつかんで、ブンブンとゆらす善逸に、鱗滝はまた大笑いです。
炭治郎と禰豆子は気が気じゃありませんでしたが、どうやら鱗滝は本当に楽しんでいるようでした。
狭霧山はとても澄んだ空気のきれいなお山ですが、ひとりきりでは寂しいことでしょう。
炭治郎は、ふぁさりと尻尾を揺らすと、鱗滝に笑いかけました。
「ありがとうございます! でも、俺がもらってしまったら、鱗滝さんのぶんが減っちゃいますよね。新しいお酒を造るお手伝いをさせてください!」
おや、と、鱗滝は少し驚いたようでした。
「名案だね! 作り方を教えてもらったら、私たちもお酒が造れるようになるね、お兄ちゃん」
パチンと手を叩いて、禰豆子もうれしそうに笑ったので、鱗滝は、うむとやさしくうなずいてくれました。
そうと決まれば、善逸や伊之助も喧嘩をピタリとやめて、ニシシッと笑って腕まくりです。新しいこと、面白いことは、みんなで一緒にするほうが楽しいものです。張り切る炭治郎たちに、鱗滝が言いました。
「では、まずは酒を造るための葡萄葛を集めてもらおうか。赤茶色の葉が木に絡みついているから、すぐにわかるはずだ。だが、葡萄葛は雑木が生い茂る急な斜面や、深い深い谷間に生えているのだ。おまけに、とても高いところにしか実はついておらん。さて、おまえたちに採れるかな?」
みんなは顔を見あわせました。
柱様の眷属となった禰豆子たちや、柱の一員として神様になった炭治郎ですが、みんなまだまだひよっこです。ほかの柱様たちのように不思議な力など、あまり使えないのです。
昔、洋服屋さんである義勇を手伝って、みんなでお遣いをしたときに、義勇から柱様のお力を使える不思議な贈り物をしてもらった炭治郎たちは、今もそれを身につけています。けれども、今度のお遣いに、使えるものなんてあるでしょうか。
「へんっ、それぐらい俺様には楽勝だぜ!」
「あっ! こらっ、伊之助!! 勝手に行くんじゃない!」
「あぁ、もうっ! あの馬鹿、ほんっと考えなしなんだからなぁ!! 禰豆子ちゃん、行こうっ」
「うんっ。鱗滝さん、いってきます!」
ぺこりと鱗滝に頭を下げた禰豆子に気づいて、炭治郎も伊之助を追いかけて走り出した足をあわてて止めると、ぺこんと頭を下げました。
「いってきます! いっぱい採ってきますね!」
そうして、また走り出したみんなを、鱗滝は満足そうに見送っていました。