愛し恋しや夜の唄(お題:45寄り道)

 義勇と暮らすようになってから、炭治郎には以前とは違う習慣がいろいろと増えた。とても他愛なくて、ささやかで、幸せな習慣だ。
 
「買い物はこれでしまいか?」
「んーと、豆腐も買ったし、青菜と……はい。もうとくにないです」
 ひとつの籠をふたりで持って、炭治郎と義勇は毎日一緒に八百屋や魚屋をまわって買い物する。これもふたりの習慣である。
 代書人をしている義勇は勤めに出ているわけではないから、仕事する時間は決まっていない。家で仕事する義勇よりも、よっぽど炭治郎のほうが出歩く日は多かった。弁護士から依頼された書類を届けるのは、炭治郎の役目だ。汽車に乗るのもすっかり慣れた。
 ふたりそろっての外出は、ほとんどが夕暮れ間近だ。買い物かごをふたりで持って、毎日決まって一緒に買い物に出る。
 氷冷蔵庫を買えば、毎日買い物しなくてもよくなるかもしれないが、今のところ購入する予定はない。義勇がお館様から頂いた金は、ほとんどを孤児院に寄付してしまっていたし、炭治郎も、金は禰豆子に残してきた。土産に持ってきた山の幸以外は、ほぼ身一つで義勇の元に押しかけてきた格好である。幸い、生活に追われるような羽目には今のところなってはいない。ありがたい話だ。
 とはいえ、贅沢三昧とは無縁である。冷蔵庫自体も高価だが、毎日氷を買わねばならなくなるのは、懐が心許ない。それに、そんな道具に頼らずとも、ふたりが住まう長屋には今も使われる深井戸がある。冷やしておきたいものは、そこに沈めておけばよい。
 そもそも、翌日に持ち越すほど買いこまなければ済む話だ。だからふたりは毎日買い物に出る。なによりも、ふたりでああでもないこうでもないと献立を考えながらの買い物が減るのは、寂しいかぎりだ。だからきっと、ふたりの住まいに氷冷蔵庫が鎮座する日は来ないに違いない。
 
「今日はこっちの道を行ってみようか」
「そうですね。梅が咲いててきれいですし」
 
 買い物を済ませたふたりは、すぐには帰宅しない。特に目的もなく寄り道するのが常だ。カゴをブラブラと揺らして、子どものように笑いあいながらそぞろ歩く。時間は特に決めてない。大概は、日が沈んで宵闇が辺りを包むころに、ふたりは長屋の小さな部屋に帰ってくる。
 
 以前は、夜は鬼の時間だった。街灯の明かりのささぬ暗がりから、死が忍び寄ってくる時間だった。
 今は、通りに漂う夕餉の匂いに「あっちの家は煮物らしい」「あそこは魚を焼いてますね」などと言いながら、笑って歩く時間だ。取り込み忘れた洗濯物がはためくのに苦笑したり、庭木の見事さを褒めたり、市井に満ちる穏やかで暖かな日常のかけらを拾い集めるようにしながら、宵闇のなかをふたりは歩く。
 寄り道なんて、刀を振るっていたころには考えられない習慣である。
 
 ふたりの日々は淡々と、穏やかに過ぎていく。義勇はこの冬、二四になった。
 
「梅ぇはぁ~咲いぃたぁか~さく~らぁは、まだかいな」
「ずいぶん色めいた歌をえらんだな」
 
 梅の香に誘われ炭治郎が調子っぱずれの端唄を口ずさめば、義勇はクツクツと小さく忍び笑う。
 遊郭で聞き覚えたお座敷唄だ。ところどころ聞きかじっただけだが、なまめかしい唄だとは思えず、炭治郎は思わずキョトリと目をしばたたかせた。
「そうなんですか?」
「なんだ、意味もわからず唄っていたのか」
 苦笑を深めた義勇が、ツイッと顔を寄せてくる。耳に囁きが落ちた。
「浮気を疑われているのかと思った」
「う、浮気!? そんな、義勇さんを疑うなんてこと、するわけないじゃないですか!」
 思いもよらぬ言葉にあわてれば、更に顔を寄せた義勇の唇が、チョンと炭治郎の唇に触れた。
「っ!! ぎ、義勇さん!?」
「声が大きい。近所迷惑になる」
 月明りにもわかるほどに頬を赤く染め、炭治郎は、含み笑う義勇を恥らいつつ睨んだ。
「言ってくださいよ」
「口は使っただろう?」
「……誰かに見られるかもしれないじゃないですか」
「大丈夫だ、夜が隠してくれる」
 
 夜が味方をしてくれる日が来るなんて、刀を手に走り回っていたころには、思いもしなかった。今、夜はふたりにやさしい。
 
「帰ろうか」
「はい。でも、もうちょっとだけ……」
 
 ゆっくりと、のんびり寄り道しつつ帰ろう。ブラブラとカゴを揺らして、足並みをそろえて。ときどき調子っぱずれな唄を歌ったりしつつ、寒風の吹く早春の街をふたりで歩く。
 穏やかに過ぎる日々は、それでも急ぎ足でふたりを急かそうとするから。逆らうように、ゆっくり寄り道しよう。
 家に帰ったら、ふたりで厨に立つ。ふたりきりなら食事は質素だ。夕飯は湯奴に青菜のおひたし。みそ汁は昨日食べた大根の残りを入れようか。そんな他愛ないことを話しながら、寄り道しながら家路につく。
 
 平穏で優しい夜は、長いようで、あっという間に過ぎる。
 人生もまた、残る時間は少ない。それでも。それだからこそ。今日も、明日も、ふたりで寄り道して、ふたりで暮らす家に帰る。
 梅が咲いたら梅の香りに誘われて、桜が咲いたら桜の花びら舞うなかを、夜のやさしい帳に隠されて、ときどきそっと唇をあわせたりしながら。