さよなら、それじゃまた

のっけから閉鎖か!? ってタイトルですがご安心ください、違いますw

本日、『義炭と・・・』シリーズ本編最終話の『本日はお日柄も良く、絶好のお葬式日和で』をノベリストに転載したんですけども、修正するために読み返したもので、ついね(^.^;

義勇さんのお葬式と実弥が亡くなった日のお話なので、死にネタは死にネタなんだけど「絶対にただ悲しい話にはしない!」って意気込んで書いたものだったんですよね。
平和のなかで逝くなら柱の最期はこうあってほしいっていうお話です。

笑顔でね、送ってあげてほしかったの。みんなが笑って暮らせるようにと身も心も削って戦ってきたんだから、涙に暮れて悲しいと送るよりも、ありがとうお疲れ様でしたと笑ってあげてほしい。今生の別れではあっても、永遠の別れではないんだと信じて「それじゃまた」と手を振る最期。それが書きたかったんだよなぁって、読み返しながら思い出しました。

もしかしたら以前にも書いたかもしれないですが、私の死生観の土台って幼いころに読んだ『ガリバー旅行記』なんですよ。馬の国で長老が逝くのをおめでとうと喜ぶ馬たち。それが強く心に残っています。

何度も読み返したからボロボロで表紙も外れて、本自体はとっくにどこにもないんですけど、ガリバーを思い出すときに真っ先に頭に浮かぶのはリリパットでもラピュータでもなく、馬の国なんですよねぇ。

繰り返し読んだわりには細部を覚えてなくって、Wikipediaでチラッと調べてみたら、覚えてるよりも人間への目線が厳しい💦
作者のスウィフトは夏目漱石に「これを真面目に書いたのなら狂人だ」と称されたと言われる論文を著していますが(調べたら『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』っていうめっちゃ長いタイトルでしたわ💦 狂人の戯言というよりも強烈すぎる貴族社会への風刺です。カニバリズムって言葉に不安を覚える人は読まないほうが吉)、『ガリバー旅行記』もじつは児童文学というよりも徹底的な風刺文学なんです。とくに厭世観、人間批判が顕著なのが馬の国『フウイヌム』でした。実際には馬ではなく馬の姿をした高度な知性を持つ種族ではあるんですけどね。

カースト制度が徹底してたりして、フウイヌムだって平等を良しとする観点からすれば眉をひそめる国かもしれないですが、死とは現世の苦痛からすべて解き放たれ神の国に迎えられる喜ばしいもの、という死生観は、いまだに私の心に根強く息づいている気がします。ていうか、そこがあんまり鮮烈だったからこそ、細部までは記憶に残らなかったのかも💦

で、この死生観に通じる私の土台がもう一つ。
『うしおととら(藤田和日郎)』で妖怪が「満足のいく死とはなんだ」とヒロインの一人である真由子に尋ねるシーンがあるんですが、その答えもまた、今も私にとって座右の銘となってます。

「泥なんてなんだい」

自分が泥まみれになろうと、誰かのために。気負わず、恩着せがましくもなく、ただ自分がそうしたいから泥にもまみれる。死を笑って受け入れる。そんな生き方ができてこそ、フウイヌムたちの死への喜びが理解できるのかもしれません。
鬼滅ファンならこれ、わかってくれるんじゃないかな。炭治郎も義勇さんも、煉獄さんたちも。鬼殺隊のみんなは「泥なんてなんだい」を地で行くキャラですもんね。

この死生観を持つからこそ、たとえ萌え重視な二次創作だろうと誰おまにならないようにと、意固地になっちゃうのかもしれないです。
原作軸はもちろんのこと現パロであっても「誰かのために、みんなのために」と強く心を燃やせる彼らであってほしいんですよ。最期に笑える、笑って見送ってもらえる人であってほしい。そんな土台だけは絶対に崩しちゃ駄目だってかたくなになっちゃう。
厄介だし面倒くさいのは自覚してるんですけど、ここを無視すると後悔しそうで駄目だぁ💦

……こういう話するのは高尚様wって嗤われる元だから、あんまりしないほうがいいんでしょうけれど、ブログだからいいよね?💦

って、こんなふうに予防線張ってるうちは、まだまだ「泥なんてなんだい」の境地にはなれそうにないですね(^.^;

『本日はお日柄も良く~』に関していえば、これらの死生観はもちろん、私が書きたいと願うものを如実に示せたお話ではあったと思います。幸せの中でも少しの悲しさがあり、悲嘆の中にもかすかな喜びがある。とくに後者は忘れないように。それを強く念じながら書いて、そこそこ願い通りになったかなっていうお話です。

視界は広く視点は多く思考は柔軟にというのが、執筆の際に必ず念頭に置いている指針なんですけども、なかでも「視点は多く」を重視してる気がしますね。
一人称だの三人称といった文体の話ではなく、キャラの心情としてですが、同じものを見ているシーンでもそれぞれの心にあるものは同一ではないかもというのを、忘れないように。どうしてもキャラの視点ではなく作者視点でものを考えてしまいがちですから、「このシーンの視点はあくまでも私ではなく義勇さんだ、義勇さんの見方で書かねば!」って思ってはいるんですよ……。でも、どうしても自分の視点、自分の思考が強く出てしまうことは多いです。
その点で、『本日はお日柄も良く~』はキャラ解釈と自分の思想がうまく合致してくれたんじゃないかな、と。

あ、義炭ですからね? 善ねずも出てるよ! なので、ほかカプ好きさんや苦手な方は無理して読まなくて大丈夫ですからね?💦

あぁ、これも視点の話ですね。私はどうしても雑食な視点で語っちゃうけど、固定の方の視点を無視しないよう気をつけねばな。
てことで、初心を忘れずに……だらけてないでサッサと執筆作業に戻れや、私。