午後7時のルイスリンプ 5

 高速を降りてしばらく行くと、品川プリンスホテルのタワー群が見えてきた。今日の目的地であるマクセルアクアパークはその合間にある。
 品川駅から徒歩二分という立地は電車で来るほうが楽だったかもしれないが、車中の会話を思えば車でよかったとも義勇は考えた。真菰のアドバイスではなく義勇自身の判断だったが、間違ってなかったようだ。
 ドラマや映画にもなるぐらいのベストセラーには程遠いから、真滝勇兎を知っている人などそれほど多くはない。それでも、義勇が作家であることは、炭治郎の話ですぐにわかってしまうだろう。変な注目を浴びてはかなわない。
 炭治郎は、あれがプリンスホテルだと教えてやってから、ようやくデートだと思い出したらしい。ファンの顔から、初めてのデートにとまどいつつもワクワクとする、恋人の顔へと変わったような気がする。

 入館料を義勇が支払ったときには少しもめたが、その辺は義勇も織り込み済みだ。デートなんだから彼氏に払わせろと、内緒話でもするかのようにささやいてやれば、炭治郎は火がついたように赤くなりそれ以上反論はしなかった。
 謙虚なのは炭治郎の美点のひとつなのかもしれないが、あまり意固地に断られると寂しいものがある。まだ甘えられるほどには頼ってはもらえないのだと思うと、炭治郎のなかで自分の立ち位置は、いまだ片恋の相手でしかないのではないのかとすら思えてくるのだ。
 もっと素直に炭治郎が甘えてくれるよう、今日は全面的に彼氏としてふるまうべきだろう。恋愛偏差値落第生としては少々ハードルが高いが、今後のことを考えれば義勇も張り切らざるを得ない。

 入館し、いよいよ入場ゲートを通り抜ければ、炭治郎は罪悪感や不服を忘れたが、パアッと瞳を輝かせた。
「うわぁ、遠足で行ったのと全然違う」
 声を弾ませる炭治郎は、満面の笑みだ。常よりもあどけなく見える笑みがすこぶるかわいい。
 エントランスで出迎えてくれる水槽は光や映像が投射され、優雅に泳ぐ魚たちの鱗が、虹のようにキラキラと光っている。館内で迷わぬようにと昨日下見に来たときには、ろくに見ることもなくひたすら場所を頭に叩き込むのに必死になっていたが、確かにこれは真菰が推すだけはある。
「きれいですねっ」
「そうだな」
 キラキラと目を輝かせて魅入る炭治郎の横顔が、青く染まっている。義勇にとって炭治郎のイメージカラーは赤だ。赤みがかった髪や、赫灼の瞳の印象が強いからだろう。義勇さんのイメージは青と以前言われたのを、ふと義勇は思い出した。
 炭治郎を染め抜いている青い光。義勇の色。まるで炭治郎のすべてを自分が包み込んでいるようにも思えて、義勇の鼓動がせわしなく音を立てた。
 いつまでも見ていたい気もするが、まだウェルカムスペースだ。ここで時間を取られては全部回りきれなくなる。
「行こう。なかには遊園地みたいな乗り物も少しあるし、楽しめると思う」
「水族館のなかに!? 俺、遊園地も遠足でしか行ったことないです」
 ますます明るさを増した笑みも束の間、ふと、炭治郎の顔にかすかな陰りが落ちた。
 どうしたんだろう。わずかに不安が頭をもたげたが、すぐに、あぁそうかと合点がいった。
「――今度は禰豆子たちも誘おう」
「え? あ、いえっ、そんな、気にしないでください」
「俺も禰豆子たちがかわいい。親戚のおじさんに甘えるようなもんだと思っておけ」
 それならかまわないだろう? と言えば、ポカンとした炭治郎は、すぐに破顔し、おかしそうにククッと笑い声を立てた。
「こんなきれいで若いのに、義勇さんをおじさんなんて思えませんよ」
 きれいかどうかはともかく、まだ二一の若造がおじさんは確かにないかと、義勇はわずかに苦笑する。
「なら、お兄さんで」
 あながち間違ってはいないはずだ。何年か先にも炭治郎の隣にいるのが自分なら、義勇は立場的には禰豆子たちにとって義兄と変わらない。炭治郎もそれに思い至ったのだろう。青い光のなかではわかりにくいが、恥ずかしそうに小さな声ではいと答えてうつむいた顔は、きっと赤く染まっている。
 デートなのだと、炭治郎の恥じらいに改めて義勇は意識した。なんだか自分まで照れくさくなってくる。
「行くぞ」
 照れ隠しにぶっきらぼうな声で言い、義勇が先に立って進めば、炭治郎もはにかみながらついてきた。
 紛うことなくデートではあるけれど、恋人らしく手を繋ぐことはできない。男同士だ。自分はともかく、炭治郎を下世話な好奇心や偏見の目に晒すことなど、できるはずがない。それでも、これはデートで、自分たちは互いに想いあっている恋人同士なのだ。
 義勇の胸は温かく甘い感慨に満たされた。
 そのずっと奥に、小さな棘が刺さりでもしたように、チリッとした痛みが一瞬よぎる。ベーカリーの前でも感じたその痛みには気づかぬふりで、義勇は足を進めた。
 今はただ炭治郎に笑っていてもらうことだけ考えよう。それだけを強く心に刻む。

 緩やかなスロープを下ると、揺れる巨大な船型の遊具が目に飛び込んできた。乗客のはしゃぐ声が館内に響いて、水族館という雰囲気はない。
 昨日も思ったが、水族館に遊園地のような乗り物を設置する意味が、義勇にはさっぱりわからない。だが楽しげな歓声を聞くかぎり、喜んでいる人のほうが大多数なのだろう。
「わ、すごい! でもなんで水族館にパイレーツ?」
 炭治郎の感想もまずそこだった。安心すると同時に、なんだか笑いたくなってくる。炭治郎とは年も違えば共通する趣味もたぶんない。だからだろうか。こんな些細なことでも、同じだと思うとなんともうれしい。
 これくらいで幸せになれるのだから、我ながら安上がりな男だと、義勇は、面映ゆさのにじむ苦笑を浮かべた。
「乗るか? 苦手ならメリーゴーラウンドもあったはずだ」
「そんなもんまであるんですか!?」
「回っているのは木馬じゃなくてイルカだのタツノオトシゴだのだが」
「そっか、水族館だから海の生き物なんですね。でもやっぱり意味わかんないな。あ! あのっ、文句があるわけじゃなくてっ」
 不平をもらしたと思われたくないのだろう。あわてて弁明する炭治郎は、身振り手振りまで交えて必死だ。

 文句を言われたなんて、俺はちっとも思っちゃいないのに。

 こらえきれず小さく吹き出した義勇に、炭治郎がピタリと止まった。
「気にするな。俺もまったく同じことを思った」
「そ、そうなんですか?」
 笑いながらうなずいてやれば、どこか落ち着かない様子でキョロキョロと視線をさまよわせる。
「どうした?」
「や、あの……そんなふうに笑うの、あんまり見ないから……」
 モジモジと指先をこすり合わせながら言う。袖から覗くのは指先だけというのは、思ったよりも視覚的にクルなと、なんとなく義勇も目をそらせたくなった。愛らしすぎて抱き寄せてしまいそうだ。
「なら、笑わないほうがいいか?」
「えっ!! や、ちがっ」
「冗談だ。本気にするな」
 いじめるつもりはなかったが、炭治郎があんまりショックだと言わんばかりの顔をするものだから、義勇もつい慌ててしまう。本音を言えば、炭治郎が困るのなら笑わぬようにしようかと本気で思ったのだけれども、それは言わぬが花だろう。
 よかったと心底ホッとした様子で笑う炭治郎に、それはこっちの台詞だとちらりと思う。
「じゃあ、あの、行きましょうか」
「おまえが先を歩いても、順路がわからないだろ?」
 ごまかすように言って歩き出す炭治郎の頭を、こつりと軽くたたいて、義勇は薄く笑んでみせた。
「う……っ。ず、ズルくないですか、義勇さん」
「なにが?」
「だって、そんないっぱい笑われたら心臓持たな……やっ、うれしいんですけど! めちゃくちゃきれいで格好良くて眩しいぐらいなんですけどっ!」
 笑顔を封印されてはたまらないとばかりに早口でまくし立てるのに、スンッと義勇の顔から笑みが消える。なんなら少し頬は引きつっていたかもしれない。
「え、なんで!? 笑ったら嫌だなんて言ってないじゃないですかぁ!」
 公衆の面前でいきなり褒め倒されて、それならと笑顔の大盤振る舞いができるメンタルなら、デートひとつにこれほど振り回されたりしてない。とは、さすがに言えず。
「声が大きい」
 ぼそっと呟いた瞬間、条件反射か炭治郎は両手で口を覆った。
 恐る恐る見上げてくる顔は、半分隠れていても百面相してるのがよくわかる。
「ほら、水槽見るんだろう? 早くしないとイルカのショーに間に合わなくなるぞ」
「ショー!? 建物のなかでイルカがショーするんですか!?」
「見たいか?」
「はいっ! 俺、テレビでしか見たことないです!」
「匂いが大丈夫なら、カピバラにも逢えるらしい。ペンギンの餌やり体験もできるそうだし、イルカほど本格的じゃないが、カワウソやオットセイのショーもあると聞いてる」
 喜ぶ顔がうれしくていつになく饒舌になった義勇に、炭治郎が何気ない声で聞いてきた。
「取材のときって実際に見たりはしないんですか?」
 言われて自分の言葉を反芻すれば、確かに伝聞ばかりで、義勇が見たわけじゃないのが丸分かりだ。
「時間がなかったから……」
 嘘じゃない。半分は。
 取材のために来たわけじゃなく、炭治郎の前で格好つけたくて下見に来ただけだった義勇には、ショーを見るような時間はてんでなかった。入館するときだって、チケット売り場のスタッフに二日続けてきていることに気づかれたら気まずいな、などとちょっと不安だったりしたのだ。一々客の顔なんて覚えちゃいないだろうとは思うけれども。
「作家さんって大変なんですね。お家でも義勇さんすごく真剣にお仕事してるし、だからあんなに素敵な小説を読ませてもらえるんだなぁ」
 またぞろうっとりと目を細める炭治郎は、どこか夢見がちな表情だ。真滝勇兎は義勇自身ではあるけれども、これほどまでに真滝のことばかり褒められると、なんとなく面白くない。
 炭治郎に褒められるのはうれしいけれど、恋人というよりも熱狂的なファンと変わらなく思えてくる。これではまるで、デートじゃなくてサイン会かなにかのようではないか。
 だからといって、先ほどのようにきれいだの格好いいだのとまくし立てられても、それはそれで困るのだけれども。
「立ち止まってたら邪魔になる」
「あ、そうですね。へへ、イルカもカワウソもすっごく楽しみです! カピバラも見に行きましょうね!」
 笑う炭治郎の顔にはもう、家族への罪悪感も、デートに対する緊張感も見えない。幸せそうにたわんだ目がうれしくて、手を繋ぎたいとまた思う。グッと拳を握ってこらえ、義勇は炭治郎の隣に並んだ。
「全部見て回るか」
「はい!」
 こんなふうに笑っていてほしいから、義勇は拳を握る。胸の奥の小さな棘が、また少し痛んだ。

 今どきの水族館というのは、本当にデートスポットとしても人気らしい。周囲の客は、昔同様に家族連れや友人グループも多いが、明らかにカップルだとわかるふたり連れがやたらといる。

『たかが水族館なんて思ってるでしょ? 今の水族館はね、すっごくオシャレなんだよぉ。魚を見るだけの場所じゃないの。映像とかライティングに凝ってるとこなんかは、とってもロマンティックなんだから』

 プロフェッサー真菰のおっしゃる通り。まさしくロマンティックを売りにしてるとしか思えないような光と映像の演出は美しく、気ままに泳ぐ魚やクラゲと相まって、実に幻想的な水槽が多い。見ているだけでもムードが高まるのだろう。きれいとはしゃぎながら寄り添うカップルの多いのなんの。
 義勇はもちろん、炭治郎も美しい演出には感嘆のため息を漏らしていたが、それでも、女性が好みそうなロマンティックさよりも、少年らしい男のロマンに心惹かれるようだ。大きなエイたちが泳ぐトンネル状の水槽での歓声が一番大きかった。頭上を悠々と泳ぐエイたちを見上げるのは、義勇にとっても心躍る体験だったから、気持ちはわかる
「ここで結婚式を挙げることもできるらしい」
「ここで? マンタたちに誓うのかな?」
 目をぱちくりとさせるその顔を見るかぎり、まだまだ炭治郎はロマンティックとは縁遠いようだ。その幼さが愛おしくもありもどかしくもある。
「誓われてもエイたちも迷惑だろうな」
「絶対に困っちゃいますよね」
 思わず声をあげて笑いあったのは、周りには少し迷惑だったのかもしれない。声は控えたとはいえ、いきなりの笑い声に驚いたのか、近くにいたカップルがじっとこちらを見ていた。男のほうは憮然として義勇をにらみつけてさえいる。ムードをぶち壊されたとでも思っているのだろうか。
 女性のほうも男を宥めてはいるものの、チラチラと義勇たちを見る目には、不快感よりも好奇心のほうが強く表れている気がする。
 炭治郎もカップルの様子に気づいたのだろう。困ったように笑みを消し、まなざしだけで義勇を仰ぎ見てきた。
「そろそろイルカのショーの時間だ」
 行こうと促せば、赫い瞳にわずかな安堵がにじむ。カップルの男はまだ義勇をにらんでいる。足早に立ち去る義勇たちの背後で、聞こえよがしな舌打ちが聞えた。

 そこまでうるさくしたとも思えないが、もしかしたら、ここで結婚式を挙げる予定でもあったんだろうか。馬鹿にされたとでも思ったのかもしれない。

 悪いことをしたなと思いながらも、気に病むほどのことではないだろうと義勇は結論づけた。気をつけようと肝に銘じはするが、今日は万事炭治郎優先だ。
 ショー楽しみだなと言ってやると、炭治郎も気を取り直したようだ。円形のスタジアムに入った途端に、興奮が抑えきれなくなったのか体をピョンピョンと飛ぶように揺すり、ここでイルカが跳ぶんだ、すごいなぁと、目をキラキラさせている。
 うれしそうな炭治郎を見ているだけで、義勇も忘れかけていた童心がよみがえってくる。なにより、はしゃぐ炭治郎は天使かと言いたくなるほどかわいくて、それだけで義勇の胸も弾む。
 ショーが始まればなおさらだ。あいにくと迫力ある前列の座席はとれなかったが、前に座っている客はけっこう水をかぶっていたようだから、案外いい席だったかもしれない。曲に合わせて豪快にジャンプするイルカたちに、すごい、賢いと、大興奮で手を叩いて喜ぶ炭治郎は、実に愛らしい。水槽を見て回っているときもそうだったが、気がつくと義勇の視線は、魚たちよりも炭治郎へと向いてしまう。
 水槽を眺める炭治郎の横顔は幻想的な光に照らされ、子どものようにあどけないくせにどこか艶やかで、思わず見惚れた。イルカたちの演技に顔いっぱいに笑みを浮かべている今は、瑞々しい若葉のきらめきにも似て、愛おしさがこみ上げる。

 こんなふうにずっと笑っていられるようにしてやらなければ。

 義勇は、はしゃぐ炭治郎の横顔に、わずかの陰りもないのを認め、少し胸を撫でおろした。
 魚たちを見てまわるあいだ、炭治郎はときどき、不安そうに瞳を曇らせていた。そんなときは、決まってほかの客の視線がこちらを向いていたように思う。
 義勇とつきあう以上、ジロジロと好奇や差別の目で見られることは少なからずあるだろう。炭治郎はきっと、一度たりとそんな視線にさらされたことなどないはずだ。
 炭治郎の想いを受けとめ、自分の恋心を伝えたことを、義勇は後悔などしていない。炭治郎にも後悔してほしくはなかった。それでも、幸せなだけではいられなくなるときはくるのだろう。
「うわぁ! 義勇さん、見ましたっ? 今のジャンプすっごく高かったですね!」
 沈みかけた義勇の意識が、明るい炭治郎の声で引き戻された。
「……あぁ」
「水族館ってこんなに楽しかったんですね。義勇さん、連れてきてくれてありがとうございます!」
 腹蔵のない笑みで言い、炭治郎は、禰豆子たちも来たら喜ぶだろうなぁとどこか遠い目をする。こういうとき、赫くまあるい瞳には、義勇は映っていない。家族を想い責任を負う長男の顔を炭治郎はする。
 寂しい、なんて。決して言ってはいけないことだとわかっているから、義勇はわずかなやるせなさを飲みこんだ。腹に溜まって澱んでいく切なさを浚う術はもうない。飼いならすしかないのだろうなと、責任ある長男の顔といじらしい子どもの顔を併せ持つ炭治郎の横顔を見つめながら、義勇はぼんやりと思った。

 一通り館内を見て回りイルカのショーが終われば、時刻はもう昼を過ぎている。このまま館内で食べてもいいし、ホテルのレストランに行ってもいいのだが、なにしろ炭治郎は高校生だ。ランチタイムということで、ホテル内だろうと厳しいドレスコードはないよせよ、慣れない場所では緊張するだろう。
「今度はどこに行くんですか?」
 水族館を出て車に乗り込むと、炭治郎が目に見えてワクワクと聞いてくる。朝の緊張感はすっかり消えて、期待のハードルばかりが上がっているようだ。
「あそこでは乗らなかったが、遊園地もあまり行ったことないんだろう? ゲームセンターに近いが乗れるアトラクションもある場所がある」
「あ、もしかしてお台場ですか?」
 おや、と義勇の眉がかすかに上がる。
「行ったことあるのか?」
「いえ、俺は一度もないです。前に竹雄が友達に誘われて行ったことがあって。そのときは遊園地よりもテレビ局に興奮したみたいでしたけど」
 タレントに逢えたわけでもないのに、非日常的な場所に思えてすごくワクワクしたらしいと、炭治郎は苦笑する。
「おまえは? テレビ局のほうがいいならそっちにするが」
 別にどうしても遊園地でなければいけないというわけじゃない。炭治郎が喜ぶのなら義勇はどこでもいいのだ。

『お台場だったら品川からも近いし、遊園地でもショッピングでも楽しめるでしょ? なんなら海浜公園で散歩っていうのも楽しいと思うよぉ。ウィンドウショッピングして、服の好みとかを探るって手もあるよねっ。駐車場も多いし、お昼ご飯はファーストフードでもいいんじゃないかな。義勇の話を聞くかぎりじゃ、全部奢りはかえって委縮しちゃいそうな感じの子だしね。いい? そういう子にやたらと貢ごうとしたら駄目だからね? 生真面目な子なら、意地になっちゃうかもしれないから。喧嘩なんてしたくないでしょ?』

 まったくもって至れり尽くせりで、しばらく真菰には頭が上がらないなと、義勇は胸のうちだけで苦笑した。
「んー、義勇さんと一緒なら俺はどこでも楽しいですけど、禰豆子たちにお土産買えるとこがいいです」
 水族館のショップでは、禰豆子や花子が大喜びしそうと興奮しながらも、ぬいぐるみを買うのはあきらめていたから、もう少し手頃な値段の土産が欲しいのだろう。炭治郎自身もモチモチとした肌触りのイルカのぬいぐるみを気に入ったようだったが、それなりに値が張るせいか買いはしなかった。青いイルカはともかく、赤いイルカはなんだかシュールだなと義勇は思ったけれども、青いイルカを抱っこする炭治郎は、とんでもなくかわいくて。買ってやろうか? という言葉を飲み込むのに苦労した。
「義勇さんが買ってくれたイルカのクッキーだけでもいいんですけど、やっぱり俺もなんかあげたいなって」
 俺の土産は下心込みだとは、さすがに言えない。家族の好感度を上げておきたいという打算が見える貢ぎ物だ。本当なら全員にそろいのグッズを買ってもよかったけれど、クッキー一箱でさえ恐縮しまくり、散々ごねられた。ぬいぐるみを買おうとしていたのなら、雰囲気は最悪になっていたかもしれない。あらかじめ真菰から釘を刺されていてよかったと、義勇は胸を撫でおろした。
 というか、義勇の話だけでそこまで読む真菰が、ちょっと空恐ろしくもなる。きっと錆兎は一生尻に敷かれるんだろうなと、義勇はちょっぴり遠い目をした。
「それならウィンドウショッピングでもするか」
「義勇さんは見て回るだけでもいいんですか?」
「おまえが楽しければなんでも楽しい」
 掛け値なしの本音は、気負いなくするりと義勇の口をついた。真菰と錆兎のことを考えていて、少し気が逸れていたからというのもあるだろう。だが、炭治郎との会話に集中していたとしても、答えは同じだ。
 うっ、と言葉に詰まって赤面した炭治郎は、それでも幸せそうに笑い、同じですねとはにかんだ。
 一緒ならどこでも楽しい。確かに同じだなと、義勇も唇に笑みを刻む。
「そうだな」
 最初は不安と戸惑いばかりだったが、やっぱりデートしてよかった。禰豆子たちにも真菰にも感謝しなければ。気持ち的にはクッキー一箱ぐらいじゃ申しわけないぐらいだ。
「そのまえに昼にしよう。ハンバーガーでいいか?」
「はい! あ、あの、今度はちゃんと自分の分払いますから!」
 キッパリと鼻息荒く言いきった炭治郎に、義勇の笑みが苦笑に変わる。
「わかった」
 うなずいてやれば炭治郎は満足げに微笑んだ。
 真菰への土産は張り込んだほうがいいかもしれない。いたずらな猫のようにニンマリと笑う真菰の顔を思い浮かべて、義勇は苦笑を深めた。