落花流水

お題:私は今、幸せなんだよ(アンケートにお答えくださった方、ありがとうございました)※原作軸 ラストは転生後 800字2/7分。

 煉獄にとって、初めて逢ったときの彼の印象は薄かった。
 そもそも初対面時は、逢ったなどといえるようなものでもない。印象というのなら、襲いかかってきた風柱のほうがよほど記憶に残った。
 煉獄が正式に炎柱を襲名したときにも、ほかの柱たちと違って歓迎の意を述べてくれるわけでもなく、表情ひとつ動かさないのは彼――水柱、冨岡義勇だけだったのだ。
 けれども、柱合会議で顔をあわせるばかりでなく、ときに共闘し任務にあたることがつづけば、それなりに冨岡の為人ひととなりも知れてくる。不死川はお高くとまっていけ好かない奴だと、毛嫌いする様子を隠しもしないが、煉獄はそうは思わない。
 冨岡は凪いだ水面のように静かな男だが、柱にまでなる者が心に燃える炎を持たぬわけがないのだ。たとえ日頃は覇気どころか生気すら乏しく見えても、彼の剣技は美しい。闘気までもが静謐で、青い炎を思わせる。
 水柱である冨岡は、もちろん水を模した呼吸を使い、自らも水のように捉えどころのない男であるのに、なぜだろう。不思議なものだと思いはしたが、その印象は煉獄の胸を高ぶらせた。
 鬼殺隊において、水と炎はまるで一対のように、どんな時代にも同時に存在する。そんな水柱である冨岡は、水のように静かに清廉で、灼熱の炎を胸に秘めているように見えた。ぼそぼそと聞き取りにくい小声だったり、挨拶すら積極的に交わそうとはしないつきあいの悪さなど、直すべきだと思われる点もあるが、尊敬に値する柱であるのに違いはない。
 是非とも親交を深めたいと、煉獄は、冨岡の姿を見かけるたび声をかけてはいるが、今ひとつ実りはないのが現状だ。


 今日の任務は冨岡とふたりでの任務だった。下弦の鬼ほどの力もない代わりに、やたらと増殖する厄介な術持ちであったが、討伐にさほど時間はかからなかった。
「夜明けを待たずに終わったな!」
 刀を鞘に納め声をかけるが、やはり冨岡の返事はない。もはや慣れっこの反応のなさに、煉獄は気落ちせず快活に笑って冨岡の肩を軽く叩いた。
「やはり冨岡の剣は美しいな! 水のようによどみなく優美だ」
 冨岡は煉獄の手を避けるでもなく、かといって礼や謙遜を述べるでもない。わずかに視線が煉獄の瞳をとらえただけだった。
「ん? 冨岡、もしかして縮んだか?」
 柱襲名の折に、初めて間近に並び立ったときには、冨岡の目は煉獄よりわずかながら上にあったはずだ。けれども今は差がなく見える。
「縮まない」
「おぉ、俺が伸びたのか! 冨岡、どうやら俺は君の背に追いついたようだ!」
 なんだかうれしくなって大きく笑って言えば、冨岡が初めて表情を動かした。眉間にしわを寄せ、小さく口を開いたその顔は、心外の二文字がありありと書かれている気がする。
「俺のほうが大きい」
 常と同じ小声ながらも、きっぱりと言い返す冨岡は、存外子どもっぽい。なんとはなしふてくされてすら見える。
「では背比べしてみようじゃないか! どれ、その木に互いの背を刻んでみよう!」
 言って近くの木に近づこうとした煉獄の腕を、冨岡の手がそっとつかんだ。ドキリと鼓動が跳ねて、内心かすかにうろたえつつ煉獄がどうしたと問えば、冨岡は小さく首を振った。
「桜だ」
 呟きによくよく見れば、確かに煉獄が示した木は桜のようだった。
「あぁ、桜では傷をつけるのはかわいそうだな」
 桜の木は折ったり傷をつけたりすれば、そこから腐る。それを危惧したのだろう。
「君はやさしい男だな、冨岡」
 微笑んだ煉獄に、冨岡は無言で視線をそらせただけだった。


 
 なぜ、そんなことを思い出したのだろう。
 身も世もなく泣く新米隊士を見つめ、煉獄は心の片隅で思う。冨岡が自身の命を賭けて信じると決めた少年。まっすぐな気性と意志の強さに、煉獄は知らず微笑んだ。
 
 冨岡、君は正しかった。この少年と妹ならば大丈夫だ。
 
 柱として為すべきことは為した。心残りがあるとすれば、冨岡の笑顔を見られず逝くことだろうか。
 凛と伸びた背筋と、静謐で端麗な瞳が、母に似ている。そう、一度だけでも伝えたかった。そして、あぁ、そうだ。
 煉獄の唇が、弧を描いたままかすかに動いた。
 
 どう見ても俺のほうが大きくなったぞと、笑って肩を抱いたら、冨岡はどんな顔をしただろうか。
 
 見てみたかったな。ただそれだけが、残念だ。
 微笑んだまま、煉獄は静かに息を引き取った。

 煉獄桃寿郎がその少年と逢ったのは、桜の舞う季節だった。
 出逢いは決して特異なものではなかった。曲がり角でぶつかるなんていうのは、凡百の出逢いのなかでも、いささかベタな出逢い方だろう。
 けれど、ランドセルを背負ったその少年が、煉獄の腹に勢いよくぶつけた顔をあげたとき、煉獄の心臓は一瞬鼓動を止めた。それほどの衝撃が、背を刺し貫いたのだ。
「ご、ごめんなさい」
 あわてて謝った少年が、大きく目を見開くのを煉獄は言葉もなく見ていた。
「あの、どこか怪我しちゃいましたか? 痛いの?」
 動揺が露わな少年の声に、煉獄は、ひとつまばたいた。その拍子に、ポロリと涙がこぼれて落ちる。そこでようやく煉獄は、自分が泣いていることに気づいた。
「うむ? なぜ俺は泣いてるのだろう」
 涙の理由は煉獄にもわからない。だが無性に胸が騒いで、痛くて、なのに叫びだしたいほどの歓喜がわいてくる。
「わかんないの? 変なの」
 くふっと、いかにもおかしそうに少年が笑う。その笑みに、煉獄の瞳はますます涙を落とした。
「お兄ちゃん、本当に大丈夫? 痛くないなら、なにか悲しいの?」
 泣きやまぬ煉獄に、少年が笑みを消して心配げに聞いてくる。
 なぜだか「やっぱりやさしいんだな」と、不意に思った理由は、煉獄にも知れない。けれども、ひとつだけ確かなことがある。


 ひらりと舞った花びらがひとひら、少年の頭に落ちた。それをそっとつまみとってやりながら、煉獄はわき上がる喜びのままに、泣きながら破顔した。
 
「いや、俺は今、きっと世界中の誰よりも幸せだ!」