さて、お盆休みには義勇の祖父の家に行くと決まったのはいいが、すぐに了承してくれた母はともあれ、父の了承を受けぬうちに決定というわけにもいくまい。興奮の波がいくらか引けば、さすがにあの態度はいかがなものかと杏寿郎も反省した。
浮かれ切っていた一夜が明け、道場に向かった杏寿郎が見た父の顔は、いつもより少々しかめっ面だ。おはようございますと声をかけても、じとっとにらまれるだけとなれば、杏寿郎とてこれはいかんと思いもする。
煉獄家は旧家なので、親族も多い。そのためお盆の辺りは連日のように来客があるのが常だ。跡取り息子である杏寿郎も、毎年、夏や年末年始は親族への挨拶をさせられる。お盆といえばもてなしで大忙しの母を手伝い、てんやわんやにもなるあわただしい時期なのだ。自由研究のために一日空けるかもしれないとは告げてあったが、まさか外泊することになるとは杏寿郎だって思ってもみなかった展開だ。
父だって同様だっただろうが、そんな忙しい時期に杏寿郎が外泊すると告げても、意外なことに反対はしなかった。
本家だからと言ってやたら持ち上げられたりなんだりは、父も辟易しているのだろう。元来子煩悩で愛妻家の父である。本来なら整体院も休みで家族サービスに勤しみたいところを、来客が多くて杏寿郎たちをかまうどころではないのを、毎年気にしていた。そんな父にしてみれば、勝手な行動はまかりならんなど、端から言うつもりはなかったらしい。
ご先祖様をお迎えしお送りするのはきちんと果たしたのだから、まぁ好きにすればいい。そんなスタンスであるのは確かなのだけれども、ちょっとばかりしかつめらしい顔をしたのは大方「杏寿郎ばかり義勇くんと遊ぶのはズルくないか?」という子どもじみた不満ゆえだろう。……と、母が笑っていた。
あと、不可抗力とはいえ杏寿郎にいきなり殴られたことに対する、意趣返しの趣もなくはない。と、杏寿郎は思っている。
稽古後に一時間ばかり道場に正座し、最近のおまえは落ち着きが足りないだの、千寿郎の命の恩人のご実家に行くからにはうんぬんと、お説教とも教えともつかぬことを懇々と杏寿郎に言い聞かせた父は、最後には「楽しんでこい」と笑ってくれた。これでおあいこ。突然の暴力――杏寿郎にそんなつもりはなかったけれども――は、不問に付してやろうというところだろう。
正座し慣れている杏寿郎には、特に苦でもない。父の教えはなんだかんだ言っても思い遣りだとも思っている。だから杏寿郎も、鱗滝家にご迷惑をかけぬよう肝に銘じますと粛々と頭を下げた。
母は最初からウキウキと、手土産はなにがいいかしらと楽しそうに悩んでいた。気にしないでくれと錆兎は言っていたけれども、こればかりは形式美というやつだ。礼儀でもある。大人にとってはお世話になりますの一言で済ませていいものでもないのだろう。
錆兎に言わせれば大人は面倒だなと苦笑するところだろうが、いずれは自分たちもそんな大人の仲間入りをする。そのときに礼を欠いていらぬ恥をかかないよう、大人の事情を酌む余裕を持つのも大事なことかもしれない。
大人になったとき。ふと杏寿郎は考える。
そのとき自分の傍らに義勇はいてくれるだろうか。高校までは同じ学校だ。でも、その先は? 大学、社会人と、人生はつづいていく。自分も義勇も大人になる。
大人になったら、自分はどうなっているのだろう。なにをしているだろう。考えてみても、大人になった自分はうまく想像できなかった。
それでも。
義勇が隣にいればいい。自分の隣で花のように笑っていてほしい。
そのためには、杏寿郎自身がもっと大きな男にならなければならないのだ。義勇がいつでも安心して笑っていられるような、泰然自若として義勇を支え守れる男に。
なにをしていようと、どこにいようと、それだけは間違いなく果たさねばならない杏寿郎の人生目標だ。
ともあれ、直近の目標は鱗滝家の人達にご迷惑をかけないことである。そして、義勇ともっともっと仲良くなる。できれば、ずっと心から消えない疑問も答えが見つかるといいのだけれど。杏寿郎はこぼれそうになったため息を、グッと飲み込んだ。
ゆっくり一歩ずつだ。杏寿郎は自分に言い聞かせる。
焦ったところで答えは出ないのは、もうわかっている。というよりも、急いで答えをつかみとるのは、なんだか怖いような気もした。
義勇への気持ちは友達への大好きなのか、家族への大好きと同じものなのか。それとも……。
自分の気持ちがなんであれ、義勇を傷つけたり悲しませたりはしたくない。大好きの気持ちだけは、けっして変わることがないのだから。
小さなモヤモヤを抱えたままではあるけれども、決意は固く、はたして杏寿郎のお盆の予定はめでたく決まった。ついでに、約束通りにやってきた義勇と一緒に、今度こそ標本箱も作り上げた。
義勇の祖父の家に行くときの相談もしなければならないからと、一心不乱に作業したおかげか標本箱づくりはサクサクと進んで、前回分の石はすべて標本にできた。海岸で拾った石はそれぞれラベルをつけられて、杏寿郎の部屋の隅に積み上げられている。
ただ、お互い除外した石もある。色違いで持っているシーグラスだ。厳密には石というよりも漂流物ではあるけれど、もちろん、標本にするのをやめた理由はそんな学術的なものではない。
標本にしてしまうと、宿題として提出しなくてはならなくなる。ひと月は展示されることになるのだから、そのあいだ手元に置いておけないということだ。
杏寿郎としては、義勇の瞳を連想させる青いそのシーグラスを、いつでも身近に持っておきたかった。義勇も同じだったのか、これはやめておかないかと告げた杏寿郎に、すぐにうなずいてくれた。
そればかりか、義勇は
「……あの、お爺ちゃんちに行くときに、シーグラスも持っていってくれないか?」
と、言い出した。ほんの少し声が弾んでいる気がしたが、ささやかすぎて杏寿郎にはまだよくわからない。義勇のお願いの理由もまた、見当がつかなかった。
「別にかまわないが……なぜだ?」
平べったいその石は元がガラスなのだと思うと、扱いを誤ったら割れてしまいそうでちょっと怖い。大事にする気は十二分にあるが、遠出するのに持っていくのは少しばかり躊躇しないでもなかった。
「真菰が、シーグラスだったらチャームにできるって言うんだ。そうしたらおそろいで……その、いつでも持ち歩けるだろうって……」
「へぇ! あ、祖父殿の家には真菰さんも一緒に行くのか?」
おそろいのチャームという言葉に心が弾んだが、それでもちょっとだけ、やっぱり杏寿郎の胸はチクンと痛んだ。
義勇と過ごせるとはいえ、ふたりきりではないのだということに今まで気づかなかったなんて、どうにも浮かれすぎていたらしい。当然のことながら錆兎や真菰も一緒だということを、まるで考えていなかった。
気づいてしまえば残念な気持ちにもなるし、錆兎や真菰と仲良くする義勇を目の当たりにすることになるのかと、少し不安にもなる。同時に、自分自身に苛立ちもわいた。
自分がこんなにも嫉妬深いとは思わなかった。狭量な嫉妬は男を下げると母にも忠告されたというのに、どうしてもモヤモヤとしてしまう自分が悔しかった。
杏寿郎の葛藤には気づいていないのか、義勇はほんの少し目元を緩ませ、真菰はお爺ちゃんと暮らしてるからとこともなげに言った。
「母さんの実家なんだ。錆兎のお父さんと真菰のお父さんが、うちの母さんのお兄さん。真菰の両親は今海外赴任中で、真菰だけ日本に残ることになったから、お爺ちゃんのとこに行ったんだ」
義勇の言うことには、真菰はかなりのお爺ちゃんっ子らしい。ただでさえ少し離れた場所に暮らす祖父とはあまり逢えずにいたのに、外国になど行ってしまえば年に一度逢えればいいほうになってしまう。絶対に嫌だと言い張った真菰に両親も折れて、両親が帰国するまで祖父と暮らすことになったのだと、義勇は言う。
「お爺ちゃん、実は剣道やってるんだ」
「ほぅ! そうなのか! それは是非手合わせしていただきたいなっ!」
ちょっぴり笑いながら言った義勇に、杏寿郎の目が輝いた。意外なところに共通点があったものだ。
「真菰も剣道してる。錆兎も前はしてた」
「義勇は? 錆兎もだが、剣道はやらなかったのか?」
もしも水泳ではなく真菰同様に剣道をしていてくれたのなら、もっと共通の話題も増えただろうに。部活だって同じだったかもしれない。しかたのないことだが、思えば少し残念だ。
今度の杏寿郎の落胆は、義勇にも伝わったらしい。
「小さいころは俺も一緒にやってた。でも、お爺ちゃんちは遠いし……痛いの嫌だったから」
少し言いよどむ様は、なんだか申しわけなさげだ。辛抱が足りないと思われるのが恥ずかしいのだろうか。
確かに、力まかせに打ち込まれると面や小手打ちは痛いし、下手な相手だと胴も防具からずれて打たれることもある。小手打ちや胴打ちを失敗して脇など叩かれれば、思わずうずくまってしまうほど痛いのは事実だ。
杏寿郎は幸い父に教わっているから、打ち込まれても痛いと感じることは少なかった。もちろんまったく痛くないわけではないのだけれど、なにせ父は六段の腕前だ。力みのない打突は打たれた衝撃はあっても、痛いとうずくまるようなことはない。
剣道をしたことがない者には、上級者が相手のときほど打ち込まれる衝撃や痛みは大きいと思いがちだ。けれども実際は、熟練の剣士の面や小手は鋭さはあっても力まかせではないし、防具から外れた場所に打ち込まれることもないから、痛みというのはあまりないのだ。義勇はきっとそれほどうまくない指導者にあたってしまったのだろう。痛みに委縮してしまってもしかたがない。
残念なのは確かだけれども、義勇が罪悪感を覚える必要はないのにと、杏寿郎はちょっぴり苦笑した。少しばかりの消沈を気づかれぬよう、それならしかたない気にするなと笑おうとした杏寿郎に、義勇はなおも心苦しげに言った。
「うまくなったら、痛くなく打てるようになるって言われたけど……やっぱり、打ち込むときにためらって、錆兎や真菰にいっぱい痛い思いさせた。錆兎たちは気にするなって言ってくれたけど、でも、俺がうまくなるまでずっと痛いままは嫌だったから。錆兎は俺よりずっとうまかったのに、俺がやめるとき錆兎も剣道やめちゃって……錆兎にも申しわけなかった。俺が下手くそだったからだ」
しょんぼりと肩を落とす義勇に、杏寿郎は、ん? と首をかしげてしまう。なんだか思ったのとちょっと違うような気がする。
「痛いって、義勇がじゃなく錆兎たちなのか?」
「うん? だって、自分が痛いのは我慢出来るけど、人が痛いのはなにもしてやれないし、俺が痛くさせるのはもっと嫌だ」
最初からそう言っているだろう? とばかりに、義勇も小首をかしげるから、杏寿郎は思わずポカンとしてしまった。
それに気づいたか義勇はますますいたたまれない様子で「呆れただろ?」と悲しげに言うから、杏寿郎はあわてて首を振った。
「そんなことはない! すまん、勘違いしていたのだ。打たれて痛いのがつらいから、義勇は剣道をやめてしまったのかと思ってしまった。……そうか、逆だったのだな!」
わかってみればそれは、なんとも義勇らしいと思えた。義勇は、人と争ったり傷つけたりすることが本当に苦手なのだ。剣道は、けっして人と争ったり痛めつけるためのものではないけれども。
「あの、でも、自分が痛いのも好きじゃないから」
「それは当然だろう!」
愉快な気持ちで笑えば、義勇も少しホッとしたのか、肩の力が抜けたのが見てとれた。それがまた杏寿郎にはうれしい。自分の勘違いのせいで、義勇がしょんぼりとしてしまうのでは申しわけないことこの上ない。
勘違いしたままでいなくてよかった。杏寿郎が満足感に包まれていると、義勇がふわりと笑った。
「杏寿郎はすごいな。剣道うまいって聞いた」
「え? 千寿郎がなにか言ったのか?」
義勇は剣道には興味がないだろうと思っていたから、杏寿郎は話題に出したことはほとんどない。千寿郎がいつものように兄自慢でもしたのだろうかと思って言うと、意に反して義勇の首は横に振られた。
「錆兎が剣道部の友達に聞いたって。一年だから慣例で秋までは団体戦のメンバーには入れられないけど、たぶん秋からは大将任されるだろうって、感心してた」
感情表現の薄い義勇には珍しく、いかにもうれしげにニコニコと笑って言う。てらいのない称賛と笑みに、杏寿郎の頬には熱が集まって、誇らしさと気恥ずかしさに思わずうつむいた。
「いや、剣道部はあまり部活には熱を入れていない先輩方が多いのだ。俺は千寿郎より小さいころから剣道をしているから、一日の長があるだけだ」
「ずっとつづけてるのもすごい。お爺ちゃんちにも道場があるんだ。杏寿郎が剣道遣るとこ見られるの、楽しみだ」
義勇は常にはなく満面の笑みだ。花のように笑っている。そんな義勇を見ていると、トクトクと杏寿郎の胸は甘く高鳴った。ギュッと心臓をつかまれたように痛みもするのに、苦しくはない。カァッと体が熱くなって、頭のなかはフワフワとする。
「無様なところを見せぬよう、心して稽古に参加させてもらう!」
真剣な顔で言うと、義勇はちょっとだけキョトンとして、また楽しそうに笑ってくれた。
「真菰、強いぞ。地区の大会ではいつも優勝だ。錆兎も、今もたまに素振りしてるし、お爺ちゃんが剣道やめたの残念がってる」
「なんの! 俺も毎日稽古しているしなっ! 勝ち負けは問題ではないが、義勇に褒めてもらったのだから、みっともないとこなど見せられん!」
楽しみがまた増えたとワクワクと言った杏寿郎は、ふと思いつき義勇をまじまじと見据えた。
「なぁ、義勇はもう稽古には参加しないのか?」
「……素振りや、かかり稽古の元立ちなら」
それを聞くの? と言わんばかりに気まずそうに義勇は少し首をすくませて言った。恥じ入っているようだが、杏寿郎にしてみればとんでもない収穫だ。
「ならば一緒に稽古できるのだな!」
「相手にはならない」
切り捨てるような物言いだが、義勇の声は申しわけなさげだ。きっとまた言葉が足りないのだろう。
「それは、俺では力不足ということだろうか」
「なんで!? 俺は下手くそだから、杏寿郎の相手したら迷惑だろう? 杏寿郎に痛い思いさせるの嫌だ」
ホラ、やっぱり反対だ。泡を食った様子でブンブンと首を振る義勇に、杏寿郎は思わず笑った。
「俺は義勇と稽古したい! 千寿郎や道場に来るちびっ子たちの相手で、慣れているしなっ! 胴打ちなのに太股を打たれるのは日常茶飯事だ!」
「……そこまで下手じゃない……と思う」
ほんのちょっぴり拗ねたような声と上目遣い。ふたりでいると義勇の表情は豊かになる。ささやかな感情表現ではあるが、それでも杏寿郎にはうれしい。
少しずつ義勇を知っていく。義勇のことがわかっていく。朝も晩も一緒に過ごせば、きっと、もっと。
それはすまんと笑う杏寿郎に義勇もクスリと笑いだして、明るい陽射しに満ちた杏寿郎の部屋はふたりの笑い声に包まれた。
蝉の合唱よりも大きな杏寿郎の笑い声を聞きつけて、千寿郎が「お勉強終わりましたか?」と顔を出すまで。
今日も夕飯は遠慮した義勇が帰っていったあと、煉獄家の食卓はやっぱり義勇の話題となる。
前回うっかりしてしまった分も今日は頑張らねばと言ってあったから、昼食ものんびりとはしていられなかったので、義勇とあまり話せなかった千寿郎は、ちょっぴり残念そうだ。おまけに次の採取は泊りということもあり、かわいそうだが千寿郎は連れて行けない。
それを聞いて最初はしょんぼりとしていた千寿郎だが、母に
「留守にする杏寿郎の代わりに、お客様のお相手を務めてください。杏寿郎の代役ですから大任ですよ。千寿郎、できますか?」
と言われ、今ではもう張りきっている。兄上がお留守のあいだは千が頑張りますと、幼い顔をキリッと引き締めて言う様は、なんだかもうかわいくてたまらず、誇らしくもある。
「そういえば父上、義勇の祖父殿も剣道をやっておられるそうです。鱗滝左近次殿という名をご存じでしょうか」
杏寿郎は何気なく聞いただけだったが、父の反応は顕著だった。ギョッと目をむき、箸の先からコロッケも落としている。
「父上、落ちましたよ」
「――鱗滝左近次……ま、まさか、笑顔魔人かっ!!」
は?
いったいなにを言い出したと杏寿郎も目を丸くしたが、千寿郎にいたっては、みそ汁を吹き出しかけてケフケフとむせている始末だ。あらあらとあわてて背をさすってやっている母も、少しあきれ顔だった。
だが父は大興奮らしく、グイっと身を乗り出して杏寿郎につめ寄ってくる。
「おまえ、笑顔魔人殿の稽古を受けるのかっ!」
「なんなのです? そのふざけた文言は」
「知らんのか。鱗滝左近次殿といえば、柔和な笑みのまま怒涛のような鋭い攻撃を放つ様から、笑顔魔人との二つ名で知られる有名な剣士だ! 範士十段だぞっ!」
思わず、ポカンとした杏寿郎の箸からも、メンチカツが落ちた。ゴクリと喉も鳴る。
範士十段と言えば、剣道においては最高段位、最上級の称号だ。剣道は剣の道と言うだけあって、修練の年月や人格、指導力に至るまでもが称号を得るには必要だ。父でさえ六段。それだって、剣道界においては鬼門とされ、四十前に昇段できれば相当の剣士と称されるほどなのだ。
段位だって五段以上は取得が難しいというのに、称号となると生半なことでは得ることはできない。一番低い錬士でさえ、五段を取ったのちに十年以上を経過した満六十歳以上、加盟団体会長からの推挙がなければ、受審すらできないのだ。
剣の理に精通し、当然、剣技も成熟してならなければいけないばかりか、高潔な人格者でなければ称号を持つことは許されない。その最高位にいる者が、範士である。剣道人にとって最高の名誉であり、憧れと尊敬の対象だ。
「くそぅっ! なぜ俺は家で親戚どものおべんちゃらだの嫌みだのを聞かねばならんのだっ! 笑顔魔人殿の教えを受けられるなど、滅多にない機会だというのにっ!! 俺だって笑顔魔人殿の剣を間近に見たことはないんだぞ! できるものなら杏寿郎と代わりたいっ!」
「あなた?」
にっこりと釘を刺した母に首をすくめたものの、父の興奮はいっこうに冷めないようだ。むせていた千寿郎も、涙目ながらもすごいですと感動しきりである。
「杏寿郎、またとない機会だ。しっかりと教えを乞い、鱗滝殿の剣を目に焼きつけてこいっ!」
「はいっ!」
背を伸ばし、大きな声で言った杏寿郎の胸は、はち切れんばかりにふくらんでいた。
自由研究の石拾い。シーグラスのチャーム。父すらいまだ及ばぬ練達者による、思いがけない稽古。なんて素晴らしい夏休みになったのだろう。
なによりも、義勇と一緒だ。
全部、全部、義勇と過ごす、数日間。それはもうすぐそこだ。幸せな、一生に一度の、初めての日々が、近づいていた。