大好きのチョコ(ロングバージョン)

※『800字分の愛を込めて』で書いたものに加筆修正したロングバージョンです

 節分が終った二月の商店街は、赤やピンクで溢れていた。目に入るのは、そこここに飾られたピカピカしたハート型のバルーンやポップ、愛らしいラッピングのプレゼントを模したオーナメント。いかにも華やかで、見ているだけで楽しい気分になってくる。
 制服姿の女子中高生をはじめ、道行く買い物客は心なしかソワソワとして見える人も多い。楽しげな明るい声が聞こえてきたのはケーキ屋だろうか。アーケードはバレンタイン一色だ。
 そんな華やいだアーケードを、ランドセルを背負った杏寿郎はウキウキと歩いていた。吹き込んでくる風はそれなりに冷たく、吐く息も白いが、今日は日差しが暖かい。杏寿郎の足取りは軽かった。
 駅に近い大きなこの商店街は、杏寿郎の家や小学校からはいくぶん遠い。だから日ごろは買い物に来ることもないし、ましてやまだ小学一年生の杏寿郎がひとりで訪れたことはなかった。ここに杏寿郎がやってきたのは、今日で二度目だ。前に来たときには、母と一緒だった。急な来客の予定が入ったものの、いつも行くスーパーがあいにくと改装工事中で、しかたなしに茶菓子を買いに来た。
 あのときは、ハート型のバルーンの代わりにアーケードには七夕飾りが揺れていて、杏寿郎は商店街のスタッフに呼び止められて短冊を書かせてもらった。小学校の低学年辺りまでの子供には、みな書いてもらっているらしい。僕も書いていってと、スタッフのお姉さんは笑っていた。
「学校でも短冊にお願いを書きました。ふたつもお願いしていいのですか?」
 ためらってお姉さんと母の顔を見比べた杏寿郎に、母はやさしく笑って、書かせていただきなさいと言ってくれた。
 学校で書いたのは一番のお願い事だ。
『父上と母上が元気でいますように』
 とても大事なお願いだから、二番目のお願い事は我慢しなくてはと思っていた。だから、ふたつ目のお願いをしてもいいのだと言われて、とても嬉しかったのを覚えている。
 マジックで精一杯丁寧に書いた杏寿郎のお願いを見て、短冊を笹に結んでくれたスタッフのお姉さんはニコニコと笑っていた。叶うといいねと言ってくれたお姉さんに、元気よく「はい!」と答えた杏寿郎を見て母も笑っていたけれども、どこか恥ずかしげにも見えたのは気のせいだろうか。
 ともあれ、短冊に書いたおかげで、お願い事は次の夏には叶う。あのとき呼び止めてくれたお姉さんと、ふたつ目のお願いを書いてよいと言ってくれた母には感謝だ。叶えてくれた織姫さまと彦星さまにも。

 商店街にくるのは二度目だけれど、道はちゃんと覚えている。ひとりで買い物をするのは初めてではないけれど、いつもはスーパーやコンビニでだ。お菓子が売っている店を見つけられるかちょっぴり不安はあったけれども、ちゃんと見つけられたし、ひとりでもお店の人にお金だって払えた。バレンタインに父上たちにあげるのですと言ったら、お店の人は小さなリボンのシールだって貼ってくれた。なんの問題もない。首尾は上々だ。
 学校帰りの寄り道はよくないが、いつも母と行く近所のスーパーでは、お店の人が母に杏寿郎が買い物に来たことを話してしまうかもしれない。バレンタインまでは、杏寿郎がチョコを買ったのは内緒なのだ。それに、今日は去年までとはちょっと違うこともある。だからここまでやってきた。
 バレンタインは大好きな人にチョコをあげる日だ。だから幼稚園のころから杏寿郎は、父と母にチョコを買う。いつもなら母と買い物に行ったときに、一緒にお小遣いで買うのだけれど、今年のチョコは母上たちには内緒であげたかった。だって今年はもう杏寿郎だって小学生だし、ひとりで買い物ぐらいできる。おまけに今年のチョコはいつもより増えて三つだ。三つの小さなチョコはランドセルに大事にしまってある。

 長い商店街を抜けるべく意気揚々と進んでいると、キョロキョロと辺りを見まわしている男の子を見つけた。紺のダッフルコートを着た男の子の背丈は、杏寿郎と同じぐらい。
 あの子も一年生だろうか。だけど学校では見たことがない。商店街は少し遠いから、違う学校の子がいてもおかしくはないけれども、なんとなく気になった。
 よく見れば男の子はなんだか泣きそうな顔をしている。ずいぶんと不安げな様子だ。

 うむ、困っているのなら助けてあげなければ。母上や父上も、困っている人は助けてあげなさいといつも言っているものなっ。

 よし、とうなずいて、杏寿郎は迷わずその子に駆け寄った。
「君、なにか探しているのか? お店がわからないなら俺が一緒に探してやろう!」
 杏寿郎だって商店街のどこになんのお店があるのか知らないけれども、ふたり一緒ならこの子だって安心するだろう。そう思って言ってみれば、男の子は一瞬ビックリした顔をしたけれど、すぐにおどおどとした様子でうなずいた。
「えっと、買い物はしたんだ。でも、お姉ちゃんと錆兎と一緒に来たんだけど、はぐれちゃって」
 小さな声で言った男の子は、口に出したら不安がふくれ上がったらしい。青いきれいな目がウルウルと潤みだしている。
「もしかして、君は迷子か!」
「う……うん」
「それなら案内所で放送してもらおう! 迷子になったら案内所で名前を言って母上を呼んでもらうようにと、前に来たときに教えてもらったのだ。姉上たちをそこで呼んでもらえばいい。俺が送っていこう!」
 笑って教えてあげた杏寿郎に、男の子も潤んだ目をパチリとまばたいて、ホッとしたように頬を緩めた。安心してくれたのならなによりだ。
 案内所はアーケードの反対端に近い。家の方向とは逆だ。少し帰りが遅くなるかもしれないが、人助けのほうが大事に決まっている。どうしようと杏寿郎が迷うことはなかった。

「俺は煉獄杏寿郎、七歳だ! 君の名前は?」
「冨岡義勇。俺も七歳」

 やっぱり同い年だった。なんとなくうれしくなった杏寿郎は、義勇の手をギュッと握ると、さっきよりも明るく笑いかけた。
「手を繋いでいこう! また迷ってしまったら大変だ!」
「う、うん。ありがとう」
 手袋をはめている杏寿郎と違って、義勇は素手だった。杏寿郎と同じくらい小さい義勇の手は、ずいぶんと冷たい。
「君の手はかなり冷えているな」
「あ、ごめん。冷たいよね」
 あわてて手を引っ込めようとするから、杏寿郎は離すまいと力を込めた。
「またはぐれるかもしれないだろう? それに、こうしたらあったかい!」
 繋いだままの義勇の手ごと、自分のブルゾンのポケットに手を突っ込んで、杏寿郎は朗らかに笑ってみせた。はぐれてしまうかもという心配はもちろん本心からだけれども、義勇の手が冷たいことのほうが心配だったし、それ以上に、なんとなく義勇の手を離すのは嫌だった。どうしてなのかは、よくわからない。
 義勇はまたパチンとまばたきして、少しうれしそうにうなずいた。
「本当だ。あったかいね」
 
 ほわりと笑う義勇に、杏寿郎の胸がドキンと大きな音を立てた。

 なんだかドキドキする。改めてよく見れば、義勇はとってもかわいらしい顔をした子だった。紺のコートに映える白い肌と、長いまつ毛に縁取られた大きな青い目。ツヤツヤした口はちょっと小さくて、ほっぺはふわんと丸い。もしかしたらクラスの女の子たちよりもかわいいかもしれない。なぜだか笑顔がキラキラと光っているように見える。義勇の笑顔は、アーケードに飾られているピンクや赤のバルーンみたいにピカピカだ。寒さで赤く染まったほっぺのせいだろうか。
 少し照れくさくなって、杏寿郎は、義勇の手を握ったままちょっとぎくしゃくとしつつ歩きだした。義勇は素直についてくる。杏寿郎の手を離そうとはしない。それがなんだかたまらなくうれしい。
 さっきのドキドキはなんだったんだろう。少し不思議だけれども妙な緊張はすぐに消えた。それよりもうれしい気持ちのほうがずっと大きくなって、杏寿郎はまた義勇に話しかけた。もっと義勇のことが知りたいと思ったし、もっともっと仲良くなれたらきっととても楽しいだろう。

「義勇はここへ来るのは初めてなのか? 学校では逢ったことがないな。駅の向こうにも大きな学校があるが、そっちに通っているのか?」

 それならちょっと遠いけれども、休みの日には一緒に遊べるかもしれない。杏寿郎はもう自転車にだって乗れる。義勇が遊びに来るのが大変なら、自分が義勇の家まで行ってもいい。
 ワクワクとして聞いた杏寿郎に、義勇は小さく首を振った。
「ううん。電車に乗ってきた。でも、駅の向こうのおっきな学校には、錆兎が通ってるよ」
「え? 義勇の家は電車に乗らなくちゃいけないのか?」
「うん。父さんが、この近くにある病院で働いてるんだ。それでね、そこに伯父さんが入院したから、お姉ちゃんと電車でお見舞いに来たんだ。お姉ちゃんはもうひとりでも電車に乗れるから。そしたら、伯母さんにお買い物してきてって頼まれたから、錆兎とお姉ちゃんと一緒に来た」
 義勇の言葉に杏寿郎は思わず眉を下げた。それじゃ友だちになっても遊ぶのはむずかしい。
 きっと義勇の家は、杏寿郎がひとりで行けるところよりも、ずっと遠いのだ。杏寿郎はまだひとりで電車に乗ったことがない。仲良くなって一緒に遊びたくても、すぐに逢えるわけじゃないだろう。
 思った瞬間、なんだか胸がキュッと痛くなって、杏寿郎はちょっぴりうつむきたくなった。けれども、どうしたの? と言うように義勇が小首をかしげるのを見てしまえば、遠くに住んでるのが寂しいなんてわがままを言って、困らせるわけにもいかない。
 悲しい気持ちを振り払うように、杏寿郎は精一杯元気に笑ってみせた。
「そうか。俺の母上も今日は病院に行っているぞっ。もしかしたら義勇の伯父上と同じ病院かもしれないな!」
「お母さん、病気なの……?」
 義勇の顔がたちまち曇った。きっととてもやさしい子なのだろう。心配そうに見つめてくる義勇の瞳は、澄んだ瑠璃色をしている。去年父と母と行った海みたいな目だ。
 その目を見ていると、悲しい気持ちは潮が引くみたいにすうっと晴れていって、杏寿郎はなんだかうれしくなってきた。

 海の色をした目の義勇は、澄んだ瞳そのままに、きっときれいでやさしい心の持ち主に違いない。毎日のように遊べるほど、近くに住んでいるわけではなくとも、仲良くなれたらどんなに楽しいことだろう。

「いや、弟ができるのだ! 病院にはお腹にいる弟が元気でいるか、お医者さんに診てもらいに行っている」
「そうなの? いいなぁ。俺も弟がいたらいいのに」
「なら、七夕になったらまたこの商店街に来るといい! 俺もここに来たのは去年の七夕だったのだが、ここで短冊に弟がほしいですと書いたら、本当に弟ができた。だからきっと、義勇のお願いも叶えてもらえると思う!」
「すごいっ。七夕のお願い、織姫さまたちちゃんと叶えてくれたんだね」
「うむ! だから俺もここまで来たのだ。チョコを買ってきた!」
 杏寿郎が胸を張って言うと、義勇はまたキョトンと首をかしげた。
「チョコ? 杏寿郎はチョコを買いに来たの?」
 義勇の疑問ももっともだ。チョコはどこでだって買える。でも、今年のチョコはどうしても、ここで買いたかった。
「バレンタインが近いからな。父上と母上と、お腹のなかの弟にあげるのだ! いつもは近くのスーパーで買い物をするんだが、ここで買ったチョコのほうがきっと弟も喜ぶと思う!」
 だって弟は、ここでお願いをしたから来てくれることになったのだ。きっとスーパーやコンビニのチョコよりも喜んでくれるだろう。そう思ったから、母にも内緒でここまで来た。
 義勇もきっと、俺もそう思うと笑ってくれると、杏寿郎は思ったし、それを疑いもしなかった。けれども義勇は、ますます不思議そうな顔をしている。ちょっぴり拍子抜けした気分だ。
 もしかして、どこで買っても同じなのにとでも思われたんだろうか。わかってもらえなかったかと、ちょっと悲しくなった杏寿郎だったが、義勇の疑問は杏寿郎が想像したものとは違っていたらしい。

「バレンタインは女の子が男の子にチョコをあげるんじゃないの? お姉ちゃんやお母さんは、男の子にチョコをあげる日だからって言ってた。それで俺にもチョコをくれたんだよ?」
「そうなのか? だが、母上や姉上が義勇のことを好きなのも間違いじゃないだろう? 大好きのチョコだ! だったら男から女の子にあげても同じだと思う!」
「そっか。そうだね。じゃあ俺も、お姉ちゃんたちにチョコあげることにする。教えてくれてありがとう。きっと弟も、杏寿郎がここでチョコを買ってくれてうれしいと思ってくれるね」

 にっこりと笑う義勇の顔は、花のようにかわいらしい。なんだか杏寿郎の胸はまたドキドキとして、顔が熱くなってくる。
「そ、それよりも義勇の伯父上は大丈夫だったのか? ご病気なのだろうか」
「病気じゃないよ。ドジったって笑ってた。あのね、錆兎のお父さんで俺の伯父さんなんだけど、雨漏り直そうとしたら梯子から落ちて、足の骨折っちゃったんだって。それで病院にお見舞いに行ったら、どうせなら一緒にお祝いしちゃおうって言われたんだ。だからお祝いのケーキとかジュースとか買いにきた。明日は俺の誕生日だから」
 なるほどとうなずこうとして、杏寿郎は、気づいたそれに目をパチリとまばたかせた。

 杏寿郎と同じ七歳の義勇は、明日、誕生日を迎える。ということは……。

「よもや! もしかして、義勇は八歳になるのか!?」
「え? うん。杏寿郎もじゃないの? 二年生でしょ?」
「……俺は、五月になったら八歳だ。今は一年生だ」
 驚く杏寿郎に、義勇の頬が見る間に赤く染まった。恥ずかしそうにうつむいてしまうから、杏寿郎は、ちょっぴり焦る。
「そっか……そうだよね、クラスの子もみんなもう八歳だもん。杏寿郎が二年生だったら七歳じゃないよね。錆兎もまだ七歳だから間違えた……ごめん」
「気にすることはない! 俺も義勇は一年生だと思っていた。おあいこだ! 俺も間違えてすまなかった。ごめん、義勇」
 ビックリしたけれど、ひとつ年上だって義勇が愛らしくてやさしい子であるのに違いはない。義勇と友だちになりたい気持ちには、なんにも変わりがなかった。だから素直に自分も間違えたことを謝ったのだけれど、義勇は、笑ってはくれなかった。しょんぼりとしたままだ。
「俺、いつもこうなんだ……二年生なのに迷子になるなんて、恥ずかしいよね」
「そんなことはないぞ! 迷子になるのに年は関係ない。前に従兄のお家と一緒に遊園地に行ったら、叔母上がはぐれてしまったことがある。初めて行った場所では、大人でも迷子になることがあるのだ。義勇はここに来たのが初めてなのだから、迷ってもおかしくはない!」
「……本当?」
「うむ!」

 また花のように笑ってほしくて力強くうなずけば、義勇は、杏寿郎が望んだとおりのはにかんだ笑みを浮かべてくれた。

「義勇もいつも行くところでは迷子にならないだろう? 俺だって初めてならば迷うこともあると思う。それに、この商店街はとっても大きいしなっ。だから義勇も気にすることはないぞ!」
 笑って言うと、義勇ははにかんだ笑みはそのままに、少し困ったようにまた小さくうつむいた。
「ありがとう……なんか、うれしい。俺、いつも錆兎たちに、迷惑かけてばっかりなんだ。義勇は一番下なんだからしょうがないって言われるんだけど、ちょっとだけ、悔しくって」
「一番下?」
「錆兎より俺のほうが一ヶ月お兄ちゃんのくせに、俺はふたりよりもうまくできないこと多いから。俺が従姉弟のなかでは末っ子って言われてる」
「錆兎って一緒に来た従弟か? ふたりということは、もうひとり誰かいるのか?」
「うん。真菰もいるよ。今日は来てないけど。従姉弟はね、俺も入れて四人。俺のお姉ちゃんが一番上で、今、小学六年生。俺と錆兎と真菰は二年生でね、俺、本当は三人のなかでは真ん中なんだ。でもね、ふたりとも義勇は末っ子って言うんだ。お父さんやお母さんも、伯父さんたちも、義勇は小さいからふたりともちゃんと面倒みてあげてねって言う。俺だっておんなじ二年生なのに。でもしょうがないんだ……今日も迷子になっちゃったし」
 しょんぼりとした様子は、なんだか見ていて悲しい。杏寿郎の胸もギュッと痛む。だから杏寿郎は、ポケットのなかの義勇の手を強く握りしめた。
「迷子になったのはしかたのないことだと言っただろう? それに、義勇が一番うまくできることだって、きっと見つかるはずだ。それを頑張ればいいじゃないか。義勇がうまくなるよう俺も応援する!」
 立ち止まって、大きな声で言った杏寿郎に、義勇も足を止めた。そろりと顔を上げて、杏寿郎を見つめてくる瞳が揺れている。握った手は、もう冷たくはない。ポカポカと温かいその手が、そっと杏寿郎の手を握り返してきた。

「本当に……? 俺でも、錆兎たちよりうまくできること、あるかな。迷惑にならないようになれる?」
「もちろんだ! それに、俺だって同じだ。弟が大きくなったら、弟のほうが俺よりうまくできることがあるかもしれない。そのときには、俺のほうができないと悲しむよりも、できるようになろうと頑張ったり、俺にできることを頑張るつもりだ。弟のほうができてズルいと言うよりいいと思う。義勇もそうすればいい!」

 父や母にも、人と自分を比べて卑屈になるなと、いつも杏寿郎は言われている。羨ましいと思うなら近づけるよう頑張ればいい。別のことで頑張るのでもいい。あの子は自分よりうまくできてズルいと拗ねたり、人の邪魔をするようなことだけはするなと言われている。そうしてうまくできたのなら、できない人を馬鹿にするなとも。
 できる自分が特別なわけじゃない。誰だって頑張っているのだ。できない人や自分よりも弱い人には手助けしてやれ。それが、できるようになった者の、強い者の義務なのだと、父も母も言う。だから杏寿郎は、人を馬鹿にしたことなんてない。なんでできないんだと怒ったこともない。みんなを助けてやれるぐらいに強くなろうと思っている。
 きっと義勇の従姉弟や両親たちも同じだろう。義勇を馬鹿にしているわけじゃないはずだ。義勇だって、従姉弟たちをズルいとは思っていないに違いない。
 できないことが悔しいと思ってはいるだろう。それでも、義勇の言葉にも表情にも、そんな人たちを疎ましがる様子は微塵も見られなかった。 

「大人だっていろんなことができない人もいるぞ。それに、遊園地に行ったときに叔母上が迷子になったと言っただろう? そのとき、叔母上は自分がはぐれたのを従兄のせいにしていた。なにかができないのよりも、そういうののほうが恥ずかしいことだと俺は思う!」

 従兄のことは好きだが、杏寿郎は、叔母をはじめとした親戚の大人たちがあんまり好きではない。父や母の前では愛想よく笑っても、ふたりがいないところで口汚く母を馬鹿にするような人たちだ。従兄の母である叔母も、やけに杏寿郎と従兄を比べたがるし、従兄を駄目な子だとけなすのは聞いているだけで嫌な気分になる。そのくせ、自分のことは母よりも偉い、すごいと思っているようなのが、杏寿郎には不思議でならない。
 大人だろうといけないことをしたら、杏寿郎は、それはいけないことだと言ってしまう。そのときも、勝手にひとりで行ってしまってはぐれたのは叔母なのだから、従兄はちっとも悪くないと言ったのだが、叔母はすごく怖い顔をした。

 義勇の周りの大人の人や従姉弟たちは、叔母のように恥ずかしい人ではないだろう。義勇の様子を見ていればわかる。だからきっと、義勇が頑張るのを褒めてくれるはずだ。末っ子が頑張っても無駄だなんて絶対に言わないだろうと信じられる。

「……うん、俺も杏寿郎みたいに頑張る。杏寿郎、ありがとう。杏寿郎はすごいね、お日さまみたい」
 義勇が憂いのない顔で笑い返してくれたのはうれしいけれども、褒め言葉は思いがけなくて、今度は杏寿郎のほうがキョトンと目を見開いた。
「お日さま?」
「だって、杏寿郎はとってもやさしいし、俺よりも年下なのにお兄ちゃんみたいで格好いいし、笑ってくれるとお日さまみたいにピカピカだもん。それに、とってもあったかいから」
 義勇はそう言ってニコニコとかわいい花のように笑っている。今度は杏寿郎のほうが赤くなる番だ。義勇は杏寿郎の笑顔をお日さまだと言ってくれたけれど、義勇の笑顔は風に揺れる小さな白い花のようだ。やさしくって愛らしい、白い花。
 海や空みたいにきれいな青い目をして、やさしくてかわいい花みたいに笑う義勇。ドキドキする胸はなんだか苦しいぐらいで、杏寿郎は、なにも言えなくなって真っ赤になった顔を少しだけうつむけた。
 恥ずかしくってなにも言葉が出てこない。黙り込んでしまった杏寿郎に、義勇が少し心配そうに眉を寄せたのが見えた。義勇を心配させてしまうのは駄目だ。慌てて顔を上げ、褒めてくれてうれしいと杏寿郎が言おうとしたよりも早く、あーっ! と子供の声が響いた。

「義勇っ! 蔦子姉ちゃん、義勇いた!」

「錆兎だっ。杏寿郎、錆兎が来てくれた!」
 突然聞えた声に、パッと顔を輝かせた義勇がうれしげに言う。ポケットのなかから、義勇の手がするりと抜け出した。
 思わず引き留めようとした手を、杏寿郎はそのままグッと握りしめた。行っちゃ嫌だなんて、言ったらいけない。
 男の子に向かって走り寄る義勇の背に、胸がズキズキと痛むのはなんでだろう。迷子になって不安だった義勇が安心したのだから、自分だって迎えが来てくれて喜ぶのが当然だ。なのになんでこんなに寂しくて、悲しいんだろう。胸が痛いんだろう。よくわからない。
「ひとりで勝手に行ったら駄目だろ。ほら、今度はちゃんと手をつないでこう」
「うん、ごめんね、錆兎。お姉ちゃんもごめんなさい」
「怪我とかしてないならいいの。でも、もう錆兎くんの手を離しちゃ駄目よ?」
 仲睦まじい三人を、離れた場所でポツンと立ったまま見つめる杏寿郎の胸は、どんどんと痛くなってくる。よかったと喜んであげなくちゃいけないのに、さっきまで自分のポケットのなかにあった義勇の手が、錆兎という男の子と繋がれているのがなんだかとっても悲しくて寂しい。義勇にお日さまみたいと言われて熱くてたまらなくなっていた頬は、すっと冷めた。

「じゃあね、杏寿郎。送ってくれてありがとう!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 バイバイと手を振った義勇に、杏寿郎は急いでランドセルをおろすと、買ったばかりのチョコをひとつ取り出した。
 小さな包みを手に駆け寄って、ぐいっと義勇に差し出す。
「誕生日おめでとう!」
「え……これ、バレンタインのチョコじゃないの? 俺がもらってもいいの? 弟やお母さんたちにあげるやつなのに……」
「いいんだ! 誕生日なんだから貰ってくれ!」
「……じゃあ、これ、大好きのチョコじゃないんだ」
 なぜだかちょっとしょんぼりと義勇が言ったのに、杏寿郎の顔がまた真っ赤に染まる。不思議そうな顔をした義勇の姉や従弟の視線も気にならなかった。すぅっと息を吸い込んで、杏寿郎は大きな声で言って笑った。

「誕生日で、バレンタインだ! 大好きだからあげるチョコだ!」

 杏寿郎の言葉に、義勇の手が従兄の手から離れて、杏寿郎が差し出したチョコに伸ばされた。
「大好きのチョコ、うれしい。ありがとう、杏寿郎」
 そう言って義勇も、やっぱり花のようにかわいらしく笑った。

 
 二月の商店街は、相変わらず赤やピンクで華やかだ。寒風が吹くなかを、小学六年生の杏寿郎はひとり歩く。ランドセルのなかには、ラッピングしてもらったチョコが今年も入っている。
 小学生になって以来、毎年、杏寿郎は二月になるとこの商店街のお菓子屋さんで、チョコを四つ買う。父と母と弟の千寿郎にあげて、残るひとつは、あげられないけど義勇のぶん。
 義勇とはあれきり逢えないまま、杏寿郎も来月には小学校を卒業する。
 あれから何度かこの商店街に足を運んだけれど、義勇の姿を見ることはなかったし、母が通う病院でも、義勇に逢うことはなかった。義勇の従弟だという男の子も見かけたことはない。
 義勇の姉や従弟にもお礼を言ってもらったけれども、連絡先はかわさなかった。一番年上の義勇の姉だってまだ小学生だったのだ。お礼のために連絡先を聞くなんてことは思いつかなかったのだろう。杏寿郎だって、家や電話番号を教えてほしいなんて言えなかったのだから、しょうがない。
 逢えないまま、それでもここに来るたび義勇の姿を探してしまうのを、杏寿郎はやめられずにいるし、義勇のための誕生日プレゼントでバレンタインの大好きのチョコも買ってしまう。あげる宛てはないから、チョコはいつでも杏寿郎自身が食べるしかない。
 義勇へのチョコを口にするたび、胸のなかに大好きが溜まっていく気がする。今年もきっと、このチョコは杏寿郎の腹に収まるだけだろうし、甘くてちょっぴり苦い大好きの気持ちもチョコのぶんだけ胸に溜まるのだろう。
 それは少し切ないけれども、やめるきっかけも見つからないし、そんな気にもなれない。

 いつか、また逢えるだろうか。

 揺れるピカピカとしたハートのバルーンを見るともなしに見やり、杏寿郎は胸のなかで小さくつぶやいた。
 杏寿郎はまだ知らない。春になったら中学校で、きれいな海の色の瞳をした、花のように笑うその人と再会することを。

 春は、もうすぐそこだ。