800字分の愛を込めて 義勇受

煉義

お題:凛々しく、雄々しく(アンケートにお答えくださった方、ありがとうございました)※原作軸 煉→義。文字数は捨てました……字数合わせに時間を取られ過ぎる💦2/23(原文)

 凌雲閣――浅草十二階を擁すその界隈は、日本有数の歓楽地である浅草のなかでも、もっとも人間の欲望が渦巻く場所であろう。数百を超える私娼窟が広がる、東京府の闇の顔。それが浅草十二階の一面だ。
 明治天皇の御代において発布施行された鶏姦律令によって、吉原から消えた陰間茶屋も――今は秘密クラブなどと名称を変えてはいるが――この界隈ではいまだ健在である。
「冨岡はどこにいるんだろう」
 潜入任務にあたっている冨岡の後方支援が、今回の煉獄の任務だ。
 思い浮かべる冨岡の玲瓏な横顔は、享楽的なこの街にはあまりにも不似合いで、なぜ冨岡がと思わないでもない。それでなくとも冨岡は口が重い。潜入任務には向かぬ性格だ。
 だからこそ援護が必要なのだろうが、潜入任務に柱ふたりとは、大仰な話だ。敵は、少なくとも下弦の鬼程度の強さだということだろうか。
 冨岡が後れを取るとは思わないが、なんとはなし不安になって、煉獄は油断なく周囲に視線を走らせながら、怪しげな通りを歩く。と、暗がりから不意に腕に触れた手があった。
「ねぇ、お兄さん。遊んでかない?」
 声をかけてきたのはどはしたなく着物を着崩した、煉獄よりいくらか年上そうな女だった。明らかに私娼だ。
「すまないが客にはなれん。人を探している。この辺りで、長髪の、俺より少し背が低いくらいの男を見かけなかっただろうか」
「なんだ、アンタも竜胆狙い?」
 チッとはすっぱな舌打ちをひびかせる女に、煉獄は怪訝に首をかしげた。
「竜胆?」
「名前も知らずに探してたのかい。あんたが探してんのは、最近流れてきた噂の男娼だろ? 吉原辺りで太夫も張れそうなシャンの立ちん坊がいるって、男どもが大騒ぎでさぁ。まぁ、確かにきれいな子だけどね」
 
 立ちん坊なんてしているわりに擦れた様子がなくて、品がある。長くて厚いまつ毛を少し伏せて、ちろりと視線を投げる瞳は瑠璃の青。私娼風情には過ぎた金額を提示されても、たやすくうなずかず、声を聞いた者はほとんどいない。
 
「目の色と群れない様子が竜胆の花みたいだって、誰かが竜胆の君とか呼びだしたのさ」
 面白くなさげな声で女が述べる男娼は、聞けば聞くほど冨岡だと思わざるを得ない。だが男娼とは。どうにも冨岡の為人とはかけ離れていて、煉獄は戸惑わずにはいられなかった。
 

 いくらか礼を渡して女と別れたあとも、竜胆という名の男娼と、清涼な水を思わせる冨岡とがどうしても結びつかず、自然、煉獄の眉間にしわが寄る。
 本当に冨岡なのだろうか。任務ならば男娼の真似事だろうと煉獄とて断る道理はない。男としての矜持など、大願の前では些細なことだ。けれど。
 冨岡のそんな姿は見たくはないな。ふと浮かぶそんな言葉に、煉獄は不甲斐ないと嘆息した。
 恋しいと想うようになったのはいつからだろう。特別なきっかけがあったわけではない。気がつけば目が自然と冨岡を追い、声を聞ければうれしくて。いつの間にか恋い焦がれていた。
 
「竜胆、やっと逢えた!」
 
 聞えた声にハッと我に返り、声のしたほうへ視線を投げると、路地の暗がりに人影があった。
 とっさに身を隠しうかがい見た煉獄の目が思わず見開く。紳士然とした男に言い寄られているその人影は、見慣れた隊服ではもちろんない。だが、見間違えるわけもなかった。冨岡だ。
 袖を通さず肩に羽織っただけのトンビの下の襯衣は、胸元近くまでボタンが開けていて、くっきりとした鎖骨が露わになっている。知らずゴクリと煉獄の喉が鳴った。
 月明かりに映える白皙。いつもの凛とした佇まいではなく、どこか気だるげで隙のある立ち姿だ。婀娜めいて頽廃的な色香をまとわせる男娼の姿。けれど、確かにそれは、冨岡義勇その人だった。
「あぁ、本当にきれいだ、竜胆」
 酔ったような男の声音と、冨岡の鎖骨をなぞる手に、煉獄は脳髄がカッと熱を帯びるのを感じた。それに触れるなと怒鳴りたくなるが、強く奥歯を噛みしめこらえる。悋気に胸を焼こうとも、煉獄は柱だ。
 気配を消し、煉獄は静かに刀の柄に手をかけた。そのとき、わずかに顔をあげた冨岡の瑠璃色の瞳が、一瞬、煉獄の瞳をとらえた。迷わず煉獄は鯉口を切る。
 するりと冨岡の手が動いて、男の胸をトンっと押しやった。
 
「煉獄、こいつだ」
 
 冨岡の声は、小さいけれどよく通る。無言で剣を鞘走らせて駆け寄る煉獄に、男の形相が変わった。
「テメェら鬼狩りかっ!」
 ぐわりと開いた口から覗く牙。冨岡に伸ばされた手には鋭い爪。その爪が冨岡に触れるより早く、サッと身をかわした冨岡の肩から上着が落ちて、次の瞬間には背にした日輪刀が抜き放たれていた。
「なぶり尽くしてから食ってやるつもりだったのに、騙しやがって!」
「勝手なことを抜かすな」
「冨岡、よくわかったな!」
 人に紛れて生活して得物を狙う鬼は厄介だ。気配を隠し人のふりをするのがうまい。
「……触れられたとき、鬼の気配がした」
 本性を隠せぬほど興奮しきっていたということか。悟った瞬間、煉獄の剣が気迫とともに鬼に迫る。切っ先を寸前で交わした鬼を、間髪入れずに冨岡の剣が襲うが、やはり髪一筋ほどの差でかわされた。
「……遠近感が狂ってる」
「うむ、擬態というよりも目くらましの術を使うのかもしれんな」
「ごちゃごちゃウルセェ! この際くたばってからでもかまわねぇや、こんな上玉をしゃぶりつくせる機会、滅多にねぇ」
 ニヤニヤと笑う鬼は、不快感ばかりを煽る。もはや怒りを押し殺す必要もない。
「俺もまだ触れていないというのに、鬼風情に冨岡の肌を汚させるわけにはいかんなっ!」
 煉獄のふるった刃は、やはり鬼には届いてはいない。だが、鋭い斬撃の空圧は鬼にたたらを踏ませるには十分だった。そのすきを見逃すことなく冨岡の刃が鬼の頸を斬りはらった。
 悪態をつきながら塵になっていく鬼を一顧だにせず、ビュンと刃をふるって血のりを払う冨岡は、先ほどの退廃的な風情など露とない。凛と立つその姿は、凛々しく雄々しい。
 その姿に、煉獄は息を飲み見惚れた。
 婀娜めき欲を掻き立てる男娼のふりした姿より、凛とした剣士として立つ冨岡こそが、煉獄を魅了するのだ。冨岡の洗練され優美とさえいえる剣は、冨岡そのものだと煉獄は思う。
「……触りたいのか?」
「は?」
 唐突な冨岡の言葉に、煉獄は目を見開いた。いったいなんのことだろう。
 煉獄の答えを待っているのか、わずかに小首をかしげている冨岡に、煉獄も思わず首をひねってしまう。
 なにを言いたいのだろうと考えた刹那、先ほどの己の発言を思い出し、煉獄の顔がたちまち朱に染まる。
「すまんっ! 俺はとんでもないことを!」
「別にいい」
 言うなり襯衣の襟元をさらにくつろげ、ん、と促してくるから眩暈がする。
「い、いやっ、冨岡、意味がわかっているのか!?」
「なんで触りたいのかは知らんが、煉獄ならかまわない」
 さらりと宣う冨岡には、まったく躊躇や羞恥は見られない。
 これは本気でわかっていないようだ。なんだか肩が落ちてしまうが、それもまた冨岡らしい気がして、煉獄は思わず笑った。
「やめておこう。俺が触れたがっていることだけ覚えていてくれたら、それでいい」
 言いながらボタンをとめてやれば、存外素直に、冨岡はされるがままになっている。
 煉獄になら触れられてもかまわないというのは、本心なのだろう。それはそれで舞い上がりそうにうれしくはあるが、それだけでは足りない。
 求めるだけではなく、求められたいのだ。冨岡とは、同じ想いで触れあいたい。
 落ちている上着を拾い、冨岡にはおらせてやりながら、煉獄は不敵に笑った。
「だが、冨岡が俺に触れられたいと思ってくれたのなら、遠慮はしない。覚悟しておいてくれ」
 わけがわからないと言わんばかりに首をかしげたままの冨岡は、それでも「わかった」とうなずくから、煉獄の笑みはますます深まる。
 
 群れずひっそりとひとり咲く竜胆の花。ほかの誰にも手折らせてなるものか。
 
「竜胆はかなり苦いそうだが、君は甘そうだ」
 小ぶりな唇に触れたのなら、きっと天上の甘露の如く酔うのだろう。竜胆の花だって、薬になる根は苦くとも、蜜はそれでも甘いに違いない。
「……煉獄の言うことは、よくわからない」
「うん、今はわからなくてもかまわん! わかってもらえるよう努力するまでだ!」
 快活に笑って、煉獄は手を差し出した。キョトリとまばたく瞳を見つめ、じっと待つ。
 首をひねりながらも冨岡は、そっと煉獄の手に己の手を重ねるから、ギュッとその手を握った。
 今はこれぐらいでいい。というよりも、これぐらいは許してほしい。
「この界隈は変な輩が多いからな! 手を繋いでいこう!」
「……子どもみたいだ」
「たまには童心に帰るのもいいだろう?」
 
 心のうちにあるものは、子どものような純粋さばかりではないけれども。
 
 握り返しこそしないものの、拒まず煉獄の手に引かれる冨岡が、どうしようもなく愛おしい。
 凛々しく雄々しい剣士としての冨岡も、無垢な子どものような冨岡も。男の欲を掻き立てる様もすべて含めて、冨岡が好きだと思う。
 朝はまだ遠い。こんな街では男ふたり手を繋ぎ歩いていても、奇異の目で見る者もない。
 冷たく冴えた見た目と違い、冨岡の手は、ほんのりと温かかった。