手袋を買いに行ったら大好きな人ができました3

 何日も眠り続けた炭治郎が、ようやく目を覚ましたそのときに、真っ先に目にした色は、深く澄んだ青でした。
「……義勇さん」
 掠れた声で炭治郎が名を呼んだ瞬間、きれいな青い瞳から、もっときれいな雫がポトリと落ちて、炭治郎の体は温かくて逞しい腕に抱きしめられていました。
「もう、目覚めないかと思った……っ」
「ちゃんと、起きますよ……? ずっと、義勇さんと一緒に、いるんだから」
 途切れ途切れになった声は、あんまり強く抱きしめられたから。ちょっと痛いし苦しいし、でも抱きしめられるのはうれしくて、ちょっぴり恥ずかしい。
 どうしたらいいのかわからなくて、炭治郎はとりあえず、よしよしと義勇の頭を撫でてあげました。泣いていたから慰めてあげたかったのだけれど、炭治郎が撫でると義勇はますます泣いてしまうようです。
 困ったなぁ。なにをしたら義勇さんは泣き止んでくれるのかな。炭治郎が悩んでいると、軽やかな声が聞こえてきました。
「あらあら、冨岡さんたら。それじゃ炭治郎くんが苦しそうですよ? 炭治郎くんはまだ魂が安定してないんですからね。いくら未来のご伴侶が目覚めてくれてうれしいからって、あまり強い神気を当てちゃ駄目ですよ」
「蟲柱様……」
「はい。大丈夫ですか、炭治郎くん?」
 現れたのは蟲柱様です。バツが悪そうに義勇が離れていくのを、ちょっと残念に思いながら、炭治郎は疑問を乗せた視線を蟲柱様に向けました。蟲柱様は、炭治郎がなにを聞きたいのかすぐに察してくれたようです。にっこりと微笑んで言いました。
「炭治郎くんは神様になったばかりなのに、いきなりたくさん力を使ったから、力を使い果たして倒れちゃったんです。ゆっくり休んで神気が安定するのを待てば、動けるようになりますからね。それまでは安静にしてなくちゃ駄目ですよ?」
「あの、禰豆子たちは無事ですか?」
 炭治郎の不安に答えてくれたのは、義勇でした。
「禰豆子も善逸も、伊之助も無事だ。お館様から特別にお許しいただき、蟲柱の住まいに滞在している」
「蟲柱様のところに……?」
「はい。ここも私の住まいです。私は神の医師のようなものなんですよ。だから炭治郎くんも私が診たんです。しばらくは炭治郎くんもここに滞在して、体と魂を休めてくださいね」
 なんだか気になる言葉がちょくちょく出ましたが、とりあえず、炭治郎の意識はそこまでが限界でした。義勇にずっと傍にいてくださいねとどうにか言うと、炭治郎はまた眠りの底に吸い込まれていったのです。

 次に炭治郎が目を覚ましたのは、にぎやかな話し声のなかででした。寝台の周りには義勇だけでなく禰豆子や善逸、伊之助がいて、わんわんと泣く三人に抱き締められた炭治郎は、やっぱり起き抜けからちょっと苦しい思いをしました。
 炭治郎が日の神様の力を持ったことを、禰豆子たちももう知っていました。もう炭治郎は、禰豆子たちとは違う生き物なのです。けれど禰豆子は、お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんだよと言ってくれましたし、善逸や伊之助も変わらずにいてくれたので、炭治郎はホッとしました。
 義勇は毎日お見舞いに来てくれました。洋服屋さんの格好ならばともかく、水柱様としてのお姿には、まだまだ炭治郎は慣れません。戦装束の義勇はそれはそれは凛々しくて、炭治郎はついつい照れてしまうのですが、義勇は義勇で、蟲柱様に毎日かわかわれているようで、なんだか大変そうでした。

「なぁなぁ炭治郎ぉ、お館様になに貰うか、もう決めた?」
 にこにこしながら言う善逸に、炭治郎は腕組みすると、困り顔で首を振りました。
「俺様はもう決めたぜっ、天ぷら百人前だっ!」
「はぁ? 伊之助……お前馬鹿なの? お館様が無惨討伐を手伝ったご褒美になんでも言っていいって仰ってくれてんのに、なんで天ぷら? しかも百人前って馬鹿すぎだろっ!」
「なんだとぉっ! じゃあてめぇはなに頼むってんだよっ!」
「え~? 聞いちゃう? 聞いちゃうぅ? 俺はね~、禰豆子ちゃんの花嫁衣裳っ!! ほらっ、もうすぐ蛇柱様と恋柱様のご婚礼があるだろ? 恋柱様のきれいな花嫁衣裳を見たらさぁ、禰豆子ちゃんもお嫁に行きた~いとか思うかもしれないじゃんっ? そしたら俺が花嫁衣裳わたしてぇ、いつかこれを着て俺のお嫁さんになってねってプロポーズするんだぁ~」
「へっ、お前だって馬鹿じゃねぇか。バーカバーカバーカ!」
「んだとぉ!? 天ぷら百人前よりはるっっかにいいだろぉ!!」
 ギャアギャアと騒がしい善逸と伊之助の言葉は、炭治郎の耳を素通りしていきます。
 禰豆子は蟲柱様の眷属の女の子たちと仲良くなって、一緒に花の蜜を使ったお菓子を作っているそうで、炭治郎が上の空だと善逸と伊之助を止めるものはいません。
 騒がしい声が響くなか、炭治郎はずっと考えていました。炭治郎が一番欲しいもののことを。

「ねぇ、義勇さん。お店の椅子が四つなのは、蔦子お姉さんと錆兎と真菰と義勇さんの席だったからですか?」
 善逸と伊之助が、うるさくするなら出ていってくださいと眷属の女の子に叱られ追い出されたあとで、義勇が部屋に顔を出してくれました。水柱様の戦装束に見惚れた炭治郎は、今日も今日とてひとしきり照れてしまったのですが、それでも疑問に思っていたことを聞いてみました。
「……なぜその名を?」
「日の神様の力をいただいたときにお聞きしたんです」
 驚く義勇にそう言うと、義勇は黙り込んで炭治郎の言葉の意味を考えていたようですが、やがて小さくうなずきました。
「逢えたのか?」
「はい。昔々の水の神様と日の神様のお話を教えてくださって、それから耳飾りの封印を解いてくれました」
「そうか……」
 少し寂しげに、けれどやさしく微笑んで、義勇は、炭治郎の狐の耳と耳飾りをそっと撫でてくれました。
「……姉上が襲われたとき、俺は、狭霧山の大天狗である鱗滝先生の元で鍛錬をしていた」
「大天狗さんのところでですか? すごいですねっ!」
「すごくはない。俺は眷属としてはまだまだ弱く、狐面をつける力がなかった。だからこそ鍛錬が必要だった」
「強くないと狐の面はつけられないんですか?」
 こくりとうなずく義勇に、炭治郎は、それじゃ錆兎と真菰はとっても強いんだなぁと、二人の姿を思い浮かべました。
「狐面は天狐の力、つまり日の神の力に肖るためにつける、水の一族だけに許されたものだ。水の力と日の力が合わさる威力は、お前ももう知っているだろう? 日の神の力に釣り合う技量がなければ狐面をつけることは許されないのだが、俺の力はまだまだ狐面に見合うものではなかった」
 義勇の声は、なんだかとってもつらそうです。後悔する匂いがして、炭治郎の胸がキュウッと痛みました。
「姉上の眷属である錆兎と真菰は、俺と姉上の親族ではないが、鱗滝先生のところでともに修業した、俺にとっては兄姉弟子のようなものだ。幼いころからずっと一緒だった……」
「だから、椅子は四つだったんですね」
「ああ……」
 きっと四つの椅子は、義勇にとって幸せの象徴だったのでしょう。炭治郎たちがテーブルに着いているとき、義勇がなにを想っていたのか考えると、炭治郎はなんだかとても切なくなりました。
「いずれは姉上の跡を継ぐことを定められた眷属だったというのに、俺は姉上や錆兎たちが『災い』と戦っているとき、なにもできなかった。なにも知らず、一人安全な場所にいたんだ。俺に水柱を継ぐ資格などない」
「そんなことないですっ! 義勇さんは立派な水柱様です!!」
 必死に言うと、義勇は小さく笑ったようでした。興奮するのは体によくないとベッドに横にならされて、炭治郎はムゥとほっぺたをふくらませました。それに少し苦笑して、寝かしつけるように炭治郎の胸をぽんぽんとやさしく叩いてくれながら、義勇は静かに話し続けます。
「お前に初めて出逢ったのは、柱を名乗ることにためらいしかなかったころだ。お前の家族が襲われるのにも間に合わず、罪悪感や自己嫌悪ばかりに苛まれていたが、お前は……お前と禰豆子は、何度も何度も、俺の社がある泉に感謝と祈りを捧げに来てくれた」
 胸を叩く手を止め、義勇は炭治郎のおでこに自分のおでこをコツリと当てると、そっと囁きました。
「ありがとう……お前たちのおかげで、俺は柱になれた。お前たちの感謝と祈りが、俺を柱にしてくれた」
「義勇さん……?」
「祈りが柱の力になる。それを承知していながら、姿を現すことを拒んでいた俺には、祈りや感謝も少なかった。だが、お前たちは姿を覚えていないことなど関係なく、祈りと感謝を捧げてくれただろう? それが、俺の力になった。なによりも強く、揺るぎない、力に……」
「それじゃ、俺、ちゃんと水柱様のお役に立ててたんですね」
 うれしくてニコニコと炭治郎が笑うと、義勇も小さく笑い返してくれたのですが、すぐに困ったように視線を逸らせてしまいました。
「その、お前が天狐の血筋なのは、初めて見たときからわかっていた。だから……もし、お前が俺とともにいたいと望んでくれることがあれば、日の神として、水の神である俺の……伴侶、として、俺とともに生きてくれるかと……」
「……伴侶」
「いやっ、気にするな。忘れていい。お前はまだ幼い。いずれ日の神としてお館様の一柱を担うようになれば、眷属を得てそこから神嫁を迎え入れることもあるだろうし、胡蝶の眷属である栗花落のような神の親族から、伴侶を迎えることにもなるだろう。今から、俺の……伴侶に、などと、決める必要はない」
「なりますっ、俺! 義勇さんの伴侶になりたいですっ」
 ガバッと起き上がって言った炭治郎に、義勇の目が丸く見開かれました。
「炭治郎……俺の話を聞いていたのか? 幼いお前が今から伴侶などと決める必要はないと……」
「だってっ、俺が大人になって日柱になるまでに、義勇さんだって神嫁様を迎えちゃうかもしれないんですよね? もしかしたら蟲柱様とかとご結婚して、伴侶になさるかもしれないんですよね? 嫌です、俺……義勇さんと一緒にいていいなら、俺が義勇さんの伴侶になりたいですっ」
 ぎゅっと義勇の襟元を握りしめ、きれいな顔を見上げて一所懸命言った炭治郎に、義勇はなぜだか天を仰ぎました。ハァッと溜息までついています。
「……神との約束は、たがえられん。今ここで約束してしまったら、これから先お前に恋しい相手ができても、伴侶となることは許されないんだぞ?」
「いいですよ。だって俺が一番大好きなのは、これから先もずっと義勇さんだけですからっ! それに、真名って伴侶やご家族にしか本当は知られちゃいけないものなんでしょう? 蟲柱様が教えてくれました! 俺はもう知ってますから、義勇さんの伴侶になってもいいですよねっ」
 ニコニコと笑って言う炭治郎を、ようやく見つめ返してくれた義勇が、小さな声で囁きました。真名を教えてくれたときと同じくらい、その声は小さかったのですけれど、義勇がくれた言葉は、炭治郎にとって義勇の名前と同じくらい大切な、宝物のような言葉になりました。

「……お前が大きくなって、神として独り立ちしたら……どうか俺の伴侶になってくれ、炭治郎」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 大きな大きなキメツの森の外れに、その小さな洋服屋さんはあります。
 それは泉の水が凍りだす冬の間だけ開かれる、不思議なお店でした。森の動物たちが寒い冬を凍えて過ごさぬようにとお店を開いた洋服屋さんは、とっても無口で口下手なのですけれども、やさしい人です。売っているマフラーや手袋もとにかく温かくって、動物たちには評判のお店でした。
 店主である洋服屋さんは、長い黒髪を半半柄なベストの背に揺らしながらお仕事机に向かっては、いろんな物を作っています。森の動物たちはみんな、洋服屋さんが作る暖かいセーターやらマントやらを身に着けて、寒い冬を乗り切るのです。
 お店のドアを開くと、ふさふさしたしっぽ自慢な狐の店員さんが、いらっしゃいませと笑ってくれます。とっても明るいお日様みたいな笑顔の店員さんです。
 その店員さんは、ご伴侶様と呼ばれることもありました。
 店員さんがまだ子供だった何年か前までは、柱さま見習いのご眷属様なんて呼ばれ方もしていました。けれども、店員さんも大人になったので、このたび正式に襲名の儀とご婚礼の儀が行われて、店員さんは日柱様だとか、水柱様のご伴侶様と呼ばれるようになったのです。
 お店には洋服屋さんのお仕事机のほかにもテーブルセットが置かれていて、洋服屋さんと店員さんは、お客様がいないときにはそこでお茶にすることも多いそうです。
 丸いテーブルには椅子が五つ。昔は四つしかなかった椅子に、森の護り神であるお館様から店員さんに贈られた椅子が一つ加えられて、洋服屋さんと店員さん、ご家族やお友達が輪になって座り、そこで一緒にご飯を食べたりするという話です。
 もちろん、お客様が座ってもかまわないのです。洋服屋さんも店員さんも、叱ったりはしません。あなたがお店を訪れて、洋服屋さんが注文の品を作り終えるのを待つあいだ、店員さんはあなたをテーブルに招いて、温かくて甘いホットミルクをご馳走してくれるでしょう。
 だからもしもあなたがしもやけに悩むようなことがあったなら、ぜひ、キメツの森の外れにある小さな洋服屋さんにお出でなさい。お日様みたいな笑顔に出迎えられて、ぬくぬくとした手袋を買ったなら、きっとその冬は幸せに過ごせるはずです。

 さぁ、キメツの森の外れの小さな洋服屋さんに、あなたもどうぞ、いらっしゃい。