廊下の先は広い踊り場に続いていました。さっきの『災い』たちはもう階段を下りていってしまったようです。炭治郎たちも踊り場から続く階段を急いで駆け下りました。
階段は長くて、途中何度か折り返しながら、ずっと下まで続いています。
「あそこで階段は終わりだ。また廊下に出るぞ」
「あいつらはどっちに行きやがったんだぁ?」
廊下に降り立った炭治郎たちは、小さい声で話しながら、きょろきょろと周囲を見回しました。でも『災い』の姿は見えないし、匂いも音もしてきません。辺りは四方に伸びた廊下に沿って部屋がずらりと並んでいます。これでは後を追いかけられません。
一つずつ部屋を覗いてみようか。いやいや、そのたび罠に出くわしでもしたら、すぐに『災い』に見つかっちゃうぞ。だけどのんびりしてる時間もない。こそこそと相談するのですが、なかなか話はまとまりません。
お腹もまた空いてきて、藤の花を見てみれば三分の一ほどが枯れてきています。匂いはまだお腹いっぱいにしてくれますが、この花が全部枯れたら年の替わる夜になってしまうのです。急がなければいけません。
「しかたない。呪文を唱えてみるよ」
炭治郎が呪文を唱えると、伊之助のマフラーの下でペンダントがふわりと浮き上がりました。
慌てて伊之助がペンダントを手にすると、ペンダントはきらきらと金色に光っています。
「どう使やぁいいんだぁ?」
「うーん、いろいろ試してみようか」
ペンダントを振ってみたり、洋服屋さんがするように息を吹きかけてみたりしましたが、ペンダントはきらきらと光るばかりでなにも起こりません。癇癪を起した伊之助がペンダントを床に叩きつけようと振り上げたそのときです、慌てた声で禰豆子が言いました。
「ちょっと待って、伊之助さんっ。今、ペンダントが赤くなったように見えたの」
「えっ、本当か? 禰豆子」
「うん、ちょっとだけだったけど」
伊之助からペンダントを受け取った禰豆子が、ペンダントを透かして廊下を見ると、廊下の先にある部屋の障子が赤く光っていました。
「見えたっ。見えたよ、お兄ちゃんっ。ホラ、このペンダントを透かして見ると、赤く光ってる場所があるよっ」
炭治郎たちもペンダントを目の前にかざしてみましたが、たしかにほかの部屋とは違って、赤く光って見える部屋が一つだけあります。
「きっとあそこだっ」
「すごいっ、よく気がついたね禰豆子ちゃんっ」
「えへへ、たまたま見えただけだけど、よかったぁ」
「よぅし、行くぞ子分どもっ」
こそこそと小声で話しながら、マントを被った炭治郎たちは、廊下を静かに進んでいきました。
しーっと唇に人差し指を当ててみんなを見回した炭治郎が、赤く染まって見える部屋の障子を少し開けて覗いてみると、さっきの『災い』たちがいました。たくさんの洋服にアイロンをかけて皺を伸ばしたり、畳んだりしながら、『災い』たちはああでもないこうでもないとお喋りをしています。
どうやら無惨の服の手入れをしながら、届ける服を選んでいるようです。
そっと障子の前から離れた炭治郎たちは、廊下を少し戻って話し合いました。
「後をつけていくにしても、部屋の前にいたら危ないよな。どこか近くの部屋で見張ったほうがいいかもしれない」
「そうしようよぉ、ずっと走ったり上ったりしっぱなしなんだぜ? ちょっと休まないと疲れて動けないよぉ」
「相変わらず弱みそだな、紋逸」
「私も少し疲れちゃった。お兄ちゃん、『災い』たちが部屋を出るまで、ほかの部屋で休もうよ」
それじゃあそうしようかと、炭治郎たちは『災い』たちがいる部屋の斜め向かいの部屋に入っていきました。障子を少しだけ開けて外を見張れるようにして、炭治郎たちはやっと一息つきました。
ずっと緊張しながら動き回っていたので、思ったより体は疲れていたようです。
畳の上に座り込んだ途端に、炭治郎たちはそのままぐったりと横になってしまいました。
もしかしたら今は夜なのかもしれません。いつもだったら眠っている時間なのか、炭治郎たちの瞼はどんどん重くなっていきます。
眠っちゃ駄目だ、見張らなきゃ。そう思うのですが、どうしても目を開けていられなくて、いつの間にやら炭治郎たちは眠ってしまいました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「んんっ、ん~……?」
なにか細いもので鼻先を擽られて、炭治郎はぼんやりと目を覚ましました。見れば善逸のしっぽの先が、炭治郎の顔の近くでひょこひょこ揺れています。
なんだ、善逸だったのかと思った次の瞬間、パチリと目が覚めた炭治郎は、慌てて飛び起きました。
いったいいつの間に眠ってしまったのでしょう。『災い』たちを見張らなくちゃいけなかったのに。焦って藤の花を見ると、藤の花はもう半分枯れています。
「大変だっ。おい、禰豆子っ、善逸と伊之助も起きろっ。もう藤の花が半分枯れてる!」
みんなを揺すって起こすと、禰豆子たちも大慌てで飛び起きました。
「うわっ、本当だっ。どうしよう、あいつらまだいるのかな」
「見てみるねっ」
障子の隙間から禰豆子がペンダントを翳して斜め向かいの部屋を見ましたが、赤い光は見えませんでした。
「おい、どうすんだ? これじゃ無惨がいる場所がわからねぇぞ」
「とにかくじっとしてても時間がなくなるばっかりだ。ほかに『災い』がいないか探してみよう!」
藤の花の匂いでお腹をいっぱいにすると、炭治郎たちはマントを被ってそっと部屋を抜け出しました。
ペンダントを透かして見ても、赤い光は近くには見当たりません。とにかく先に行ってみようと廊下を進んでしばらく行くと、ペンダントを覗き込んでいた禰豆子が、あれ? と首をひねりました。
「禰豆子、どうしたんだ?」
「あのね、少しだけ赤くなってるところがあるんだけど、どう見ても壁なの」
炭治郎たちも代わる代わる見てみましたが、たしかに小さな赤い光が見える場所には、頑丈そうな壁しかありません。
「あの壁の向こうに『災い』がいるってことかな」
「どっかに回り道ないかなぁ。この壁は崩せないだろ?」
「でもここは廊下の突き当りよ? 周りは部屋しかないし……」
「なら、この壁を崩すしかねぇなっ! どいてやがれ子分どもっ!」
言うなり壁に頭突きした伊之助に、みんな慌ててしまいましたが、壁はゴンッと大きな音を響かせただけでびくともしません。それどころか、伊之助のおでこには大きなたんこぶができてしまいました。
「お前もうちょっと考えてからやれよ! 布はもう無駄遣いできないんだぞ!?」
「それにあんまり大きい音は立てないほうがいいかも。『災い』に気づかれちゃう」
善逸と禰豆子に言われ、伊之助は唇を尖らせると、それならどうしろってんだ、時間がないんだぞと不満顔です。
そう言われてしまえば善逸や禰豆子も、なにも言えなくなってしまいます。だって眠ってしまったせいで時間がなくなってしまったのは確かなのですから。
お館様のお社に集まったのは、新年まであと二日という朝でした。ということは、きっと今夜が年が替わる夜でしょう。無限城にはお日様がまったく見えないので、今が朝なのかお昼なのかもわかりません。もしかしたらもう夕方なのかもしれないのです。
藤の花は半分以上枯れています。とにかく、この花が全部枯れる前に無惨を探さなければいけません。
「……うんっ。大きな音がしてもマントがあればなんとかなるかもしれないし、俺も頭突きしてみるよ! 今は無惨を探すほうが先だっ!」
禰豆子たちはしっかりマントを被ってるんだぞと言って、炭治郎は思い切りおでこを壁に打ち付けました。けれどやっぱり壁にはヒビ一つ入りません。おでこに貰ったご加護は、水晶を採るのに使いきってしまったのかもしれません。
それでも、炭治郎は諦めることなく何度もおでこを壁にぶつけました。たんこぶができている伊之助も、俺もやると壁に体当たりしようとするのですが、善逸と禰豆子が必死に止めました。大怪我をしてしまったら、八枚しか残っていない布で治せるかわからないのですから。
けれども時間はどんどん過ぎていきます。短気な伊之助は歯ぎしりして壁を睨みつけていました。
「はぁ……まだ駄目か。でも、諦めるわけにはいかないっ。もうちょっと待ってくれ、頑張ってみるから!」
炭治郎の言葉に、禰豆子と善逸の眉毛が泣き出しそうに下がります。なんにもできずにいるのが、悔しくてたまらないのでしょう。
「うぐぅぅぅっ! 一二三四五六七ぁ…八九十のぉ…十種、の御寶っ!」
「えっ!? 伊之助、お前呪文覚えたのっ!?」
詰まりながらも大きな声で呪文を唱えた伊之助に、善逸が飛び上がって驚きました。炭治郎と禰豆子もぽかんとしてしまいました。
驚く炭治郎たちの前で伊之助のリストバンドがきらきらと光りだします。岩柱様のお力を借りる青く染まった水晶がついたリストバンドです。伊之助はニヤリと笑うと、思い切り壁に拳を打ち込みました。
ガァンッと大きな音がして、壁が大きくひび割れました。
「もぉいっっちょぉおぉおぉぉぉっっ!!」
大きく拳を振りかぶり、気合十分に伊之助が壁を打つと、とうとう壁はガラガラと崩れて、炭治郎たちが通り抜けられるぐらいの穴が開きました。
「やったぁぁっっ!!」
「すごいぞ、伊之助!」
「へへん、俺様にかかればこんなもんよっ。さぁ、行くぞお前ら!」
飛び上がって手を叩き合った炭治郎たちは、急いで穴を潜り抜けました。禰豆子がペンダントを翳すと、壁の向こうに続いていた廊下の先が、さっきよりも赤く光っています。
きっとあそこだ! 炭治郎たちは先を急ぎました。本当は姿を隠したいところですが、マントを被ってしまうと動きづらくなってしまうので、『災い』たちが出てきそうになるまでは我慢するしかありません。
油断していないつもりでも、一心不乱に走っていたからでしょう。『災い』が近くにいることにすら気づかずにいたようです。突然、廊下の先からひょっこりとイタチ顔の『災い』が姿を現して、炭治郎たちは揃って飛び上がり上がりました。
「なんだぁっ!? 動物のガキがなんでここにいやがるっ!!」
「どうしたんだい……おやまぁ! なんておいしそうな狐なんだろうね。しかも二匹もいるじゃないか」
しまったと思っても後の祭りです。『災い』たちは、どうしようと泡を食う炭治郎たちを、ニヤニヤと笑って見ています。
「どっから紛れ込んだかはわからねぇが、こんなチビ助ぐれぇ、俺たちが食ってもあの方だってお叱りにはならねぇよな?」
「だよねぇ? これぐらいはご褒美さ。あんたはねずみとイノシシを食いなよ。狐どもはあたしがいただくよ」
「ヒィィッ! おおお俺はおいしくないですぅ!」
悲鳴を上げて善逸が飛び上がるのと同時に、『災い』たちは一足飛びに炭治郎たちに走り寄ってきます。逃げ出そうと後ろを向く間もなく、『災い』たちは目の前に迫っていました。
どうしよう! なにか戦う方法はっ!? 炭治郎は必死に考えましたが、もう間に合いません。
襲いかかるイタチ顔の『災い』の爪が、炭治郎の顔を引き裂こうとした瞬間。
「ギャアアァァァァアアアァァァアァァッッ!!」
つんざくような悲鳴を上げて、イタチ顔の『災い』が床に転がりました。
ぽかんとする炭治郎の胸元が、青く光っています。青い光は、凪いだ水面に広がる波紋のようにどんどん広がって、やがて炭治郎を守ろうとするかの如くに炭治郎の体を包み込みました。
「こ、こいつっ、柱の加護を持ってやがる!!」
「なんだってっ!? 嘘でしょう、なんでこんな狐のガキが、あんなに強い加護を貰ってんのよっ!!」
「俺が知るかよっ! あの加護の強さ、柱の中でもかなり上位の柱だぞっ、ありえねぇ!!」
炭治郎は呆然としながら、そっと胸元に触れてみました。そこはほっこりと温かくて、炭治郎は懐に手を入れると、温もりと光を放っているそれを取り出しました。
深く澄んだ泉の色のような、青いハンカチ。洋服屋さんがくれたお守りです。
「洋服屋さんが守ってくれた……っ」
炭治郎の大きな瞳に、じわりと涙が浮かびます。
「ぼんやりしてんじゃねぇ、権八郎! あいつら逃げるぞっ!!」
ハッとして炭治郎が顔を上げると、『災い』たちはもう廊下の先にいます。
「潰されちまいなぁ!!」
コウモリ女は笑いながらそう言うと、壁にあるレバーを下げました。ガタァンッ、ガガガガガッと大きな音がして、廊下の天井が下りてきます。
「大変だっ、潰されるぞ!」
慌てて炭治郎たちは廊下の両隣にある部屋に逃げ込もうとしましたが、どの障子も開きません。天井はどんどん迫ってきます。
『災い』たちがいる場所まで走り抜け、レバーを戻さなければ止まらないのでしょう。ぐんぐんと下がってくる天井はとても重たそうです。たとえ加護の力があっても、天井の重さに耐えられるとは思えません。このままでは炭治郎たちはぺちゃんこになってしまうでしょう。
もう駄目だっ。思わず目をつぶって衝撃を覚悟したそのときです。
「一二三四五六七八九十の十種の御寶ぁっ!!」
炭治郎にしがみついて震える禰豆子を見たと同時に、善逸が思い切り叫ぶように呪文を唱えました。
すると、善逸のブーツがきらきらと光り、ふわりと善逸の体が浮いたではありませんか。
「大丈夫だよ禰豆子ちゃん!! 禰豆子ちゃんは絶対に俺が守るからっ!!」
とんっ、と善逸が空を蹴って走り出すと、風を切り善逸の体はぐんっと進んで、あっという間に『災い』たちの元に辿り着きました。善逸は呆気にとられる『災い』たちの前でレバーを掴むと、力いっぱい元へと戻しました。
途端に、下がってきていた天井がピタリと止まりました。けれど、善逸のすぐそばには『災い』たちがいます。
「チィッ、このくそねずみがぁ!」
『災い』たちは怒りに顔を歪ませて、善逸に襲いかかりました。
「ひぇぇぇっ! ちょ、ちょっと待って! 嘘ぉ!? お、お守りは? なんで光んないのぉぉっ!?」
ハンカチの光が助けてくれると思った炭治郎や善逸を裏切るように、青い光は現れません。
間一髪避けた善逸が真っ蒼な顔で辺りを見回すと、お守りのハンカチは『災い』たちと善逸の間に落ちてしまっていました。
涙を拭ったときに、しっかりとしまい込まれていなかったのでしょう。慌ててハンカチを拾おうとしますが、イタチ顔の『災い』が振るう爪のせいで、善逸はお守りのハンカチに近づけません。
「あっ!! 善逸、危ないっ!!」
「紋逸ぅっ!!」
炭治郎と伊之助が必死に駆け寄りますが、ハンカチを拾おうと身をかがめた善逸にコウモリ女の牙は迫っていて、間に合いそうにありません。
「駄目ぇっ!! 一二三四五六七八九十の十種の御寶!」
禰豆子が唱える呪文が響いて、禰豆子の髪を結わえていた組紐が、きらきらと光り輝きだしました。
「善逸さんにひどいことしないでっ!!」
叫びながら禰豆子が駆けると、なぜだか『災い』たちはピタリと動きを止め、フラフラと揺れながらゆっくりと跪きました。
「……ご命令、を」
『災い』たちは酔っぱらったようにぼんやりとしながら、禰豆子に向かってそう言うと、頭を下げています。
きっとこれが恋柱様のご加護なのでしょう。善逸の元に駆け寄った炭治郎と伊之助が顔を見合わせる前で、禰豆子は震えながら言いました。
「無惨のところに案内して」