襖を開いた先には、複雑に入り組んだ階段や廊下、障子で閉ざされた数えきれないほどの部屋が、無秩序に広がっていました。
階段を上った先が壁で行き止まりだったり、廊下が途中で下に向かって伸びていたり。逆向きに据えられて、上ることも下ることもできない階段まであったりします。階段が廊下や踊り場に続いているともかぎりません。下には床がない階段まであるので、うっかりすれば、いったいどこまで落ちてしまうのかわからないのです。上下も左右も関係ないその光景は、まるでだまし絵のようでした。
襖から続く踊り場に恐る恐る進んだ炭治郎たちは、首をすくめつつ周囲を見回しました。炭治郎たちがいる踊り場からは、上へと続く階段はありますが、地下に続く階段は見当たりません。長く細い階段を上り切った場所は廊下のようですが、その廊下が行き着く先は、入り組んだ階段や踊り場に隠れて見えませんでした。
けれど進まないわけにはいきません。どうにかして地下へと降りる道を見つけ出して、無惨の前で柱様を呼ばなければいけないのですから。
「とりあえずこの階段を上ってみよう」
炭治郎たちは並んで階段を上っていきました。階段は細くて、一人ずつでないと上れません。どんどん上ってようやく廊下に出ると、今度は左右に伸びた廊下の先はどちらも上と下に伸びていて、このまま歩いていっても先に進めそうにはありませんでした。
下に伸びた廊下は、どうやら障子で閉ざされた部屋に続いているようです。上に伸びた廊下は踊り場に続き、そこから下へ向かう階段が見えました。
「このままどうにかして下の部屋に飛び降りるか、上によじ登って階段で下に行くか……どっちがいいんだろう」
「どうせ下に行くんだ、パパッと飛び降りちまうほうが手っ取り早いに決まってんだろっ」
「なに言ってんだよ、部屋があるのはかなり下だぞ! 飛び降りたら怪我するに決まってるだろ!!」
「上に行く廊下も、垂直だから上れそうにないね。どうする? お兄ちゃん」
「うん……よしっ、まずは上に行ってみよう! 今までも罠があるほうが正しい道だったろ? 行けないって思う上が正解な気がするんだ」
炭治郎の言葉に禰豆子はうなずきましたが、善逸と伊之助は不満顔です。
「上に行くって言ったって、崖と違って廊下じゃつるつるで登れないぜ? きっと俺たちこのままここで死んじゃうんだっ」
そう言って善逸はべそべそと泣きだしますし、伊之助は伊之助でイライラと声を張り上げます。
「ぐじゃぐじゃ泣いてんじゃねぇよっ! 飛び降りたほうが早ぇって言ってんだろ! とっとと行くぞ!!」
「待てってば! もうっ、善逸も伊之助もどうしたんだ?」
「お兄ちゃん、二人ともお腹が空いてるんじゃないかなぁ」
禰豆子が言った途端に二人のお腹がぐぅっと鳴って、炭治郎と禰豆子は顔を見合わせました。
「そう言えば、朝ご飯を食べてからなんにも食べてないな」
「でも今日はお弁当を持ってきてないよ? 年の替わる夜まで私たちなんにも食べられないのかな」
禰豆子がしょんぼりと言うと、それを聞いた善逸と伊之助も、嫌だ無理だと騒ぎ出しました。
炭治郎も困ってしまって、どうしようと溜息をつきたくなりました。なにも食べてないのを思い出したら、炭治郎のお腹も空いてきて、おまけに喉まで乾いてきたものだから、ますます困ってしまいます。
ご飯のことなんてすっかり忘れていたなぁ。困り切った炭治郎は、不意に感じた甘い匂いに鼻を引くつかせました。甘い匂いは、炭治郎が帯に刺している藤の花からしているようです。
素敵に甘いその匂いに惹かれて、炭治郎が思わず藤の花を手に取りよく嗅ぐと、なぜだか喉の渇きが消えていきます。ペコペコだったお腹もなんだか満腹になってきて、炭治郎はパァッと顔を輝かせました。
「みんな、藤の花の匂いを嗅いでごらん、お腹がいっぱいになるよっ!」
「えぇ~、まさかぁ。そんなことあるわけないだろぉ」
言いながらも花に顔を近づけた善逸が、本当だ! とうれしそうな声で言うと、伊之助も禰豆子もふんふんと藤の花の匂いを嗅ぎだしました。
「すごいねぇ、お兄ちゃん。お花の匂いでお腹がいっぱいになるなんて」
「さすがはお館様のくれた花だな!」
「でも、年の替わる夜には全部枯れちゃうんだろ? ってことは、それまでに無惨に逢えなかったら、森が襲われるだけじゃなくて、俺たちだってここから出られないまま、飢え死んじゃうってことだよな」
「ケッ、間に合わなかったらなんて考えてんじゃねぇよ。間に合わせるんだろ!」
「うん、伊之助の言うとおりだ! 善逸、なんとしても間に合うように頑張ろうっ!」
うなずき合って、よし行こうと上に続く廊下に向かって歩き出すとすぐに、善逸がピタリと止まって耳をそばだてました。
「炭治郎、また変な音が聞こえる。っていうか……こ、この音って……っ」
「……うん、なんだか変な匂いもしてる。この匂いは、もしかして……」
炭治郎は善逸と顔を見合わせ、慌てて禰豆子と伊之助を引き寄せました。
「や、やっぱりこの音、『災い』だよなっ。なんでなんで!? 『災い』は出てこないんじゃなかったのぉ!?」
「しっ! 善逸、静かにしないか。でもたしかに『災い』の匂いがする。まだ残ってる奴らがいたのかもしれない」
震える禰豆子をしっかりと抱きしめて炭治郎が言うと、善逸も、なら戦おうぜと走り出そうとする伊之助にしがみついて止めながら、オロオロと辺りを見回しました。
「どうしよう、こっちに近づいてくるっ。隠れられるとこなんてどこにもないのにぃ!」
「お兄ちゃん、洋服屋さんの呪文を言ってみるね。なにか力を貸してくれるかもっ」
そう言って禰豆子が呪文を唱えると、禰豆子が羽織っていた桃色のマントがきらきらと光って、ぐんぐんと大きくなっていきました。
そうしてマントにすっぽりと禰豆子が隠れてしまうと、マントまですぅっと消えていきます。
「ね、禰豆子っ!?」
「禰豆子ちゃんっ!! 大変だ、禰豆子ちゃんが消えちゃったっ!!」
「子分その三! どこに連れていかれやがった!?」
「なぁに? 私はずっとここにいるよ?」
炭治郎たちが慌ててきょろきょろと辺りを見回すと、ひょっこりと禰豆子が顔を出しました。きょとんとしている顔の下には、体がありません。思わず叫びかけた炭治郎たちの前で、禰豆子の上半身が出てきたと思ったら、消えていたマントもすぅっと現れました。
そこで炭治郎はようやく、洋服屋さんが霞で作ってくれたマントが禰豆子の姿を隠していたのだと気づきました。
「すごいぞっ、このマントを被ると姿が見えなくなるんだ!」
「じゃあすぐ隠れようぜっ、ホラッ、もう音が近くまで来てるからぁ!」
小声で叫ぶ善逸にうなずいて、みんなは大きくなったマントをすっぽりと被りました。不思議なことにマントはすっかり透明になってしまって、被る前と同じように辺りを見回すこともできます。
炭治郎たちが息をひそめてマントのなかで身を寄せ合っていると、話し声が近づいてきました。声のするほうを見れば、イタチの顔をした男の人とコウモリの羽根を生やした女の人が歩いてきます。『災い』です。悲鳴を上げそうになった善逸の口を、伊之助が押えました。
『災い』たちはお喋りしながら、炭治郎たちの前を通り過ぎ、上に続く廊下に向かって歩いてきます。
「やれやれ、俺らみたいな下っ端は貧乏くじだな」
「やめてよ、そんな愚痴を言うもんじゃないよ。あのお方に聞かれたら殺されるじゃないか。あのお方の身の回りのお世話を言い付かったんだから、光栄だと思わなけりゃいけないよ」
「まぁ、そりゃそうだが……。だけど、明日の夜の一斉攻撃に参加できたら、腹いっぱい動物が食えたのにって思わないか? お前、狐が大好物だったろ?」
「そりゃまぁ……あんたはねずみが好きなんだっけ? あんなチビッこくってしみったれた動物食べて、なにがおいしいんだか……」
ヒッ! と小さく叫んで飛び上がりかけた善逸をみんなで抑えつけて、ドキドキと『災い』たちを窺います。気づかれてしまったでしょうか。不安でたまりませんでしたが、ちょうど同じタイミングでイタチの男が大きな声を出したので、善逸の声は『災い』たちには聞かれなかったようです。
「んだとぉ!?」
「しっ! 大声出したら、あのお方に叱られるよっ。それにさぁ、今回は忌々しい柱の奴らも総動員らしいじゃないか。奴らには大勢の仲間を祓われてるからねぇ。あたしらみたいに弱いのが出くわしたら、あっという間に斬り祓われちまうさ。残れてよかったじゃないか」
「へっ、柱なんてあのお方のご側近には敵いやしねぇよ。ほら、二十年かそこら前にも、柱を一人ご側近が倒してるじゃねぇか」
「ああ、聞いたことがあるねぇ。でもあの女の柱は治癒や癒しの力が強いだけで、腕っぷしは空っきしだったって聞いたよ?」
「ふふん、たしかにあの柱の女はたいして強かぁなかったが、眷属どもがべらぼうに強かったっていうぜ? 柱と同じくらい強い宍色の髪した男のガキと、とにかくすばしっこい女のガキだったそうだ」
「思い出した思い出した。狐面のガキどもだろう? そうだねぇ、狐面でさえご側近様方には敵わなかったんだものねぇ。今回もきっと楽勝さね。柱を全員葬ったら、次は忌々しい護り神もあのお方が滅ぼしてくださるだろうし、そうしたら狐もねずみも食べ放題っ。たまらないねぇ。おっと、いけない。のんびりお喋りしてる場合じゃないよ。急いでお召し物の準備をしなくっちゃ叱られちまう」
「おぉ、いかんいかん」
『災い』たちは足を速め廊下を進んでいくと、そのまま、なんということもなく垂直に上に伸びる廊下を歩いていきます。息を詰めて見送った炭治郎たちは、『災い』たちの姿が消えたのを確かめてマントから出ると、はぁぁぁっと深く息を吐きました。
「あの廊下、そのまま歩いて行けるみたいだな。俺らも歩いて行けんじゃねぇか? どうするよ、権八郎」
「でもさ、『災い』だから歩けたのかもしんないだろ?」
「試してみる価値はあるんじゃないかしら。それに、あの『災い』たちは無惨の身の回りのことをしてるみたいだったでしょ? 後を追って行けばもしかしたら無惨のいるところがわかるんじゃない?」
伊之助たちが口々に言うのを聞きながら、炭治郎は、『災い』たちの言葉を思い返していました。
殺された柱というのは、水柱様の姉上様のことでしょう。眷属の方は柱様のご親族だったりすることもあるそうですから、強かったというご眷属も、もしかしたら水柱様のご家族だったのかもしれません。
やさしくて悲しくて、寂しい匂いのする水柱様。ご家族をいっぺんに殺されて、どんなにおつらかったことでしょう。その悲しさや寂しさは、炭治郎にもよくわかります。
けれど、どんなにつらく悲しくても、炭治郎には禰豆子がいてくれました。水柱様が助けてくれたから、炭治郎は家族を全員失わずに済んだのです。
水柱様はどうなのでしょう。誰かそばにいてくれる人はいるのでしょうか。
炭治郎は、洋服屋さんのお店のテーブルを思い浮かべました。
丸いテーブルに、椅子は四つ。だけど、いつでもお店にいるのは、洋服屋さん一人きり。炭治郎がお店を訪れるまで、洋服屋さんはたった一人で座っていたのでしょうか。
とても悲しくなりましたが、今は悲しんでばかりもいられません。炭治郎はふるりと頭を振ると、うんっとうなずいてみんなを見回しました。
「禰豆子の言うとおりだ。とにかくあの廊下を歩けるか試してみよう。歩けたら、マントを使ってあいつらの後をつけて行こう」
炭治郎が決断すれば、話は決まりです。炭治郎たちはとっとこと走って、垂直の壁のようになった廊下の前まで行きました。
まず炭治郎が思い切って廊下に足をかけて立ってみました。すると不思議なことに、炭治郎は地面に立っているのと同じように垂直の廊下に立てたのです。それを見て、禰豆子も伊之助も続きましたが、善逸はなぜだか落ちてしまって、みんな困り果ててしまいました。
「なんで善逸だけ立てないんだろう?」
「弱みそだからじゃねぇのかぁ?」
「そんなこと言わないのっ。ねぇ、善逸さん、大丈夫だから勇気を出して歩いてみてよ」
「そうは言っても、これじゃ壁だよっ? 壁に立てるわけないよぉ……」
泣きべそをかきながら言う善逸に、そうかっ、と炭治郎は笑いました。
「なぁ、善逸。俺はこの廊下に立つときに、絶対に大丈夫って思いながら立ったんだ。もしかしたらこの廊下は、普通に歩けるって思ってないと立てないのかもしれない!」
「そうかも! 私もお兄ちゃんが立ったから、大丈夫なんだと思って不安にならずに立ったもの」
「よしっ、紋逸! 立てるって信じてきやがれ!」
洋服屋さんにもらったハンカチで涙を拭いて、善逸は「立てる立てるここは普通に歩ける」と何度も言いながら足を廊下にかけました。
「……っ、やったぁ! 立てた!」
「やったな、善逸! よし、急いでいくぞ!」
「「「おーっ!」」」
元気いっぱいに全員で拳を突き上げて、炭治郎たちはとっとこ廊下を進みます。
なにが待ち受けていたって、全員で乗り越えていくぞ! 強く誓いながら走る炭治郎たちのお尻で、みんなのしっぽが元気よくフリフリと揺れていました。