手袋を買いに行ったら大好きな人ができました3

 お館様が仰った途端に、お社の前は大騒ぎになりました。
 そんな恐ろしいこと、できるわけがない。お館様は俺たちに犠牲になれと言うのか。食われるのなんてまっぴらごめんだ。そんな悲鳴や怒鳴り声が、あちこちから聞こえてきます。
 多くの動物は顔を見合わせ、自分にはとても無理だと首を振るだけでしたが、隣で誰かが叫ぶと、不安からか自分も怒鳴り始める者も増えてきました。

「はいっ! 俺が行きます!!」

 ざわめく大人たちのなかで、炭治郎は小さな手を精一杯に上げて、大きな声で言いました。
 ためらいなんてあるわけもありません。だってただの狐の子供でしかない炭治郎にも、みんなを守るためにできることがあるのです。
 水柱様たちのお手伝いができるんだ! 炭治郎の小さな胸は期待と喜びにドキドキ鳴って、大きな瞳は幸せできらきらと輝いていました。
 けれど周りにいた大人たちは一斉に炭治郎を見ると、呆れたり馬鹿にしたり、または心配そうに首を振ります。
「お前みたいなチビがなにを言ってるんだ?」
「おやめなさいな、坊や。すぐに食べられてしまうわよ?」
「やれやれ、子供はなにもわかっていないんだな。探検気分でやれることじゃないっていうのに……」
 大人たちは口々に言いますが、炭治郎は気にしません。隣にいる禰豆子を見て、炭治郎は言いました。
「ごめんよ、禰豆子。兄ちゃんはどうしても水柱様のお手伝いがしたいんだ。兄ちゃんが帰るまで、禰豆子は善逸や伊之助と一緒に留守番しててくれ」
「なに言ってるの、お兄ちゃん。私は留守番なんてしないよ? だってお兄ちゃんと一緒に行くもの!」
 にっこりと笑って、禰豆子も炭治郎の手をギュッと握り返してきます。ビックリして止めようとした炭治郎に、善逸と伊之助も言いました。
「言うと思ったっ! 絶対に炭治郎はそう言うと思ったよ畜生!! 怖いけど俺も行くよぉっ、禰豆子ちゃんを守るのは俺なんだから、行かないわけにはいかないだろぉっ!!」
「ギャハハハハハッ!! 『災い』の親玉とは腹が鳴るぜぇっ! 子分どもっ、俺様についてこい!」
 さっそく周りの大人たちをかき分けて、伊之助はお館様の元へと走り出しました。
「それを言うなら腕! 腹を鳴らしてどうすんだよ、お馬鹿! 礼儀正しくしないと罰を当てられちゃうだろぉ!」
 怒鳴りながら善逸も伊之助を追いかけていきます。怖いもの知らずな伊之助はともかく、善逸はとっても臆病なのに。ぽかんとした炭治郎に、禰豆子が明るく笑いました。
「行こうっ、お兄ちゃん!」
「……うんっ! 今度もみんなで頑張ろうなっ、禰豆子!」
 炭治郎も笑顔でうなずいて、禰豆子と手を繋いだまま駆けだしました。飛び跳ねるように駆ける炭治郎の耳で耳飾りが揺れて、しっぽはふりふりとご機嫌に振られています。
 今度もみんなでお手伝いをするのです。今回のお遣いは、今までよりももっとずっと危険なお遣いになるでしょう。それでもみんな一緒なら、きっと今度もなんだってできるはずです。

 お社に続く階段の下に立って、炭治郎はぺこりと頭を下げました。
「初めまして、お館様! 俺は狐の炭治郎です! お館様のお遣いをどうか俺にやらせてください!」
「妹の禰豆子です! 私もお兄ちゃんと一緒に、お館様のお手伝いがしたいです!」
「ねねねねずみの善逸ですぅ……」
「イノシシの伊之助様だ! こいつらの親分だ! おい、俺らはなにをすればいいんだ?」
 伊之助の偉そうな態度に、周囲はまた大騒ぎです。お館様になんて口の利き方をするんだと怒る声が響くなか、お館様は慌てる炭治郎たちに楽しそうに笑いました。
「元気な子供たちだね。では君たちにお願いしよう。さぁ、こちらにおいで」
 怒るどころかやさしく手招きされて、炭治郎たちは社の階段を駆け上がりました。
 遠目に見ていたときはわかりませんでしたが、お館様のやさしげな目はめしいているようです。端正なお顔にも痛々しい引き攣れがあり、ご病気のように見えました。
 炭治郎は初めて間近に見たお館様のお姿に、昔お父さんから聞いた話を思い出し、きゅっと唇を噛みました。
 お館様は森の護り神としてご自分の身に穢れを集め、『災い』によって穢れた地を清めてくださっている、とても清廉で思い遣り深いお方。だからお館様への感謝を絶対に忘れてはいけないよと、お父さんは何度も口にしていたものです。
 ご自分の身を犠牲にしてまでも、炭治郎たち森の動物を守ってくださっているお館様のお役に立てるんだと思うと、炭治郎の背筋もピンと伸びます。一緒にお父さんの話を聞いていた禰豆子も、炭治郎と同じように気を引き締めたようでした。
 じっと見つめる炭治郎たちにうなずいて、お館様は、お社の前に集う動物たちに向かって言いました。

「さぁ、私のかわいい子供たち、役目を果たす者は決まった。ほかの者は年の替わる夜までに柱の住まいへ行くといい。柱の結界が『災い』から君たちを守ってくれるだろう。けれど忘れてはいけないよ? 神は偽りの祈りに応えることはない。本心から感謝を捧げ、武運を一心に祈れる柱の元へと行くように。君たちの心からの祈りが、柱の力になるのだからね」

 お館様のお言葉を聞いた動物たちは、それぞれ急いで雪のなかを歩きだしました。いつも自分がお参りする柱様のお住まいへと身を寄せるために、家に帰って支度をするのでしょう。不満そうな顔をする者もいましたが、それでも文句は言えないようでした。
 そうしてお社の前に誰もいなくなると、お館様は炭治郎たちをなかへと招いてくれました。
 お社は外から見るよりずっと広くて、澄んだ空気がしています。どこからか藤の花の香りがふんわりとただよってきてもいました。なんだかとても気持ちのいい場所です。
 促されて炭治郎たちが緊張しながら座ると、お館様はやさしく笑って言いました。
「さて、勇気ある子供たち、私の言うことをよくお聞き? 無限城は巨大な迷路のようなものだ。おそらくはいたるところに様々な罠が待ち構えているだろう。先ほども言ったように無限城には強い結界が張られていて、柱とその眷属は入れない。だからこそ無惨は、手下の『災い』を一斉に森へと差し向けるつもりなのだろう。けれど、どんなに強い結界でも、なかから力あるものが破れば必ず穴が開く。それには、無惨にとっては餌でしかない君たち動物が、無限城のなかから柱の名を呼んで、無限城に迎え入れなければならないんだ。柱が一人でも城に入れれば、内側から結界を壊しほかの柱も城に入れるだろう。そうなれば、今度こそ無惨を無限城の地下から陽射しの下へと引きずりだせる。君たちはもう柱の名前を知っているね? どうか無惨の元に辿り着いて、そこから来てほしいと思う柱の名を呼んでくれるかい?」
 ハッとした炭治郎たちは、思わずぽかんと口を開き顔を見合わせました。
 今までお逢いした柱様たちは、みんなお名前を教えてくださいました。もしも呼ぶときがきたらと、仰ってもいました。もしかしてこのときのためなのでしょうか。

 でもそうだとしたら、お館様や柱様たち、それにお遣いを頼んだ洋服屋さんは、最初から炭治郎たちが『災い』の首魁の元へ行くことになると知っていたことになります。
 炭治郎たちの驚きを察したのか、お館様は楽しそうに笑いました。
「名前には大事な意味と力がある。名によって存在は確かなものとなり、場合によっては相手を縛る戒めともなるものなんだよ。そして、柱というのは、自分が見込んだ者にならば力を貸そうとするものだ。君たちに名前を教えたのなら、それは君たちに見込みがあると認めたということさ。まぁ、多少は柱同士のお付き合いというのもあったかもしれないけれどね」
「お付き合いですか?」
「よくわかんねぇけど、柱も俺様の力を認めたってことだなっ」
「伊之助ってどうしてそんなにお気楽なんだよ……。っていうか、お館様の前なんだぞっ。お行儀よくしろよっ」
「でもお名前を教えてもらえていてよかったね。お遣いができるもの」
 たしかにそうだと納得しあった炭治郎たちに向かって、お館様は笑いながらうなずくと、ゆっくり手を上げました。その手にはいつの間にか藤の花が一枝握られています。
 お館様はその藤の花で、炭治郎たちの頭を撫でるように腕を振りました。ひらりと藤の花が振られるたび、炭治郎たちの体のなかに、澄んで気持ちのいい空気が流れ込んでいくようです。朝からえっせえっせと雪のなかを歩いてお腹もペコペコだったはずなのに、ぐんぐんと力がみなぎってくるではありませんか。
「さぁ、私のかわいい子供たち。この藤の花を持ってお行き。無限城には日が差さない。時の流れも曖昧になる。だから、この藤の花をよく見ておいで。この藤の花がすべて枯れ落ちたとき、年が替わる夜がくる。その前に無限城を崩さなければ、キメツの森は『災い』の大群に襲われるだろう。そうなっては、柱の結界もいつまでもつかわからない。いいかい? 夜になる前に無限城に柱を呼び込み、無限城を打ち崩すんだ。そうすれば『災い』たちも森を襲うどころではなくなるからね。君たちの勇気と知恵と絆で艱難辛苦を乗り越えて、柱たちの手助けをしてやっておくれ」
 神妙にうなずいた炭治郎に藤の花を手わたしたお館様が手を打つと、お子様方がやってきて、炭治郎たち一人ひとりに不思議な文様が描かれたお札をくれました。
「珠世さんと愈史郎さんから、助けてもらったお礼だそうだよ。きっと君たちの役に立つだろうから、身に着けていくといい」
「お館様は珠世さんたちをご存じなんですか!?」
 ビックリして炭治郎が聞くと、お館様は小さく笑って言いました。
「彼女たちの存在は昔から知っていたけれど、顔をあわせたのは初めてだよ。逢えたのは君たちのおかげだね。珠世さんたちはね、君たちにお礼がしたいと社に来てくれたんだよ。きっと無限城に行くのは君たちになるだろうと言ってね。神である私の元を訪れるのは恐ろしかっただろうに、よほど君たちが気に入ったとみえる」
「あの、珠世さんと愈史郎さんはどうなるんですか? 柱様たちは『災い』を全部退治しようとしてるんですよね?」
 お館様はお目溢めこぼしくださったかもしれませんが、どんなにやさしくとも珠世さんたちは『災い』なのです。柱様たちに見つかったらきっと斬り祓われてしまうでしょう。
 危険を承知でお社を訪れ、力を貸そうとしてくれた珠世さんたちが斬り祓われてしまうかもしれないと思うと、炭治郎は心配でたまりません。禰豆子たちも不安そうです。
 そんな炭治郎たちを安心させるように、お館様は大丈夫だよと言ってくれました。
「彼女たちは奥の座敷で天からの沙汰を待っているよ。珠世さんは無惨によって『災い』にされてしまったけれど、もともとはハマナスの花の精だったんだ。無惨は戯れに精霊や動物を『災い』に変えてしまうこともあるんだよ。そのせいで家族や友達同士で争って食べあう悲劇が、何度起きたことか……。珠世さんも犠牲者の一人だ。でもね、彼女の魂は穢れをまとってしまったけれど、君たちが務めを果たし無惨が討ち取られれば、今の境遇から抜け出せる。無惨討伐の手助けをした功によって、魂を浄化するために天に昇ることが許されるんだ。これ以上無惨の犠牲者が増えぬよう、そして珠世さんたちが救われるためにも、頑張っておくれ」
 それを聞いて炭治郎はますます張り切りました。伊之助も鼻息を荒くしていますし、禰豆子と善逸も顔を見合わせてうなずき合っています。善逸はまだちょっとビクビクとしていて、しっぽが足に巻き付いてしまっていましたけれど、それでも行くのをやめるとは言いだしませんでした。
 お子様たちが座敷の襖に手をかけると、お館様は静かにそちらを指差しました。それに合わせてお子様たちが音もなく襖を開いていきます。
 開かれた襖の先には、暗闇が広がっていました。

「さぁ、お行き。炭治郎。禰豆子。善逸。伊之助。私のかわいい子供たちよ。柱の加護が君たちとともにありますように」