銀の鈴を持って、炭治郎たちは帰り道を急ぎます。残ったお弁当を途中で食べたので、帰り道でもみんなは元気いっぱいです。
「ほらな、昼に食べちゃわなくて正解だった。考えなしの食いしん坊は困るよなぁ」
「なんだとぉっ!」
「あぁ、もうっ。お前たち、やめないか! 喧嘩なんかしたってお腹がへるだけだろ?」
いつもながら、善逸と伊之助はちょっぴり喧嘩になりそうでしたが、どうやら今日はお日様が沈む前にお店に辿り着けそうです。
みんなと一緒に駆けながら、炭治郎は音柱様の言葉を思い出していました。そうして考えるのは水柱様のことです。
水柱様にも眷属の方はいるのかな。その眷属の方は、水柱様のお嫁さんなのかなぁ。
なんだかちょっぴり胸の奥がちくんと痛くなって、炭治郎は首をかしげながら走りました。
寂しくて悲しい匂いがしていた水柱様。もしもお嫁さんがいるのなら、きっと悲しくて寂しい匂いも消えるでしょう。それはとても素敵なことのはずなのに、炭治郎は、なんで自分が悲しくなるのかわかりません。
早く洋服屋さんに逢いたいな。
なんだかシクシクと胸の奥が痛むのを感じながらも、炭治郎のしっぽは、洋服屋さんの無愛想なお顔を思い浮かべると勝手にフリフリと揺れます。まるで、洋服屋さん大好きと、しっぽが大きな声で言っているようでした。
トントントン。炭治郎がお店の戸を叩いたときには、まだお日様は赤く染まる前でした。でもいつものようにお店でご馳走になっていたら、すぐに夜になってしまうでしょう。そうしたら今日も、洋服屋さんは泊っていけと言ってくれるでしょうか。
「洋服屋さん、お遣いしてきました! はい、音柱様の銀の鈴です!」
ちょっとだけドキドキそわそわとしながら、炭治郎が銀の鈴をわたすと、洋服屋さんはいつものようにやさしく炭治郎の頭を撫でてくれました。
「夕飯を用意してある。持って帰って食べるといい」
言われてテーブルを見れば、小さな包みが四つ乗っています。
善逸と伊之助は大喜びでしたが、炭治郎はなんだかまた、胸が痛くなってしまいました。
きっと洋服屋さんは、お店でご飯を食べれば夜になってしまうからと、お弁当を準備してくれたのでしょう。だけど炭治郎は、もっと洋服屋さんと一緒にいたいのです。
「ありがとう、洋服屋さん! お兄ちゃん、よかったね」
「権八郎、早く帰って飯食おうぜ!」
「暗くなると『災い』に見つかるかもしれないぜ。急いで帰ろうよ、炭治郎」
禰豆子たちが口々に言っても、炭治郎は返事ができませんでした。もじもじと洋服屋さんを見ていると、洋服屋さんは、銀の鈴を手にお仕事机に向かってしまいました。
「あのっ! 俺はもうちょっといてもいいですか? 洋服屋さんのお仕事を見たいです!」
とうとう炭治郎が言うと、禰豆子たちはちょっとビックリしたようでした。洋服屋さんも少し目を見開いて、炭治郎をまじまじと見つめています。
「駄目ですか……?」
しょんぼりとしっぽを下げた炭治郎に、洋服屋さんは少しだけ困った顔をしましたが、駄目だとは言いませんでした。それどころかしゃがみ込み、ポンっと炭治郎の頭に手を置いて言ってくれたのです。
「……泊っていくか?」
「はいっ! お泊りしたいです!」
炭治郎の返事を聞いて、禰豆子たちも顔を見合わせました。
「洋服屋さん、私もお兄ちゃんと一緒にお泊りしてもいいですか?」
禰豆子言うと、善逸と伊之助も俺たちも泊まると口々に言い始めました。洋服屋さんはやっぱり叱ることなく、みんなにホットミルクを入れてくれました。
今日の晩ご飯は、包みに入っていたパンやクッキーです。禰豆子たちが食べているあいだ、炭治郎はお仕事机に向かう洋服屋さんの隣に立って、洋服屋さんのお仕事を見せてもらいました。
洋服屋さんは、黄色い耳当てを取り出すと、銀の糸で音柱様の鈴を縫いつけています。そうしてしっかりと鈴を縫い留めると、フッと小さく息を吹きかけ、炭治郎に耳当てをわたしてくれました。
「これをあいつに」
視線の先では、自分のクッキーを禰豆子にあげている善逸がいます。
炭治郎が善逸に耳当てをわたすと、善逸は、ちょっとびくびくしながらも耳当てを付けてくれました。
「うわっ、これすっごくあったかい! おまけに鈴がついてるのに鈴の音がしないんだけどっ! なんかいつもより耳がよくなった気がする!」
「よかったね、善逸さん。でも、お代を払わなくちゃ」
禰豆子の言うとおりです。もうみんな、明日もお手伝いする気満々で、洋服屋さんの言葉を待っています。
洋服屋さんも、炭治郎たちがお代を払うと言い出すことを、承知していたのでしょう。今度もお手伝いを頼んでくれました。
「霞柱の住まいにたなびく霞をもらってきてくれ」
「わかりました、霞柱様のお住まいの霞ですね!」
「……えぇ~、霞って持って帰れるもんなの?」
善逸の疑問は、誰にも相手にされることなく聞き流されてしまいました。だって神様の霞なのですから。不思議なことが起きたっておかしくありません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
明日も早いからと、洋服屋さんに促されて向かった小さな部屋には、昨日と同じくベッドが並んでいました。でも今日は、昨日とはちょっと違います。ベッドの数は昨日と同じ四つ。小さなベッドが三つに、大きなベッドが一つです。
「今日も一緒に寝ていいんですね!」
あんまりうれしくて、洋服屋さんに抱きついて笑った炭治郎を、洋服屋さんはひょいと抱っこしてくれました。このまま抱っこして眠ってくれるつもりなのでしょう。洋服屋さんに抱っこされて、炭治郎のしっぽは、どうしてもフリフリと揺れてしまいます。
炭治郎が甘えん坊になってると伊之助や善逸にからかわれても、炭治郎はへっちゃらです。だって甘えん坊なところを見られて恥ずかしいのより、洋服屋さんに抱っこされてうれしいほうが、ずっとずっと大きかったのですから。
いっぱい走って疲れていたみんなは、ベッドに入るとすぐに眠ってしまったようです。
「明日もお遣い頑張りますね」
炭治郎もそれだけ言うと、すぐにうとうとしてしまいました。洋服屋さんのおやすみという声が聞こえて、おでこにそっとキスされたような気がしますが、眠くて眠くて目が開けられなかった炭治郎には、それが夢なのか本当なのかわかりませんでした。
ただ、抱き締めてくれる洋服屋さんの手は、いつものようにひやりとしてはいなくって、ぽかぽかと温かいのがうれしいなぁ、洋服屋さんを温かくしてあげられてよかったなぁと、夢うつつに炭治郎は思ったのでした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
霞柱様のお住まいは、森のなかを流れる川の傍にありました。今日も洋服屋さんが用意してくれた五人分のお弁当を持って、炭治郎たちは川へと急ぎます。
今日は久し振りに天気が良くありません。川はそれほど遠くはありませんが、急がないともしかしたら雨が降ってきてしまうかもしれないのです。
炭治郎と禰豆子には手袋が、伊之助にはマフラー、善逸には耳当てがありますから、寒いのはへっちゃらでした。けれど、雨が降ってお日様が隠れると『災い』が出てくることもあります。雨が降る前に急いでお店に戻らなくっちゃと、炭治郎たちは大急ぎで駆けて行きました。
ほどなくして川に着くと、炭治郎たちは霞柱様のお住まいを探しました。
川は広くて、とても深いようです。流れも早いので、落ちたら大変と気をつけながら、炭治郎たちはきょろきょろとあたりを見回しました。
「あ、あれじゃねぇか?」
伊之助が指差す先を見ると、川の向こう岸に、白く霞が揺らめいている場所があります。きっとあそこが霞柱様のお住まいなのでしょう。
「でもどうやって川を渡る? 橋なんかないぜ?」
「お兄ちゃん、あそこに船があるみたい」
見れば少し先に艀(はしけ)がありました。小舟が一艘、繋がれています。霞柱様にお参りするには、きっとあの小舟で川を渡るのでしょう。
喜んで走っていったのですが、小舟はどうやら三人しか乗れないようでした。
「困ったなぁ。これじゃ全員は乗れないぞ」
「誰か一人残って、ここで待つしかないんじゃないの? 伊之助が一番重いだろ、お前が残れば?」
「はぁ!? ふざけんな! 親分の俺様が行かなくてどうすんだよ!」
「だって、禰豆子ちゃんを一人で置いてくなんて絶対に駄目だし、俺が残って禰豆子ちゃんと離れるのも嫌に決まってるだろっ。炭治郎が行かなきゃ話になんないし、伊之助が残るのが一番だろぉ!」
「喧嘩はよさないか! どうにかしてみんなで川を渡る方法を考えよう」
「そうよ、今日は雨が降りそうで暗いもの。夜じゃなくても『災い』が出てくるかもしれないし、一人じゃ危ないでしょ?」
うーんとみんなで頭をひねって考えますが、いい案は浮かんできません。
「なにかお困りですか?」
聞こえてきた声にビックリして炭治郎たちが振り返ると、変なお面を被った子供が立っていました。炭治郎たちよりも小さいその子は、前に出逢った蟲柱様の眷属の女の子と同じく、森の動物の匂いがしません。
「川を渡りたいんだけど、この舟じゃみんなで乗れなくて困ってるんだ」
炭治郎が言うと、子供はなるほどとうなずいて、呆れたように首を振りました。
「そんなの誰か一人が残ればいいだけじゃないですか。全員で行く必要なんてないでしょ」
「駄目だよ! 一人でいてもしも『災い』が来たらどうするんだ、誰も一人になんてできないよ!」
「そうは言っても、その舟には三人しか乗れないでしょ。たしかに、ここら辺には霞柱様を狙う『災い』も出るから、一人で残る人が危険ですけどね。どうしても誰かを残すのが嫌なら、あなたが残ったらいいんじゃないですか?」
お面の子供が炭治郎に向かって言い終わるより先に、禰豆子と善逸と伊之助が、一斉に駄目! と叫びました。
「子分を一人で残すくらいなら、親分の俺様が残ってやるぜ! 『災い』なんて俺様が倒してやらぁ!」
「誰か一人だけ襲われるなんて駄目に決まってるだろっ! お前馬鹿なの!? 性格悪いって言われるだろぉっ! あぁぁぁもぉぉぉっ! いいよっ、禰豆子ちゃんたちを残すぐらいなら俺が残るよ! でも早く戻ってきてねぇぇ!」
「お兄ちゃんや善逸さんたちが襲われるぐらいなら、私が残るもん!」
「なに言ってるんだ、禰豆子! 伊之助も善逸も、この子が言うのももっともだ、俺が残るよ」
「はい、合格です。みなさん舟に乗ってもいいですよ」
ポンッと手を打ったお面の子供は、舟に近づくと、なにやらガタガタと舟の縁を動かし始めました。みるみるうちに舟はぐんと大きくなって、四人で乗っても大丈夫な大きさになっていきます。
「さぁどうぞ。一名ほど乗せたくない人もいますけど」
「えっ、まさか俺のこと!? やだっ、言葉の綾だってばぁ! お願いっ、俺も乗せてくれよぉぉぉ!!」
子供にすがってわめく善逸をよそに、炭治郎たちはぽかんとして、大きくなった舟を眺めました。やっぱりこの子も柱様の眷属なんだなと思いながら、炭治郎は、笑って子供の手を取りお礼を言いました。
「ありがとうっ! 君のおかげでちゃんとお遣いができるよ。ねぇ、名前はなんて言うの?」
炭治郎に満面の笑みで言われ、子供はちょっと照れたのか、コホンと咳払いしてから「名前は教えられません」と澄ました声で言いました。
「名前というのは大事なものなんですよ? とくに神様や眷属の名前は、おいそれと教えるわけにはいかないものなんです」
「そうなのか? でも今までお逢いした柱様たちは、みんなお名前を教えてくれたよ?」
炭治郎が言うと、少し考えこんだ子供は、やがて強くうなずきました。
「なら、そのお名前を決して忘れないことです。あなたたちに名前を教えるのは、柱様たちにとってはなにか意味があるんでしょう。さぁ、早く行ってください。霞柱様は気紛れですからね、ふらっとどこかへお出かけになっちゃうかもしれませんよ」
川岸に残ったお面の子供に手を振って、舟に乗った炭治郎たちは、ゆっくりと川を横切っていきました。櫂で漕がなくても進む不思議な舟は、濃い霞が立ち込める岸へとまっすぐに向かっていきます。
岸に辿り着いた舟は勝手に止まると、そのままピクリとも動かなくなりました。
「あれ? 一人じゃないのは久し振りだなぁ」
どこかぼんやりとした声がして、霞のなかから男の子が一人、長い髪を揺らしながら現れました。
今までお逢いした柱様たちよりもずっと若いけれど、この子が霞柱様なのでしょうか。表情も声と同じくどこかぼんやりとしていて、なんだか神様らしくありません。
「あの、霞柱様ですか?」
「うん。そう呼ばれているよ」
こくりとうなずいた男の子に向かって、炭治郎は大きな声で言いました。
「初めまして、霞柱様。俺は狐の炭治郎、こっちは妹の禰豆子で、友達の善逸と伊之助です! 今日は洋服屋さんのお手伝いで、霞柱様のお住まいの霞をいただきに来ました!」
「ふーん……いいよ、持っていきなよ」
そう言うと、霞柱様はスイっと手を上にかざして、たなびく霞を掴みとると炭治郎に差し出しました。
「はい、これでいい?」
「えっと……これ、どうやって持って帰ればいいですか?」
ひらひらと布のように揺れる霞は、炭治郎が持とうとしても、手をすり抜けてしまって掴めません。
「君、霞も持てないの? あの人の加護をもらってるのに、変なの。まぁいいや、ほら、これでいい?」
霞柱様は霞をくるくると丸めると、鞠のようにして炭治郎に渡してくれました。
「ありがとうございます。あの、加護ってなんのことですか?」
「わからないならいいよ。僕には関係ないもの」
不思議なことばかり言う霞柱様に、炭治郎は、わけがわからなくて首をかしげてしまいました。
いろいろと聞きたいことはありましたが、伊之助や善逸のお腹の虫がぐぅっと大きな音を立てたので、とりあえず質問は後回しです。
「霞柱様、ここでお昼を食べてもかまわないですか? 伊之助はお腹が空くといつもより怒りっぽくなっちゃうんです」
「善逸さんもいつもより泣き虫になっちゃうから、お願いします」
炭治郎と禰豆子が頭を下げてお願いすると、霞柱様はやっぱりどうでもいいという顔をして、ひらひらと手を振りました。
「勝手にしなよ。君たちはあの子の試験にも合格しているからね。あんまり失礼すぎることさえしなければ、好きにしてていいよ」
霞柱様のお許しが出たので、炭治郎たちはさっそくお弁当を食べることにしました。雨が降る前に帰らなくてはいけないので、伊之助や善逸が元気をなくしてしまうのは困るのです。
「そういえば、向こう岸にいたお面の子は霞柱様の眷属なんですか?」
「そうだよ。仲間や家族が危ない目に遭うかもしれないのに、自分の望みが叶うほうが大事な奴の願い事なんて、神は叶えてやらないもの。あの子の試験に合格しなきゃ、ここには来られないんだ。最近では、お参りじゃないのにここに来られたのは君たちだけだよ」
霞柱様はこともなげに言い、つまらなそうに小さな溜息をついています。
それを見て、早くも口いっぱいにお弁当を頬張った伊之助が、ちょっと馬鹿にしたように鼻を鳴らしました。
「ふーん、神様ってのはめんどくせぇな」
「お前、神様に向かってなんでそんなに平然としてられんのぉ!? 信じらんない、あ~やだやだなんにも考えてない奴は気楽でいいよなぁ」
「んだとぉ! 紋逸、てめぇやるかぁ!?」
「お前たち、食事中に喧嘩するんじゃない! あ、そうだ。霞柱様もお弁当食べませんか?」
ぼんやりと炭治郎たちのやり取りを見ていた霞柱様は、炭治郎の言葉にきょとんとまばたきしました。驚いた顔をすると、神様だというのに炭治郎たちとおんなじ子供のように見えます。
「僕に? 僕は柱だよ? なのに一緒にお弁当を食べようって言うの?」
「炭治郎っ、お前までなに言い出してんのぉぉ!? すいませんすいません、こいつら物知らずばっかりなんです、なんにも考えてない能天気なんですぅぅ!! 罰を与えるのは勘弁してぇぇぇっ!!」
「善逸さん、騒ぐのも失礼でしょ。静かにして!」
禰豆子に叱られてしょぼんとする善逸に苦笑して、炭治郎は、なおも霞柱様に言いました。
「ご飯はみんなで食べたほうがおいしいですから! それにこのお弁当は、霞柱様に対価としてお渡しするために、洋服屋さんが用意してくれたものなんです。洋服屋さんのお弁当、本当においしいんですよ?」
ニコニコと言う炭治郎に、霞柱様はさもおかしそうに笑いだしました。
「君って変わってるね。神様に一緒にご飯を食べようなんてさ」
「神様だって一人は寂しいと思うんです。ご飯だって、神様だからみんなと食べないなんて、悲しいですよ」
霞柱様はじっと炭治郎を見ると、やがてにっこり笑ってうなずきました。
「気に入ったよ、炭治郎。あの人の加護が先じゃなければ、僕が眷属に迎えたのになぁ。僕の名前は時透。いいかい、もしも僕を呼ぶときは、そう呼びかけるんだよ?」