手袋を買いに行ったら大好きな人ができました1

 大きな大きなキメツの森の外れ。小さな洋服屋の窓から漏れる灯りを見つめ、子狐の炭治郎はちょっぴり緊張していました。
「なぁ、本当に行く気か? 炭治郎」
「うん。だって禰豆子の手のしもやけは、本当に痛そうなんだ。大丈夫! 狐だってバレないように気を付けるよ!」
「権八郎の変化へんげで誤魔化せんのかぁ? まだ一度も耳としっぽを消せたことねぇじゃねぇか」
「そうだよ。それに、人間の店で買い物するにはお金がいるんだぜ? やめとけよ。禰豆子ちゃんのしもやけは、俺がずっと手を握ってあっためてあげるからさぁ」
 ねずみの善逸やイノシシの伊之助は、とても心配そうです。炭治郎は首から下げたお財布をポンっと叩いて、にっこり笑ってみせました。
「大丈夫! お金だって今まで拾ったのがあるし、手だけ見せて買えば問題ないよ。あと、善逸がずっと手を握ってたら、禰豆子がなんにもできなくなっちゃうから駄目だ」
 そう言う炭治郎の頭の上で、耳飾りをつけた狐の耳がひょこひょこ揺れました。お父さんの形見で、お日様模様の耳飾りです。ふさふさとした自慢のしっぽもふりふりと揺れていて、善逸と伊之助は顔を見合わせ、やっぱり心配そうに溜息をつきました。
 頑固な炭治郎は、いろんな意味で石頭なのです。一度決めてしまったら、善逸や伊之助がどんなに言ってもやめないでしょう。
 しかたなく二人は、とことこと洋服屋に向かって歩いていく炭治郎を、ハラハラと見守っていました。

 森の外れの洋服屋は、森の動物たちにとっては疑問の的でした。キメツの森はとっても広くて、こんな外れにまで人間はめったに来ないのです。洋服を売ったところで、お客さんなどいやしません。なのになんでお店を開いたんだろう。みんな不思議そうに洋服屋を眺めるだけで、お店に行った者は一人もいません。
 炭治郎はずっと、この洋服屋さんが気になってしょうがありませんでした。なぜなら、この洋服屋さんの窓から漏れる灯りはとってもやさしくて、だけど同じくらい、悲しくて寂しい色をしていたからです。

 窓のなかを覗いたことはないけれど、きっとお店の人はこの灯りみたいにやさしくて、悲しくて寂しい気持ちを抱えている人なんだろう。逢ってみたいなぁ。もしも俺が狐だってわかってもやさしくしてくれる人だったら、仲良くしてもらえるかもしれない。そしたらその人も寂しくなくなるかな。悲しい気持ちは消えるかな。
 炭治郎は遠くに見える窓の灯りを眺めながら、ずっとそんなことを思っていたのです。

 トントントン。炭治郎はドキドキしながら戸を叩きました。
「ごめんください。手袋を買いに来ました! 」
 大きな声で言って、ドアを小さく開くと、人の気配が近づいてきました。炭治郎はお店の人に見られないよう、ドアの隙間から手を差し出しました。
「この手よりちょっと小さい手袋をください」
 できれば禰豆子に似合う桃色の手袋がいいけれど、我儘は言えません。炭治郎がじっと待っていると、ひやりとした手が炭治郎の手に触れました。炭治郎の手よりもずっと大きな手です。炭治郎の手をそっと包み込んで、手はすぐに離れていきました。
「少し待っていろ」
 素っ気ない声でしたが、炭治郎は初めて聞いたお店の人の声にドキドキしました。どんな人なのかな。気になってドアの隙間からこっそり覗いてみると、半分が無地で半分が柄の、風変わりなベストを着た背中が見えました。お店にはその人しかいません。きっと店長さんなのでしょう。
 洋服屋さんは、長い黒髪の男の人でした。くせっ毛なのでしょうか。一つに結ばれた黒髪は、ところどころ跳ねています。背を向けて棚を探っているので、お顔は見えません。
 炭治郎よりもずっと背の高い洋服屋さんは、すぐに目当ての品物を見つけたようです。商品を手に取ると振り向きました。

 わぁ、きれいな人だなぁ。

 白い肌に真っ黒な髪。長く豊かなまつ毛に縁取られた目は切れ長で、青く澄んだ瞳をしていました。
 思わず見惚れてしまっていた炭治郎は、自分がドアから顔を出していることにさえ気づきません。その人は炭治郎を見ても驚いた様子もなく、無表情のまま近づいてきます。
「これでいいか?」
 洋服屋さんが差し出したのは、緑と黒の市松模様の手袋と、それよりちょっと小さな桃色の手袋でした。
「え? あの、桃色のだけでいいです!」
「お前の手も冷たい。手袋があったほうがいい」
 手袋を握らされて、炭治郎はようやく、自分がその人の目の前に立っていたことに気づきました。
「あっ! 耳! じゃなくてっ、えっと、俺……」
 慌てて頭の上の狐の耳を押えましたが、絶対に炭治郎が狐だとわかってしまったでしょう。ビックリしてふくらんだしっぽだって、丸見えなのですから。
 でも、その人はまったく気にしていないようでした。
「お代はいらない、早く持って帰ってやれ」
「そういうわけにはいきません! お金はここから取ってください」
 ふんっと胸を張って言う炭治郎に、その人は少し考えて、炭治郎が首から下げた財布から小さな硬貨を一枚取り出しました。
「……毎度ありがとうございます」
「一枚でいいんですか? 手袋二つなのに?」
「これでいい」
 そういうものなのでしょうか。炭治郎には、人間のお金なんてよく知りません。
「妹が待っているだろう? 早く帰ってやれ」
 なにを考えているのかわからない無表情だけれど、洋服屋さんの声はとてもやさしくて、炭治郎はなんだかとってもうれしくなりました。炭治郎が狐だとわかっても、驚いたり怒ったりしないその人からは、やさしいけれど悲しくて寂しい匂いがします。
「はいっ! ありがとうございました、また来ますね!」
 にっこり笑って言った炭治郎に、洋服屋さんちょっと驚いた顔をしましたが、駄目だとは言いませんでした。
「洋服屋さんのお名前はなんですか? 俺の名前は炭治郎です!」
「……洋服屋でいい。それ以外の呼び方はいらない」
 名前で呼べないのは寂しいなと炭治郎は思いましたが、そのうち教えてもらえるかもしれないし、禰豆子に早く手袋をはめてあげなければいけません。
「洋服屋さん、さようなら!」
「……あぁ」
 大きく振った炭治郎の手には、市松模様の手袋。
 ウキウキと軽い足取りで炭治郎は家へと急ぎます。禰豆子もきっと、お花の色をした手袋を気に入ってくれるでしょう。この冬は二人とも、手袋のおかげでぬくぬくと過ごせるはずです。
「明日も逢いに行っていいかな。洋服屋さんのお名前を教えてもらえたらいいなっ」
 森の外れの小さなお店の、やさしくて悲しくて寂しい匂いの洋服屋さんが、炭治郎は大好きになりました。
 炭治郎は狐なのに、とてもやさしくしてくれた、きれいな人間のお兄さん。
 仲良くなれたらいいな。弾むように歩く炭治郎のお尻で、ふさふさのしっぽが楽しげに揺れていました。