手袋を買いに行ったら家族が増えました

「禰豆子たちは大丈夫だったんですかっ!? 瘴気を浴びて体はなんともないんですか!?」
 蟲柱様と義勇から話を聞いた炭治郎は、真っ青になって飛び起きそうになりました。
 助けてくれたことには、もちろん感謝してもしきれません。ですけれども、禰豆子たちがそんな無茶をしたなんて聞けば、心配でたまらなかったのです。
「おとなしく寝てろ」
「でもっ!」
 義勇に止められても、眠るどころじゃありません。いてもたってもいられずに、無理やり体を起こそうとした炭治郎の胸をトントンと叩いて、蟲柱様が穏やかに微笑みました。
「大丈夫ですよ。私の屋敷に三人も滞在していると言ったでしょう? ちゃんと体は癒しましたし、みんな元気でいますから、安心してくださいね」
 蟲柱様の言葉に、炭治郎はやっとホッとして、ようやく笑顔になりました。
「よかったぁ! 禰豆子たちにありがとうって言わなくちゃ」
「ええ、きっと喜びますよ。動けるようになったら、炭治郎くんも禰豆子さんたちと一緒に、お館様のところに行きましょう。お館様から、今回の功労者としてご褒美がいただけますからね」
 笑う蟲柱様に、炭治郎はきょとんと目を見開きました。
「ご褒美なんていりません。だって俺は、水柱様やお館様のお手伝いをしたかっただけですから! みんなが無事だったのがご褒美です!」
 ニコニコして言う炭治郎に、蟲柱様と義勇は目をしばたかせました。すぐに蟲柱様はコロコロと楽しげに笑いだしました。
「まぁ、欲のない子ですねぇ。本当に、不愛想で天然ドジっ子な冨岡さんには、もったいないくらいのご伴侶様です。ねっ、冨岡さん?」
「胡蝶っ!」
 なにやら義勇は、慌てています。義勇さんがこんなに焦るなんてめずらしいな。炭治郎はわけがわからず呆気にとられてしまいましたが、蟲柱様はいかにも楽しそうです。
「あれほどハッキリと所有印を見せびらかしておいて、今さら恥ずかしがることはないでしょう? みんな呆れてましたよ?」
「それは……っ」
「あのぉ、所有印ってなんですか? それに、ご伴侶様ってお嫁さんのことですよね?」
 蟲柱様の仰りようは、まるで炭治郎が義勇のご伴侶様のように聞こえます。でも炭治郎は男の子ですから、お嫁さんにはなれません。
 どういうこと? と小首をかしげる炭治郎に、蟲柱様はますます楽しげにクスクス笑いますが、義勇は困ったように視線を逸らせてしまいました。
「炭治郎くん、冨岡さんから強い加護をもらったでしょう?」
「えっと、お守りのハンカチのことですか? はい! でも禰豆子たちももらいましたよ?」
 炭治郎が視線を向けると、義勇は小さく溜息をつきました。なにか困らせてしまったのでしょうか。炭治郎がちょっぴり眉を下げると、蟲柱様がつんっと義勇の腕をつつきました。
「ほら、冨岡さん? ちゃんと教えてあげないと、炭治郎くんが不安そうですよ?」
 からかう蟲柱様に、もとはといえばお前が余計なことを口にしたからだろうと言わんばかりに眉を寄せ、義勇は炭治郎から少し視線を逸らせたまま教えてくれました。
「……お前に与えた加護は、禰豆子たちに与えたものよりも強い。柱が加護を直接与える場合、ほかの柱にその者が出逢ったときに、よしなに頼むという印になる」
「あぁ! それで、柱様たちはお遣い物をくださったんですね!」
 柱様たちが炭治郎を見たときの様子を思い出して、炭治郎は合点がいったと笑いましたが、蟲柱様はなおも義勇の腕をつつきます。
「それだけじゃないでしょう? ちゃんと教えてあげないと、時透くんや煉獄さんは、かなり炭治郎くんのことが気に入ったようですからね。日柱襲名までの柱見習い中はご自分の眷属にと、名乗りを上げるかもしれませんよ? 知らないまま炭治郎くんが了承しちゃったらどうするんですか?」
「っ!? それと、もう一つ……その、この者に手出し無用という意味も、ある」
「はぁ……えーと、乱暴したりしちゃ駄目ですよってことですか?」
 義勇が言うことは、わかるようでわからず、炭治郎はキョトンとするばかりです。蟲柱様も呆れているようでした。
「もうっ、冨岡さんたら本当に言葉が足りませんね。あのね、炭治郎くん。手出し無用というのは、早い者勝ちで眷属に迎える権利は自分にあるぞ、誰も手出しするなよっていう牽制と言いますか、所有の証なんです。ようは縄張り主張の匂い付けと同じことですね」
「胡蝶っ! 言い方というものがあるだろう!」
 義勇は怒っていますが、炭治郎はそれどころじゃありません。だって蟲柱様が仰ったのが本当なら、義勇は炭治郎のことを自分のものと思ってくれているのです。ほかの柱様にはわたしたくないと思ってくれたということです。
 ホワァッと頬を赤く染めた炭治郎は、ちょっぴり恥ずかしくなって、布団を口元まで引き上げました。恥ずかしいけれどもうれしくて、勝手に顔がニコニコとしてしまいます。うふふと笑い声を立てたくなるのをこらえる炭治郎に、蟲柱様はなおも言いました。
「一度も自己主張してこなかった冨岡さんが、あれほど強く所有を主張する加護を見せつけるんですもの。炭治郎くんには、みんな興味津々だったんですよ? まさか、天狐のご血筋だとは思ってもみませんでしたけどね。炭治郎くんはいずれ日柱を襲名することになりますから、ほかの柱に譲渡もできる神嫁ではなく、正式に冨岡さんのご伴侶様として迎えるんだろうと、お館様も楽しみにしてらっしゃいましたよ」
「お館様がですか? え、でも……」
「胡蝶っ、いい加減にしろ! 炭治郎はまだ幼い、伴侶などというのはまだ先の話だ。大きくなって炭治郎が理解してから、炭治郎の意思を尊重して決める話だろうっ」
 義勇の真剣な声に蟲柱様は肩を竦めると、はいはいと軽く笑って義勇に手を振りました。
「冨岡さんも怖いですし、お喋りはこれぐらいにしましょうか。炭治郎くんももっと休んでいなくちゃいけませんからね。早く禰豆子さんたちとお話しできるよう、もう少し眠っておかなくちゃ駄目ですよ」
 布団をきちんとかけ直してくれながら言った蟲柱様に、炭治郎も素直にうなずきました。禰豆子たちと話をするには、まずは体を治さなくてはいけません。でも、蟲柱様と一緒に義勇が部屋を出ようとしたのには、寂しくなって思わず、義勇さん、と呼びかけてしまいました。
 義勇は薄く微笑んで、ポンポンと炭治郎の頭を叩くと、また来ると約束してくれました。
 安心してまた瞼が重くなった炭治郎は、でも俺は男だから、やっぱり義勇さんのご伴侶様にはなれないんだろうなぁと思って、少し胸が痛くなった理由がわからないまま眠ったのでした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 小さな胸の痛みが解消されたのは、義勇がお館様に呼ばれて、炭治郎の部屋に顔を出せなかった日のことでした。

「えっ!? 蛇柱様と恋柱様のご婚礼が決まったんですか?」
「ええ。柱同士の婚礼は久し振りですし、無惨討伐も果たせたということで、かなり盛大なお式になりそうです」
 ニコニコと笑って教えてくださった蟲柱様に、わぁっと禰豆子もうれしげに笑いました。
「蟲柱様、私たちもお式を見られますか?」
「もちろん。それどころか、禰豆子さんはもしかしたら、甘露寺さんのお付きを頼まれるかもしれません。そのつもりでいたほうがいいかもしれませんよ?」
 クスクスと含み笑う蟲柱様に、私がですか!? と頬を赤く染めて禰豆子が困惑するのを、炭治郎もニコニコと笑って見ていました。
 ベッドに起き上がってお喋りする許可が下りて以来、禰豆子たちは、毎日部屋に遊びに来てくれます。義勇も毎日来てくれるので、おかげで炭治郎は退屈したり寂しい思いをせずにいました。
 ときどきはほかの柱様たちもお見舞いに来てくださいます。とくに頻繁に来てくれるのは、霞柱様と炎柱様。お二人とも炭治郎たちのことをとても気に入ってくださったようで、みんなと楽しくお喋りしてくれるのです。
 音柱様がいらっしゃるときには、三人のお嫁さんもご一緒で、とても賑やかです。恋柱様もよくいらしてくださいます。だけど恋柱様はお忙しいのか、ほかの方と違い、あまり長くはいられないようでした。
「恋柱様がお忙しそうだったのは、ご婚礼が決まったからだったんですね!」
「そういえばさぁ、神嫁様とご伴侶様の違いって結局なんなんだろうな? 恋柱様は蛇柱様のご伴侶様になるんだろ?」
 善逸の疑問に、炭治郎たちも揃って首をひねると、蟲柱様に視線を向けました。
「そうですねぇ……神嫁は眷属がなるものですが、ご伴侶様は、神や神の血筋でなければなれません。神嫁は何人でも迎え入れることができますが、ご伴侶様はただお一人。お館様にも認められた正式なお嫁さんですね。柱の名を継ぐのは柱が認めた眷属でも可能ですが、神嫁は柱にはなれません。神嫁はあくまでも柱に仕える存在なんです。神嫁が生んだお子様も同様です」
「へぇ。それじゃ、音柱様の神嫁様たちは、柱様にはなれないんですね」
「ええ。ですが、ご伴侶様は違います。伴侶となられた方は同等のお立場ですから、ご自身が柱を継ぐこともできますし、お子様も柱を継ぐことができます。もちろん、柱の務めを果たせることが大前提ですけどね。それでも、ご伴侶様がお産みになったお子様が柱を継ぐのは、もう確定事項のようなもので、お子様がいるのに、ほかの眷属を次の柱に据えることは滅多にないんです。音柱様のように、ご伴侶様をお迎えせずに神嫁様たちを慈しんでいらっしゃる方もいますけれど、多くの柱はいずれご伴侶様をお迎えして、次の柱となるお子様を得られるものです」
 蟲柱様のお言葉に、禰豆子や善逸たちは感心していましたが、炭治郎だけはきゅうっと胸が痛くなって少し俯いてしまいました。
 お子様を得るためにご伴侶様をお迎えするのなら、やっぱり水柱様の──義勇のご伴侶様になるのは、炭治郎ではないのでしょう。お館様がなんで義勇のご伴侶様に炭治郎がなるなんて思われたのかはわかりませんが、きっとなにかの間違いなんだろうと炭治郎は思いました。
 神様になっても、やっぱり炭治郎は、大好きな義勇とずっと一緒にはいられません。いつか炭治郎が日柱を襲名する日が来たら、義勇の眷属でもいられなくなるのですから。
 義勇といつまでも一緒にいられるのは、義勇のご伴侶様や神嫁様だけなのです。
 知らず知らず泣き出しそうになっていた炭治郎に気づいているのかいないのか、蟲柱様はやさしく笑って言いました。
「きっと冨岡さんと炭治郎くんのお子様はかわいらしいでしょうね。性格は炭治郎くんに似たほうがいいと思いますけど」
「えっ!? 炭治郎が赤ちゃん産むのぉっ!?」
「ご、権八郎、お前メスだったのかよっ!!」
 善逸と伊之助が驚いて飛び上がりましたが、炭治郎だってビックリです。禰豆子もぽかんとしてしまっていました。
 そんな炭治郎たちに蟲柱様は楽しげに笑って、炭治郎の頭を撫でてくれました。
「神様ですからね、普通の動物さんたちとはちょっと生まれ方は違いますけれど、ちゃんとお子様は生まれますよ」
「……なにそれ、神様ってなんでもありかよ。炭治郎と洋服屋さんの子供なんて、想像もつかないんですけど」
 善逸はげんなりと肩を落としていましたが、炭治郎はそれどころじゃありません。赤ちゃんが生まれるなら、炭治郎だって義勇のご伴侶様になれるかもしれないのです。そしたら義勇とずっと一緒にいられるってことではありませんか。
「炭治郎くんは冨岡さんの真名をもう知っているでしょう? 真名というのは本当に大事で、ご伴侶様やご家族しか知らないものなんです。それを教えてもらっているんですもの。きっと冨岡さんもそのつもりだと思いますよ?」
 少し悪戯っぽく言った蟲柱様の言葉は本当でしょうか。ずっと義勇と一緒にいてもいいのでしょうか。
「でも俺、義勇さんのこと名前で呼んじゃってるから、蟲柱様や禰豆子たちだって真名は知ってますよね? あっ! また呼んじゃったっ!!」
 知られちゃいけないお名前なら、何度も義勇の名を口にしているのは本当はいけないことだったのかもしれません。
 どうしよう、義勇さんにご迷惑かけちゃったかも。慌てる炭治郎に、蟲柱様はニコニコ笑い、禰豆子たちはきょとんと顔を見合わせました。
「禰豆子さんたちは、いま炭治郎くんが口にした名前を言えますか?」
 蟲柱様の問いかけに、禰豆子たちは、ふるふると首を振りました。
「洋服屋さん……じゃなかった、えーと水柱様のことを言ってるのはわかるんだよ。けどさ、ちゃんとは聞こえないんだよなぁ。名前を呼んでるんだなってのはわかっても、その名前が聞こえなくて、でも誰のことを言ってるのかはちゃんとわかるっていう……。なんか改めて考えると気持ち悪っ」
 善逸がぶるりと体を震わせると、禰豆子もちょっと困ったような顔でうなずきます。
「蟲柱様に言われるまで、私はよく聞こえないことにも気づかなかったよ。お兄ちゃん、ずっと洋服屋さんのお名前を呼んでたの?」
「名前なんて誰のことかわかりゃそれでいいじゃねぇか」
「お前はそうだろうねっ! いい加減人の名前ぐらいちゃんと呼べよなぁっ」
「呼んでるだろっ、紋逸!」
「だから誰なんだよそれはっ!」
 善逸と伊之助は、いつものように言い合いを始めてしまいました。伊之助にかかると炭治郎の悩みなんてちっぽけなものみたいです。
「お、おい、やめないかお前たち。蟲柱様の前なんだぞっ」
 オロオロと止めようとする炭治郎に笑って、蟲柱様は「ね、大丈夫でしょう?」と指先でちょんと炭治郎のおでこをつつきました。
「真名は、お館様のほかには、本人から直接教えられた者にしかわからないものなんです。炭治郎くんが冨岡さんの真名を口にしても、お館様以外にきちんと聞き取れるのは、冨岡さんご本人と、冨岡さんが真名を教えた方だけです。安心してくださいね」
 そういうものなのかと、炭治郎はホッとするのと同時に感心してしまったのですけれど、少しだけ不安もありました。
「あの……義勇さんは俺じゃない人にも、真名を教えてるんでしょうか」
 もしそういう人がいるのなら、その人が義勇のお嫁さんになるのかもしれません。男の炭治郎でも義勇のお嫁さんにはなれるといっても、義勇は、炭治郎よりももっときれいでかわいらしい人をお嫁さんにしたいと思ってるかもしれないのです。
 考えたらなんだかとっても悲しくて、胸がチクチク痛くなります。
 炭治郎は自分がお嫁さんになるなんて、今まで一度も考えたがありません。男の子なんですから当然です。義勇にやさしくてきれいなお嫁さんがくるのを、祈ってもいました。でも、なぜでしょう。自分以外の誰かが、義勇と一緒にいるのは、なんだかとても悲しくなるのです。
 義勇が許してくれるなら、ずっと義勇のそばにいて、一緒にご飯を食べたり眠ったりするのは、自分がいい。炭治郎は初めて、誰よりも自分が一番義勇の傍にいたいと思っていることに、気がつきました。
 赤ちゃんだとかご伴侶様だとか、炭治郎にはまだ、よくわかりません。だけど、義勇のことが大好きな気持ちは、絶対に誰にも負けたくないと思うのです。一番大好きな人とするのが結婚なら、義勇と結婚するのは自分がいい。義勇に、一番大好きだと言ってもらえたら、どんなにうれしく幸せなことでしょう。
「冨岡さんの真名を知っていた人達は、みなさんお隠れになってしまわれましたから……知っているのは炭治郎くんだけだと思いますよ? 心配しなくても大丈夫。それよりも、恋柱様たちのご婚礼や鬼舞辻討伐の功労を称える式典に間に合うように、ちゃんと体を治さなくてはね。式典ではお館様からご褒美がいただけますよ。なんでもいいそうですから、なにが欲しいか考えておいてくださいね」
 そう言って蟲柱様は部屋を出て行きました。
「ご褒美だってさ! なぁなぁ、なにもらう?」
「うーん、俺はご褒美なんていりませんって言ったんだけどなぁ」
「はぁっ!? 炭治郎、本気で言ってんのかよ! お前が一番苦労したんだぜ!?」
 善逸は目をむいて驚いていますが、炭治郎はご褒美が欲しくて頑張ったわけじゃないんだしと、けろりとしていました。そんな炭治郎に、禰豆子が苦笑して言いました。
「お兄ちゃんがもらわなかったら、善逸さんや伊之助さんだってもらいにくくなっちゃうよ?」
 禰豆子に言われても炭治郎はピンときません。
「そんなの気にしなくていいのに」
「お前は気にしなくても俺らが気になんのっ!!」
「子分がいらねぇって言ってるもんを、親分がもらうわけにはいかねぇからな」
 怒鳴る善逸とむくれる伊之助に、炭治郎もとうとう苦笑いしてしまいました。わかったわかったと笑えば、善逸と伊之助はやったぁと大喜びです。
「禰豆子はなにをもらうんだ?」
「私は……まだ内緒」
 クフンと笑う禰豆子の、なぜだかちょっぴり大人びて見える顔を、炭治郎はきょとんと見つめていました。